雲ヶ畑の奥に鎮座する「惟喬神社」は第55代「文徳天皇」の皇子「惟喬親王」(これたか)を祀ります。
「文徳天皇」は「紀名虎」(きなのとら)の娘「静子」が産んだ第一子の「惟喬親王」を皇太子にしようとしましたが、「藤原良房」の娘明子(染殿皇后)に「惟仁親王」が産まれたため、藤原家に遠慮し立太子を断念しました。「惟仁親王」は後に第55代「清和天皇」となります。
「惟喬親王」は貞観14年(871年)病で出家し、比叡山西麓の小野の郷に幽居し、寛平9年991年)に没します。
親王は「在原業平」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120414と親交があり、「古今集」に雪深い正月、「業平」が親王を訪ね、
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや
雪ふみわけて君を見むとは
との、歌を残しています。友情の美しさに感動します。
北区雲ヶ畑谷町
(たわごと)
今日は「サマージャンボ」の抽せん日。ショックで何もなし。
毎晩、オリンピックの、女子サッカー・卓球・バレーなど見ていると、寝不足で血圧が上がりっぱなしです。