京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その369)何しろ石段がきつい秋時大祭中の・幡枝八幡宮

2012-10-05 00:06:22 | 京の話題

長くここ「左京区の岩倉」の地に訪れませんでした。若い時には自転車で何度も遊びに行った覚えが有ります。本当に田舎でしたが、ずいぶんひらけて、新築住宅でいっぱい。その中の小山の中でひっそりと鎮座している「 幡枝八幡宮」がありました。

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この鳥居を見上げると、少し躊躇しました。なんと急で長い石段が有ります。

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本殿までの石段のきついこと、途中であきらめようと思いましたが、根性で登りました。都心から離れた、寺社の参拝は体力が要ります。元気なうちです。

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くれぐれも気を付けて参詣を。足を踏み外して、上から落ちたら、骨折どころでは有りません。石段を登りきった所から下をみると。

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それはさておき、この「幡枝八幡宮」の御祭神は「誉田別尊」(ほんだわけのみこと・応神天皇)「息長帯比売命」(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)が祀られています。

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「後水尾天皇」の崇敬がふかく、神田を与えられ、「桃園帝」「後桜町帝」より多くの祭具等が与えられました。

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御利益は全ての職業に出世繁昌・家内安全・子孫長栄などで、この地にの人々の崇敬を集めています。

しかし、くれぐれも石段には御注意を。最近とみに思います。良く見ると裏路から自動車で本殿まで行ける細道が有るのをあとから気づきました。

左京区岩倉幡枝町

(たわごと)  豊臣秀吉、造営の「聚楽第」の本丸石垣跡の発見!!

「豊臣秀吉」が全盛期の時に造営(1587年完成)した「聚楽第」の本丸南堀の石垣の一部が、上京区須浜町で見つかりました。以前、北の丸の堀の石垣の一部が発見されていますが、本格的な石垣が発見されたのは初めてです。

発見された場所は、今の「二条城」の北、約200m、京都御苑の西300m位の所です。かなり前の記事で、平安遷都時の御所「大内裏」あとを紹介しました、その少し北が「聚楽第」と。やはりその近くに広々とした「聚楽第」が戦国時代末期まで有ったと言う事です。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20110909

しかし、「豊臣秀吉」のあの栄光は、ここではもう見る事は出来ません。

話は変わりますが、あちらこちらのコンビニが廃業しているにも関わらず、近くで、大きなコンビニが大々的に開店しました。これだけを見ても、今の日本経済はどうなっているのかと、素朴な疑問がわいて出ました。(私は、コンビニ大好き人間です。コンビニの無い離島では絶対住めません)