一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「世界音楽」を探して。【その4】

2006-09-20 06:27:38 | Art
「世界音楽」探求の試みをしてきた武満徹、高橋悠治という音楽家の活動をご紹介してきましたが、同じような方向性を持ち、音楽に関する重要な研究を続けてきて、道半ばにして倒れた音楽学者がいることをご存知でしょうか。

小泉文夫(1927 - 83)です。
民族音楽学者ということになるのでしょうが、その問題意識の根は、音楽のみならず文化という深い所にあります。
「東洋諸国(引用者註:非西欧諸国とも読み替えられる)がオリジナリティを失うことなく、ひいては音楽の生命力を傷つけられることなく、西洋音楽をいかにして導入するかという方法は、そもそも何のために、誰のために、音楽が存在しているのかという問題に深くかかわっている。」(『アジアの中の東洋と西洋』)
これは、西洋近代文明をやむをえず導入しなければならなかった、非西欧諸国の「近代化」の問題でもありますが、小泉が、反近代主義者ではなかったことは言うまでもないでしょう。

それでは、なぜ音楽か。

平凡社ライブラリー版『日本の音』の中川真(なかがわ・しん。民族音楽学者)の解説によれば、
「近代化論における小泉の鋭さは、音楽の歴史にこそその矛盾が最も端的に現れていると指摘する点に見いだせる。例えば、文学において森鴎外や夏目漱石がすでに百年以上も前に取り組んだことを、一九七〇年代にもなって音楽の世界がなおも引きずらなければならぬ無念さが行間に溢れている。だが彼はさほど悲観的ではない。最も遅れた対応だからこそ、最も新しい方策が見つかるのではないかと期待しているかのようである。」

さて、『日本の音』が出たところで、この本についても触れておく必要があるでしょう。
「私が自分にとって最大の課題である日本音楽を出来るだけ客観的にとらえるため、それを民族音楽の一つとして現代世界の座標の中において見たり、また音楽というものを他の芸術の諸分野をふくめたより広い日本文化の中で比較対照して見たり、さらに私たちと同じような問題をかかえているアジア諸国の中に日本の行き方を位置づけたりしながら、考えてきた思索の堆積である。」
と本書「まえがき」で触れているように、日本音楽特殊論を採っているわけではありません(ましてや、日本音楽至上論などは論外です)。
あくまでも、世界全体という視座から見て、日本音楽はどのような特徴を持ち、どのような共通性を他地域の音楽と分ち持っているのか、という立場にあります。

それでは、具体的に、小泉は日本音楽にどのような特徴を見いだしたのかは、次の機会に。

この項、つづく


小泉文夫
『日本の音―世界のなかの日本音楽』
平凡社ライブラリー
定価:1,223円 (税込)
ISBN4-58-276071-6


*本日の姉妹ブログ「一風斎の趣味的生活/もっと音楽を!」は、北インドの民族楽器サーランギーの演奏(『月光のラーガ』)を取り上げています。
 


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