中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

中国語の修辞: 整句による表現(3) 頂真、及び錯綜

2011年01月20日 | 中国語

 構造的に整った文、“整句”を使った修辞表現の三回目は“頂真”です。それと、これまで3回の応用として、整句と散句を結合させる“錯綜”の表現技法を取り上げます。

(三) 頂真

  “頂真”は前後のいくつかの文の間で、同じ成分の語が前後の二つの句をつなげることにより、前句が受け渡したものを後の句が受けるようにする修辞手法である。それにより文の構造が緊密になり、語意がつながり合い、聞くとすらすら流れるように感じられる。“頂真”は大部分が後の句の最初の語が、前の句の末尾の語(言語成分)を受けたものである。こうした表現は、しばしば、物語の最初のところ、或いは話題を変える合い間のところで使われる。例えば:

   (16) 有個農村叫張家庄張家庄有個張木匠張木匠有個好老婆,
      外号叫“小飛蛾”。小飛蛾生了個女儿叫“艾艾”,……

   (17) 碎瓦刨光了,是一堆新土新土出清了,是一塊木板
      木板掲起来,是一個大瓦缸;把缸上的稻草拿掉以后,原是満満的一缸百米。

・刨 pao2 (くわ、つるはしなどで)掘る
・掲 jie1 (ふたなどを)とる。はがす。めくりとる
・瓦缸 wa3gang1 素焼の甕

 時には物事の道理を説明する際にも、頂真を使って結論を導くことがある。例えば:
   (18) 我們要改造民主風気,要改変文藝界的作風,首先要改変干部作風
      改変干部作風,首先要改変領導干部的作風改変領導干部的作風
      首先従我們几個人改起。

   (19) 這真是座活山啊。有山就有水有水有脉有脉就有苗,
      難怪人家説下面埋着聚宝盆。

・聚宝盆 ju4bao3pen2 いくら取っても尽きない宝物を盛った鉢。

 頂真は物事の間のつながりに重きを置く。これを用いて物事を描写することで、物事の間の時間や空間をはっきりと説明することができる。これを用いて物事の道理や感情を述べることで、物事の間に内在する関係を述べることができる。聞く人に一目瞭然で、厳密で抜けが無いように感じさせることができる。頂真は言語形式の上では、前後の文のつながりが緊密で、文の形式も比較的均整がとれていて、読むと一つ一つの句が互いに連なり、明快ですらすら流れるようで、情趣が次々に湧いてくる。

(四) 錯綜

 これまで、整句を使った修辞表現を見てきたが、“錯綜”は整句と散句の結合である。時には語句が平板で単調になるのを避けるため、本来であれば整句の文型で書けるものを、わざと長短不揃いにし、変化に富ませる。このような修辞手法を“錯綜”と呼ぶ。“錯綜”の構造は複雑である。以下の例文で見てみよう。

   (20) 通紅的太陽照満天,
        今天咱們多喜歓,
        報了仇,伸了冤,
        抬起了頭見青天,
        千年的鉄樹開了花
        万年的磐石把身翻

・伸冤 shen1yuan1 =申冤:冤罪をすすぐ。ぬれぎぬを晴らす
・鉄樹 tie3shu4 センネンソウ
・盤石 pan2shi2 大きな石。盤石(ばんじゃく)
・翻身 fan1shen1 生まれ変わる。解放されて立ち上がる

   (21) 看飛奔的列車已駛過古長城的垜口
      窓外明月照耀着積雪的祁連山頭……

・垜 duo3 塀の外や上に突き出た部分

   (22) 她一説開了頭,許多受過害的人也都搶着説起来:
      有給他們花過銭的有被他們逼着上過吊的也有産業被他們霸了的
      老婆被他們奸淫過的

・上吊 shang4diao4 首をつる。首をくくる
・霸 ba4 奪い取る
・奸淫 jian1yin2 姦淫(かんいん)する。強姦する。手込めにする

   (23) 我倒想起一个笑話:白人剛到非洲時,白人有《聖経》人有土地
      過不多久,人有《聖経》土地都落到白人手里了。

・聖経 sheng4jing1 聖書

   (24) 射箭要看靶子弾琴要看聴衆写文章做演説倒可
      不看読者不看聴衆麼

・靶子 ba3zi 的(まと)

  例(20)の“把身翻”は、本来は前の句で構成された対偶句を受け、“翻了身”としても良いはずである。しかし作者はこの詩(歌詞)の押韻を考慮し、つまり詩を吟唱する時の特徴を活かし、“把身翻”と書くことにより、前の“天”、“歓”、“冤”と韻を踏ませている。これにより、最後の二行だけで対偶句を構成していたものが、その前の句とも連なり合い、全体で錯綜句となった。例(21)の二つの文は二つの事物を表しており、文型や構造は似通っているが、使われている詞組(短語)の構造が異なるため、言葉の調子が変化する面白さがあり、しかしその中に一定のリズムがあり、言語の“散”の中に意味の“整”が浸透し、ことばは自然で洒脱である。例(22)は意味の上では排比句であるが、錯綜句を使って表現している。これは強調すべきポイントが異なるために作られた錯綜句で、異なる文型をそれぞれの句で使うことで、強調すべきポイントを際立たせている。例(23)は、本来は前段と後段を同じ文型にしても良いところである。しかし、後段を“白人有了土地”とは言わず、“土地都落到白人手里了”と改めることにより、白人の侵略者の陰険で狡猾な本質を際立たせ、“土地”を強調することで、アフリカの人々の災難の根源の所在を明確にしている。例(24)は語気の転換により修辞効果を強めている。前半の二つの句は排比の陳述句であるが、後半は語気が一変し、反語文を使うことで、読者の思索と関心を促している。こうすることで、単純に排比句を三つ並べて陳述するより、文が生き生きとし、説得力が生まれる。

 錯綜は文の構造の上では整句の中に散句が入り混じり、同質の文に変化を持たせ、文が単調平板になるのを回避し、ことばに変化を持たせ、文章の起伏を増加させる効果がある。


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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中国語の修辞: 整句による表現(2) 排比

2011年01月18日 | 中国語
 構造的に整った文、“整句”を使った修辞表現の二回目は“排比”です。

(二) 排比

 “排比”とは、いくつかの構造の似た語句を並列に並べて、関係する意味を畳みかけるように話していくという修辞手法である。

   (10) 戈壁灘依旧那様蒼茫天気依旧那様熾熱風依旧那様猖狂
      可是,在那一塊塊大大小小的緑洲里在那臨風揺曳的青沙帳里
      在那一大片連着一大片的庄稼地里在那枝頭累累的果林里,
      哪儿還能找到一点荒涼的影子呢?

・蒼茫 cang1mang2 見渡す限り青々としたさま
・熾熱 chi4re4 非常に熱い。灼熱の
・猖狂 chang1kuang2 勝手気ままに暴れ狂う
・揺曳 yao2ye4 揺らめく。揺れ動く

  “排比”は語意の上で互いに関連し、それらは一般に同じ範囲、同じ性質の事物である。構造上はよく似たものが並列に並び、一般にある語句が重複している。数量的には、一般に三つ以上の言語成分から成り、言語成分は“詞組”(短語)、或いは句(分句)でなければならないが、場合によっては段落である場合もある。

 “排比”の中の各言語成分は意味上の関係はそれぞれ異なる。あるものは、意味の上では並列である。例えば:
   (11) 老郷們,男女老少仿佛从地底下鑚出来似的活動開了:
      有的幇部隊碾打粮食有的幇部隊焼飯;有的幇戦士們縫補衣服;
      有的扛着槍四処巡邏有的扛着担架,急急地奔走……

・碾 nian3 石臼でひく
・扛 kang2 担ぐ
・巡邏 xun2luo2 巡邏する。パトロールする

   (12) 花花崗,是他們的刑場是他們的戦場也是他們挙行
      那庄厳而高尚的婚礼的礼堂

 ここで時に異なる事物を列挙することがあり、異なる面には説明を加えることで、しばしば一つの事例から全体の概要を理解させる役割を果たしている。例(11)がそうである。時には一つの事物に対して、異なる角度から立て続けに説明することで、テーマを強調し深化させる効果を得ている。例(12)がそうである。どのような状況であっても、これらの間の関係は並列的である。

 あるものは意味の上で順を追って展開(“逓進”)していく。排比句の間には意味の軽重、大小、前後の違いがある。これを“層逓”と呼ぶ人もいる。

   (13) 在他革命的一生中,他是真正做到了有一分熱発一分光,
      永不変色,永遠忠実于党忠実于階級忠実于人民

   (14) 第一個月,咱們娘娘有説有笑第二個月来,咱們娘娘不苟言笑
      第三個月来,咱們娘娘不言不笑

・不苟 bu4gou3 いいかげんにしない。おろそかにしない/不苟言笑:気ままにしゃべったり笑ったりしない

 この時、範囲が次第に拡大したり縮小したりすることがある。例(13)では、範囲が次第に拡大している。また、時間が次第に経過したり前に遡ったりすることがある。例(14)では、時間が次第に経過している。どのような状況であれ、これらの間の関係は、“層逓”、つまり順を追った展開になっている。

 言語形式の上で均整がとれるようにしたり、音声の韻律上、繰り返しの美を追求するため、文のレベルの排比では不十分な場合、段落の単位での排比に拡大させる場合がある。例えば:

   (15) 有時丈夫対她説:“今晩開群衆会,你去参加吧!”她対他笑笑,
      不説什麼,依然坐在灯下,仍然拿起針線来。
       過不久,丈夫又対她説:“明天党支書作報告,你去聴聴!”
      她対他笑笑,不説什麼,第二天照常托着洗衣籃子,照常到井辺去了。
       不久,丈夫又対他説:“村里要辧個婦女識字班,你也去報名吧!”
      她対他笑笑,不説什麼,仍旧低着頭,仍旧去做自己早已安排好的
      三百六十天毎天該做的事。

 段落の単位の排比は、散文や詩歌で多く用いられる。排比は、ことばが整い、話の筋道がはっきりし、読んでみると、色々な内容が入り混じっているようで実は均整がとれており、筋回しがきれいで、ゆらゆらと行きつ戻りつするような味わいがある。段落と段落の間が互いに受け継がれ呼応し、読む人の印象が鮮明となるだけでなく、情趣に満ちあふれているように感じさせる。上の例では段落の排比により、三つの状況を列挙し、良妻、呉淑蘭の善良でやさしい性格をありのまま描き出し、その姿形だけでなく話声まで伝わってきそうである。

 排比の使用範囲は広く、排比と文章の表現力は密接な関係にある。排比は、時にいくつか典型的で代表的な事物を取り上げて用いることがある。典型を取り上げてそれを一般化してまとめることで、強い概括力が備わる。また時に詳しく、こと細かに道理を説くことがあり、道理を明晰かつ漏れなく説明することができる。事柄の叙述に用いると、整然と秩序立って、微に入り細をうがって述べることができる。物の描写に用いると、その声や色まで描き出し、生き生きとして今にも動き出しそうなほどである。もちろん、排比の主な機能は“壮文勢”(文の勢いを強める)[①]ことにある。文の形が整っており、一気呵成に畳みかけてくるので、読んでみると言葉が互いに連なってすらすら流れ、長江の流れのように一瀉千里の勢いがあり、文の格調は勇壮豪放、勇ましく美しい情景を描写するのに適している。

注①:陳騤《文則》


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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中国語の修辞: 整句による表現(1) 対偶

2011年01月17日 | 中国語
 中国語は、その漢字による表記の特殊性から、文字の字数を揃え、韻脚を踏ますことにより、文の美を追求してきました。このことは現代漢語にも受け継がれています。意識的に使われる、構造的に整った文を“整句”と言います。反対に、構造的に様々なものが入り混じった文は“散句”と言います。これから、“整句”を使った修辞表現を見ていきたいと思います。一回目は“対偶”です。

                         四 構造の整散

・整句:構造が同じか類似し、形式が揃っていて均整のとれた文
・散句:構造が異なり、形式がまちまちに入り混じった文

 これまで取り上げた三つの形式は何れも“散句”で、文の構造としてはまちまちなものが入り混じっていた。言語中には、構造的に整った文で意味を表す場合もある。“整句”とは、いっしょに配列された一対、或いは一連の構造を同じくする、或いは類似した文である。構造が同じ、或いは類似しているので、形式上は見た感じが整っていて均整がとれている。このような文はしばしば形式美や音声美に富んでいる。

 中国語の書面語の中では、“整句”が比較的好んで使われる。大多数の文では、“整句”と“散句”が入り混じって使われる。文学作品は固より文章の構造美が追及されるが、政治論文や科学技術論文でも同じように構造美を考えて書かれている場合がある。

(一) 対偶

 一対の字数が同じで、構造が同じ語句を用い、同じ、或いは関連した、或いは反対の意味を表すことを“対偶”と言う。例えば:

   (1) 万山逶迤馳奔馬高天坦蕩走飛雲,他永遠永遠像巍巍太行山
     聳立在我們面前。

・逶迤 wei1yi2 道や川がくねくねと続いているさま
・坦蕩 tan3dang4 広くて平坦である
・巍巍 wei1wei1 高くて大きいさま
・聳立 song4li4 そびえ立つ

 ここで“万山”と“高天”は相対する名詞性の偏正詞組である。“逶迤”と“坦蕩”も相対する形容詞で、それぞれ前の名詞詞組のことを形容している。“馳”と“走”は相対する動詞、“奔馬”と“飛雲”は相対する名詞性の偏正詞組で、それぞれ前の動詞の賓語である。これら二つの語句は何れも七文字で、構造関係も完全に同一で、対偶句を構成している。

  「字数が同じで、構造が同じ」というのは“対偶”の基本条件に過ぎない。「品詞がそれぞれ同じ」で「平仄が取れている」ならもっと良い。

  “対偶”は両方の句にことばの重複が無いことが望ましい。多少のことばの重複があっても、「字数が同じで、構造が同じ」であれば、対偶と見做すことができる。例えば:

   (2) 我們這儿也是好地方,牛羊遍野駱駝成群夏天的草原是一片碧琉璃
     冬天的草原是一片銀世界

   (3) 但是他,貝漢廷,驚奇而不泄气慕而不妬忌

・泄气 xie4qi4 へこたれる
・妬忌 du4ji4 嫉妬する

 対偶の一対の語句の表す意味が同じか類似しているものを“正対”と呼ぶ。例えば:

   (4) 心血操碎革命偉業似巍巍泰山振寰宇
       骨灰撤遍総理恩情如滴滴雨露潤人心

・寰宇 huan2yu2 全世界

   (5) 尤其是白族同胞,几乎家家院内是繁花戸戸門外有清流

 例(4)の二つの語句は周恩来総理の生前の功績と死後の願望を称えたもので、周恩来の革命のため、人民のため献身的に力を尽くし、死ぬまで懸命に努力した人柄を描写したものである。例(5)は家の中庭の中と戸外の景色から、白族同胞の住宅の自然の姿を描写している。これらの語句の内容は同じ、或いはよく似ている。

 対偶の一対の語句が表す意味が相対し、反対であるものを“反対”と呼ぶ。例えば:

   (6) 生当為人傑死也作鬼雄
     寧作那筆直拆断的剣不作那弯腰屈存的鈎

・筆直 bi3zhi2 まっすぐな

   (7) 敵人害怕静若懸剣
       人民信頼您穏如磐石

・磐石 pan2shi2 大きな石。盤石(ばんじゃく)。

  “生”と“死”、“人傑”と“鬼雄”、“筆直拆断的剣”と“弯腰屈存的鈎”、“敵人”と“人民”、“害怕”と“信頼”、“静若懸剣”と“穏如磐石”は互いに相対している。“反対”の対比作用はたいへん鮮明である。これはしばしば二種の相反する語句をいっしょに組合せることで、互いに引き立てあい、表現を突出させることができる。“反対”をうまく使うには、反義語をよく理解し、うまく選択しなければならない。

 対偶の一対の語句の表す意味が互いに関連し互いにつながるものを“流水対”と呼ぶ。例えば:

   (8) 只恨人間多疫鬼,遂使中華失棟梁。

・棟梁 dong4liang2 元々は建物の棟木と梁のことであるが、そこから転じ、一国の重任を担って立つ人のことを言う。

   (9) 発展体育運動,増強人民体質。

 上の二つの例の対偶句は前後の句が受け継がれ、互いに連なっている。前句と後句は因果関係にあるか、或いは前句と後句が連貫関係にある。このような対偶句は、ことばの勢いが持続され、構造は均整がとれており、声に出して読んだ時、朗朗とすらすらと読め、耳に快い。

 現代漢語では二音節の詞(意味を表し、文法的に独立して運用できる最小単位)が優勢だが、単音節詞も少なくない。このことは均整のとれた句式を作るための有利な条件となる。中国語はまた声調を有する言語であり、この特徴を活かして文中の平仄を整えることにより、文の組合せのリズムを鮮明にし、耳に快く聞いて感動するものとすることができる。

  対偶は現代漢語の中で幅広く活用されている。[①]

注①:対偶の歴史は古く、《尚書》、《詩経》には多くの対偶句が見られる。後に対偶形式を主とした駢儷体が生まれ、その後の文言文に影響を与えた。中国古代の格律詩も、対偶形式を採っている。

 文学作品のみならず、政治論文の中にも使用され、中には文章の表題に対偶が用いられている。例えば、《関心群衆生活,注意工作方法》、《丢diu1掉幻想,準備斗争》、《放下包袱,開動机器》などがそうである。いくつかの題辞にも対偶が用いられている。例えば、“提高警,保衛祖国”、“発展経済,保障供給”などがそうである。

 多くのことわざ、格言も対偶形式で作られている。例えば、“把困難留給自己,把方便譲給別人”、“霜前冷,雪后寒”、“満招損,謙受益”などがそうである。対聯も対偶句である。新年や節句の度に、或いは冠婚葬祭の際、人々は対聯を貼る習慣がある。

 作家の秦牧はこう言った:
 “現在我們也貼春聯,但是誰想到‘歳月逢春花遍地,人民有党勁衝天’‘躍馬横刀,万衆一心駆窮白;飛花点翠,六億双手綉山河’之類的春聯,和古代的用桃木符辟邪有什麼可以相提并論之処呢!古老的節日在新的時代里是充満着青春的光輝了。”
 (今も私たちは春聯を貼るが、「歳月は春になると花を至る所に咲かせる。人民は共産党があるとその力は天を衝く」「馬を駆け武器を持ち、人々は心を一つに貧困と無知を駆逐する。飛ぶ花は緑を引き立て、六億人民は手ずから山河を縫いあげる」といった春聯が、古代に桃の木で作った護符で邪気を掃うのと同日に論じることができようとは、誰が想像したであろうか!古くからの節句は新しい時代にも青春の輝きが満ちている。)

 ここからも、対偶は今日も斬新な姿形が絶えず発展していることが分かる。


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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雲郷の食べ物話《雲郷話食》を読む:【対訳】 大酒缸

2011年01月16日 | 中国グルメ(美食)
 前回の《火鍋》の後に、もうひとつ、冬の情景として、北京の“大酒缸”の様子が描かれています。“大酒缸”とは、本来は酒を入れた甕のことですが、ここでは酒を量り売りで飲ませる小さな酒屋のことです。今はもう姿を消してしまいましたが、一杯飲み屋で束の間の暖を取る庶民の暮らしを思い描いてください。

■ 老舍《駱駝祥子》一書中,有過一段“大酒缸”的描写。写一個風雪寒夜,一個年老拉洋車的和孫子闖到一家小酒舗中取暖的悲惨景象。几十年前在北京這種酒舗是很多的,不同于江南的像《孔乙己》中所描絵的“咸亨酒店”。毎家這様的小舗里,都有両三口蓋着紅油漆蓋子的装酒的大缸,俗話都叫大酒缸。它也有正式名称,如和益公酒舗、四友軒酒舗之類,但人家都不叫,仍習慣叫它的俗名。

・大酒缸 da4jiu3gang1 “缸”は甕。酒の入った大甕である。
・闖 chuang3 不意に飛び込む

 老舎の《駱駝祥子》という本の中で、“大酒缸”の描写が出てくる。風雪すさぶ寒い夜、一人の年老いた人力車夫とその孫が一軒の小さな酒場に飛び込み暖を取るという悲惨な情景である。数十年前、北京ではこのような酒屋がたいへん多くあり、江南の《孔乙己》の中で描かれた“咸亨酒店”とは感じが違っていた。このような酒屋はどこでも、二つか三つ、赤いペンキで塗られた蓋で蓋をされた酒を入れた大甕が置かれ、俗に“大酒缸”と呼ばれた。こうした店には正式の名称もあり、和益公酒舗だとか、四友軒酒舗といった類の名前であるが、人々はそう呼ばず、相変わらずその俗名で“大酒缸”と呼んでいた。

■ 這種舗子一般都是一間門面,有両三副座位,有個柜台,柜台后有両三個酒缸;也有的大酒缸的木蓋就是桌子,店中人很少,掌柜兼帳房先生在里面売酒,再有一個小徒弟或内掌柜相幇照料就可以了。夏天,門口挂个竹簾子;冬天,当地生个煤球炉子,又焼開水又取暖。門口挂個夾板棉門簾子,一撩簾子就是一団夾着酒気的熱気撲到你臉上。在北国的風雪寒夜中,這種小舗是各種各様街頭労働者的“避風港”。 夾着大棉襖,一撩簾子闖了進来,把手中的銭往柜台上一放,説道:
   “掌柜的,来両個酒,一包花生米。”

・門面 men2mian4 商店の間口
・掌柜 zhang3gui4 店の主人
・帳房先生 zhang4fang2xian1sheng 会計係
・内掌柜 主人のおかみさん
・相幇 助ける。手伝う
・照料 面倒を見る
・撩 liao1 まくり上げる
・撲 pu1 (風や香気が)当たる
・避風港 元々、台風が来た時に船舶が避難する港のこと。

 こうした店は一般に間口が一間で、椅子が二三脚置かれ、カウンターがあり、カウンターの後ろに二つか三つの酒甕が置かれていた。中には大きな酒甕の木の蓋がそのままテーブルとして使われていることもあった。店には人が少なく、店の主人兼会計係が中で酒を売り、もう一人、小僧か主人のおかみさんが手伝い、面倒を見ればよかった。夏は入口には竹のすだれが掛けられ、冬はここで、炭団(たどん)でストーブが焚かれ、お湯を沸かし、暖を取った。入口には板で綿を挟んだ覆いが掛けられ、覆いをまくり上げると、酒の臭いの籠った熱気が一気に顔に当たった。北国の風雪すさぶ寒い夜には、こうした小さな店は各種各様の街頭の労働者の「風除けシェルター」であった。綿入れの外套を着込み、覆いをまくり上げて店に飛び込むと、手に持った銅貨をカウンターに置くと、こう言った。「おやじさん、酒を二碗と、ピーナツを一包みくれ。」

■ 花生米,老北京習慣叫生仁儿、花生豆儿,現在這花生豆儿好像很少聴到人説了,都叫花生米了。

 ピーナツは、昔の北京の人は“生仁儿”、“花生豆儿”と呼び習わしたものだが、今ではこの“花生豆儿”と言う人はほとんど見かけなくなったようで、皆“花生米”と言うようになった。

■ 説話干脆,酒和一包花生米買好,便到辺上的桌子旁坐下,和熟人辺説,辺飲起来。這是干了一天活之后的一点点人生的享受。是可怜的一点享受。有的索性一包花生米也不買,買一個酒,一口喝了就走,因為他們回去還有別的事要干,没有時間坐在大酒缸辺上慢慢地咀嚼那几粒花生米。

・索性 suo3xing4 いっそのこと。思い切って。

  はっきり言えば、酒と一包みのピーナツを買って、傍らのテーブルのそばに座り、顔見知りの人と話をしながら一杯やる。これは一日の仕事を終えた後のちょっとした人生の楽しみである。それは可哀そうな楽しみである。中にはいっそピーナツも買わず、酒を一碗買うと、ひと口で飲むや出て行ってしまう人たちもいる。なぜなら彼らは家に帰ってからまだ別のことをしなければならず、酒甕の傍らに座ってゆっくりとピーナツを味わっている暇が無いからである。

■ 所謂“一個酒”,就是用提子従酒缸中提,提出的酒倒入粗瓷碗中売給顧客。小提一提一両,倒入碗中謂之一個酒,両提二両,謂之両個酒。買両個酒喝完了,尚未過癮yin3,便拿空碗到柜台上再買両個。一般人喝両個酒就差不多了,如喝四個酒那就是大量了。大酒缸売的都是焼酒,即干搾白酒,又称白干,那里従来不売黄酒和薬酒(如五加皮、竹叶青等)。至于洋酒,什麼威士忌、白蘭地等等,更是聴也没有聴説過。一個酒下肚,就熱乎乎的,照当年的説法,就是“多穿了一件小皮襖”了。北国天寒,全仗它擋擋寒气啊!

・過癮 guo4yin3 堪能する。満足する。
・干搾白酒 gan1zha4bai2jiu3 白酒のこと。“白酒”を別名“干搾酒”ということから。製法が、水を使わずもろみを発酵させる(乾式法)ことから。
・皮襖 pi2ao3 毛皮の裏地をつけた服
・擋 dang3 さえぎる。防ぐ

 いわゆる「一杯の酒」というのは、ひしゃくで酒甕から汲み、汲んだ酒を粗末な磁器の碗に入れてお客に売ったものである。ひしゃく一杯が一両で、それを碗に入れたのが「一杯」、二回汲むと二両で、酒「二杯」という。二杯買って飲み終え、まだ足りなければ、空の碗をカウンターに持って行ってもう二杯買う。普通の人は酒を二杯飲むと十分で、四杯も飲むと飲み過ぎである。“大酒缸”で売られるのは焼酎、すなわち白酒であり、また白干儿(バイカル)と呼ばれる。そこでは黄酒や薬酒(五加皮や竹叶青など)は売られたことがない。洋酒に至っては、ウイスキー、ブランデーなど、名前を聞いたこともない。酒が一杯お腹に入ると、じわっと暖かくなり、その当時の言い方をすれば、「毛皮を一枚余分に纏った」かのようである。北国の天気の寒さは、全てこの一杯で防ぐのである。

■ 大酒缸門口也要挂幌子,一個葫芦再吊一塊紅布。似乎没有古詩中写的那種青旗的韵味,純粋是北京的風格,所謂開口便吃焼刀子了。

・焼刀子 shao1dao1zi 俗に焼酒(つまり白酒)のことを言う。特に東北地方のアルコール度数の高い酒をこう言う。

 大酒缸の入口には必ず看板が掛かっていて、それはひょうたんに赤い布切れが一つぶら下がったものである。昔の詩に書かれているような青い旗がはためく情趣は感じられないが、純粋に北京のスタイルで、いわゆる「口を開けば強烈なのを一杯ひっかける」である。

■ 大酒缸附近要有羊肉床子,往往代売包子,都是用剩下的砕肉包的。冬天用一張白菜叶子代紙,買十几個熱騰騰的包子托進大酒缸,喝完酒一吃,是最実惠的了。

・床子 chuang2zi 露店などで商品を並べるための屋台。

  大酒缸の近くには必ず羊の肉を売る店があり、しばしばそこでは包子(肉まん)を売っていて、それは余った屑肉を使った肉まんである。冬には白菜の葉を包み紙の代わりにした。十数個の熱々の包子を買って手のひらに載せて大酒缸に入り、酒を飲んだらそれを食べるのが、最も経済的であった。

■ 在風雪之夜,北風呼嘯的馬路上,或者胡同拐角処,遠遠地望見有個透出紅紅灯光的小舗,那就是大酒缸。去吧,那里有温暖,進去買個酒吃吧!

 風雪すさぶ夜、北風は通りを吹きすさび、或いは横丁(胡同)の曲がり角で、はるかに赤い灯りの漏れる小さな店が見えれば、そこが大酒缸である。行こう、あそこへ行けば温まれる。あそこに入って酒を一杯買って飲もう。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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雲郷の食べ物話《雲郷話食》を読む:【対訳】 火鍋

2011年01月15日 | 中国グルメ(美食)
 沈宏非の火鍋を以前紹介しましたが、どちらかと言うと、広東人から見た火鍋でした。もう一人、雲郷の描く火鍋を読んでみたいと思います。これは、本家北京の、それも古い時代の火鍋の話で、鍋料理だけでなく、鍋そのもののことも論じています。昔の北京を舞台にした映画の情景が思い浮かぶようです。

■ 到了冬天,過去在北京很喜歓吃火鍋子。火鍋子,江南人叫暖鍋,実際不如北京的叫法確当,因為它不単純是“暖”,而的確是生了火的。銅制的火鍋,中間是膛tang2火口,四周是容納菜肴的鍋槽,上面是圓洞的鍋蓋,正好套在“火口”上蓋住鍋子。鍋子中装好菜肴,把木炭放在炉子上点燃,従火口放進去,扇子扇旺炭火,木炭“劈劈啪啪pi1pi1pa1pa1”地,火苗従火口竄cuan4出来,鍋子中的菜肴便“呲呲zi1zi1”作響。焼開了,端上桌子,一掀鍋蓋……正像《老残游記》中写“一品鍋”一様,這是“怒髪衝冠的海参”,那是“酒色財気的鴨子”,大家便可狼吞虎咽地吃起来了。

・確当 que4dang4 適切である・膛 tang2 器などの中空になっているところ。胴。
・扇 shan1 [動詞](うちわで)あおぐ / 扇 shan4 [名詞]うちわ
・劈劈啪啪 pi1pi1pa1pa1 [擬声語](薪が燃える時の音)ぱちぱち
・火苗 huo3miao2 炎
・竄 cuan4 逃げる。走り回る。
・呲呲 zi1zi1 [擬声語](鍋の中の食べ物が勢いよく煮える音)じゅうじゅう
・開 kai1 沸騰する
・掀xian1 (蓋、覆いを上へ持ち上げるように)開ける
・怒髪衝冠 nu4fa4chong1guan1 [成語]怒髪冠を衝く。髪の毛が逆立つほどに激しく怒るさま。
・酒色財気 jiu3se4cai2qi4 昔はこれを人生の四戒とした。酒・女に溺れること、不正な金を得ること、ヒステリーと、良くない性格や癖のこと。但し、ここでは酒気を帯びたように赤みを帯びた家鴨の肉。
・狼吞虎咽 lang2tun1hu3yan4 [成語]食事を大急ぎでかきこむさま。

 冬になると、嘗ての北京では火鍋(北京の言い方では“火鍋子”)を食べることがたいへん好まれた。火鍋子、江南の人は“暖鍋”と呼んだが、実際は北京の呼び方ほど適切ではない。なぜなら単に「暖かい」のではなく、確かに火を点けるからである。銅でできた鍋は、中間が中空になった火口であり、その周りが具材を入れる槽になっていて、上には丸い穴の開いた鍋蓋であり、ちょうど“火口”を覆って鍋に蓋をしている。鍋の中に具材を入れ、木炭をコンロで火を付け、火口から中に入れ、扇子であおげば、木炭がぱちぱちといって炎が火口から上り、鍋の中の具材はじゅうじゅうと音をたてる。煮えたら、鍋を両手で奉げ持ってテーブルに出し、鍋の蓋を開ければ……。《老残游記》に書かれた“一品鍋”と同様、これは「怒髪冠を衝くかのように角を立てたナマコ」、あれは「酒気を帯びたように赤みを帯びた家鴨の肉」と、皆が争ってがつがつ食べ始めたことだろう。

■ 火鍋是一種非常方便而実用的炊具,我不知道早発明者是誰?徐凌霄《旧都百話》記道:

 火鍋はたいへん便利で実用的な炊事器具である。嘗てこれを発明したのは誰なのか、私は知らない。徐凌霄《旧都百話》に次のような記載がある。

■ 鍋子之類甚多,有菊花鍋子,為肉類与菜蔬及花瓣之大雑烩hui4,整桌酒席,在秋冬間視為要素。及羊肉鍋子,為歳寒時最普通之美味,須于羊肉館食之。此等吃法,乃北方游牧遺風,加以研究進化,而成為特別風味也。

・花瓣 hua1ban4 花弁。花びら
・雑烩 za2hui4 いろいろな材料をいっしょに煮たもの。寄せ鍋。
・整桌酒席 “桌”は酒席や酒席のテーブル数を数える量詞。ここでは酒席の料理全体。
・視為要素 “要素”の前に“第一”、“関鍵”が省略されており、“視為関鍵要素”ということではないかと思います。

 鍋料理の種類はたいへん多い。“菊花鍋子”というのがあり、これは肉類と野菜、菊の花びらの寄せ鍋だが、宴会のコース料理の中でも、秋から冬にかけてはメイン料理と見做される。羊の鍋は、寒い季節に美味しくなり、これは羊肉館で食べるものである。こうした食べ方は、北方遊牧民の遺風であり、それが研究され進化し、特別な風味となったのである。

■ 徐氏的話似乎有些道理,総之是在北方寒冷的地方創造出来的東西。南方有暖鍋歴史并不長,光緒時厳緇在 《憶京都詞》注中説到“火鍋”時,還説“南中無此風味也”。可見那時還只是北京,或者説北方時興吃火鍋。

 徐氏の話は道理があるようで、要は北方の寒冷な地方で生まれたものである。南方の“暖鍋”の歴史はそれほど長くなく、清の光緒帝の時代、厳緇が《憶京都詞》の注で“火鍋”に言及した際、「南方にはこの風味は無い」と言っている。そこから、当時はまだ北京、或いは北方でのみ火鍋が盛んに食べられていたことが分かる。

■ 在北京制造火鍋的銅舗,過去集中在打磨廠一帯,另外還有山西大同的紫銅鍋,都是有名的。紫銅火鍋是用紫銅制成坯子打造,鍋内再挂一層錫。外面是紫銅色,里面是銀色。鍋子大小不一様,分成几等。生木炭火的膛也不一様。一般火鍋,炉膛較小,鍋槽較大,可以多放菜,火不須太旺。専作涮shuan4鍋用的鍋子,則炉膛特大,可以焼旺火,湯不停地翻滚gun3,能保証生肉一燙即熟。但鍋槽較小,因為只放湯,不放菜,也不需要大鍋槽。

・打磨廠 北京市内の通りの名前。前門外正陽橋の南方の東側、東西1.5Kmの通りで、明朝初期、北京の西方の房山で産出する石材をここで研磨する職人が集まったことからこの名がある。
・紫銅 zi3tong2 純度の高い銅。電線銅。“紅銅”ともいい、赤みがかった色の銅。
・坯子 pi1zi 白地。まだ焼いていないれんが。半製品

 北京で火鍋用の鍋を作る銅製品の店は、嘗ては打磨廠一帯に集中していた。その他、山西省大同の紫銅鍋も有名である。紫銅火鍋は銅製の板から作られ、鍋の内側には錫が塗られている。外側は赤銅色で、内側は銀色である。鍋の大きさは様々で、いくつかの等級に分かれる。木炭の火を起こす胴も同じではない。一般の火鍋は、炉の胴が小さく、鍋の槽が大きいので、たくさん具材を入れることができ、火力はあまり強くする必要はない。しゃぶしゃぶ専用の鍋は、炉の胴が特大で、火力を強くし、スープを絶えず煮えたぎらせておけるので、生の肉を加熱するとたちまち火が通る。しかし鍋の槽は小さい。というのも、中に具材を入れないので、大きな鍋は必要ないからである。

■ 《老残游記》中所説的“一品鍋”,那又是另一種東西。那是一個像小面盤大小的帯蓋子的平底銅鍋,下面有一鏤空花圓圈,架住這個鍋,圈中放一敞口大杯,内放高粱酒,点燃焼這個鍋,像酒精灯一様,用以保温。這是清代接官筵宴上必要的。“一品”,取其口彩,所謂“官高一品”,另外取其方便。当時的官,不管多大,也無汽車、飛机可坐,長途旅行,一天也只能走百八十里路,途中要吃飯,在荒村野店,地方官迎接,准備供応,預先焼好,臨時防止菜冷,所以用酒灯保温。一品鍋照例有全鴨、蛋、海参、肚子等,実際等于大鍋葷什錦耳。

・鏤 lou4 彫刻する
・圓圈 yuan2quan1 丸。輪
・敞 chang3 広げる。開ける
・口彩 kou3cai3 縁起の良いことば

 《老残游記》の中で言う“一品鍋”も、また別のものである。それは洗面器くらいの大きさの蓋付きの平底の銅鍋で、下の方は輪の模様がくり抜かれていて、この鍋を台に固定すると、輪の中に口の開いたコップを入れ、その中には高粱酒を入れ、火を点けてこの鍋を温めると、アルコールランプのように、保温することができるのである。これは清代に役人を接待する宴会では必需品であった。“一品”は語呂合わせでは「官位が“一品”高い」という意味だが、もう一つ大事なのは便利だということである。当時の役人は、どんなに位が上でも、自動車や飛行機に乗ることはできなかったので、遠方に行く時は、一日に4、50キロしか進めず、途中で食事をしようとすると、人里離れた村の粗末な宿屋で、地方官が出迎え、食事を準備するのだが、事前に煮たきを済ませ、いつでも料理が冷めないように、アルコールランプで保温しておくのである。一品鍋の中身は通常、アヒル、たまご、なまこ、豚の胃袋などで、実のところは生臭入りの寄せ鍋に過ぎない。

■ 几十年前,北京有一種舗子,叫做“盒子舗”,実際就相当于江南的鹵味店、広州的焼臘店。這是売醤肉、清醤肉、小肚、白肚、鶏、肉丸子等熟肉的熟肉舗。因為把這些切好装在一些花格食盒里,像“什錦拼盤”様売給人家,所以叫“盒子舗”。這些熟食統名之曰“盒子菜”。這種舗子,秋冬之際,便準備很多只銅火鍋,一一装好,可以根据需要,一只、両只,甚至更多,送到顧客中。送時還帯好“白湯”極為方便。家中偶然来個客人,你去買了,小伙子給你送来,点燃木炭,把火煽旺。鍋子開了,端到桌上,説声“回見”走了,明天再来收家伙,你好意思不給両個賞銭嗎?

・盒子 he2zi “盒子”は本来は小型の蓋付きの箱のことだが、ここでは“盒子菜”のこと。“盒子菜”とは、酒のさかななどにするいろいろな種類のおかずの折詰で、木製の丸い箱に詰め合わせて売ったことからこの名がある。
・鹵味 lu3wei4 醤油で煮しめた料理・焼臘 shao1la4 ローストした肉と燻製の肉
・醤肉 “醤牛肉”のことか。牛肉の醤油煮で、薄切りにして前菜にする。
・清醤肉 以下の段落で“也叫"炉肉"”と書いてあるので、“炉肉”lu2rou4のことであることが分かる。大きなオーブンに吊るしてローストにした焼き豚である。
・小肚儿 xiao3du3r ブタ肉の腸詰。薄く切って前菜にする。
・白肚 bai2du3 ブタの胃袋を下処理して醤油や香菜と煮込んだ浙江料理。/“肚”は胃袋の場合発音がdu3と3声になるので注意。
・熟肉 shu2rou4 調理したり高温処理した肉の加工品
・白湯 bai2tang1 ブタ肉を水炊きして“白肉”を作る時の煮出し汁を“白湯”という。

 数十年前、北京に“盒子舗”と呼ばれる仕出し屋があったが、これは江南の“鹵味店”、広州の“焼臘店”に相当する。ここで売ったのは牛肉の醤油煮、焼き豚、腸詰、豚の胃袋、鶏の燻製、肉団子といった肉の加工食品である。これらをきれいに切って格子模様の柄の蓋付きの箱に詰め、「前菜の盛り合わせ」のようにして売ったので、“盒子舗”と言うのである。これらの肉の加工品を総称して“盒子菜”と言う。これらの店では、秋から冬にかけ、たくさんの銅製の火鍋を用意し、一つ一つ、中に具材を入れ、注文があると、一個、二個、時にはもっとたくさんの数の鍋を、客の家に配達するのである。配達の時、同時に豚の煮出し汁のスープも付けて届けたので、たいへん便利であった。家で急な客があると、注文すれば、店の小僧が鍋を届けに来て、木炭に火を着け、火が燃えたち、鍋が煮えると、両手で抱えてテーブルまで運び、「毎度あり!」と言って帰って行く。翌日にまたやって来て鍋を引き取って行く。これなら気持ちよく、小僧に銅銭二枚もチップをやろうという気になろうというものだ。

■ 一般鍋子里装的是肉丸子、龍口細粉、酸白菜墊底;上面鋪白肉,叫“白肉鍋”; 鋪白鶏、白肚片、白肉叫“三白鍋子”;清醤肉(也叫"炉肉")、魚、猪腰花等曰“什錦鍋子”;海参、炉肉、鶏蛋等叫“三鮮鍋子”。郷間或寺廟中,用油豆腐、粉条、蘿卜条装的素鍋子,是最清淡中吃的。至于“菊花鍋子”,便是把白菊花瓣加入到“三鮮鍋子”的湯中。那更是清香絶倫,成為高級的飲食肴饌了。

・白肉 水炊きした豚肉
・腰花 ブタや羊の腎臓(“腰子”という)に細かく隠し包丁を入れたもの。調理して熱を加えると、花が開いたようになることから。
・油豆腐 小口切りした豆腐を油で揚げたもの。厚揚げ。ただし一般に油豆腐にする豆腐は2~3センチ四方に切ったものを使い、厚揚げのように切らずにそのまま使う。
・絶倫 jue2lun2
・肴饌 yao2zhuan4 ごちそう

 一般に鍋の中に入れるのは肉団子、“龍口”ブランドの春雨、白菜の浅漬けを底に敷く。その上に茹でた豚肉を入れたものを、“白肉鍋”と呼ぶ。水炊きした鶏、豚の胃袋、豚肉を入れたものを“三白鍋子”と呼ぶ。焼き豚、魚の燻製、豚の腎臓などが入ったものを“什錦鍋子”と呼ぶ。なまこ、焼き豚、卵などが入ったものを“三鮮鍋子”と呼ぶ。田舎やお寺では、厚揚げ豆腐、春雨、大根の細切りを入れた精進鍋が、最もあっさりとした味で食べられる。“菊花鍋子”は、白菊の花びらを“三鮮鍋子”のスープに入れたものである。そうすることで一層香りがすばらしくなり、高級なごちそうとなる。

■ 清前因居士《日下新謳》有詩云:
  客至干花対半斤,火鍋一品備肥葷,随常款待無多費,恰够gou4京銭三百文。

 清の前因居士は《日下新謳》の中で、次のような詩を詠んだ。

 客が来たので、白酒の辛口と花の香りのする甘口を半斤ずつ、鍋は豚のバラ肉入りを用意した。日常の接待なので出費もたいしたことなく、北京の銭で300文も出せば十分である。

■ 后面注道:沽焼酒,用干、花両対,即醇淡相攙chan1也。火鍋之価不一,倹者二百四十文,是則京銭三百,即敷款客之資矣。這是乾、嘉時的価格。在三十年代中,便宜的鍋子六角、八角,貴的也不過一元多銭,如一元五六角銭,便可叫只三鮮鍋子。和今天比,那真不可同日而語了。

・沽 gu1 買う
・干、花両対 “干”はドライ、つまり辛口。“花”はキンモクセイなどの香りのつけた酒のことではないだろうか。“竹叶青酒”のようなものもあり、氷砂糖で甘口になっていると思う。
・攙chan1 混ぜる
・不可同日而語了 [成語]同日には語れない。比べものにならない

 後に注があり、こう言っている。白酒を買ってきて、辛口のものと花の香りのする甘口を両方飲むと、芳醇さと淡白さが混じり合う。火鍋の価格は様々で、倹約するなら240文、北京の銭で300に相当し、すなわち客をもてなす費用である。これは乾隆、嘉慶時代の価格である。1930年代には、安い鍋は6角、8角で、高いものでも1元あまりであった。1.5~1.6元もするのは、三鮮鍋子であった。今日と比べると、同日に語ることはできない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月

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