伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

東海道五十三次

2016年02月27日 | 展覧会・絵
広重の「東海道五十三次」初刷りの展覧会を
伊勢丹の「美術館えきKYOTO」でやっていたので見に行った。

江戸時代の浮世絵を見るたびに思うのは、
その彫りの線の細さ、繊細さ、きれいさで、
やはり風景画を見てもその彫りの繊細さに見とれるのだった。
それとともに、抑えた色の出具合、
墨の濃淡のグラデーションの見事さ。
版画という性質を知り抜いた上での
数々のテクニックが見る者の目に心地よいカタルシスを与えてくれる。


広重の五十三次は、
旅の旅愁をかきたててくれることでもすぐれているが、
今の目には、当時の旅の様子がうかがえること、
当時の旅の、当然ながら歩き旅だったから、
その旅の大変さが偲ばれるのが、
ああ、昔の人は大変だったんだなあ…と改めて思われることだ。

雨の日も雪の日も、嵐の日も暑い日もひたすら歩く。
粛々と急峻な山の中を歩き続け、田んぼの畦道を歩き続け、
川を渡り、宿場についてほっと一息つき…。
そんな旅の様子がリアルに迫って来る。

宿場についてリラックスしている様子なども、
ああ、やっとゆっくり出来る、
と絵を見ながらも思ってしまう。

大名行列でさえ、山を越えるため粛々と歩き続け、
山を登り続ける難儀さ。

川の渡しが何度も登場して来て、
そこには川を渡らせるために人足がいて、
旅人から賃金を貰って川を渡らせる。
その人足の裸で籠を担ぐ様子、
何人もの人足が大きな大名クラスの金持ちの輿を助け合って担ぐ様子、
川を渡り切ってようやく仕事を終えてほっとする様子、
一息ついている様子、人足のほんの小さな人影からも、
仕事の大変さが伝わって来る。


そして有名な蒲原の雪景色、庄野の突然の雨。

黙々と旅をする旅人たちに降りかかる自然の容赦なさ。
それが無言の旅情に昇華されている見事さに今回も感嘆した。
蒲原は雪の降らないところだということを聞いた。
広重も、蒲原を見た時は雪は降っていなかったらしい。
でもあえて蒲原を雪景色にしたのは、
雪の道中の厳しさを表したかったのではなかろうか。


江戸日本橋から出発して、
こうして昔の人々は苦労して京の都を目指した。
でも苦労ばかりではなくて、宿場での楽しみもあったろう。

目にする富士山の素晴らしさも旅人を楽しませただろう。
今でさえ、新幹線から富士山が見えると、
感嘆の声をあげそうになるけれど、当時の人々は、
それぞれの土地で、それぞれの姿を見せる富士を見ていたのだろう。
いろいろに姿を変えながら、でもそこにそびえている富士山。

それを見ながら旅していた昔の人々は、
もしかしたら今の私たちよりももっと豊かな旅をしていたのかもしれない。
何日もかけて、苦労をして東海道を歩く旅は、
確かにしんどいものだっただろうが、きっとそれはその地方をめぐり、
その地方の風習や風景を知ることの出来る、
豊かな教養の旅になったのに違いない。


そうしてやっと辿り着いた京の都の三条大橋は、
江戸の旅人の目にどう映ったのだろう。
さすが天皇のいらっしゃる雅な都だ…、
いや、漱石が寂しいところだと言ったように、
江戸に比べたら寂れたところだと思ったことだろうか。

五十三次を見る楽しさは、
こういう旅の楽しみを追体験する楽しさでもあるのだろう。



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