goo blog サービス終了のお知らせ 

goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

「もし日本という国がなくなったら」あなたは一人で生きていけますか? 202204

2022-04-19 23:26:00 | 気になる モノ・コト

「もし日本という国がなくなったら」あなたは一人で生きていけますか?
 PHPオンライン衆知 より 220419 松村圭一郎(岡山大学文学部准教授)


 国家や社会を前提として生きる私たちにとって、その在り方を意識することは難しいことかもしれません。

 しかしコロナ禍により、社会のあり方が根本から問われたと文化人類学者の松村圭一郎氏は言います。既存の仕組みや制度が機能不全に陥いる中で、便利な社会の「自由」は、さまざまなシステムや制度に依存したうえに成立していることが浮き彫りになったのです。

 また世界で急速に進むグローバリゼーションによって、「領土」に住む人びとをコントロール下に置く「国民国家」という枠組み、統治の手法が当たり前ではなくなる可能性が現実味を帯びています。

 同氏に「もし日本が明日なくなったら」というテーマのもと、「国家」の存在意義についてお話を伺いました。(聞き手:編集部/岩谷菜都美)

※本稿は『Voice』2022年2月号より抜粋・編集したものです。

⚫︎「国家」は本当に必要か
――アナキズムは一般的に「無政府主義」と訳され、暴力や無秩序のイメージを連想します。一方、人類学の視点からアナキズムを考察した『くらしのアナキズム』(ミシマ社/定価1,980円〈10%税込〉)では、人類の初期設定に立ち返って「国家」の存在意義を問い直しており、興味深く拝読しました。

【松村】古典的な人類学は、近代化していない「未開社会」を研究してきました。そこには国家や政府が存在しない。にもかかわらず、なぜか秩序が生まれ、社会が円滑に営まれている。必然的に「国家は必要なのか」という問いにぶつかるわけです。

 人類学者のデヴィッド・グレーバーが述べるように、人類学はアナキズムという言葉を使おうが使うまいが、「国家」とはいったい何か、「国家」は本当に必要なのかを検討してきた学問だといえるでしょう。

――本書の「日本という国が明日なくなったらどうする?」という問いにはドキっとさせられました。

【松村】日本で暮らす人にとっては、生まれたときから「国」は自明の存在です。そのせいか国家の存在という大前提を疑うことなく、社会を支えているのは、市民というよりも政府や法制度だと思われています。

 しかしコロナ禍により、既存の仕組みや制度が機能不全に陥り、社会のあり方が根本から問われました。

 また、21世紀のインターネットや企業活動には国境がありません。市場には暗号資産という国家とは無関係に生まれた通貨が、中央銀行の管理から逃れて流通している。「国民国家」という枠組みによって「領土」に住む人びとをコントロール下に置く統治の手法が、当たり前ではなくなる可能性が現実味を帯びています。

 このように不透明かつ流動的な世界において、アナキズムの視点は国家の下で政府に頼るだけではなく、いかに自らの生活を確立し、社会をつくっていくか、という新しい視座に開かれたものといえるでしょう。

 フランスの人類学者マルセル・モースは、1920年代に発表した『贈与論』で、国家や政府がなくても人びとのなかには自然とルールが生まれ、義務を履行する倫理的なメカニズムが働くことを示しています。

――そもそもなぜ、国家は誕生したのでしょうか。一般的には、多くの人びとを統治するには、法や政府が必要だからとされていますね。

【松村】たしかに17世紀の思想家トマス・ホッブズによれば、人間の自然状態は「万人の万人に対する闘争」であり、暴力や対立を封じる絶対君主制による国家の存在が正当化されました。支配者にとって、ホッブズの理論は都合がよかった。以来、国家が当たり前の不可欠な存在であることが常識となったのです。

――ヨーロッパで国民国家が誕生する以前には、「国家」に近い体制は存在しなかったのでしょうか。

【松村】たとえばアフリカには、昔から多くの王国がありました。しかし、それらは近代国家とは明らかに異なります。最大の違いは、「王」はかならずしも「政治的支配者」ではないという点です。1920年代に著されたA・M・ホカートの『王権』には、「聖なる王権」という観念が、かつての王国に秩序をもたらしていたと記されています。

 近代以前の「王国」では、古代エジプトにしても、インドや南米でも、王を太陽神として神聖視する信仰がありました。太陽神信仰は、農作物を育て、自然の恵みを与える太陽を、人間の生活に不可欠な存在として崇めたものです。天に浮かぶ太陽は何が起ころうと必ず朝に上り、一定の時間が過ぎると下っていく。この動きは「秩序」そのものです。

 ところが地上の人間社会は、天変地異によって混乱が生じ、争いが起きるなど「混沌」としている。そこで、いわば宇宙の秩序を人間に移し替えるための器として、王を太陽と同一視したのです。王は太陽神の代理であり、その証として太陽を模した円形の王冠を身に着けました。

――絶対君主制時代の君主のあり方とは一線を画しますね。

【松村】たとえば、かつての王には自然秩序を体現する者として、数々のタブーが課されていました。一例を挙げると、大地に触れてはいけない。太陽はつねに宙空に浮いているからです。あるいは、まばたきしてはいけない。王の目は太陽そのものであり、瞼を閉じず太陽がつねに陰らないようにしなければならない。

 仮に王がルールを逸脱して勝手な行ないをすれば、天の秩序を乱すことになるので、民が玉座から引きずり降ろしたのです。

 王は民の平安と秩序を守る義務を負う。その限りにおいて特権的な地位にあった。それが原初的な「王権」のかたちでした。しかし、いつの間にか民が国家を維持する義務を負い、国と民の立場は逆転しました。

 国家のために、国民は犠牲を強いられる。他国との戦争に勝つために、国民が命を投げ出すよう求められる――。社会に秩序をもたらす手段だったはずの国家の存在が、自己目的化してしまったのです。

⚫︎顔のみえる社会関係
――松村さんは、エチオピア南西部のコンバ村でフィールドワークをするなかで「国家」のあり方を意識し始めたそうですね。国家を前提として生きる私たちが失ってしまった視点を垣間見る瞬間はありましたか。

【松村】日本で暮らす私たちに比べて、コンバ村の人びとは「生きていく力」をもっていると感じます。

 都市社会は、さまざまなインフラによって支えられています。都市部では24時間、コンビニエンスストアが開いていて、いつでも食べ物が手に入る。お金を払えば何でも購入でき、誰にも頼らずに1人で生きていける。ただし裏を返せば、お金がなければとたんに飢えてしまう。失業保険や生活保護など国の制度がないと生きていけません。

 ところがコンバ村では、暮らしの多くの部分を自活できています。庭には野菜や果樹が育ち、畑には穀物が実り、飼育する牛からミルクも絞れる。たとえ国の機能が麻痺しても、人びとには生きていく知恵や手段がある。日本では、携帯電話を落としたとたんに身動きがとれなくなり、電気が止まればパソコンが開けず、仕事も回らない。便利な社会の「自由」は、さまざまなシステムや制度に依存したうえに成り立っているのです。

――また本書では、困ったらまず警察を呼ぶのはおかしいという指摘があり、目から鱗でした。たしかに日本では電車で痴漢に遭って周りに助けを求めても、誰も助けずに見て見ぬフリをする人が多い。

【松村】いつの間にか、日本では何か問題が起きたときに動くのは自分たち民間人ではなく、警察や駅員など公的な役割を担う人間だ、という感覚が染みついています。

 しかし、目の前で困っている人を現場の人ではなく、遠くから駆け付けた人が助けるのは困難なケースもあります。災害時などもそうですが、いじめや虐待問題にも通じる話です。担任の教師や児童相談所の職員がクラスや家庭内の子どもの状況をすべて把握できるはずがない。むしろ、クラスメイトや近隣住民のほうが異変を察知できる可能性が高い。

 つまり社会に生きる一人ひとりが身近な問題を把握でき、対処できる人間関係を築くことで、国の制度や家族関係も上手く機能するのです。

 もちろん私が考えるアナキズムは、国家や市場の機能を否定しているわけではありません。時には、警察のような強制力をもった力を頼る必要もある。しかし、コロナや震災で直接、被害を受けた人のなかには、自分たちの力でなんとかしなければならない状況に陥った方もいたはずです。
 国家のシステムが機能しないとき頼りになるのは、人びとが繋がる「顔のみえる社会関係」なのです。その重要性を忘れてはいけないと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

🔋 電気を一時凍結できる「冬眠電池」使わない分は蓄え、数カ月後に放電可能 米国エネルギー省が開発 202204

2022-04-19 23:16:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

電気を一時凍結できる「冬眠電池」 使わない分は蓄えて、数カ月後に放電可能 米国エネルギー省が開発
 ITmediaニュース より 220419  山下裕毅

Innovative Tech:
このコーナーでは、テクノロジーの最新研究を紹介するWebメディア「Seamless」を主宰する山下裕毅氏が執筆。新規性の高い科学論文を山下氏がピックアップし、解説する。

 米国エネルギー省の研究施設「Pacific Northwest National Laboratory」(PNNL)の研究チームが開発した「A freeze-thaw molten salt battery for seasonal storage」は、電力をあまり失うことなく数カ月にわたって蓄えられるバッテリーだ。風力や太陽光といった再生可能エネルギーによる発電をいったん凍結し、数カ月後に放電する使い方ができる。

 夏場の日照時間は冬場より長く、平均して多くの太陽光発電が行われる。他にも、太平洋岸北西部では雪が溶けて大きく膨らんだ川が一連の水力発電ダムに最大出力をもたらし、春から初夏にかけて強風が吹き風力タービンも最大に押し上げる。このように季節によって発電できる容量が異なる。

 そのため、時期によっては過剰生産によるエネルギーの無駄や、反対に供給不足が発生する。過剰に得られた余剰エネルギーを蓄積し発電量が低い季節に補えれば効率が良く安定した供給ができる。
 だが、その期間大量に蓄えられるバッテリーは存在しない。電池は使わなくても自己放電するため、閉じ込めたエネルギーは自然と減っていくからだ。

 そこで研究チームは、自己放電を抑える「凍結融解バッテリー」と呼ぶ新たな電池を開発した。凍結融解バッテリーは次のような手順で電気の蓄積と放電を行う。

 固体溶融塩を180度まで加熱し、液体となった電解液に充電する。電池を室温まで冷やすことで溶融塩が固化し、エネルギーを伝達するイオンがほぼ静止した状態になりエネルギーが封じ込められる。エネルギーが必要なときは、電池を再加熱し放電する。

 実験ではコストを抑えるため、アルミ・ニッケルを使用した溶融塩電池プロトタイプを開発した。プロトタイプは電解液に硫黄を添加し、電池の蓄電量を増やし、負極と正極の間にはグラスファイバーのセパレータを埋め込んだ。

 プロトタイプを試した結果、12週間経過しても初期容量の92%を維持でき、貯蔵と放電ができたという。理論上のエネルギー密度は1kg当たり260W/hであったという。

Source and Image Credits: Minyuan M. Li, Xiaowen Zhan, Evgueni Polikarpov, Nathan L. Canfield, Mark H. Engelhard, J. Mark Weller, David M. Reed, Vincent L. Sprenkle, and Guosheng Li. A freeze-thaw molten salt battery for seasonal storage. Cell Reports Physical Science
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⚠️ 低賃金に安住した日本企業、末路は国際競争力の低下  202204

2022-04-19 22:49:00 | 気になる モノ・コト

低賃金に安住した日本企業、末路は国際競争力の低下
 JBpress より 220419 瀬口 清之


 人材は社内で育てるものという高度成長期の考え方から脱せていない日本企業が多い

1.日本の1人当たりGDPの相対的低下
 日本は国土も小さく資源もない、優秀な人材だけが国の支えである。以前はこの言葉をよく耳にしたが、最近はあまり聞かない。
 1990年代、日本の1人当たりGDP(国内総生産)はOECD(経済協力開発機構)加盟国中2~3位だった。これは日本人の能力が高いからだと信じられていた。

 しかし、2010年代以降はずっと20位前後で低迷したままである。

 IMF(国際通貨基金)世界経済見通し(2021年10月)のデータに基づいて日本の1人当たりGDPの推移を見ると、
 1990年を100とすれば、
  2000年151、2010年174、2020年155。
 1990年代は5割伸びたが、2000年以降20年もの間、ほぼ横ばいである。

 この間、中国は1990年を100とすると、
  2000年274、2010年1297、2020年3030と30年間で約30倍となった。
 同様の比較方法で韓国を見ると、
  2000年186、2010年349、2020年479と30年間で約5倍となっている。

 日本の1人当たりGDPがOECD諸国、あるいは東アジアの中韓両国と比較して、相対的に低下しており、しかもその低下幅が大きいことが分かる。

2.「ゆとり教育」後の長期的学力低下
 人材に関して言えば、人材を育成する教育面でも日本の相対的低下が目立っている。
日本は1980年代に詰め込み教育批判が高まったことへの反省から、1990年代に入ってから、「ゆとり教育」の実践へと舵を切った。
 具体的には、1992年に公立学校の週休2日制を導入、1996年には学習指導要領の改定により学習内容を削減した。

 しかし、その直後からOECD諸国内の学習到達度調査(PISA)の順位が低下するなど学力低下が指摘されたため、徐々に「ゆとり教育」の見直しを図ってきている。
 2018年のPISAの結果を見る限り、科学や数学面では回復が見られたが、読解力の低下には歯止めがかかっていない。

 また、大学についても、日本から米国の一流大学・大学院への留学生数が大幅に減少したこと、日本の主要大学の世界ランキングが長期的に低下傾向にあることなどが指摘されているなど、日本の高等教育水準も相対的低下が指摘されている。

3.日本企業の学歴軽視
 こうした学力低下は日本企業の学力軽視が背景にあると筆者は考えている。
 中国、韓国などは上記のような所得水準の大幅な向上を支えに、高学歴社会へと急速に変化し、米国一流大学への留学生も大幅に増加した。
 その結果、大卒人材のみならず、欧米主要大学での博士課程修了者も大きく増加している。

 中国では中央政府機関、北京市・上海市・深圳市等地方主要都市の政府機関、主要な国有・民間企業に関しては、新規採用の前提が博士課程修了者であり、少なくとも修士課程修了者以上であることが就職審査の最低条件となっている。
 大卒は書類選考の段階ではねられる。

 日本企業は依然として大卒が採用の中心であり、博士課程修了者のための採用基準や給与体系の整備が遅れている。

 博士課程修了者を採用する場合、修士課程修了者の基準に合わせて年齢分を加味するケースが多く、高い専門的能力を考慮したハイレベルの処遇制度はほとんど存在していない。
 修士課程修了者と博士課程修了者では専門知識のレベルが異なるほか、修了までに要する時間とコストも大幅に異なる。

 それにもかかわらず、両者を同等に処遇していれば、優秀な人材を採用できないのは当然の帰結である。

 欧米の一流グローバル企業では、マーケティング、研究開発、ITシステム、会計・税務、統計など、様々な分野で高度な専門知識が求められるようになっている。
 このため、博士課程修了者の高度な知見がなければ、グローバル市場での激烈な競争についていけなくなるのは明らかである。

 世界中の超一流企業が技術開発でしのぎを削るシリコンバレーにおいて、米国、中国、インドなどの研究者の存在が目立つが、日本人は少なく、日本企業の存在感も軽い。
 以上のように、欧米の一流グローバル企業との競争では、日本人の学力低下の影響が深刻化しつつある。

 しかし、当事者の日本企業に危機感は乏しく、この問題に真剣に取り組む姿勢は見られていない。
 それは博士課程修了者レベルの高い専門性の必要性を理解するリーダーが企業内部に少なく、この問題の重要性を認識できていないことが一つの要因と考えられる。
 こうした専門性の高い人材を軽視する経営姿勢が日本企業の競争力を長期的に低下させ、日本の1人当たりGDPの低迷が続いている要因の一つになっていると見るべきであろう。

4.日本企業の低賃金
 人材に関するもう一つの重要な問題は、一般の従業員の賃金水準が低く抑えられていることである。
 一定の利潤を得ている企業は賃上げを実施できるはずである。

 しかし、多くの日本企業はそうせずに賃金上昇を抑制し、高い利益率を確保して株価の安定を図り、収益拡大の恩恵を株主に還元することを重視している。
 一方、従業員は賃金を低く抑えられ、消費の抑制を余儀なくされ、日本全体の内需も伸びない状況が続いている。

 これではいつまでたっても日本経済は回復しない。

 これと似た企業行動の問題がもう一つある。

 大企業がサプライヤーに部品等を発注する際に、厳しい価格引き下げを要求してコストを引き下げ、収益を確保するケースが多いという話である。
 この結果、サプライヤーの利潤が拡大せず、その従業員の賃金も低いままである。これもまた内需低迷の原因となっている。

 日本の経営者が自社の従業員やサプライヤーを株主と同等に重視すれば、賃金が上昇する余地が拡大するのではないだろうか。
 立場の弱いサプライヤーへの圧力を用いて値下げ要求し、その恩恵にあずかって完成品の価格を抑えて競争力を確保するのは、サプライヤーに対する軽視である。

 自社の従業員同様、サプライヤーの努力も適切に評価し、付加価値に見合った価格設定で購入し、最終製品の価格に反映させるべきである。
 それでも最終製品が売れるようなマーケティングを行うのが最終製品の大企業メーカーの責務ではないだろうか。

 多くの企業経営者はお客様重視というスローガンを掲げて、コストが上がっても製品・サービス価格を据え置くことを企業努力としてセールストークにしている。
 しかし、多くの場合、顧客、経営者および株主はその恩恵を受けるが、従業員やサプライヤーは犠牲になっている。

 毎日の仕事の中で職場の仲間とともに熱心に業務改善に取り組み、品質改善、生産性向上等の成果をあげているにもかかわらず、それに見合った賃金引き上げは見送られているのが実態である。
 製品・サービスの付加価値を定義し定量化することは難しい(財務指標から機械的に算出することはできるが、それは真の付加価値を示しているとは限らない)。
 それを価格の上で的確に表現するのはさらに難しい。

 日本国内市場の規模は拡大せず、市場競争も厳しいため、価格引き上げにも売り上げ増大にも限度がある。
 値上げによる売り上げ減少のリスクを恐れて、企業がチャレンジを回避するケースも多い。

 したがって、一般的には日本国内市場にとどまっている限り突破口が見つからない可能性が高い。
 海外市場への進出には優秀な人材が必要である。

 海外市場のニーズを的確に把握し、高度な技術を駆使して市場ニーズを満たす研究開発を行い、生産性向上によりコストを削減する。
 これらを実現する優秀な海外人材は、多くの場合博士課程修了者である。優秀な人材を使いこなす経営者が世界中の従業員を幸せにすることができる。

5.人材重視の経営に必要な基本理念
 一般に賃金はコストであり、低い水準で安定していることが望ましいと考えられている。しかし、視点を変えれば、賃金は従業員の生活を支える糧である。
 低賃金は従業員を苦しめる。本来従業員を家族のように大切にするのが日本企業の美徳である。
 その美徳を実践しようとすれば、顧客への販売価格、株主への配当、従業員の賃金、系列企業からの部品等購入価格等の望ましいバランスを考えなければならない。

 しかし、これに関する明確な答えは経済理論からは得られない。

 中国古典の「大学」はこうした問題を考える際に「物に本末あり」と説いている。「本」は人として進むべき道であり、「末」はそこから得られる成果である。
「本」から始めれば、「末」を得ることができるが、逆は成り立たない。
「末」=成果を得ることを最優先に考えて行動すれば、人の道を踏み外し、中長期的には周り人たちの協力が得られなくなる。

 物事を考え、実践する時に、順序をわきまえれば人の道に近づき、得られるべきものが得られるようになるということである。
 企業経営において、利益や株価の上昇は「末」である。これらを得たいと思うのであれば、まずは「本」からスタートし、顧客、従業員、サプライヤーを大切にすべきである。

 その基本理念をしっかりと念頭に置き、個別の製品・サービスごとに市場環境に合わせて適切なバランスを考え、実践する。途中で経営環境が変化すれば、状況に合わせて柔軟にバランスを調整する。
 こうした努力を継続することにより、次第にバランスの取れた経営を実現できるようになる。これが中国古典の説く優先順位の発想である。

 この考え方は、前段で述べた博士課程修了者の処遇についても、後段の一般従業員の賃金についても当てはまる発想である。
 この基本理念に基づいてブレない経営を実践する日本企業が増えれば、企業の競争力は高まり、賃金上昇とともに日本全体の内需も増大し、日本経済の復活が実現する筋道が見えてくるはずである。

 激動の時代だからこそ、時代の荒波に流されないよう「物に本末あり」の理念の支えが必要である。
 それを土台に、博士課程修了の高度な人材も一般従業員もともに大切にする日本企業がグローバル市場で活躍することを期待したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シュメール人すごすぎ!発達しすぎた天文学と医療技術を備えたメソポタミア文明の基礎を作った謎に包まれた民族 202204

2022-04-19 22:31:00 | 気になる モノ・コト

シュメール人すごすぎ! 5000年前に発達しすぎた天文学と医療技術を備えたメソポタミア文明の基礎を作った謎に包まれた民族を解説
 ニコニコニュース より 220419

 今回紹介する、最強のメラさん投稿の『【ゆっくり歴史解説】歴史上人物「シュメール人」』という動画では、メソポタミア南部に世界最古の文明を築いた「シュメール人」について解説を行っていきます。


⚫︎謎多き古代メソポタミアのシュメール人
魔理沙:
 シュメール人は、今から5000年前の紀元前3000年代に活躍した人々だ。シュメール人は、チグリス川とユーフラテス川の間のメソポタミアと呼ばれる地域に突如現れた民族だ。
 シュメール人が現れるまで、メソポタミアではウバイド人という民族が農耕や狩猟などを営み生活していたんだが、紀元前3800年頃、シュメール人がメソポタミアに突如現れると、メソポタミアはものすごい勢いで発展していった。
 シュメール人は美術、建築、宗教、社会規範、慣習、医学、教育などを今まで以上に発展させると、さらには楔形文字という文字までもを開発し、さらにウル、ウルク、ラガシュなどといった高度な都市国家までもを建設し、メソポタミアの地の文明力を飛躍させたんだ。

霊夢:
 シュメール人というのはとてもすごい人たちということなのね。

魔理沙:
 そういうことだ。シュメール人が作ったものとしては、60進法などが有名だな。今日、私たちが60秒を1分といい、60分を1時間というのは、シュメール人たちの影響がでかいわけだ。

霊夢:
 へえ。でもどうして60なんていう微妙な数字なのかしらね?

魔理沙:
 マジレスすると、60には約数が多いので割り算に便利だったから60を使用したと言われている。ウバイド人が住んでいたメソポタミアに突如現れ、文明を発展させるだけ発展させ、突如消えていったそんなシュメール人は一体どこから来たのだろうか。
 考古学者のゼカリア・シッチン氏によると、私たちが今いるこの太陽系には10番目の惑星として、「ニビル」という惑星があるそうだ。
 惑星ニビルは公転周期3600年の惑星で、「アヌンナキ」という知的生命体がとてもすごい文明を構築して生活しているそうだ。そこに住んでいるアヌンナキという神々が地球にシュメール人を作り出したと言っている。

霊夢:
 えっと……つまり、なに?

魔理沙:
 惑星ニビルに住んでいるアヌンナキという神々が作り出した存在が、シュメール人かもしれないということ。

霊夢:
 はあ……。

魔理沙:
 まあそんな惑星ニビルだが、シュメール人とても深い関わりがあるんだ。シュメール人は自分たちのことを「混ざり合わされたもの」と称しており、アヌンナキという神々によって作られたと主張しているんだ。

霊夢:
 アヌンナキという神に創られた根拠が、このシュメール人の主張ということ?

魔理沙:
 そうだ。惑星ニビルに超高度文明を築き上げているアヌンナキが地球にやってきたとき、地球に埋蔵してある金を発掘するための労働力として、アヌンナキによって作り出されたのがシュメール人だという話もある。
 これはシュメール人たちによって作られた粘土板なのだが、このたくさんあるブツブツの一番でかいやつが太陽だ。そしてその周りには11個の惑星があり、シュメール人たちは左上の惑星をニビルと呼んでいたそうだ。
 そしてシュメール人は3600年ごとに地球に接近し、災いをもたらす存在がいるということを、粘土板に記しているそうだ。
 シュメール人たちは、自然災害や自然現象などは神様の起こしているものだと考えており、そしてその神様の意向は天体に示されるということで、天文学の発展にとても力を注いでいたんだ。
 天王星や海王星は美しい青色をしており、その惑星の内部には水がある。これは1986年にボイジャー2号が観測したことで初めて知られた天王星と海王星の事実で、それまでは知られてないはずのことなんだ。

 しかし、シュメール人たちは天王星と海王星の存在をこの時すでに観測しており、さらに表面は青く包まれ、内部には水があるということすらもすでに知り得ていたんだ。
 つまりシュメール人は1986年になってようやくわかった新事実ですら、とうの昔5000年前にすでに分かっていたかもしれないということだ。川の氾濫の周期を探るためという事情のせいもあってか、シュメール人たちは天文学の発展に力を入れたわけだが、その結果できあがったのがあの太陰暦だ。

 今現在の日本の暦は太陽暦だが、昔は太陰暦をもとに生活してたな。太陰暦というのは月の形で今は何時なのかを判断する暦で、新月、上弦の月、満月、下弦の月、月はこの変化の繰り返しで1サイクル。そしてそのサイクルが7日、そしてそのサイクルが4回続くことで1カ月。これで時期を知るというのが太陰暦だ。

霊夢:
 昔の人は頑張り屋さんね。

魔理沙:
 このシュメール人の作り出した太陰暦は恐ろしく正確で、2万5920年かけて地球の地軸が円をかくという歳差運動の周期ですら、シュメール人は知ってたそうだ。

霊夢:
 よくわからないけどすごいことなのね。

魔理沙: 
 シュメール人の天文学知識をもう少し披露するならば、シュメール人は惑星ニビルが土星にぶつかることで冥王星が誕生して、そしてその後ニビルがティアマトという惑星にぶつかることで月と地球ができたと考えていて、月はもともと地球の一部だったというのは有名な話だな。
 この説はまだ確定しきってるわけではないが、シュメール人も5000年前、もうすでに私たちと同じようなことを考えてたわけだ。

霊夢:
 でも月と地球が2つに割れた、いわゆるジャイアントインパクト説は46億年以上も前の事でしょ? なんでそんなことシュメール人が知ってんのよ?

魔理沙:
 いい質問だ。これもアヌンナキと結びつければ説明がつくわけよ。ゼロから人間を作り出せるくらい超高度な文明を持ったアヌンナキ様達からしたら、46億年前のジャイアントインパクト事件なんて小学校のテキストに載ってるレベルの事柄なはず。
 アヌンナキがそれをシュメール人たちに教えたとすれば、シュメール人が知っていても何もおかしくないわけ。

霊夢:
 確かにそうね。その他のことも全てアヌンナキが教えてくれたって言えば解決ね。

魔理沙:
 他にはシュメール人の粘土板から、195兆9552億という謎の数字が見つかってるんだ。一見、何の意味もない数字だが、なんとこの数字は太陽系の天体の全て公転周期で割り切れる数字なんだ。

霊夢:
 どういうこと?

魔理沙:
 地球の公転周期でも割り切れるし、火星の公転周期でも割り切れるし、土星の公転周期でも割り切れる数字が、この195兆9552億なんだ。つまりシュメール人は、太陽系の惑星の天体すべての公転周期も理解してたということになるんだ。

霊夢:
 アヌンナキに教えてもらったのかしらね。

魔理沙:
 ちなみにこの195兆9552億という数字、今では二ネヴァ常数と言われている。

霊夢:
 なんかかっこいい。

魔理沙:
 他に医学では白内障の手術の仕方を具体的に述べていたり、発掘されたシュメール人の頭蓋骨には脳手術の跡が残っていたりと、医学もかなり進んでいたといわれる。裁判といった概念も既に存在してあり、その精度は陪審員制度で議会も二院制だったりと、今とあまり変わらない感じだったんだ。
 学校という概念も存在していて、卒論や就活も存在していたそうだ。

霊夢:
 本当に今と変わらないじゃないの。

魔理沙:
 こんなすごい文明を築き上げたシュメール人だが、ウル第三王朝を最後に姿を消す。唐突に姿を消したんじゃなくて、当時活動してたセム語系民族とかの文化に吸収されて、シュメール人の民族が自然消滅したという方が正しいと思う。

霊夢:
 こんなすごい文明を持っていたのに消えちゃったのね。それはそれで不思議ね。

魔理沙:
 可能性としては、シュメール人というのは案外少数民族だったのかもしれんな。だからこそ他民族に数で圧倒され、高度な文明を持っているのにも関わらず、支配されてしまったとか。
 それかアヌンナキに渡された役目を果たしたので、惑星ニビルに帰ったとか。まあ消え方も含めてシュメール人、謎だぜ。

霊夢:
 なんか、すごいロマンあふれる人たちということはわかったわ。

 世界の4大文明のひとつ「メソポタミア文明」。とても高度に発達していたことがわかりました。解説をノーカットでご覧になりたい方はぜひ動画をご視聴ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⚠️ 最高速度20キロ以下の電動キックボード 16歳以上は免許不要 改正道交法が成立 202204

2022-04-19 22:05:00 | 気になる モノ・コト

最高速度20キロ以下の電動キックボード 16歳以上は免許不要 改正道交法が成立
 テレ朝news より 220419 


 最高速度20キロ以下の電動キックボードについて、16歳以上の人は運転免許がなくても乗れるとする改正道路交通法が成立しました。

 19日の衆議院本会議で可決された改正道交法では、利用が広がる電動キックボードについて、自転車と同じ程度の最高速度20キロ以下のものについては、16歳以上の人は運転免許がなくても乗ることができます。

 一方、16歳未満の人が乗ることは禁じられました。

 ヘルメットの着用は、努力義務となっています。

 走行できるのは原則として車道ですが、最高速度を6キロに制御できる場合などは、歩道や路側帯を走ることができます。

 時速20キロを超えるものは、原付バイクと同じ扱いとなります。


💋接触事故対策対応は…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする