2002年8月にNHKで、「焼け跡のホームランボール」と題してドラマ化されたものが放映されたので、本書を呼んでいなくとも、ストーリーをご存知の方がいらっしゃるかもしれません。
とりあえず簡単にご紹介すれば、
ここでは、TVドラマ化されたものと、本書との比較をしてみたいと思います(ただし、映像は記憶に基づくので誤解があるかもしれないが、本質的な部分では誤りはないだろう)。
なぜなら、その違いの背景に、本書の大きなテーマがあるからです。
TVドラマで中心となるのは、米沢から上野までの道中での出来事。
これに対して、本書で中心となるのは、東京についてからのさまざまな困難です。
なぜTVドラマでは、その部分が簡略化されたのか。
それは「地方人が東京人によって騙される」というドラマが、ストーリーの大部分を占めているからです。
本書のページ数で言えば(岩波書店刊の元版の場合)、全470ページ余の内、約200ページがそれに当てられています。
しかし、それを忠実にTVドラマ化するとなると、東京人が悪賢く見えることに間違いはないでしょう。NHKは、そこに配慮を加え、脚本上簡略化した、というのが小生の推測です。
第1の運んできた米の詐取は、渋谷の少年によって行なわれます。
これによって、2斗の米はすべて騙しとられる。
第2の詐欺まがいの商法は、浅草の団子屋によって行なわれ、81円が無理に支払わされることになります。
第3のペテンは、浅草の少年たちの賭場に連れ込まれ、持ち金を掠り取られる。
つまり東京で主人公たちは、
これでは、視聴者からのクレームを惧れて、NHKでは、東京でのシーンを、かなり省略せざるを得ないでしょう。
逆に言えば、そこが本書の一つのポイントにはなっている。
本書は、山中恒や小林信彦などが描いた「学童疎開小説」の、ちょうど裏に当たるのです。
つまり、「学童疎開小説」のほとんどが、東京人(都会人)が地方人にいじめられる内容であるのに対し、本書は、地方人が東京人に騙される、という内容になっています。
井上ひさしの場合は、地方に軸足を置いて〈都会/地方〉という対立のドラマを作った。その際、井上に「農本主義的」「地方主義的」な発想があることは確かでしょう(『吉里吉里人』を参照)。
〈都会/地方〉のどちらに軸足を置くかは別にして、対立軸があることは、ドラマとして必要な要素の一つです。
ですから、TVドラマは、本書にある〈都会/地方〉という対立の軸が定かでなかったため、薄味の仕上がりになっていました。
はたして、地方の方は、本書をどのように読むのでしょうか。
井上ひさし
『下駄の上の卵』(上)(下)
汐文社・井上ひさしジュニア文学館
定価 1,800+1,800 円 (税込)
ISBN4811372345、4811372433
とりあえず簡単にご紹介すれば、
「夢にまでみた、真白な軟式野球ボールが欲しい。山形から闇米を抱えて東京に向かう6人の国民学校6年生の野球狂たち。上野行きの列車の中は、満員のすし詰めだった。少年たちの願いもむなしく、二斗の米が…。」(「BOOK」データベースより)という、昭和21(1946)年の、山形県に住む少年たちの、東京行きの冒険を描いたものです。
ここでは、TVドラマ化されたものと、本書との比較をしてみたいと思います(ただし、映像は記憶に基づくので誤解があるかもしれないが、本質的な部分では誤りはないだろう)。
なぜなら、その違いの背景に、本書の大きなテーマがあるからです。
TVドラマで中心となるのは、米沢から上野までの道中での出来事。
これに対して、本書で中心となるのは、東京についてからのさまざまな困難です。
なぜTVドラマでは、その部分が簡略化されたのか。
それは「地方人が東京人によって騙される」というドラマが、ストーリーの大部分を占めているからです。
本書のページ数で言えば(岩波書店刊の元版の場合)、全470ページ余の内、約200ページがそれに当てられています。
しかし、それを忠実にTVドラマ化するとなると、東京人が悪賢く見えることに間違いはないでしょう。NHKは、そこに配慮を加え、脚本上簡略化した、というのが小生の推測です。
第1の運んできた米の詐取は、渋谷の少年によって行なわれます。
これによって、2斗の米はすべて騙しとられる。
第2の詐欺まがいの商法は、浅草の団子屋によって行なわれ、81円が無理に支払わされることになります。
第3のペテンは、浅草の少年たちの賭場に連れ込まれ、持ち金を掠り取られる。
つまり東京で主人公たちは、
「ハラハラのしどおしだった。渋谷で自分たちから米を欺しとった〈木村弘三郎〉という子、(中略)浅草の〈桃芳(ももよし)〉というダンゴ屋での大食い競争、(中略)リードしたかと思うと逆転され、点を取ってまた先行すればすぐひっくり返され、言ってみれば九対八かなんかのシーソーゲームだった。」
これでは、視聴者からのクレームを惧れて、NHKでは、東京でのシーンを、かなり省略せざるを得ないでしょう。
逆に言えば、そこが本書の一つのポイントにはなっている。
本書は、山中恒や小林信彦などが描いた「学童疎開小説」の、ちょうど裏に当たるのです。
つまり、「学童疎開小説」のほとんどが、東京人(都会人)が地方人にいじめられる内容であるのに対し、本書は、地方人が東京人に騙される、という内容になっています。
井上ひさしの場合は、地方に軸足を置いて〈都会/地方〉という対立のドラマを作った。その際、井上に「農本主義的」「地方主義的」な発想があることは確かでしょう(『吉里吉里人』を参照)。
〈都会/地方〉のどちらに軸足を置くかは別にして、対立軸があることは、ドラマとして必要な要素の一つです。
ですから、TVドラマは、本書にある〈都会/地方〉という対立の軸が定かでなかったため、薄味の仕上がりになっていました。
はたして、地方の方は、本書をどのように読むのでしょうか。
井上ひさし
『下駄の上の卵』(上)(下)
汐文社・井上ひさしジュニア文学館
定価 1,800+1,800 円 (税込)
ISBN4811372345、4811372433