9月15日は中秋の十五夜であったそうだ。
15日が旧暦通りに十五夜になるのは46年ぶりだそうな。
私も夜にちょっと外へ出て満月を見てみた。
雲がかかっていたが、何とか見られて、満足した。
京都では毎年中秋に大覚寺で観月の夕べが開かれるのが
有名だ。
船を浮かべて、往時の嵯峨天皇の行った観月を偲ぶのだそうだ。
結構行く人も多いらしい。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160915000188
そしてまた京都新聞ネタだけれど…
京都府総合資料館が閉館したという。
http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/
私はこの総合資料館というものの存在を知らなかった。
新聞で知った。
左京区にあったというが、左京区のどこかも知らない。
…と思っていたら、調べたら植物園の近くであるらしい。
私にとっては遠いところだったが、
京都の歴史に関するいろいろな資料が保存・整理され、
一般市民に公開され、良く利用されていたという。
新聞の投書欄でも、一般の人がよく利用させてもらい、
助かったなどと書かれている。
大学生とか研究者などには、資料を自由に閲覧できて、
利用できる便利な施設だったのだろう。
確か無料だったとも思うが確かではない…
ここが閉館するのは、建物が老朽化したとか、
手狭になって資料を置いておく場所がなくなったとかの
理由なのかとも思う。
ここが保存していた資料は、もう新しい建物が既に建っていて、
そこに移されるそうだ。
資料館にもいろいろな変遷があり、
博物館機能は京都文化博物館へ移し、図書は府立図書館へ移し、
そして現在のような形になったのは平成13年とのこと。
主に古文書などの資料を収集、整理、保存する施設となったという。
府立総合資料館でもっとも有名なのが「東寺百合文書」だ。
これは、前にもここに書いた。
http://hyakugo.kyoto.jp/about/top
東寺から、この文書を府が買い上げたのは、きっと
お寺では文書の整理や保存が無理との理由だったのではないか。
府が買うと決めるまでに、いろいろと議論があったらしい。
また買ってからも、不満があったという。
その時の百合文書は、ボロボロの状態で、虫食い跡だらけ、
実際に虫が大量についていたらしい。
それを見た府のある議員は、
府は紙くずを買った、と言い放ったという。
それを長い時間をかけて補修・修復し、整理し、
書かれている内容を読み解いていった。
1997年に国宝に指定された。
2015年にユネスコの世界記憶遺産に登録された。
平安時代から始まり、
特に中世あたりの資料が充実しているという。
江戸時代に加賀藩がこの文書を借り受け、そのお礼に…
というか、この文書を大切に保管せよという意味でか、
桐の百箱の保存容器を寄贈したという。
文書は、その桐の百箱に、現在まで保存されて来た。
百合文書という名前は、そこからつけられた。
そして、東寺にこの文書が残ったのは、
この加賀藩の桐百箱のはからいがあったためと言われる。
加賀藩には、いくらお礼を言っても言い足りないという
ところだ。
前にも書いたとおり、室町時代の足利尊氏や、
足利義満の肉筆の書が残されている。
実際に目の当たりに見た時には、なかなか感激した。
これからも府は、こういう重要な歴史資料を保存し、
そして市民に一般公開し、活用してもらう。
こういう役割も府は担っているのだろう。
歴史を今に、
未来に伝えることは大事なことだという気がする。
そういう役割を、京都府はこれからも続けていって欲しい
と思った。
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15日が旧暦通りに十五夜になるのは46年ぶりだそうな。
私も夜にちょっと外へ出て満月を見てみた。
雲がかかっていたが、何とか見られて、満足した。
京都では毎年中秋に大覚寺で観月の夕べが開かれるのが
有名だ。
船を浮かべて、往時の嵯峨天皇の行った観月を偲ぶのだそうだ。
結構行く人も多いらしい。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160915000188
そしてまた京都新聞ネタだけれど…
京都府総合資料館が閉館したという。
http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/
私はこの総合資料館というものの存在を知らなかった。
新聞で知った。
左京区にあったというが、左京区のどこかも知らない。
…と思っていたら、調べたら植物園の近くであるらしい。
私にとっては遠いところだったが、
京都の歴史に関するいろいろな資料が保存・整理され、
一般市民に公開され、良く利用されていたという。
新聞の投書欄でも、一般の人がよく利用させてもらい、
助かったなどと書かれている。
大学生とか研究者などには、資料を自由に閲覧できて、
利用できる便利な施設だったのだろう。
確か無料だったとも思うが確かではない…
ここが閉館するのは、建物が老朽化したとか、
手狭になって資料を置いておく場所がなくなったとかの
理由なのかとも思う。
ここが保存していた資料は、もう新しい建物が既に建っていて、
そこに移されるそうだ。
資料館にもいろいろな変遷があり、
博物館機能は京都文化博物館へ移し、図書は府立図書館へ移し、
そして現在のような形になったのは平成13年とのこと。
主に古文書などの資料を収集、整理、保存する施設となったという。
府立総合資料館でもっとも有名なのが「東寺百合文書」だ。
これは、前にもここに書いた。
http://hyakugo.kyoto.jp/about/top
東寺から、この文書を府が買い上げたのは、きっと
お寺では文書の整理や保存が無理との理由だったのではないか。
府が買うと決めるまでに、いろいろと議論があったらしい。
また買ってからも、不満があったという。
その時の百合文書は、ボロボロの状態で、虫食い跡だらけ、
実際に虫が大量についていたらしい。
それを見た府のある議員は、
府は紙くずを買った、と言い放ったという。
それを長い時間をかけて補修・修復し、整理し、
書かれている内容を読み解いていった。
1997年に国宝に指定された。
2015年にユネスコの世界記憶遺産に登録された。
平安時代から始まり、
特に中世あたりの資料が充実しているという。
江戸時代に加賀藩がこの文書を借り受け、そのお礼に…
というか、この文書を大切に保管せよという意味でか、
桐の百箱の保存容器を寄贈したという。
文書は、その桐の百箱に、現在まで保存されて来た。
百合文書という名前は、そこからつけられた。
そして、東寺にこの文書が残ったのは、
この加賀藩の桐百箱のはからいがあったためと言われる。
加賀藩には、いくらお礼を言っても言い足りないという
ところだ。
前にも書いたとおり、室町時代の足利尊氏や、
足利義満の肉筆の書が残されている。
実際に目の当たりに見た時には、なかなか感激した。
これからも府は、こういう重要な歴史資料を保存し、
そして市民に一般公開し、活用してもらう。
こういう役割も府は担っているのだろう。
歴史を今に、
未来に伝えることは大事なことだという気がする。
そういう役割を、京都府はこれからも続けていって欲しい
と思った。
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