前記「高山寺」から周山街道を少し戻り、細道を入っていくと「西明寺」が有ります。
清滝川に架かる「白雲橋」を渡ります。
橋の右や左の風景は絶景です。
石段から見上げる「西明寺」の「薬医門」です。
「西明寺」は「古義真言宗」に属し「槇尾山」と号します。高雄山(神護寺)・栂尾山(高山寺)とともに三尾の名刹の一つとして有名です。
寺伝では「古義真言宗」である「西明寺」は、天長年間(824~834年)に「空海」(弘法大師)の弟子「智泉法師」が「神護寺」http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/11/4_91a3.htmlの別院とした事にはじまります。
寺領は山寺にしてはさほど大きくは無いですが静かな良いお寺です。次記へ 。
右京区梅ヶ畑槇尾町2
(たわごと) 20数年前に長期、ベトナム出張に行った、思出-4
昨日の、ベトナム編の続き。お仕事の現場は、ホーチミン(旧サイゴン)市から自動車で4時間位の、田舎です。心配です。ホテルや食事?それは後にして、空港に到着して(PM5時頃)なかなかお迎えが来ません。同行の「通訳」公衆電話にかじりつき、通じてんのかな?夜が更けてきました。
結論:連絡不足で今日は来ません。なら、わてらわどうなんね、怒り浸透。通関でケチが付き、この始末。言い忘れていましたが、この空港の待合場所の汚いこと(今は、違うと思いますが。そこで夜あかし、あかんで、治安も悪そうで、大きな荷物持って、金持ち風。強盗にでもあったらひとたまりも無。
捨てる神有れば、救う神有り?一人の若者が近づいて、優しく「ビッグタクシー ホテル OK」て。見透かされているかも。運否天賦この際どうでもなれ。乗りました、小型のワゴン車に、ガタガタの。大きな荷物を後ろに積んで。
ここからが、ベトナム風ジェットコースタ。私か前の右に座りました(もちろん右側通行ですから)シートベルトてなもんは有るわけないし、飛ばす事。ほとんど信号無視状態。(後で聞くと、その時分は、道路交通法てなもんは、ちゃんと法整備されていません。今は違いますが)
昼は、自転車・バイク・ぼろ車で一杯ですが、夜中はすいています。それに、信号機の電球の三つに一つは玉切れ。(こんなとこで死んでも、嫁はん迎えに来てくれんやろ、遺言書でも書いといたらと、独り言)
ホテル?に案内され、若者にタクシー代、いくら・いくら?「まあ、ええは10USドル位渡したら堪忍してくれるやろ」10USドル渡したら、小躍りしていました。当然です(あとで分かりました、前記で日当は、1USドル位。10日分、いっぺんに稼いだんやから)安宿で一夜明かしました。決してホテルでは無いです、はたごです。一晩、5USドル位でしたか。(何度も、行って慣れれば、ホーチミンでは外国人向けの一晩100USドル位の所に泊まりました、が、それも後日談)
朝、早くにお迎えが来ました。いよいよお仕事場の工場へ。田舎道をガタガタと、4時間位。我々どこに連れて行かれるのや。その時分の国道は、中央のほんのわずかが舗装、あとはあぜ道。なんと道路の中央は、ベンツが堂々と、その横は日産のトラック、その横はバイクの行列、その横は自転車、その横は「シクロ」その横は水牛の荷車です。社会主義国です、貧富の差のはげしい事。(シクロは御存じのとおり、自転車の前にお客用の椅子を乗せている、安い人力タクシー。車にでもぶつかったら、前のお客から即死?)途中でバイクの事故が多発してました、救急車来るのかな?
嬉しい風景が目に入りました。乗り合いバスです。なんと京都の市バス。運転席だけ左にして、乗り降りは右です。その他、塗装や表示も一切書き換えなし。「京都市バス・祇園行きや円山公園行き」これどこに行くのや?まあ、現地の方は、阿吽の呼吸で行くとこがちゃんと分かっているみたいです。二日ほどほとんど寝てない状態で、田舎の新しい工場(プラント)へ着きました。
この後は、後記にて。
ベトナム土産、螺鈿細工の額