伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

JUNEの時代

2016年10月18日 | ボーイズラブ
ちょっと前に書いた「JUNE以前」という駄文で、
最後につづくと書いていながら書いていなかったので、
これがそのつづき。


JUNEは、1978年に創刊されたという。


私の記憶では何年だったかを忘れていたが、
でも、創刊当初から、それを知っていた。
はじめは、たしかComic Junという名前で登場した。

のち同じ名前の雑誌があるとかで、名前をJUNE(ジュネ)
と変えた。

故・中島梓がはじめから編集に携わっていて、
彼女は変名でほとんどの文章や小説を書いていた。
フランスの作家という肩書つきの小説も、
中島梓が書いたものだった。


創刊号から、買った。
JUNEの登場は画期的だった。

ついに、女性による、
男性同性愛の世界を肯定する雑誌が登場したのだ。


しかし、JUNEの功績はそれだけではない。
女性の目から見た文化、サブカルチャー、
文学や映画や音楽やそのほかのもの、
すべてが女性の目線から語られていた。

もちろんそれは、
男性同性愛というベースがあってのものだったが、
今まで、これまで、こうした形で、女性が文化を語る、
女性が文化を発信する、という雑誌は皆無だった。

漫画が主であったとしても、
女性の目線で何かを語ることが皆無だった時代、
それはとても画期的で、衝撃的なことだった。


たとえば、思い出すのは、
アイスダンスのモイセーワ・ミネンコフの
写真がモノクロだったとはいえ、紹介されていたこと。

少年漫画を女性目線から、
男性漫画家の描く少年のエロチシズムに言及していたこと。

手塚治虫や石ノ森章太郎の描く少年のエロチシズムを、
かつて論じた人たちがいただろうか。

JUNEは、そういう、徹底した女性の目線で文化なり、
サブカルチャーなりを論じていた。
それが画期的だと思った。


これまで、こうした女性の目線は、…女性から見たエロチシズム…、
徹底して封じられて来た。

封じられてはいなかったかもしれないが、
正直に語ることは憚られるような風潮だった。

女性の目線は軽んじられ、相手にされなかった。

だが、JUNEがその突破口を開いた。


JUNEが、モイセーワ・ミネンコフの写真を取り上げた時、
女性には、男性には決してない、
美とエロチシズムに対するある種の敏感さがあるのだ、
と私は実感した。

ほかの雑誌で、フィギュアスケートの、
ましてアイスダンスの写真など、見たことがない。


女は、美しいものを求める。
その希求は原初的なものであり、
男性には理解できないものなのだ。と。

男性には理解できない。
男性の編集する雑誌では、満足が出来ない。
だから、女性だけの、
女性が満足できるような雑誌が登場した。

それが、時代の流れだった。



いつころからか、それからだいぶ経って、
レディース・コミックが登場した。

これも同じ流れだと思った。

女性のためのポルノと言ってもいい、
過激な漫画が描かれていた。

女性が、徹底的に男性に苛まれる。

いっけん、男性の描く、女性をいじめ抜いて、
女がマゾに目覚める、というポルノとよく似た
シチュエーションだ。

でも、女性がそれを描くと、それは違う。

女は、男の都合よくマゾヒズムに目覚めたりしない。

女は本気で嫌がり、最後に男に復讐を遂げる。
そうして、読者は留飲を下げる。

どういう名前の女性漫画家だったか忘れたが、
最も過激な漫画を描くその人のシチュエーションは
いつもそんな感じだった。


私も、レディコミは一時期読んだ。
それが、あっけらかんと女性の性の欲望を肯定し、
女性の劣情をそそるために作られたものだったからだ。


そこでは、欲求不満気味の人妻の読者がモデルとして参加し、
アダルトビデオの男性を家に呼んで、
彼女を心ゆくまで満足させてやる、という企画などが、
堂々と写真入りで紹介されていた。

女性の欲望は、ここまで解放されて来たのだと感じた。


レディースコミックの過激な性描写と、
JUNEからやおいにいたる女性の男性同性愛への関心は、
無関係ではないと思う。

いずれも、女性の欲望を開放したという点で、共通するのだ。


JUNEでは、美青年が徹底的にさいなまれる。
女性は、男性を苛む道具を持ち合わせないから、
美青年を苛む相手は男性なのだ。

女性が、男性を苛みたい、という欲望があるのだ。

自らが苛まれたいという欲望と、苛みたいという欲望と、
両方がある。

漫画によって、それを美青年に転化したり、
苛む側の逞しい男性に転化したりして、楽しむ。


自ら性を楽しむ、ということが、女性にも可能になった。
そういう時代になっていたのだと思う。



レディコミに欠けていたのは、文化の点だ。
単に女性向けのポルノであり、それ以上のものではなかった。

女性向けのポルノが作られる、
女性の性欲を満たすため、
女性の欲望を楽しませるためにポルノが作られる、
ということが、
そもそも画期的ではあったのだけれども。



でも、最初に言った通り、JUNEは単にそれだけではなかった。
女性の視点から文化を発信していた。

大JUNE、小JUNE、小説JUNEなどに分かれていったが、
そこで紹介される映画や音楽などは、
徹底的に女性の視点からのみ語られ、
男性が思いもよらないような、新鮮な論評があった。

ヴィジュアル系音楽が流行った時、
いち早く紹介していたのもJUNEだ。

普通の雑誌では扱いがまったくなかった、
フィリップ・キャンデロロを何枚もの巻頭カラー写真で
特集していたのも、JUNEだった。

女性の、美に対する感性をあらゆる面から
総特集していたのが、JUNEだった。

だから美青年なのだ。

美しい少年や青年に惹かれ、その美しさを賛美し、
愛でる。

それは、女性にとって、…多分、
男性が女性の大きなおっぱいを求めるのと同じ欲求なのだ。

女には独自の求める世界がある。
独自の美を求める世界がある。

JUNEはそれを示した。女性に対して、社会に対しても。


この項まだつづく(つづくんかい…)






美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (繧医m)
2016-10-18 22:50:21
繧上°繧九?ゅ◎縺?↑縺ョ繧医?縲
返信する
Unknown (莨贋ス仙ュ)
2016-10-19 09:59:53
繧医m讒倥?√#雉帛酔縺ゅj縺後→縺?#縺悶>縺セ縺吮飭
返信する

コメントを投稿