京都新聞の読書欄に「あの頃、忌野清志郎と」
という本のレビューが掲載されていて、発売されていたことを知った。
ちくま文庫で文庫本になっていたのだった。
2023年03月13日頃に発売されたという。
5月2日はキング・オブ・ロック・忌野清志郎の命日だ。
今年はもうすっかりそのことを忘れていた。
けれども新聞でこの本のことを知ると、読みたくなった。
どこかでまだ清志郎のことを忘れられない自分がいるのだ。
いや、忘れられない、ではない。忘れてはいけない人だ。
清志郎は忘れてはならない人なのだ。
まだ清志郎を忘れていない。
その自分にほっとした。
あの頃、忌野清志郎と ボスと私の40年
片岡 たまき
この本の著者は元RCサクセションのマネージャーで、衣装係や、
そしてファンクラブ会報誌の編集も担当した女性だという。
(扉の紹介より)
単行本は2014年に発売されたそうだが、
その時はこんな本が出版されていたとは知らなかった。
今回文庫本になり、初めてこのような清志郎本が出ていたことを知る。
巻末には参考文献が列挙してあり、
他にも清志郎本が沢山あることを知った。(本人著含む)
読み進めると彼女・片岡たまきは中学生のころ、
テレビでRCサクセションを見て、見るなり熱烈なファンになったという。
RCが「僕の好きな先生」を歌っていたころだというから、
RCがデビューしたすぐくらい、
まだ3人組のフォークバンドだったころにテレビで偶然に見て、
その瞬間に好きになったらしい。
関東のローカル番組だったらしく、こちらではそのような
(デビューしたてのバンドを起用する)番組は見たことがない…。
関東ではそうした音楽番組を放送していたのだろうか。
ともあれ、まだ13歳、中学1年生の少女がいっぺんでRCのファンになり、
ライブに通ったり、ライブハウスにまで行くようになった。
そしていつかきっとRCと仕事をするんだ、
と思うようになったというから、すごく驚いた。
私がRCサクセションを知ったのは、彼らがロックに転身して、
化粧をして、ステージを派手に飛び跳ねるようになってからだ。
要するに、ブレイクしてから彼らの存在を知った。
しかしこの著者がそんな古い時代にまだ子どもなのに熱心なファンになったことに、
なぜなんだろうと不思議にすら思った。
それだけ、フォーク時代でさえ清志郎にはインパクトがあったのかもしれない。
清志郎の声だろうか。
それとも歌い方だろうか。
その両方かもしれない。
忌野清志郎は始めから(フォーク時代から)忌野清志郎であって、
唯一無二の存在だったのに違いない。
それは歌声であり、唱法であり、歌詞の内容であっただろう。
これだけ一人の少女をとりこにしたのだから。
彼女はどうしてもRCサクセションと仕事がしたいあまり、
事務所が社員募集をするのを待ち続け、
いつも募集はしていない、と何度もすげなく返答されてもめげず、
RCがロックバンドとして上昇気流に乗ったころ、
ついに社員募集がかけられ、彼女は事務所のスタッフになれたのだった。
1981年ころのことで、アルバム「プリーズ」や、
宝島社から出版されたRCサクセションの「愛し合ってるかい」という本、
坂本龍一とのコラボ「ルージュマジック」のころだった。
それから40年。清志郎に魅せられ、
清志郎のそばで清志郎(たち)に付き添い、
清志郎と過ごし、清志郎を見続けて来た、
リアルなドキュメントが綴られている。
そこに描かれる忌野清志郎は優しくてお茶目で可愛くて、
キラキラしている男だ。
ロックな男というより、ごく普通に息をし、普通に生きている
すぐそばにいるようなリアルな清志郎がいた。
巻末には解説(ボーナストラック)として俳優の竹中直人が
かなり長い文章を寄せている。(45ページにも及ぶ)
竹中直人は学生時代からRCサクセションと古井戸の大ファンだったそうで、
(16歳の時、ラジオで聞いて途端にファンになった、
やはり二組のデビュー当時からだそうだ)
古井戸が解散して、チャボ(仲井戸麗市)がRCに加わった時は
複雑な気持ちになったそうだ。
竹中氏はチャボの追っかけをしていたという。
古参のファンは古井戸とRCが接近し、
古井戸のメンバーだったチャボがRCに吸収されていくと思ったようだ。
両バンドともフォークだったのに、
新生RCサクセションがローリングストーンズみたいになっていって、
びっくりしたのだろう。
複雑な気持ちだったと書いていた。
それでも竹中直人は俳優として映画監督として有名になっていって、
それからも両者(チャボと清志郎)との交友は続いていった。
竹中氏の文章はとても面白くて、数々の清志郎のエピソードを書いてくれていた。
「清志郎さん、明日って空いてますか?」
「竹中、おれは毎日忙しいけど、明日は空いてるぜ」
とか…。
竹中直人が2005年に監督した「サヨナラCOLOR」という映画に
清志郎がゲスト出演した時のトンデモおもしろエピソードとか…。
京都の鴨川べりで二人で食事をした時のエピソードは、
京都の者として本当にすまないと謝りたくなった…。
竹中氏は
「こんなにも偉大なるロックンローラーがなぜこんなにも
ぼくのことを気にかけてくれたのか……」
と書いているが、
竹中氏の清志郎への純粋な敬愛の念、
人柄の良さがそうさせたのだと思った。
こうして今も多くの人の心に残り、慕われ愛されているキヨシロー。
これからもずっと、忌野清志郎は語り継がれ、
愛され続けてゆくだろう・・・。。
↓チャボとキヨシローのコラボで、
ビートルズの「Don't lLet Me Down」を取り上げている。
さすが清志郎、
ビートルズのカバーでも独特の唱法で歌い上げている。
チャボ×キヨシローDon't lLet Me Down
https://youtu.be/eU8Q1vUiXZw
ブルース倶楽部鹿児島
↓忌野清志郎公式ページがある
地味変
https://www.kiyoshiro.co.jp/
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