一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「世界音楽」を探して。【その1】

2006-09-17 10:13:47 | Art
K. シュトックハウゼンの『ヘリコプター弦楽四重奏曲』を取り上げた際に、
ある種の現代藝術は「袋小路」に入ってしまっているのではないか、との危惧を述べました。

そのような「袋小路」から脱出するための、あるいは「袋小路」へ入らないための処方箋の1つに、「世界音楽」があるように思います。

しかし、ここで「世界音楽」というと、誤解する向きがあるかもしれない。
というのは、これをワールド・ミュージックと置き換えると、現在流通している音楽の1つのジャンルでしかないから。

それでは「世界音楽」ということばで、何を言おうとしているのか。

まずは、現在の音楽状況がどのようなところにあるのか、という点から押さえておきましょう。

今、手元にある『西洋の音楽と社会 第11巻』は、いみじくも「世界音楽の時代」と名づけられていますが、
「18世紀や19世紀の偉大な西洋の作曲家の音楽言語を普遍的なものとみなす考え方は、かつては反駁しがたい真実とされていたが、この見方も最近になって修正を迫られている。西洋音楽の音楽言語はひとつの地域的方言にすぎず、それはたしかに強力なインパクトを備えた方言であるが、そうした音楽言語を析出させたドイツ中心の文化が擁する美学の産物なのである。現代思想の多くの分野で顕著な相対主義的傾向を反映して、音楽文化を相互作用として、恒常的な流動状態の中で捉えてゆく見方が増えている。」(マイクル・テンザー「ワールド・ミュージックの文脈における西洋音楽」)
との記述があります。

つまりは、今まで世界標準のように考えられてきた西洋音楽の体系が、その根拠を失い始めた、ということです。
むしろ、世界全体を見渡した場合に、西洋音楽が例外中の例外であった、ということに人びとが気付き始めたということにもなりましょうか。

一番始めに述べたような「袋小路」とは、このような西洋音楽の1つの行きつく先を示したのであって、「世界音楽」はまだ健全な姿を見せているのです。
ここに解決策の手がかりを求めようという動きは、さまざまな形で出てきている(成功しているかどうかは別にして)。

次回以降は、その具体例を見て/聴いていきましょう。

この項、つづく


モーガン編/長木誠司監訳
『西洋の音楽と社会 11 世界音楽の時代』
音楽之友社
定価:3,990円 (税込)
ISBN4-27-611241-9
 

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