このお寺、「龍潭寺」(りゅうたんじ)は、京都妙心寺の「雪江宗深」(せっこうそうしん)が「大梅寺」として開創したのに始まります。
丹波守護細川氏の家老であった「松井越前守宗信」が諸宇堂を再建し、明応年間(1492~1501年)の初めころに「龍安寺」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20110923を開いた「特芳禅傑」(とくほぜんけつ)を招いて開山として、寺号も「龍潭寺」としたと伝えられています。
応仁・文明の乱には多くの禅僧がこのお寺に身を寄せた為に、この地に「臨済宗」がおおく広まったとされています。
このお寺には多くの寺宝が有ります。・「枯山水」を取り込んだ庭園も有名です。
「雲龍図」も見事です。
「盧遮那仏」
禅宗のお寺として、京都の「龍安寺」に勝るとも劣らない見所が有ります。
亀岡市ひえ田野町太田東谷40
(たわごと)
今日の、お寺は見所満載。今、私は「考古学」に凝っています。「歴史学」と「考古学」http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/10/post_b472.html#commentsの溝は根深いものですが、分かりやすく、こも溝を埋める、うんちをまとめます。私みたいな、ど素人がおくがましいですが、案外、マァフィーの法則です。学者が、かたれば意味不明、私みたいな、ど素人が語れば案外、納得しますヨ。