千バッパの独り言

あと何年!下り坂を転げ落ちないように、少しでも周りに目を向けていこうと思っています。

家庭菜園

2013-07-27 20:43:44 | 家庭菜園
ころたんの蔓はすっかり枯れてしまった。
黄色になっていたころたんを取ってきて、切ってみたら種のところが柔らかくなっている。

スプーンですくって食べてみました。
メロンの味です。(メロンだから当然ですが・・)

でも、甘みが薄い。

来年は1本の苗に、付くだけならせるのではなく、2個くらいにしてみよう。


きゅうりは5月31日から収穫が始まって、そろそろ2ヶ月になろうとしている。
苗が弱ってきた時に1度だけ化成肥料の追肥をした。

2ヶ月もなり続けると、かなり、苗も疲れてきたようだ。

今日までに、苗20本で、752本収穫した。
1本の苗でこれまでに37本当り。

これからも、まだ50本以上は収穫できるだろうから、1本あたり40本は採れることになる。

今年は梅雨が短かったからか、トマトもいつになく沢山取れている。そして、甘い。

ゴーヤも沢山取れている。
きゅうりの佃煮も美味しいが、ゴーヤの佃煮も味しい。

佃煮にして冷凍室に入れるものだから、冷凍室がいっぱいになってしまった。

今日のケーキ・・・ムーロンケーキ

2013-07-23 21:50:06 | ケーキ


メロンが沢山出回っているからと、ムーロンケーキにしたが、少し遅かったようだ。

本来ならグレープフルーツくらいの大きさのメロンを使い、一人当たり3個持ち帰るはずだった。

今日はメロンが高く、小さいものは売っていなかったので一人当たり1個の持ち帰りとなってしまった。

当番班が材料は計量してくれてある。皆さん慣れてきているのでスポンジはすぐに焼きあがった。

スポンジはメロンの中に入れた。

カスタードクリームも先生が説明すれば、すぐに出来上がった。
カスタードクリームはメロンのスポンジの上に乗せた。

メロンのババロアはカスタードクリームの周りに入れた。

メロンの種を除いたときに出た水分も、もったいないからとババロアに入れたら、ちょっと灰汁っぽい感じになってしまった。

くりぬいたメロンをババロアの上に乗せて、トロピカルゼリーを載せれば出来上がり。

今日は1時間も早く終わってしまった。

今日のパン・・・大納言ブレッドとモーレ

2013-07-18 20:05:23 | パン教室
大納言ブレッドには水の変わりに牛乳と卵が入っている。
そして、生地にはこしあんが混ぜてある。今回は間違えて小倉あんを入れてしまった。

小さく丸めた生地を6個ずつ5列並べた。焼き上がりは上手く丸くなった。



大納言かのこも入っていて、甘くて美味しい。

もう一つはフランスパン。
生地が硬く丸め尻がよく付かなかった。
発酵が終わったら丸目じりの割れ目にケシのみをまぶしたバターを乗せて焼いた。
上手い具合にバターが溶けてけしのみが散っている。



モーレは塩が効いていて、硬いけど、焼きたては美味しい。

今日の色鉛筆画・・・花を描く

2013-07-16 20:48:18 | 日記
今日は花を描く(質感を考える)

実際には花を見て描いたわけではない。
先生が持参してくれた原画を、写し取る方法を教えていただいた。

カーボン紙を敷いて原画をなぞればよいでしょうが、今日はカーボン紙の変わりに原画の裏側に、えんぴつで線を塗りつぶした。

そして、塗りつぶした原画を表向きにして、スケッチブックの上にそっとおき、テープで止めて、赤鉛筆で線をなぞった。

原画を剥がすと写っている。

後は色鉛筆で塗る作業。



いただいた写真を見ながら色塗りするんだけど、先生は花の色は何色でもよいという。

塗り絵のようです。



とりあえず葉と花の色分けだけした。

本物を見ないと細かい部分はよく分らない。

皆さんはどうするんだろうか。

今日の歴史散歩・・・船橋界隈

2013-07-14 19:59:16 | 歴史散歩
今日の歴史散歩は不参加が多かった。

私はリュックに小さなクーラーバックを入れて保冷剤をいれ、それに濡れタオルとハンカチを入れ、具合が悪くなったらとにかく冷やすつもりだった。

案内してくださる人たちも高齢者ばかり、水分は常に取るようにつとめた。

コースは駅を出て、いくつもの寺を廻り、港に出て、船橋ヘルスセンターがあった場所を通り、船橋大神宮に行き、道祖神で解散した。



船橋ヘルスセンターがあった場所のバス停には、当時を思わせる「劇場前」と書かれてあった。
説明はかなり省略したようだけど、コースは近道を通りながら全て廻った。

船橋という名の言われ、御成街道とお城跡、徳川家康の鷹狩り、戊辰戦争で焼け残った大神宮のご神木、三代川、御代川という苗字の言われなどなど・・・



そして今日は3年に一度の祭りだった。
神社がなくても大漁や船の安全を願う祭りだけは脈々と受け継がれていることに感銘した。

暑い中の歴史散歩、一人も具合の悪くなる人がいなかったことは幸いでした。