いろいろ衝撃の出来事が重なり痛ましく思い、胸が塞がるが、
元気を出して通常運転に戻ろうと思う。
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つねづね京都駅構内は一度写真に撮りたいと思っていた。
駅を通るたび、結構気になっていたから。
家から歩いて行ける距離にあるのに、
京都駅ビル自体の写真はまだ撮ったことがなかった。
今回は年が明け、新年飾りがあるというので京都駅へ行って来た。
京都駅が建て替えられ、現在のデザインにする時は、
市民から非難轟轟であった。
まず京都の玄関口に大きな建物を建てたら市民に電波が届かなくなる、
また古都・京都にそぐわない建築が
京都の玄関口に出来たら景観を損ねてしまう、
そんなわけで市民は新しいデザインの京都駅建設に大反対していた。
すべて木造の建物にしろという意見さえあった。
建設中も建物が京都にそぐわない、とボロカスだった。
しかしいざ現在の京都駅ビルが建ってしまえば、
京都市民はあれほど反対していたにも関わらず、
まるでそんなことなかったみたいにごく普通に受け入れているのだった。
なぜなら駅ビルにデパート(伊勢丹)を始めホテルや劇場、
そして様々なカフェやレストラン、食事処などのテナントが入り
一大モールのような賑わいが作られ、
また各種イベントの出来るイベントスペースもあり、
滞在型の複合商業駅として存在感を示し始めたからだった。
今ではすっかり市民に馴染んでいて、
あたかも何十年も前から市民に愛され親しまれているかのような
自然な施設と化している。驚いたことに。
駅の西側にはエスカレーターで登ると2階スペースに
生け花の飾りが活けてあった。
そして巨大な門松も。
鉄骨の屋根を背景に不思議な景観を醸し出している。
駅の西側にある大階段は市民の憩いの場になっているし、
2月には毎年「階段駆け上り」のイベントがあり、
年始の風物詩になっている。
現在は年始のイルミネーションで階段が楽しく飾られている。
駅ビルの構造自体は無機質で鉄骨がむき出しの、
無骨で近未来的?な意匠だが、
駅構内を歩いていると、そのような無機的な感じはまったくなくて、
むしろ下を歩く人々を包み込むような、
巨大な傘のようにも思えてくるから不思議だ。
それは、これが駅構内だという独自の個性を主張しているからだ。
単なる駅舎という、機能のみを満たした無個性の駅ではなく、
京の玄関という主張がある。
たとえそれが伝統的な建築デザインではなく、
近未来的?というか、無機質な鉄骨だらけの無骨なデザインであっても、
かえって個性がある。
駅舎というものは無個性でどの駅も似通ったものになりがちで、
建物のデザインも覚えられないような中、
京都駅ビルは独特の個性を剥き出しにしていて、
一度見れば忘れられないような強烈さがある。
その個性に溢れた部分が京都に相応しいと思えて来るから不思議だ。
京都は伝統があるだけでなく、他都市と似たような町ではなく、
京都という都市を強烈に主張する独自の個性を持つ。
それをこの駅ビルが象徴しているようにも思うのだ。
駅ビルが建った当初は好きになれなかった駅構内だったが、
今では他都市の駅舎とはまったく異なるこのデザインの駅ビルが、
とてもお気に入りだし、誇らしい気持ちにもなるのである。
そんな不思議な存在感を持つのがこの京都駅ビルである。
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つねづね京都駅構内は一度写真に撮りたいと思っていた。
駅を通るたび、結構気になっていたから。
家から歩いて行ける距離にあるのに、
京都駅ビル自体の写真はまだ撮ったことがなかった。
今回は年が明け、新年飾りがあるというので京都駅へ行って来た。
京都駅が建て替えられ、現在のデザインにする時は、
市民から非難轟轟であった。
まず京都の玄関口に大きな建物を建てたら市民に電波が届かなくなる、
また古都・京都にそぐわない建築が
京都の玄関口に出来たら景観を損ねてしまう、
そんなわけで市民は新しいデザインの京都駅建設に大反対していた。
すべて木造の建物にしろという意見さえあった。
建設中も建物が京都にそぐわない、とボロカスだった。
しかしいざ現在の京都駅ビルが建ってしまえば、
京都市民はあれほど反対していたにも関わらず、
まるでそんなことなかったみたいにごく普通に受け入れているのだった。
なぜなら駅ビルにデパート(伊勢丹)を始めホテルや劇場、
そして様々なカフェやレストラン、食事処などのテナントが入り
一大モールのような賑わいが作られ、
また各種イベントの出来るイベントスペースもあり、
滞在型の複合商業駅として存在感を示し始めたからだった。
今ではすっかり市民に馴染んでいて、
あたかも何十年も前から市民に愛され親しまれているかのような
自然な施設と化している。驚いたことに。
駅の西側にはエスカレーターで登ると2階スペースに
生け花の飾りが活けてあった。
そして巨大な門松も。
鉄骨の屋根を背景に不思議な景観を醸し出している。
駅の西側にある大階段は市民の憩いの場になっているし、
2月には毎年「階段駆け上り」のイベントがあり、
年始の風物詩になっている。
現在は年始のイルミネーションで階段が楽しく飾られている。
駅ビルの構造自体は無機質で鉄骨がむき出しの、
無骨で近未来的?な意匠だが、
駅構内を歩いていると、そのような無機的な感じはまったくなくて、
むしろ下を歩く人々を包み込むような、
巨大な傘のようにも思えてくるから不思議だ。
それは、これが駅構内だという独自の個性を主張しているからだ。
単なる駅舎という、機能のみを満たした無個性の駅ではなく、
京の玄関という主張がある。
たとえそれが伝統的な建築デザインではなく、
近未来的?というか、無機質な鉄骨だらけの無骨なデザインであっても、
かえって個性がある。
駅舎というものは無個性でどの駅も似通ったものになりがちで、
建物のデザインも覚えられないような中、
京都駅ビルは独特の個性を剥き出しにしていて、
一度見れば忘れられないような強烈さがある。
その個性に溢れた部分が京都に相応しいと思えて来るから不思議だ。
京都は伝統があるだけでなく、他都市と似たような町ではなく、
京都という都市を強烈に主張する独自の個性を持つ。
それをこの駅ビルが象徴しているようにも思うのだ。
駅ビルが建った当初は好きになれなかった駅構内だったが、
今では他都市の駅舎とはまったく異なるこのデザインの駅ビルが、
とてもお気に入りだし、誇らしい気持ちにもなるのである。
そんな不思議な存在感を持つのがこの京都駅ビルである。
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