「日教組の教育によって洗脳云々」という向きがいる。
これなぞは、完全に個人的歴史の「後智恵」(現在の価値観から、過去の歴史を判断し、裁くこと)に過ぎないと思うが、これとは全く違って、明らかにいまだに教育を含めて、現在を呪縛している「美学」がある。
それがロマン派の美学である。
19世紀ドイツから起こった藝術運動が、ロマン派であるのだが、その美学にはいくつかの特徴がある。
まず第1には、フランス革命に対する反作用としての、文化ナショナリズム。
典型的な事例は、グリム兄弟によるドイツ民話の「発掘」を考えればよろしい。
また、ヴァグナーがゲルマン神話を題材に『指輪』という長大な楽劇を作曲したことを考えてもいい。
これらは、後にナチス・ドイツにもつながる「ドイツの(優秀なる)独自性」を主張したものである("Deutschland uber alles in der Welt ! ")。
第2には「オリジナリティ」という考え方である。
つまり、藝術家個人はすべからく独自性を持つべし、とするもの。
これは作品のみならず、その生き方にも適応される。
背景にあるのは、産業革命の進展によって、血縁/地域共同体から根こそぎされた「個人」の存在である。
血縁/地域共同体を背負った藝術には、共通項としてのハッキリとした「型」が存在した(06年4月19日付け本ブログ参照)。
したがって、「型」は失われた19世紀には、「オリジナリティ」が前面に出てくるのだ。
第3には、藝術の目的を「感動」に置いたこと。
第2の点とも関係してくるが、血縁/地域共同体に存在基盤を置いた宗教は、19世紀には失われつつあった(「神は死んだ」とニーチェは言った)。
その宗教に代わるもの-擬似宗教として、藝術が神殿に奉られる。そこに求められるのは、宗教的法悦にも似た藝術的「感動」!
社会史的に言えば、今日もクラシックの音楽会で見られるような、「敬虔な」鑑賞の仕方は、この時代に始まったもの。
このようなクラシック音楽を典型とした、ロマン派美学のありようは、学校教育を通じて「洗脳」され、現在も再生産されているのだが、そのことを意識している人はあまりにも少ない。
「現在を呪縛している」と小生が言う由縁である。
今村昌平さんがお亡くなりになったそうです(asahi.com)。
謹んでご冥福をお祈りいたします。合掌。