毎日が日曜日の人間はGWは静かに家庭菜園で過ごしました。
今日は雨模様、家庭菜園もできない。
どこかに行きたくなって、「5月ならつつじでしょう」。ということで雲井岬つつじ公園にいきました。東庄町にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/17/7115f94236609f7903038ebc819d734c.jpg)
一番奥は切り立った崖になっていて利根川を望むことができる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/12/6acd3eff600b2874c19240845e6ad3a1.jpg)
公園は東大社の敷地だったよう。
公園はそれほど広くはないがつつじが3000本植えてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d9/547890af725cb0473f7856d9862f46a7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a1/e675fa8d446b3099e02abd2270217382.jpg)
5月10日。つつじはすでに終りに近く、咲いているものは少なかった。
それでも何組かの人たちが入れ代わり立ち代わりつつじを見に来ていた。
次に行ったところが「天保水滸伝遺品館」諏訪大社の敷地にあります。
笹川繁蔵や繁蔵の用心棒の平手造酒愛用のキセルや三度笠などが展示されてあった。
田中角栄さん直筆の書も飾ってあった。
相撲好きの笹川繁蔵は前頭5番目くらいに本名の岩瀬繁蔵の名で載っていた。
前頭1番目には甲斐の国の黒駒の親分の名前も載っていた。
飯岡助五郎も同じ時代の人物。
繁蔵は飯岡一家の闇討ちに逢い38歳で命を落としたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c5/d2e331d682e2f4bae168733593840c76.jpg)
飯岡の首塚から東映の協力により、東庄町に墓が移されてあった。
遺品館で水滸伝の映画は無料で見ることができる。
次に行くときは物語としての繁蔵を見て見たいものだ。
今日は雨模様、家庭菜園もできない。
どこかに行きたくなって、「5月ならつつじでしょう」。ということで雲井岬つつじ公園にいきました。東庄町にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/17/7115f94236609f7903038ebc819d734c.jpg)
一番奥は切り立った崖になっていて利根川を望むことができる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/12/6acd3eff600b2874c19240845e6ad3a1.jpg)
公園は東大社の敷地だったよう。
公園はそれほど広くはないがつつじが3000本植えてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d9/547890af725cb0473f7856d9862f46a7.jpg)
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5月10日。つつじはすでに終りに近く、咲いているものは少なかった。
それでも何組かの人たちが入れ代わり立ち代わりつつじを見に来ていた。
次に行ったところが「天保水滸伝遺品館」諏訪大社の敷地にあります。
笹川繁蔵や繁蔵の用心棒の平手造酒愛用のキセルや三度笠などが展示されてあった。
田中角栄さん直筆の書も飾ってあった。
相撲好きの笹川繁蔵は前頭5番目くらいに本名の岩瀬繁蔵の名で載っていた。
前頭1番目には甲斐の国の黒駒の親分の名前も載っていた。
飯岡助五郎も同じ時代の人物。
繁蔵は飯岡一家の闇討ちに逢い38歳で命を落としたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c5/d2e331d682e2f4bae168733593840c76.jpg)
飯岡の首塚から東映の協力により、東庄町に墓が移されてあった。
遺品館で水滸伝の映画は無料で見ることができる。
次に行くときは物語としての繁蔵を見て見たいものだ。