「穴太寺」(あのうじ)は山号を「菩提山」と号し「天台宗」の寺院です。西国三十三観音霊場の二十一番礼所として広く知られています。
宝暦2年(1450年)にかかれた「穴太寺観音縁起」によると、第42代「文武天皇」の慶雲年中(704~708年)「大伴古麻呂大臣」が「薬師如来」をほんぞんとして開創したと伝えられています。このお寺が広く人々に知られるようになったのは「身代わり観音」の霊験あらたかなことからです。
山門には左右に仁王像が有ります。
山門を抜け細長い道を歩き右手に本堂を眺めながら、入山料を払い中に入ります。
左には、鐘楼。
多宝塔と府指定の「穴太寺庭園です」
多くの平安時代の古文書(例:本朝法華験記・今昔物語)などによれば、応和2年(962年)丹波桑田郡の「宇治宮成」が京都から仏師「感世」を招き金色の観音像を造立したと伝えられています。
「穴太寺観音縁起」は観音像の造立を寛弘7年(1010年)の事と伝えられています。
次記はここの有名な「身代わり観音」を紹介します。
亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46
(たわごと)
昨日は野田内閣の改造人事が決まりました。この三年で毎年総理が代わっている上に、この一年で内閣は三度も改造。素人が政権を持つとこの始末。内閣を毎度毎度改造するなら、人間はそのままで、夜店で売っているお面を同じ人間に付け変えておいた方が、国民は覚えるかもしれません。文部科学省の閣僚は何日で投げ出すか? やはり旦那は「もしもし・もしもし、おめでとう」と電話してるのかな?