goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶…向島清水町↩️ 231211

2023-12-11 17:58:00 | 🚶 歩く
🚶…🏣…戰川沿…右岸堤防道…隠元橋…左岸堤防道48km碑…向島清水町農地🔂↩️…隠元橋…右岸堤防道…>
🚶11925歩3kg

⛅️隠元橋17℃:風やや強く
 昨日より涼しく夕刻より小雨

🏣:年賀状印刷依頼:遅れ依頼…😮‍💨


夕刻)🚙〜島村/マツモトSp🍵




醍醐山系;紅葉見頃



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江戸時代の日本の小売業を「世界最先端」に変えた…「日本最初の起業家・三井高利」の歴史的偉業の数々 2023/12

2023-12-11 01:55:30 | ¿ はて?さて?びっくり!

江戸時代の日本の小売業を「世界最先端」に変えた…「日本最初の起業家・三井高利」の歴史的偉業の数々
 プレジデント Online より 231211 
古我 知史


 商品を陳列し,値札を付けるというアイデアは,世界に先駆けて日本で生まれたものだ。
 ベンチャーキャピタリストの古我知史さんは「大衆向けの薄利多売のビジネスモデルを現実化した三井高利は、世界の小売りの常識を変えた」という。新刊『 いずれ起業したいな、と思っているきみに 17歳からのスタートアップの授業 アントレプレナー列伝』(BOW BOOKS)より、一部を紹介する――。(第3回/全4回)

⚫︎日本が誇る,世界の小売りの常識を変えた男
三井高利 Mitsui Takatoshi
 1622~1694 伊勢生まれ。三井家の家祖。14歳のとき江戸に出て長兄の営む呉服店越後屋に奉公。いったん郷里に戻るも、1673年長兄没後、江戸日本橋に宿望の呉服店を開き、’83年現金による店頭での定価販売、布地の切売などの新商法を開始。
 店内分業制や賞与制などの新しい管理法も始める。
 同時に両替店を開いて金融業の兼営を始めた。
 本稿では、日本の代表的なアントレプレナーを紹介しよう。わたしの尊敬する人の一人だ、残念ながら、お会いしたことはない。なにしろ、1600年代、つまり江戸時代の人なので。

 三井高利。この名を知らなくても苗字でピンとくるだろう。三井物産、三井不動産、三井化学、三井E&S、三井住友銀行等々の三井グループ、その元となる戦前の三井財閥の創始者だ。

⚫︎「越後屋」をつくった以上の偉業がある
 その三井財閥の基礎をどうやって築いたかというと、いまの三越百貨店の前身である呉服屋「越後屋」だった。
 三越百貨店自体、いまは、三越伊勢丹ホールディングスとなっているし、若い人には百貨店そのものがオワコンで、だから何? かもしれないが、三越と言えば、戦前からバブル期までの昭和の時代、三越でお買い物、というのがある種のメッセージを発するような日本一の高級百貨店だった。

 ただ、これからお話しする三井高利のアントレプレナーとしてのすごさは、単に、その三越の前身をつくったなどということではない。いまも続く、世界初のとんでもない「革命」を商習慣そのものに起こしたことにある。
 とにかく、かれのビジョンとスタイルは、現代の若いきみたちにも、十分、勉強になるはずだ。

 兄に疎まれ、不遇の時代もくじけなかった
三井高利は、1622年、いまの三重県の松阪に、商家の四男四女の末子として生まれる。

 14歳で江戸に出て、長兄の営む呉服店で奉公したが、なかなか認めてもらえなかった。
 かれの能力の高さが長兄俊次に疎まれてしまった。再び高利が江戸に出てくることのないように、母の殊法を支えることを名目に説得し、郷里に送り返される。28歳のときだ。

 だから、かれが、再び江戸に出たのは、それから24年後、その長兄が亡くなった1カ月後、52歳のときだった。そこでようやく、悲願であった、いまの日本橋三越があるその場所に「三井越後屋呉服店」(越後屋)を開業する。

 そして数々の商売の革命を起こすわけだが、ただの思いつきではなかった。長兄が亡くなるまで、三重県の松阪に根を下ろして、我慢に我慢を重ね、検証に検証を重ね、とにかく考えて、考えて、考えた。
 もし、再び、江戸に出る機会があったら、こういう商売をやろうと。つまり、小さなトライ&エラーを現場で積み重ね、三つの汗を徹底的にかいて、特に脳みそに汗をかいて、夢と野心と志を温め続けた。

⚫︎母のもったいない精神を受け継いだ?
 実は不遇と思われている松阪時代、三井高利がもっとも寄り添った母の殊法こそがブリコルールの体現者、もったいない精神の具現者であって、一切物を捨てない廃物利用の達人であったことにわたしは注目している。
 つまり高利のビジネスモデルの発想は殊法のやり方や考え方をロールモデルとしているのではないか、と。奉仕の精神の実行者でもあって、お店の気の利いたサービスすべては、殊法がいろいろ考え工夫してつくりだしたものであった。

 こうして雌伏の松阪時代に考え抜いて挑戦した商いの方法が、世界で誰も思いつかなかった新しいビジネスモデルだった。

 当時、最大の商品と言えば、着物だった。いまで言うアパレルだ。日本では着物。
 だから、日本では、金融業を除けば、着物を扱っている業者が、商売人としてはいちばんの金持ちだった。
 つくっている人よりも商っている人が儲けていた。西陣でつくった着物を京都の着物の豪商が売る、江戸の豪商が売る、というのが、一つのメガトレンドのビジネスモデルだった。

ヨーロッパも中国も「掛け売り」だった
基本的なスタイルは、顧客の家にいくつかの反物を見繕って持って行って売るというもの。相手は、大名や両替商などといった金持ち。かれらに、着物一着分の一反単位で、売る。代金は、その場では回収しないで、盆暮れの2回、期末に集金する。

 これが当たり前の商売のモデル(屋敷売り)で、実は世界中そうだった。
 ヨーロッパの貴族の邸宅に出入りする業者も、中国のそれも。お客さんのところへたくさんの商品を持って行って、丸ごと掛けで買わせて、あとから代金回収する。
 いわゆる掛け売りだ。それが普通の商売のスタイルだった。

 庶民は、お店に出かけて行って買うこともできたが、お店に商品が並んでいるわけではない。希望を言うと、店員が見繕って、いくつかを奥から持ってくる。その中から選んで、やはり一反、丸ごと買わなければならない。

 価格は、といったら、基本、決まっていない。交渉次第で、その場で決まる。そもそも、定価という概念が存在しなかったからだ。

 だから、庶民と言っても、ある程度裕福な人でなければ怖くて買えないし、そもそもそうでなければ相手にしてもらえない。それが、当時の普通の商売のスタイルだった。ビジネスモデルだったということだ。

 商品陳列、値札は17世紀の江戸で生まれた
それを、かれは、180度変えた。17世紀の日本、江戸で、世界で初めて!

 まず、対象を大衆にした。大名や豪商ではなくて、江戸の庶民、町民や農民を含む大衆をターゲットに設定した。のちのヘンリー・フォードを想起するよね。高利は200年以上も早かった。

 そして、商品を店の前に陳列した(店前(たなさき)売りと呼ぶ手法だ)。それまで、店に入っても商品はなく、客は希望を言って奥から出してきてもらう方式だったのを、店に行けば、そこに陳列された反物を手にとって自由に見ることができるようにしたのだ。

(駿河町の三井越後屋の店内を描いた「浮絵駿河町呉服屋図」)

 さらに、そこには、値段が明記されていた!正札(しょうふだ)と呼ぶ手法だ。それまで値段というのは、交渉事だったのを革新し、これはいくら、これはいくらと、正札を付けて値段を固定化した。
 定価という概念が世界で初めてここに導入されたのだ。

 さらに、反物は、一反まるごと買う必要はなかった。客は、必要な長さだけ買えるようになった。切り売りという常識を覆す売り方だ。もちろん庶民は大喜びである。
 支払いは、掛け売りなしのその場での現金払いだ。いまでいうチラシ広告の手法も世界で初めて編み出した。

 商売敵からは仲間外れや嫌がらせに遭う
小売り業で革命を起こしたとされる世界的ベンチャーのウォルマートにも300年以上も先駆けて、大衆向けの薄利多売(EDLP=Everyday Low Price)のビジネスモデルを、現実化したのである。

 つまり、それまでの商いの方法をすべて否定して、現代まで続く小売りのビジネスモデルを、世界で初めて生み出したんだ。

 同時代に生きていればいかにすごいことを三井高利がやり遂げたか,わかるに違いない。
 何しろ、士農工商の封建社会の身分制度があって、幕藩権力に対して従属するのが豪商、政商の生き残り方だった時代だ。
 しかも幕府御用達の豪商たちが排他的に既得権益を守るべく、徹底して新参者を排除する根強い商慣習があった。

 三井高利の当時の様子がうかがえる三井の『家伝記』や『商売記』があるが、商売敵に仲間外れにされ、邪魔や嫌がらせ行為をされながらも、これらの困難にまともに先頭に立って、挑戦していくリーダーシップは生半可なものではない。

 いつの時代も、アントレプレナーが、強烈なリーダーシップとともにたちあらわれるということだ。

⚫︎27カ条の規則で店員のプライベートも徹底管理
 三井高利のビジネスモデルや商売の考え方がうかがえる、年々改訂されていた複数の店規(店の経営の原理原則のようなもの)が残っている。

(古我知史『いずれ起業したいな、と思っているきみに 17歳からのスタートアップの授業 アントレプレナー列伝』(BOW BOOKS))

 とにかく細かい。そして、厳しい。徹底的に細かいことまで店と店員(丁稚や手代のこと)の規則として定めて、署名までさせている。高利のパラノイア(偏執症)ぶりは想像を超えるものだ。

 27カ条もあるのですべてを記すのは割愛するが、たとえば、掛け売りや紛失などによる損害は一切責任者の負担とするとか、売れ残り品は見切りをつけて古着屋に処分することとか、遊興や悪友との交わりは営業上の利益があっても敢えて禁ずる、などの方針を明記している。
 大酒や酩酊(めいてい)を慎むこと、健康に留意すべきことなど、私生活にまで立ち入った規則も書かれている。

 印刷技術のグーテンベルクや自動車のヘンリー・フォードのようには世界で知られていないが、三井高利がなし遂げた数々の商売のイノベーションは、ものすごいことだと思わないか? 三井高利こそ、日本が誇るアントレプレナーの最初の人だとわたしは思っている。


▶︎古我 知史(こが・さとし)
ウィル キャピタル マネジメント代表
早稲田大学政経学部政治学科卒業後、モンサント、シティバンク、マッキンゼー・アンド・カンパニーなどを経てウィルキャピタルマネジメント株式会社を設立、80社の起業、事業開発や投資育成の現場に、投資も含め、直接参画してきた。九州大学大学院客員教授、FBN(ファミリービジネスネットワーク)ジャパン理事長、一般社団法人衛星放送協会外部理事などを歴任。橋下徹が大阪市長時代に進めていた大阪都構想に参加。大阪府市統合本部特別参与として、経済部門を担当した。現在、県立広島大学大学院客員教授、京都大学産学官連携本部フェロー、IPOを果たしたベンチャー企業の取締役などを兼任。主な著書に『 戦略の断想』(英治出版)、『 もう終わっている会社』(2012年ディスカヴァー)、『 リーダーシップ螺旋』(晃洋書房)などがある。



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日本は「昭和を終わらせる」ことに失敗した…社会心理学が教える「失われた30年」が終わらない本当の理由 2023/12

2023-12-11 01:40:43 | なるほど  ふぅ〜ん

日本は「昭和を終わらせる」ことに失敗した…社会心理学が教える「失われた30年」が終わらない本当の理由
  プレジデントOnline より 231211  山口 周


 日本が「失われた30年」を今なおさまよい続けているのはなぜか。
コンサルタントの山口周さんは「社会心理学の創始者であるレヴィンは、古い思考や行動様式を変えるには新しいことを始めるのではなく、古いものを終わらせる必要があると説いている。
 日本はまだ昭和を終わらせておらず、平成という下り道を下り続けている」という――。

本稿は、山口周📘『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

▶︎クルト・レヴィン(1890~1947)ドイツ出身のアメリカの心理学者。
 いわゆる「社会心理学」の創始者として認められ、グループ・ダイナミクスや組織開発の領域において大きな貢献を残した。2002年に発表された調査では、20世紀中、最も論文の引用回数が多かった心理学者としてレヴィンがランクインしている。

⚫︎レヴィンの「解凍=混乱=再凍結」モデル
 組織の中における人の振る舞いはどのようにして決まるのか。
クルト・レヴィン以前の心理学者、中でも特に「行動主義」と呼ばれる分野の人々によれば、それは「環境」ということになります。
 しかし、レヴィンは「個人と環境の相互作用」によって、ある組織内における人の行動は規定されるという仮説を立て、今日ではグループ・ダイナミクスとして知られる広範な領域の研究を行いました。

 レヴィンは様々な心理学・組織開発に関するキーワードを残していますが、ここでは中でも「解凍=混乱=再凍結」のモデルについて、説明したいと思います。レヴィンのこのモデルは、個人的および組織的変化を実現する上での3段階を表しています。

⚫︎「なぜ今までのやり方ではダメなのか」を共感する
 第1段階の「解凍」は、今までの思考様式や行動様式を変えなければいけないということを自覚し、変化のための準備を整える段階です。当然のことながら、人々は、もともと自分の中に確立されているものの見方や考え方を変えることに抵抗します。したがって、この段階ですでに入念な準備が必要となります。
 具体的には「なぜ今までのやり方ではもうダメなのか」「新しいやり方に変えることで何が変わるのか」という2点について、「説得する」のではなく「共感する」レベルまでのコミュニケーションが必要となります。

 第2段階の「混乱」では、以前のものの見方や考え方、あるいは制度やプロセスが不要になることで引き起こされる混乱や苦しみが伴います。予定通りにうまくいかないことも多く、「やっぱり以前のやり方の方がよかった」という声が噴出するのがこの段階です。
 したがって、この段階を乗り切るためには変化を主導する側からの十分な実務面、あるいは精神面でのサポートが鍵となります。

 第3段階の「再凍結」では、新しいものの見方や考え方が結晶化し、新しいシステムに適応するものとして、より快適なものと感じられるようになり、恒常性の感覚が再び蘇ってきます。この段階では、根付きつつある新しいものの見方や考え方が、実際に効果を上げるのだという実感を持たせることが重要になります。
 そのため、変化を主導する側は、新しいものの見方や考え方による実際の効果をアナウンスし、さらには新しい技能やプロセスの獲得に対して褒賞を出すなど、ポジティブなモメンタムを生み出すことが求められます。

⚫︎最初にやるべきは「いままでのやり方を忘れる」こと
 レヴィンによれば、ある思考様式・行動様式が定着している組織を変えていくためのステップが、この「解凍=混乱=再凍結」ということになるのですが、ここで注意しなければならないのは、このプロセスが「解凍」から始まっている、という点です。
 というのも、この「解凍」というのは、要するに「終わらせる」ということだからです。

 私たちは、何か新しいことを始めようというとき、それを「始まり」の問題として考察します。当たり前のことですね。しかしクルト・レヴィンのこの指摘は、何か新しいことを始めようというとき、最初にやるべきなのは、むしろ「いままでのやり方を忘れる」ということ、もっと明確な言葉で言えば「ケリをつける」ということになります。

⚫︎変革は「何かが終わる」ことで始まる
 同様のことを、個人のキャリアの問題を題材にしながら指摘しているのが、アメリカのウィリアム・ブリッジズです。ブリッジズは、人生の転機や節目を乗り切るのに苦労している人々に集団療法というセラピーを施してきた臨床心理学者です。

 ブリッジズが臨床の場で出会った患者は千差万別であり、ひとりひとりの「転機体験」は非常にユニークなもので一般化は難しい。転機の物語も人それぞれにユニークなものだったはずですが、「うまく乗り切れなかったケース」を並べてみると、そこに一種のパターンや、繰り返し見られるプロセスがあることにブリッジズは気がつきます。

 そしてブリッジズは、転機をうまく乗り切るためのステップを「終焉(しゅうえん)(今まで続いていた何かが終わる)」→「中立圏(混乱・苦悩・茫然自失する)」→「開始(何かが始まる)」という3つのステップで説明しています。ここでもまた、変革は「始まり」から始まるのではなく、「何かが終わる」ということから始まっている点に注意してください。

⚫︎組織変革が中途半端に挫折してしまう理由
 ブリッジズに言わせれば、キャリアや人生の「転機」というのは単に「何かが始まる」ということではなく、むしろ「何かが終わる」時期なのだ、ということです。逆に言えば「何かが終わる」ことで初めて「何かが始まる」とも言えるわけですが、多くの人は、後者の「開始」ばかりに注目していて、一体何が終わったのか、何を終わらせるのかという「終焉の問い」にしっかりと向き合わないのです。

 ここに、多くの組織変革が中途半端に挫折してしまう理由があると、私は考えています。経営者と管理職と現場の三者を並べてみれば、環境変化に対するパースペクティブの射程は、経営者から順を追って短くなります。

 経営者であれば、少なくとも10年先のことを考えているでしょうが、管理職はせいぜい5年、現場になれば1年の射程しか視野に入っていない。常に10年先のことを考えている経営者であれば、やがてやってくる危機に対応して変革の必要性を常に意識しているかも知れませんが、管理職や現場は常に足元を見て仕事をしているわけですから、十分な説明もなしに「このままでは危ない、進路もやり方も変える」と宣言されれば、十分な「解凍」の時間を取れないままに混乱期に突入してしまうことになります。

⚫︎平成は「昭和を終わらせられなかった」時代
 同様のことは「社会の変化」についても言えます。平成という時代をどうとらえるか、これからおびただしい論考が世に出されると思いますが、私が思うのは「昭和を終わらせられなかった時代」ということです。

 私たちは「山の頂上」で、昭和から平成への移行を経験しています。平成が始まったのは1989年の1月8日で、日経平均株価が未だ破られていない史上最高値を記録したのも同じ1989年の12月29日でした。当時の時価総額世界ランキングを見てみると1位の日本興業銀行を筆頭にトップ5には全て日本企業が並んでいます。言うまでもなく、現在の日本企業で時価総額世界ランキングのトップ10に入る企業は存在しません。

 このような状況下、つまり文字通り経済面での世界的な覇権が明確となった状況で、昭和から平成へとバトンが渡されている。しかしみなさんもご存じの通り、その後このピークを超えることは一切なく、平成の時代を通じて日本は下降に次ぐ下降に終始することになります。

⚫︎昭和と同じ山で良かったのか?
 これを登山に当てはめてみれば、高度経済成長以来、ずっと登り続けて山の頂上に至る過程が昭和という時代であり、以後30年にわたって、同じ山をずっと下り続けているのが平成という時代だったと整理できます。時代が昭和から平成へと変わったものの、同じ山の「登り」と「下り」でしかないということです。

 多くの人は、平成という時代が「下り」に終始したことを問題として取り上げているようですが、ここで私が取り上げたいポイントは「登り、下り」の問題ではなく、そもそも「同じ山で良かったのか?」という点なのです。人間性を麻痺させるようなバブル景気が健全なものであったと真顔で言い切れる人はなかなかいないはずです。しかし、これを本当に「終わらせている」人たちがどれほどいるのか。

⚫︎経済とは別のモノサシで山を登り始める必要がある
 私たちは、昭和という時代から平成への移行に当たって、「バブル景気の終焉」といみじくも表現される「終わらせる契機」を与えられていたにも拘わらず、結局は「あの時代は良かったね」と、山の頂上を振り返りながら下山する過程に終始してしまったのではなかったか。
 📗山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)
 本来であれば、昭和という時代に登った山とは別の新しい山をターゲットとして定め、登るべきだったのに、同じ山に踏みとどまりながら、頂上にいた頃の栄華を懐かしみながら、いつかまたあそこに戻れるのではないか、という虚しい期待を胸にしながら、ずるずると後ろを振り返りながら、ビジョンもないままに同じ山を下り続けてしまったように思います。

 昨今、昭和のバブル期に象徴されるような経済・金銭・物欲一辺倒のモノサシを否定する大きなうねりが地殻変動のように動いているのを感じますが、これは「バブルを終わらせる必要のない」世代によって牽引されているように思います。

 ポスト平成への移行において、日本がかつての経済大国とは違う形で、世界の国からリスペクトされるような国であり続けるためには、経済とは異なる別のモノサシでの登山を始めなければならないわけですが、そのためには、昭和を体験している人たちが、本質的な意味でこの時代へのノスタルジーを終わらせることが必要なのではないかと思います。


▶︎山口 周(やまぐち・しゅう) 独立研究者・著述家/パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著述家・パブリックスピーカーとして活動。神奈川県葉山町在住。著書に『 ニュータイプの時代』など多数。
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「わしはすこしも幸せではなかった」…伝説の漫画家・水木しげるの「幸福論」が深すぎた 202312

2023-12-11 01:37:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「わしはすこしも幸せではなかった」…伝説の漫画家・水木しげるの「幸福論」が深すぎた
  現代ビジネス より 231211  久坂部 羊


 老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになります。
 世の中にはそれを肯定する言説や情報があふれていますが、果たしてそのような絵空事で安心していてよいのでしょうか。

 医師として多くの高齢者に接してきた著者が、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見てきた経験から、初体験の「老い」を失敗しない方法について語ります。
*本記事は、久坂部羊『人はどう老いるのか』📘(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
⚫︎水木しげる流「幸福論」
 水木しげる氏とは、偶然、知り合う機会があり、晩年に何度かお目にかかりました。
水木サン(これはご本人の一人称でもあるので、そう書かせていただきます)の漫画には、人生や世の中に対する深い洞察があって、私はどの哲学書や教養書よりも強い影響を受けました。

たとえば次のような言葉。

「名前なんて一万年もすればだいたい消えてしまうものだ」

 これは赤穂浪士のように歴史に名前を残して満足する者もいるが、と書かれたあとに続くセリフです(『偶然の神秘』より)。

 少年のころ、有名になりたいと思っていた私は、この一言ではたと気づきました。たしかに一万年前の人間で、名前の残っている者はいない、名前なんてすぐに消えてしまうのだから、有名になることに努力するより、自分の人生を充実させるための努力をしたほうがいい、と。

 また、ある短編では、侍役人がガリ勉をして「昌平校」に入り、同僚が遊んでいてもまじめに貯金し、結婚もし、家も建て、子どもも大学に入れて、万事、将来の幸福に備えますが、臨終の間際にこうつぶやきます。

「わしは少しも幸福ではなかった」

すると、横に控えた妻がこう言うのです。

「あなたは幸福の準備だけなさったのヨ」(『幸福の甘き香り』より)

⚫︎「人生の夕日」という考え方
 なんと含蓄のある言葉でしょう。将来のことを心配し、病気を心配し、お金のことを心配し、仕事のことを心配して、幸福になるためあくせくしている人は、自分ではそうとは気づかず、「準備」にばかり追われているのです。そしてある日、突然、人生の終わりに立たされて、この侍役人のように「味わうことをわすれていたのか」と嘆息することになります。

 老いについては、『昭和史』の第8巻の最後で、ねずみ男が厳しい現代の世相を嘆きながら、「良き老後とはなんなのか そんなものがあるだろうか」とつぶやくと、作中に登場している水木サンがこう返します。

「ねずみ男‼ なんていうことをいうのだ 「老後」というのは思ったよりいいものなんだ(略)『人生の夕日』これがまた意外にいいもんなんだヨ 若いときは成功しようとかなんとか欲があるが すべてが過ぎ去って年をとり 自分が決まって欲がなくなるというのか 今まで気づかなかったいろいろなものが見えてくるのだよ 人間とか 人生とか いや さまざまなことが 今までにない姿で見えてくるのだヨ 若い時のようにくだらぬ邪心が消えているというのか 正に人生は六十からだよ」

 この認識は、真によき老後を言い当てていると思います。ポイントは「欲」とか「邪心」を消し去るということ。成功したいとか、豊かに暮らしたいとか、少しでも得をしたい、損をしたくないとか、そういう思いがあるうちは、人生とか社会のほんとうに大事なことが見えないと、水木サンは言っているのです。

 ほんとうに大事なこととは何か。それは「欲」と「邪心」を未だ捨て切れていない私にはわかりません。できるだけ「自分の都合」を減らしていって、いつかそれがわかる日を楽しみにしています。

 さらに連載記事<「上手に楽に老いている人」と「下手に苦しく老いている人」の意外な違い>では、症状が軽いのに老いに苦しむ人と、そうでない人の実例を紹介しています。
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口の衰えが老化の分かれ道【食事でムセる かみ切れない 口臭が気になる人のための口の強化書】 202312

2023-12-11 01:05:00 | 生活編

口の衰えが老化の分かれ道【食事でムセる かみ切れない 口臭が気になる人のための口の強化書】  花人日和 より 231211



 体重や血糖値、血圧の数値は気にしているのに、“口の老化”を気にかける人は少ないといえます。でも、多くの研究者が「すべての老いは口からはじまる」と警鐘を鳴らしていることをご存じでしょうか。

 最近、「食事中によくムセる」「食欲がわかない」「食べているとなんだか疲れる」「胃もたれする」「口が乾く」「滑舌が悪くなった」……、そんな症状を感じている人は口の老化が始まっているかもしれません。

『歯科医が考案 毒出しうがい』(アスコム)が13万部のベストセラーとなった、歯学博士・照山裕子先生の最新刊『食事でムセる かみ切れない 口臭が気になる人のための口の強化書』から、オーラルフレイルの重要性についてご紹介します。
文/照山裕子

⚫︎口の衰えが老化の分かれ道。「口の老化」で失われる、4つの力とは?
 よく「口のなかを健康に」といわれると、歯の本数や「噛む力」だけをイメージする人がいますが、口のなかを健康な状態にするには、それだけでは足りません。なぜなら、「自分の口で食べる」ためには、歯だけではなく、口全体の機能が大切になるからです。

 口のなかの機能は互いに関連しているため、1つひとつの機能としてではなく、口全体として考える必要があるわけです。まず、食べることは、おおまかに次の「4つの口の力」で成り立っています。これら4つの力のうち、ひとつでも弱まると、食べることに支障が出てしまいます。

【4つの口の力】
1.噛む力
2.舌の力
3.唾液量
4.飲み込む力

 口の力の衰えは、すべての年齢層で見られ、体全体の不調につながる「オーラルフレイル」の予備軍として、いま問題になりつつあります。
 オーラルフレイルとは、「口の老化」状態であり、「口の機能が弱っている状態」を指す言葉です。つまり、実際の年齢などに関係なく、「口が老化」してしまっている人が多く、そして弱っている自覚がない。
 わたしは日々、多くの患者さんの口や歯を診療している際に実感しています。年齢を重ねるにつれて、かたいものが噛み切りづらくなったり、大きめのものや粘り気のあるものを飲み込みづらくなったり、ムセやすくなったりするなどの症状があらわれるようになります。

 これらは、口まわりの筋肉が低下することで起こります。すると、弾力のある肉類や、繊維質の根菜類や葉物類の野菜などが食べられなくなり、たんぱく質やビタミン類といった栄養素をうまく摂ることができず、栄養バランスが崩れます。こうした衰えが、口から体全体へとつながっていき、全身の機能が弱っていく「フレイル」にいたる恐れがあります。
 また、舌の筋肉が弱ると、会話をするときに、言葉の滑舌が悪くなるといった変化もあります。一般的には、60代後半あたりから顕著になるといわれていますが、早い人では40代後半あたりからこうした変化があらわれることも珍しくありません。さらに、現代では子どもや若年層にもオーラルフレイルの危険性が広がっています。

⚫︎あなたの「口」は大丈夫? オーラルフレイルをチェック!
 あなたの“今”の口の状態をチェックしてみましょう。質問事項を読んで、あなたの状態にあてはまるものに〇をしてください。そこにかかれている数字があなたの点数です。4点以上の人は危険性が高いので要注意です!


出典:東京大学高齢社会総合研究機構 田中友規、飯島勝矢

⚫︎食べ物を食べる構造は、餅つきと同じ
「4つの口の力」と関連して、食べる動作は、むかしから「餅つき」に例えられることがあります。
 具体的には、口のなかは臼、歯は杵、「噛む力」はつき手の筋力、こねる人は舌、打ち水は唾液といわれています。たとえば、餅米をつくためには、当然丈夫な歯(杵)が必要ですが、それだけがあっても、「噛む力」(筋力)やこねる「舌の力」が弱ければ、口のなかで餅はうまくまとまりません。また、唾液(打ち水)が少なくても、食べやすい餅はできないでしょう。

 そして、餅をしっかりつくれたとしても、それを食道へ送る飲み込む力も必要だというわけです。つまり、自分の口でしっかり食べるためには、口全体の機能が保たれていることが必要なのです。口のなかが健康かどうかを判断するには、「4つの口の力」のうち、自分はどこに問題があるかを、まず確認することが大切になります。


* * *

📗食事でムセる かみ切れない 口臭が気になる人のための口の強化書
著/照山裕子 監修/來村昌紀
アスコム 1430円

▶︎照山裕子(てるやま・ゆうこ)
歯学博士。東京医科歯科大学非常勤講師(顎顔面補綴外来)。
日本大学歯学部卒業、同大学院歯学研究科にて博士号取得。世界でも専門医が少ない『顎顔面補綴』を専攻し、口腔がんの患者と歩んだ臨床体験から予防医学の重要性を提唱する。「日本人の口腔ケアへの意識を変えるにはどうしたらいいのか?」という課題の答えのひとつとして考案した内容を『歯科医が考案 毒出しうがい』(アスコム)として書籍化。13万部のベストセラーとなった。現在は大学病院及び全国の歯科クリニックにて診療を続ける傍ら、テレビ・ラジオなどのメディアにも多数出演。『日経xwoman』のオフィシャルアンバサダーも務める。『新しい「歯」のトリセツ』(日経BP)など、著作多数。

▶︎監修/來村昌紀(らいむら・まさき)
らいむらクリニック院長。千葉大学臨床教授。医薬学博士。日本脳神経外科学会脳神経外科専門医。
和歌山県出身、和歌山県立医科大学、千葉大学大学院卒業。和歌山県立医科大学附属病院などで経験を積み、2014年にらいむらクリニックを開設。著書に『漢方専門医の脳外科医が書いた漢方の本・入門編』(あかし出版)などがある。
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