中国語学習者のブログ

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中国語の詞の構造: 多義詞の生まれるメカニズム

2010年09月02日 | 中国語


 これまで、詞の構造について見てきましたが、次に、詞の持つ意味について考えたいと思います。たいてい、一つの詞は様々な意味を持ちますが、いくつもの意味が、どのようにして割り当てられていくか、そのメカニズムについて、考えたいと思います。

                    多義詞と同音詞
              一 詞の音と意味の関係の矛盾性

 詞は一定の語音形式と意味、内容から構成される一種の言語単位であり、その音声と意味は相互に関連し、一致している。しかし、言語の本質から言うと、ある特定の語音形式と特定の意味、内容の間には別段必然的関連は存在しない。同一の語音形式が、それにより異なった意味、内容を表すことができ、また異なった語音形式でも、それにより同じ意味、内容を表すことができる。こういう情況は、社会的習慣から決定される。したがって、詞の音声と意味は詞の二つの側面であるが、それらは一致することもあるし、矛盾することもある。

 詞の語音形式と意味、内容とのこうした矛盾性は、これら相互の間にいろいろな複雑な関係を形作る。同時に、言語中に各種の複雑な現象を引き起こさせる。同じ語音形式を用いて異なる意味や内容を表すことで、詞の多義現象と同音現象がもたらされる。すなわち多義詞(多義語)や同音詞(同音語)が形成される。また、異なる語音形式を用いて同じ意味や内容を表すことで、詞の同義現象がもたらされ、同義詞(同義語)が生まれる。

 多義詞、同音詞、同義詞の存在は、一般的な言語現象で、言語の歴史発展の過程で、それらはしばしば、絶えず発展、変化する。多義詞、同音詞、同義詞を分析、研究することは、詞の意味を理解し、各種の詞の特徴を把握する上で、重要な意味を持つ。

                    二 詞の多義性

(一)単義詞、多義詞と、多義詞発生の原因

 詞一つ一つは皆、一定の意味を備え、一つの詞の意味は単一であることも、いくつもあることもある。詞が包含する意味の多寡の違いにより、詞を単義詞と多義詞の二種類に分類することができる。

 単義詞には二種類あり、一つはよく見る事物の名称である。例えば:
     桌子  茶杯  手表  菊花  眼鏡  皮鞋  毛筆

もう一つは科学技術用語や固有名詞である。
     元音  電子  元素  函数  血圧  針灸  黄河

 語彙の中には、多くの多義詞がある。例えば、“頭”という詞には、主に以下のようないくつかの意味がある。
 1.人体の最も上の部分、或いは動物の最も前の部分。例:人頭。牛頭
 2.物体の先端、或いは末端。例:両頭尖,中間大
 3.物事の起点、或いは終点。例:做事要有頭有尾;総算到了頭了
 4.物の使い残して余った部分。例:鉛筆頭
 5.頭目。親分。例:土匪頭、他是這一幇人的頭儿
 6.方面。例:咱們這頭人多
 7.第一。例:頭等、頭号
 8.数量詞の前に付けて、順番が始めであることを表す。例:頭両本、頭几個
 9.年や天の前に付けて、ある時間より以前であることを表す。例:頭天(上一天)、頭年(上一年或去年)
 10.量詞。①家畜などを数える。例:一頭牛、両頭羊。②ニンニクの球根を数える。例:一頭蒜

 また、例えば、“打”、“点”、“代”、“等”、“白”、“場面”、“操縦”、“問題”、“手法”、“特写”、“同胞”、“推進”なども、二つ以上の意味を持っている。したがって、多義性は、詞の意味の特徴の一つと言うことができる。

 詞の多義性は、言語の歴史発展の必然の結果である。ある詞が新たに出現する時は、一般に単義である。しかし、言語中の詞と客観的事物を比較してみると、詞の数量は常に限られているので、客観的事物の発展と人々の客観的事物に対する認識の深化に伴い、元あったいくつかの詞を用いて他の事物を表さねばならないということは避けられない。ここにおいて、詞の多義現象がもたらされる。正にこの理由により、言語の語彙の中で、いくつかの古代から現在まで常に使用されてきた詞は、その意味が益々多くなり、一方、いくつかの新たに作られた詞は、その意味が単一である。

 補足して説明しなければならないのは、多義詞の異なる意味を分析する時、詞の意味と語素の意味の識別に注意しなければならないということである。

 現代漢語において、独立して運用できない、つまり単独で言ったり、単独では文法成分にならないのが、語素である。例えば、“危”には次のような意味がある。
 1.安全でない。危ない。例:危険、居安思危
 2.損害を与える。例:危害、危及生命
 3.臨終。危篤。例:病危、臨危
 4.高くて険しい。例:危楼百尺
 5.行儀が良い。かしこまる。例:正襟危坐

 上の例の“危”は、現代漢語では何れも“詞”ではなく、これらは“語素”としての意味であり、“合成詞”、或いは“固定詞組”の構成成分として使われている。

 また、例えば“手”には以下のいくつかの意味がある。
 1.手。手首から先の部分。
 2.手に持つ。例:人手一册
 3.手に持つのに便利な。例:手册、手折
 4.手ずから。自ら。例:手植、手札
 5.量詞。能力、腕前、技能を数える。例:一手好字
 6.特殊な技能を持っている人。ある仕事をする人。例:能手、拖拉机手

 以上の“手”の六つの意味で、1と5だけが現代漢語では詞としての意味であり、2、3、4、6は語素としての意味である。このように、“手”という語素は、単独で詞となることができ、その場合はある特定の意味を表すが、別の意味を表す時には、別の語素と組み合わせて合成詞を作らなければならない。

 私たちが詞の多義性の話をする時、語素の意味について触れざるを得ない。なぜなら、現代漢語の書面語には、単独で用いられるものもあるが、同時に、こうした語素の意味を理解していないと、これらの語素から構成される合成詞や固定詞組の意味を理解するのは難しいからである。

 次の節で同義詞と反意詞の話をする際にも、いくつかの意味は、現代漢語では語素の意味である。

(二)基本意義と派生(“引申”)意義

 語句の実際の使用から見ると、多義詞のいくつかの意味は、完全に同じではない。そのうちの一つの意味は、最も常用され、基本的なもので、その他の意味はこの意味から転化、発展してきたものである。前者の意味を基本意義と呼び、後者の意味を派生(“引申”)意義と呼ぶ。前に挙げた例で言うと、動物の体の頭部の意味が“頭”という詞の基本意義であり、その他の意味はその派生意義である。

  詞の基本意義はしばしばその最初の意味(本義)であるが、この両者にも不一致が生じることがある。例えば、“兵”という詞の最初の意味は“兵器”であったが、その基本意義は“兵士”である。“走”の最初の意味は“跑”であったが、その基本意義は“歩行”である。したがって、いわゆる基本意義は、詞の実際の使用から出たもので、その語源から出たものではない。この両者には関連があるが、混同(“混淆”)してはならない。

  派生意義は、基本意義が直接発展、派生して出来上がった意味である。例えば、“先生”という詞の派生意義は“老師”、“丈夫”、“医生”や、一般の知識者層に対する呼称であり、これらの派生義は、この詞の基本意義の“尊称”から、詞の意味が縮小する道筋を通じ、直接派生したものである。

注①: “先生”の初期の意味は、一に初めて生まれた子供を指す。《詩・大雅・生民》に“誕弥厥月,先生如達”(産み月になって、ようやく生まれた子は羊の子のように胞衣(膜と胎盤)に包まれていた)とある。また一に父兄を指す。《論語・為政》に“有酒食,先生饌”(良き食べ物や酒が手に入ったら、先ず父母や年長者に食べてもらう)とある。少し後になり、年長で学問のある人を指すようになったことは、《孟子・告子下》に見られる。後に、年長者に対する尊称として常用されるようになった。

 “老”という詞の派生義は“陳旧”、“経常”、“長久”、“原来的”、“歴時久”、“死亡”等である。これも、その基本意義である“年歳大”から直接広がり(孳生zi1sheng1)、転化し、派生したものである。それ以外では、“告”の派生意義が“控訴”、“検挙”、“請求”、“声明”、“宣布”等。“化”の派生意義が“融化”、“消除”、“焼化”、“死亡”等であり、これらの基本意義の“訴説”、“変化”から直接派生したものである。

  これらの派生意義と基本意義の間、或いは派生意義と派生意義の間には、関連性のあるつながりが存在する。例えば、全体と局部の関連、関連する人と物、物と物のつながり、行為と行為の結果、或いは行為の実施者とのつながり、ある種の性質や状態と、そうした性質や状態を持った人とのつながり、ある種の性質や状態と、そうした性質や状態を生みだす行為との関連などである。

  いくつかの詞の派生意義は、詞の比喩用法を通じて生み出される。こうした派生意義を、“比喩意義”とも呼ぶ。比喩意義は、一般の派生意義とは異なり、これは直接基本意義から転化したものではなく、基本意義の借喩を通じて形成されたものである。
 例えば、“鉄”の比喩義、“堅硬”(例:鉄拳)、“確定不移”(例:鉄的意志)は、その基本意義である“一種堅硬的金属”から借喩、転化してできたものである。“香”の比喩義は“舒服”、“受歓迎”。“鬼”の転義は“不光明”、“不可告人的勾当”、“悪劣”、“机霊”。“花”の比喩義は“種類錯雑”、“模糊迷乱”、“不真実”、“精華”、“受的傷”。“包袱”の比喩義は“負担”、“思想負担”。“擱浅”の比喩義は“停頓”。“醞醸”の比喩義は“商量準備”。“覆”の比喩義は“潰敗”であるが、これらは何れも借喩用法から発展し、できたものである。
 比喩意義と元の意味の間には、よく似たつながりが存在する。例えば、形状が似ている、性質が似ている、機能が似ている、といったことである。

 ここで、詞の比喩的意義と、詞の修辞上の比喩用法とは、区別しなければならない。比喩義は詞の一種の既に固定してしまった意味であり、修辞上の比喩用法は不確定で、特定の上下の文中でのみ使うことができる。例えば、“北京是中国的心臓”と言う時の“心臓”は、修辞上の比喩であり、“心臓”は決して固定した“首都”の新しい意味が転化したものではない。当然、この両者にも関連があり、比喩義は歴史上、比喩用法から発展してきたものであるが、この両者には区別があり、混同してはならない。

 一つの詞は何種類かの派生した意味を持つことができ、その中には比喩的な意味も含まれる。同時に、一つの派生意義は、また派生や借喩を通じて別の派生意義を派生させることもできる。したがって、言語の発展過程の中で、詞の派生意義は益々多くなっていく。

(三)詞の単義性と多義性の関係

 単独で見ると、一つの詞は常に多義、つまり多くの意味を持っている。しかし、具体的な運用の中では、一回では詞の一つの意味しか使うことができない。したがって、具体的な上下の文中で、それぞれの詞は常に単義、つまり一つの意味しか持っていない。異なった場合にのみ、詞は多義性を持つことが許される。

 詞の具体的な運用の中での意味は、具体的な言語環境に基づく――上下の文により確定される。したがって、多義詞の存在は、一般に意味の正確な表現や理解に影響しない。例えば、“問題”という多義詞は、“我有両個問題要問你”、“你学習英文有没有問題”、“工作中存在許多問題”、“時間有問題”などの具体的な文の中で、意味はたいへん明確で、誤解が生じることはない。

  ある情況下では、同じ場所で一つの詞の複数の意味を使うことができ、それにより一定の表現効果を果たすことができる。これを、修辞上の“双関”(1語で2語の意味を兼ねさせること)と言う。

【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年

  以上のように、多義詞が生まれるのは、ことばの歴史の過程の必然なのですが、その成り立ちは、元々の合成詞を構成する語素の意味から出たもの、その詞が生まれてから、使用する過程で派生して生まれたもの、或いはその詞の基本意義の比喩として生まれたもの、と様々な方法で生まれてきたことが分かります。

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