静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

現代の行方

2011-05-29 12:03:04 | 日記

 (一)
 元東大学長・文部大臣有馬朗人氏は、阪神・淡路大震災後の浜岡原発の視察で、1
0メートルの砂丘が防波堤になるとの説明を受け、これなら大丈夫と思った。以後「
私の周りの研究者から津波の話が聞こえてきたことはありません」と言い切っている
(ブログ「現代の迷走」参照)。
 有馬氏には聞こえなかったかも知れないが、いろいろの声はあった。私のような門
外漢でも新聞などでいくつか知っている。共産党の吉井議員は2005年以降くり返し国
会で津波による原発事故に警告を発していた。産業技術総合研究所の岡村行信氏は09
年夏、原発に関する経済産業省の審議会で貞観地震(869年)の名を挙げて警告を発し
たが東電は無視した。経済産業省の原子力安全基盤機構は昨年(10年)の12月に津波
による原発の事故の危険性を分析して報告書をだした。もっとさかのぼれば、14年前
に、神戸大学教授で地震学者の石橋克彦氏が「原発震災」と名づけて大地震・大津波
による原発事故の発生に警告を発していたという。
 前に私はブログ「フクシマの悲劇」で、10年前ある週刊誌が「シュミレーション・
ノンフィクション・原発災害」という連載記事を載せたと書いたが、それは2001年3
月4日号の『サンデー・毎日』である。ルポライターの明石昇二郎氏は、気象庁地震
予知情報課の上垣内修課長補佐、京都大学原子炉実験所助手・瀬尾健氏、瀬尾氏の同
僚であった小出裕章氏、上記の石橋克彦氏などから情報を得てこの連載記事を書いた
。なお、この記事によると、石橋氏は99年11月21日号の『サンデー毎日』の「今こそ
『原発震災』直視を」の筆者でもある。なおまた、この石橋氏も加わり堺屋太一氏な
ども名を連ねて「共同研究・東海巨大地震が日本列島を分断する!」という記事が月
間『現代』1976年12月号に掲載されたという。そのほか、私の知らない事例は多数あ
るのだろう。
 よく分からなかったが、今になって考えてみると、上記の学者・研究者たちはおそ
らく「原子力村」から村八分された人々だったに違いない。
 
 『サンデー毎日』の「シュミレーション・ノンフィクション・原発災害」では、震
度は7、そして10メートルを越す津波が浜岡原発を襲ったという想定である。今回の
東日本地震のような沖合いのマグニチュード9は予想していない。それでも日本列島
崩壊に近い災害が起きると想定した。

(二)
  有馬氏の周辺の津波研究者、この人たちは津波の危険性には声を上げていなかった
。もう一方にはその危険性を繰り返し唱える研究者。
 つまりわが国の地震研究者には二種類の人たちがいて、互いに相い交わることもな
く、両者の間には断崖があった。
 地震や津波の原発に及ぼす災害を軽微に考える研究者たち、この人たちは基本的に
原発を推進し原発の安全性を主張する人たちである。原発推進は国策である。国策は
国会や政府が決める。長いあいだ圧倒的優勢な政権党だった自民党政権の下で決定し
、民主党政権が引き継いだ政策である。
 日本は民主主義国である。憲法によると、国政の権力は国民の代表者がこれを行使
するとある。国民の代表者は選挙で選ばれる。国会議員、そして国会議員が選ぶ総理
大臣がそうである。
 原発行政を支えるいわゆる「原子力村」の学者・研究者は国策の遂行者であり、国
家権力の一翼を担っている。一翼くらいではないかも知れない。
 最近の世論調査では多少の変化があったらしいが、今まで一貫して世論の多数は原
発を支持してきた。反対者は異端であった。したがって出世は望めない。中世ヨーロ
ッパでは異端者や魔女は火炙りの刑に処せられた。それに較べればいい。
 だが最近様相が変化したようだ。朝日新聞は5月25日から「神話の陰に」という
タイトルで連載を始めた。第一回目は「原子力村は伏魔殿」と題された。いまや原子
力村に悪魔が住むということになったらしい。

(三)
 古代や中世の人々が原爆投下をみたら、これぞ悪魔の仕業だと心から思ったであろ
う。だがアメリカ合衆国の人々の多くは今でも原爆はアメリカの勝利に貢献したと信
じて原爆投下を肯定しているらしい。そういう人たちは、悪魔の仕業ではなく神の御
業と思っているのかもしれない。
 原子力発電が原子爆弾から発達したことは誰でも知っている。
 原子物理学の研究は1930年代に急速に早まり、1932年に中性子が発見され
、核分裂の原理は世界の原子物理学者の常識となった。戦中に日本の陸軍・海軍がそ
れぞれ原爆の研究を始めたことも周知のことである。だがわが国では終戦までに原爆
はできなかった。ヒロシマ・ナガサキに原爆を落とされ、日本国民は人類史上最初の
犠牲者となった。しかし、日本の科学者たちは最初の「原爆悪魔」になることを免れ
た。軍から厳しく製造を命じられていた理化学研究所の学者たちは、戦後ほぼ全員が
非核運動に加わったという(保阪正康氏による)。かれらは「原子力村」を作ること
はなかった。                                                               
                               
 私はブログ「フクシマの悲劇」で、教師たちは原発をどう教えてきたのか? とい
う疑問を書いた。ところがこの疑問に答える一つの短い記事が見つかった(朝日・4
月某日<失念>)。東京都のある小学校での話。6年生に、資源エネルギー庁から届
いた副教材のDVDを見せた。福島第一原発が映っていた。発電施設は「五重の壁」
でしっかり閉じ込められていると教えたとある。・・・そして安全神話が崩れたいま
、先生は悩む・・・という流れの記事であった。この記事では、悩む先生の話はあっ
たが、翻弄される子供たちにはなんら言及されていない。おそらく、子供たちは教師
の「嘘」、文部省や教育委員会の「嘘」を見抜いていただろう。だいたい、下手な教
師よりも子供のほうが利口なのだ、率直にものを考えることができるから。
 しかし、虚偽を教える立場に立たされた教師の困惑はわかる。だがわれわれはその
困惑をどう考えたらいいのだろうか。すでに安全神話に対する反論が数多く存在した
し、教師がそれを知る機会はいくらでもあった。だが教師は資源エネルギー庁の副教
材を無批判に教えるしかなかっのだろうか。あの厳しい大平洋戦争中でさえ生徒を戦
場に送り込まなないよう工夫し努力した教師がいたことを前にブログで書いた。
 関西のある自治体では、君が代斉唱のとき起立しない教師を処罰し、処罰が重なっ
た場合馘首もありうるという条令が提案されるという。 そのような条令は憲法違反
だという法曹界からの批判もあるが、現場の教師は弱い。自治体の長といえども権力
の一環であり逆らうことは容易でない。国家にとって、体制に従順な教師や生徒を作
るための教育は極めて重要な課題なのだ。
 戦後六十数年、今回の大災害はその「戦後」を画する大変動のはじまりかもしれな
い。ハンナ・アレント流にいえば、原爆投下に始まる現代は、ここで終末を終えるの
だろうか。その後に来るのは超現代が来るのだろうか。