千バッパの独り言

あと何年!下り坂を転げ落ちないように、少しでも周りに目を向けていこうと思っています。

吊るし柿

2016-11-28 21:08:47 | 日記
11月28日 洗濯物を干すが、空を見上げると曇り空。


今年は柿が豊作。実生の渋柿も沢山なっている。早く取らないと熟して落ちてしまうか鳥の餌となってしまう。


長靴を履いて取りに行く。足元の草は露でぬれていた。長靴を履いて言って正解だった。


明日は西高東低の天気予報。

柿の皮をむいた。
柿は柔らかいところあり、黒いところありであまりきれいじゃないが、夜のうちに竿に干した。


外は冷たい風が吹いている。
このまま数日、雨が降らないで乾燥注意報が出たらいいんだけどな。
風が吹かなかったらまた、扇風機にお世話になるかもしれない。





11月29日 冷たい風が吹いている。
天気よし。このまま晴れが続くことを願う。

ヒヨドリに狙われているようだ。

まわりに釣り糸を張った。




カビが発生しないで甘くなりますように!


今日の歴史散歩・・・青べか物語の浦安元町を歩く

2016-11-17 01:55:57 | 歴史散歩
今月の歴史散歩の当番は私たちの班。
山本周五郎の浦安に興味があった。
東西線の浦安駅は昭和44年にでき、それまでは浦安は電車が通っていなかった。

駅から旧江戸川に向けて歩いた。江戸川の向こうは東京都。川の中州のようなところには妙見島がある。
今回のガイドさんは島の話は出てこなかったけど、下見の時のガイドさんは妙見島はもともとは下総の国だったという。

旧江戸川には青べか物語でも出てくる船着き場があった。その近くには周五郎が昭和3、4年ころ間借りをしていた船宿があった。

境川沿いに歩き、旧町役場跡の隣の清瀧神社に行った。一本掘りという神社本殿は保存したい立派なもの。トタン屋根が掛けてあるがさび付いている。千葉の子守り神社のような囲いがあったらいいのにと思う。
たけしさんが命名したというフラワー通り。以前は立派なメイン通り。今は寂しい通りとなっていた。
豊受神社にいった。ここにも富士講がお参りしたという山が築かれてあった。

歩は11月13日日曜日。神社は七五三のお参りでにぎわっていた。

青べか物語の昭和3,4年ころに建てられたという西洋建築の医院、今は児童施設となっていた。
あの青べか物語に出てくる村の建物の様子からはかけ離れた立派な建物。


旧商家と旧漁師の家も保存されてあった。
旧商家の家は瓦をふきなおして漆喰で補強されてあった。白くてとってもきれい。浦安は貝が採れたので漆喰や石灰が生産されていたようだ。
青べか物語に出てくる石灰工場も、今はなくなっている。



京葉線の新浦安の駅の周りはマンションが立ち並んで、青べか物語に出てくるような汚い町は想像もつかないきれいな町になっている。

ブラタモリが撮影に来ていたというから、そのうちに浦安の街を紹介するでしょう。


今日のケーキ・・・レアチーズケーキ

2016-11-17 01:36:59 | ケーキ
今月は誕生ケーキが4人分。
ブルーベリーのレアチーズケーキとなったのでちょっと大人向けの誕生ケーキとなった。




今月はレアチーズケーキ。
スポンジを焼いて型に敷きレアチーズを入れ、真中にブルーベリーのソースが入っている。更にレアチーズをのせ、スポンジを乗せてレアチーズを絞って入れてブルーベリーを乗せて飾った。




誕生月でない人たちは誕生ケーキと同じものをカットしていただいた。



ちょっと寂しいのでミントの葉を乗せて、作り置きしてあったブラックベリーのジャムを乗せました。

国分尼寺跡

2016-11-02 21:02:22 | 日記
寒いですね。家にいても何もしないでテレビを見ているだけかもしれない。





上総の国の国分尼寺跡で菊花展をしているので見に行ってきました。

寒い寒い。ホカロンを身に着けて出かけたけど、それでも寒い。


菊は国分尼寺の復元した回廊に展示されてあった。




大きな菊は、形よくきれいに咲いているようにピンセットのようなもので花びらを1枚1枚並べ替えるように整えていた。

明日が審査日だという。


花も葉も素晴らしい。作り手が丹精込めて作られているのが分かる。



寒さのため国分尼寺跡地の展示室に入った、

映画を見せていただいたあと、パノラマで説明を受け、1300年前の聖武天皇の時代の瓦や水差しなどの展示物の説明もしていただいた。

上総の国の国分尼寺は寺域が全国で一番広いという。
今保存されている場所だけでも広いと思ったけど、他には住宅地になっている。水が豊富で井戸も出てきたようだったけど、それはまた地中に戻して、どなたかのお家の下になってしまっている。
発掘当時、井戸から出てきたみずきと榎の種は、今は大木になっていた。


法隆寺は五重の塔だけど国分尼寺は七重の塔で今の市役所より高かったようだ。



上総の国をだれが治めていたのか、役所どこになるのか気になりますね。