この本、最初の五分の一ほど読んで、読み進めるのが嫌になって止めにしました。
というのは下品だから。
もっとも、下品だというのは、下ネタや駄洒落が多いという意味ではありません。
あまりにも、人間を見る目が単純過ぎ、しかもそれが善玉と悪玉とに画然と分けられているからです。
例えばこうです。
主人公である堀田正睦(ほった・まさよし)の眼からの評価という表現ではありますが、これは著者の評価にほかならない。
善玉・悪玉に分けていることが、著者の見解であるとすれば、歴史観がお粗末過ぎるし、読者の分りやすさを考えているとすれば、それはかえって読者を舐めていることになる。
いずれにしても、このような書き方、小生には下品に思えます。
また、文章にもいただけない点がある。
前にも述べましたが(「時代小説の用語について」参照)、歴史小説の会話の中に、現代的な表現を持ち込むというのは、小生の嫌うところ。
この本の場合は、全体的として
これじゃあ、まるでどこぞの会社の会議だよ。
ということで、途中で読むのを止めてしまったわけであります。
まあ、歴史観にいささかの問題があるということもあるのですが、それはさておき、歴史小説を書こうという方は、ご注意いただきたいものです。
佐藤雅美(さとう・まさみ)
『開国―愚直の宰相 堀田正睦』
講談文庫
定価:1,100円 (税込)
ISBN4-06-263656-5
というのは下品だから。
もっとも、下品だというのは、下ネタや駄洒落が多いという意味ではありません。
あまりにも、人間を見る目が単純過ぎ、しかもそれが善玉と悪玉とに画然と分けられているからです。
例えばこうです。
「(徳川)斉昭はてかてかした脂性(あぶらしょう)の、見るからに好色そうな男で、事実好色だった。」
「堀田の見るとおりハリスは碌でもない男だった。しかしそんなハリスに対応している日本側も碌でもない。」
「やはり三人(井上、岡田、岩瀬の新旧下田奉行)にはいま日本がおかれている立場というものが理解できていないようだった。そんな男たちが外交の第一線にいるというお粗末な布陣をあらためて思い知らされる思いだった。」
主人公である堀田正睦(ほった・まさよし)の眼からの評価という表現ではありますが、これは著者の評価にほかならない。
善玉・悪玉に分けていることが、著者の見解であるとすれば、歴史観がお粗末過ぎるし、読者の分りやすさを考えているとすれば、それはかえって読者を舐めていることになる。
いずれにしても、このような書き方、小生には下品に思えます。
また、文章にもいただけない点がある。
前にも述べましたが(「時代小説の用語について」参照)、歴史小説の会話の中に、現代的な表現を持ち込むというのは、小生の嫌うところ。
この本の場合は、全体的として
「いやいや佐倉(堀田)は大任など勤まる人物ではござらぬ」とか
「御同列衆がそろわれましたらば……」との調子でいっているのに、老中の会議で、
「されば……」
「突然のことですので、相役の大和(久世)殿とも相談(あいだん)じなければ……」
「ファビウスというのはですねえ……」は、ないでしょう。
「阿部は『あれ?』という顔をして口を開いた。」
これじゃあ、まるでどこぞの会社の会議だよ。
ということで、途中で読むのを止めてしまったわけであります。
まあ、歴史観にいささかの問題があるということもあるのですが、それはさておき、歴史小説を書こうという方は、ご注意いただきたいものです。
佐藤雅美(さとう・まさみ)
『開国―愚直の宰相 堀田正睦』
講談文庫
定価:1,100円 (税込)
ISBN4-06-263656-5