伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

羽生結弦の記憶3 

2016年07月16日 | 羽生結弦
本編を書く前に、
ニースの事件に触れる…。
ニースは、
フィギュアファンにとっては忘れられない土地だ。
痛ましいことだ・・・

しかも革命記念日だった。

私は、ISに対して個人的にいかりがある。
パルミラ神殿を破壊したからだ。
その一点だけでも、彼らの思想を
受け入れることが出来ない。

深いことは馬鹿な私には分からないが…。

ファイナルはフランスで開かれるそうだ。
無事を祈るばかりだ。
そして犠牲者に対して…、犠牲者に対しても、
祈りを捧げるのみしかできない…。




本文へ行く。



ぼろぼろになった気の毒な私の精神(こころ)を
もう一度立て直すために、
私は羽生について綴りつづけてゆく…。




あの羽生の後ろ姿を忘れられない。

人として最低な人間というなら
あんな姿を私に……

もう記憶も定かでない、くされた脳みそで
記憶を呼び起こそうとして必死になってる・・
そんな私に
残していくだろうか。



ひどいブログがあった。

そこは高橋のファンで、それなりの理由はあったのだろう。

羽生ファンに辟易したらしい。

だが自分の主張に都合の悪い意見は、無視していた。
そこがよろしくない。


羽生は周りが見えてない。


その通りだ。
ならそれだけでいいではないか。



私はもう、こんなことに関わるのは御免だ。


スケート・ファンとはいったい何なのか。

何でこんなにお互いに憎みあったり
中傷したり、傷つけあったりして、
何が楽しいのか。


何をぐちぐちと細かいことで
あれこれと言い合うのか。


スケオタはこわい。




スケオタはこわい。

私はだからニワカなのだ。


30年間ニワカをやってるが、
それで結構だ。

私にとっての宝は、
あの時の羽生の後ろ姿だ。


それだけが、確かな事実だ。




冷静な意見があった。

そこはやはり高橋のファンブログで、
しかし羽生についてもかなり書かれていた。

テン選手の事件が公になった時、困惑し、
そして羽生に対しては批判していた。
当然だ。

でも、それからも日を変えて羽生の記事は続いていた。

了解をとっていないので、記事をそのままここに
載せるわけにはいかない。

でも、大雑把にいうと
羽生の暴走を面白がっているのかもしれない、
ということだった。


私より、はるかにもっと上手に手短かに、
羽生を的確に表現しているブログがあってほっとした。





私は観察者であるから、
羽生を、完全無欠の、非の打ちどころのない
人物であるかのように考えることには、抵抗がある。

まだ未熟な、暴走する自己を制御することの出来ない、
思慮の足りない、青い人ではないか。
だからこそ、彼を追っている。

羽生は何も聖人君子ではない、
そして普通の人だったら何もこんなにムキになって
彼を弁護する必要もないのだ。




私はきっと、
そしたら羽生のファンではないのかもしれない。

あのブログ主のように、
彼を面白がっているだけなのかもしれない。

こんなに面白い素材は、滅多にないからと。

結局、格好の観察対象なのかもしれない、

戸惑わせ、困惑させ、動揺させる存在として。



それでも、リンクの上では、何も知らぬげに
涼やかに、ノーブルに演じのけてしまっていたではないか。


自分の中の、何やら得体のしれない「何か」を
時にはちらっと見せてしまうこともあったとはいえ、
演技の上では完全に何もそれを匂わせはしなかった。

バラードⅠの初めから最後のポーズに至るまで、
一瞬も美しくない瞬間がない演技を、
いくら覚えの悪い私だってそれをうっとりと見ていたのだ。


見事だ。



羽生を賛美しようと思うなら、いくらでも出来る。
むしろそうしたくてたまらないくらいだが、



でもそれとはべつに、
その獰猛な牙を抜かれてしまったフヌケ状態で演じていた、
あのボストンフリー、

あれがきっと素の羽生なのかもしれないと
勝手に信じ、

あの背中が正直な羽生だったと
勝手に信じ、


そういうわけで(どういうわけで?)
私はあの羽生のボストンフリーを
愛しているのだった。




美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村



最新の画像もっと見る

コメントを投稿