中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

老舎《出口成章》を読む: 戯劇語言(3)

2011年04月04日 | 中国文学

 この講演を読んで、どうやら老舎は1960年当時、意に沿わぬ話劇を書かされたことがあったようです。そのことについて、間接的に自己批判しているように思います。
 それを命じた側の人間もこの講演の聴衆の中にいたはずで、老舎は覚悟の上での発言だったのでしょう。

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■ 我們几乎無従避免借着対話説明問題或交代情節。可是,正是這種地方,我們才応設尽方法写好対話,使説明与交代具有足以表現人物性格的能力。這個人物必須有這個独特的説明問題与交代情節的辧法与説法。這様,尽管他説的是“今天天气,哈哈哈”,也能開口就響,説明他的性格。根据劇情,他説的雖是一時一地的話,我們可是従他的生活全貌考慮這点話的。

・開口就響 kai1kou3 jiu4 xiang3 口を開けば、よく響く。ここでは“響”の「音がよく響く」という意味を比喩的に使っている。
・一時一地 yi1shi2 yi1di4 その時その場限りの。“一時一刻”「ちょっとの間」という言葉があるが、それをもじって言ったもの。

□ 私たちは台詞を使って問題の説明をしたり話の筋の解説をすることからほとんど逃れようがありません。けれども、正にこうした場面でこそ、私たちは手を尽くして上手く台詞を書き、人物の性格と能力を表現するに足る説明と解説をしなければなりません。こうすれば、たとえ彼が言うのが「今日は天気が良いね、ハハハ」というようなものでも、口を開けばよく響き、彼の性格を説明することができます。劇のストーリーに基づき、彼が言ったのがその時その場限りの話でも、私たちは彼の生活の全貌から、この台詞を考え出しているのです。

■ 在《茶館》的第一幕里,我一下子介紹出二十几個人。這一幕并不長,不許毎個人説很多的話。可是据説在上演時,這一幕的效果相当好。相反地,在我的最失敗的戯《青年突撃隊》里,我叫男女工人都説了不少的話,可是似乎一共没有几句足以感動聴衆的。人物都説了不少話,聴衆可是没見到一個工人。原因所在,就是我的確認識《茶館》里的那些人,好象我給他們都批過“八字儿”与婚書,還知道他們的家譜。因此,他們在《茶館》里那几十分鐘里所説的那几句話都是従生命与生活的根源流出来的。反之,在《青年突撃隊》里,人物所説的差不多都是我臨時在工地上借来的,我并没給他們批過“八字儿”。

・批 pi1 ここでは“批准”pi1zhun3の略。許可する。承認する。
・八字儿 ba1zi4r 生まれた年、月、日、時に相当する干支(えと)の8文字。古くはこれによって運命判断ができると信じられていた。“年庚nian2geng1八字”、“生辰sheng1chen2八字”とも言う。
・婚書 hun1shu1 結婚証明書
・家譜 jia1pu3 系譜。家系図。

□ 《茶館》の第一幕で、私はあっという間に二十数名の人物を紹介しました。この一幕はあまり長くないので、全ての人物に多くのことを話させることができません。しかし、聞くところによると、上演した時、この一幕の効果はたいへん良かったそうです。その反対に、私の最大の失敗作である《青年突撃隊》では、私は男女の労働者に多くのことを話させましたが、どうも全体的に、聴衆を感動させるに足る台詞は少しも無かったようです。原因の所在は、私は確かに《茶館》の中の人々のことを、あたかも私が彼らに「生年月日の干支の八文字」や婚姻証書を書いてやったかのようによく知っていて、彼らの家系図まで知っています。ですから、彼らが《茶館》の中での数十分の中で言ったあのいくつかの台詞は、皆生命と生活の根源から流れ出たものなのです。それに反して、《青年突撃隊》の中で、登場人物が言ったことは、ほとんど私が臨時に工事現場から借りてきたもので、私は決して彼らに「生年月日の干支の八文字」を書いてやってはいません。

■ 那些話只是話,没有生命的話,没有性格的話。以這種話拼湊成的話劇大概是“話鋸” ―― 話是由干木頭上鋸下来的,而后用以鋸聴衆的耳朶!聴衆是聡明而和善的,在聴到我由工地上借来的話語便軽声地説:老舍有両下子,准到工地去過両三次!是的,正因為是借来的語言,我們才越愛売弄它們,結果呢,我們的作品就肉少而香菜、胡椒等等很多。

・拼湊 pin1cou4 こまごまとしたものを寄せ集める。
・両下子 liang3xia4zi ちょっとした腕前。[用例]你真有~!(君はなかなかやるね!)
・売弄 mai4nong 自分の腕前をひけらかす。よくない意味(貶義)に用いる。[用例]~小聡明(こざかしく振舞う)。~学問(学問をひけらかす)。

□ 彼らの話は単なる話で、生命感のある話でもなければ、性格に根ざした話でもありません。こうした話を寄せ集めて作った芝居(=“話劇”hua4ju4)はおおかた、発音は同じhua4ju4でも“話鋸”(“鋸”はのこぎり)―― 話は中が空洞の丸太から切り出したもので、後でこののこぎりで聴衆の耳を切ってしまうでしょう!聴衆は賢くて優しいので、私が工事現場から借りてきた話を聞くと、ひそひそとこう言うでしょう:老舎はなかなかやるね、きっと工事現場に二三回は行っているよ!そうです、正に借りてきた言葉であるので、私たちは益々それらをひけらかしたくなります。その結果、私たちの作品は肉が少なくて香菜や胡椒などばかりが多くなります。

■ 孤立地去搜集語言分明是不大妥当的。這様得到的語言里,不可避免地包含着一些雑質,若不加以提煉,一定有害于語言的純潔。文字的口語化不等于怎麼聴来的就怎麼使,用不着再加工。

・提煉 ti2lian4 化学や物理的な方法で、化合物や混合物から抽出する、取り出すことが原義。比喩的にも用いる。

□ 単独に言葉の収集だけを行うのは、明らかにあまり適切ではありません。このようにして得た言葉の中には、いくらか不純物が混じるのを避けることはできません。もし精練を加えてやらなかったら、必ず言葉の純潔さを損なうでしょう。文章の口語化とは、耳に聞こえたものをそのまま使うことではなく、使えないところは再加工してやるのです。

■ 対話不能性格化,人物便変成劇作者的広播員。蕭伯納就是突出的一例。

・広播員 guang3bo1 yuan2 ここでいう“広播”はテレビやラジオの通信ではなく、戦時などでの情報伝達の意味。
・蕭伯納 xiao1 bo2na4 バーナード・ショー(George Bernard Shaw 1856-1950)。アイルランド出身の劇作家。

□ 対話を性格化できなかったら、人物は劇作家のメッセンジャーになってしまいます。バーナード・ショーはその突出した例です。

■ 那麼,蕭伯納為什麼還成為一代名家呢?這使我們更看清楚語言的重要性。以我個人来説,我是喜愛有人物、有性格化語言的劇作的。雖然如此,我可也無法否認蕭伯納的語言的魅力。不錯,他的人物似乎是他的化身,都替他傳播他的見解。可是,毎個人物口中都是那麼喜怒笑罵皆成文章,就使我無法不因佩服蕭伯納而也承認他的化身的存在了。不管我們賛成他的意見与否,我們几乎無法否認他的才華。我們不一定看重他的哲理,但是不能不佩服他的説法。一般地説来,我們的戯劇中的語言似乎有些平庸,倣佛不敢露出我們的才華。我們的語言往往既少含蓄,又無鋒芒。

・名家 ming2jia1 著名人。名人。
・才華 cai2hua2 才気。すぐれた才能。文芸面について言うことが多い。
・哲理 zhe2li3 哲理。宇宙と人生に関する奥深い道理。
・平庸 ping2yong1 平凡である。ありきたりである。
・鋒芒 feng1mang2 矛先。そこから転じ、表面に現れた才能。

□ それでは、バーナード・ショーはどうしてそれでも一代の名家に成り得たのでしょうか。このことは私たちに言葉の重要性をよりはっきりと理解させます。私個人について言えば、人物がいて、性格化した言葉のある芝居が好きです。そうではあるけれども、私はまたバーナード・ショーの言葉の魅力を否定することはできません。そう、彼の劇の登場人物は彼の化身であり、彼に代わって彼の見解を伝達しているのです。しかし、一人一人の人物の口から発せられるあの喜び、怒り、嘲り、罵りが皆文章にされると、バーナード・ショーに敬服しているからではないけれども、彼の化身の存在は認めざるを得なくなります。私たちは彼の意見に賛成にしろ、そうでないにしろ、彼のすぐれた才能は認めざるをえません。私たちは必ずしも彼の哲理を重く見ませんが、彼の言い方には敬服せざるを得ません。一般的に言って、私たちの芝居の中での言葉は、ややありきたりであるきらいがあり、あたかも自分たちの才能を表に出す勇気がないように見えます。私たちの言葉はしばしば含蓄が少ないだけでなく、才能の片鱗も見ることができません。

■ 為什麼少含蓄呢?据我看,也許有両個原因吧:第一,我們不用写詩的態度来写劇本的対話。莎士比亜是善于塑造人物的。可是,他写的是詩。他的確使人物按照自己的性格去説話,可是那些詩的対話総是莎士比亜写出来的。在日常生活中,那些人物并不出口成章,一天到晩老吟詩。莎士比亜是依据人物的性格,使他們説出提煉過的語言,嘔尽心血的詩句。

・一天到晩 yi1tian1 dao4wan3 朝から晩まで、一日中。
・嘔尽心血 ou3jin4 xin1xue4 心血を注ぎ尽くす。

□ どうして含蓄が少ないのでしょうか。私の見方によれば、おそらく二つの原因があります。第一は、私たちは詩を書く態度で芝居の台詞を書いていません。シェークスピアは人物を形作るのに長けています。しかし、彼が書くのは詩です。彼は確かに人物にその性格に基づき話をさせていますが、それらの詩的な台詞は常にシェークスピアが書いたものです。日常生活の中で、それらの人物は決して自分の言ったことを台詞にしているのではなく、朝から晩までずっと詩を吟じています。シェークスピアは、人物の性格に基づき、彼らに選び抜いた言葉、心血を注いだ詩の文句を語らせています。

■ 直到今天,英国人写文章、説話,還常常引用莎士比亜的名言妙語。我們写出不少的相当好的劇本,可惜没有留下多少足以傳誦的名句。我們不必勉強去写詩劇(当然,試一試也没有什麼坏処),可是応以写詩的態度去写対話。我們的劇本往往是結結実実,而看起来缺少些空霊之感,叫人覚得好象是逛了北海公园,而没有看見那矗立晴空的白塔。這与劇情、導演、演員都有関係,可是語言缺乏詩意恐怕也是原因之一。

・妙語 miao4yu3 機知に富んだ言葉。警句。
・傳誦 chuan2song4 語り伝える
・結実 jie1shi しっかりしている。
・空霊 kong1ling2 変化に富んでとらえがたいこと。
・北海公園 bei3hai3 gong1yuan2 北京市内、中南海の北に位置する湖の北海を中心とする公園で、嘗ては清朝皇室の御苑であった。湖に浮かぶ瓊華島qiong2hua2 dao3にある白塔は1651年に建てられたもの。
・矗立 chu4li4 そびえ立つ。
・晴空 qing2kong1 晴れた空

□ 今日に至るまで、英国人は文章を書いたり、話をする時、しばしばシェークスピアの名言、警句を引用します。私たちはたくさんの素晴らしい芝居を書いてきましたが、残念ながら、語り伝えるに足る名文句を少しも残してきませんでした。無理をして詩劇を書く必要はありませんが(もちろん、試しに書いてみても何も悪いことはありません)、詩を書く態度で台詞を書くべきです。私たちの芝居の脚本は通常しっかりしてはいますが、見たところ変化に乏しい感じがし、見る者に、あたかも北海公園を遊覧して、晴れた空にそびえ立つ白塔が見えないような感じを持たせます。これは劇のストーリー、監督、俳優の何れもが関係しますが、言葉に詩の味わいが欠けているのも恐らく原因の一つでしょう。

■ 帯有詩意的語言能够gou4給聴衆以弦外之音,好象給舞台上留出一些空隙,耐人尋味。戯曲中的開打,若始終打的風雨不透,而没有美妙的亮相儿,便見不出武松或穆桂英的気概与風度。亮相儿時演員立定不動。這個静止給舞台上一些空隙,使聴衆更深刻地看到英雄形象。我想,話劇対話在一定的時候能够gou4提出驚人的詞句,也会発生亮相儿的效果,使聴衆深思默慮,想到些舞台以外的東西。我管這個叫“空霊”,不知妥当与否。

・弦外之音 xian2wai zhi1 yin1 [成語]言外の意味。話の含み。
・耐人尋味 nai4ren2 xun2wei4 [成語]意味深長である。味わい深い。
・開打 kai1da3 芝居での立ち回り。殺陣(たて)。
・風雨 feng1yu3 危険や困難。試練。
・透 tou4 はっきりする
・亮相 liang4xiang4 役者が見栄を切る。
・風度 feng1du4 風格。
・穆桂英 mu4 gui4ying1 戯曲、小説の《楊家将》中の人物。北宋時代。女性であるが武芸に秀で、当時、西の辺境を騒がせた西夏に遠征するなど、数々の武功を上げた。
・立定 li4ding4 姿勢を決めて動かないこと。[参考]~跳遠(立ち幅跳び。助走無しに立ったまま幅跳びをすること)
・深思默慮 shen1si1 mo4lv4 深く黙って考えをめぐらす。“深思熟慮”(深く十分に考えをめぐらす)という成語をもじったもの。
・管 guan3 [介詞]……を。“管……叫……”の形で、「……を……と呼ぶ」という意味に用いる。

□ 詩の味わいを帯びた言葉は、聴衆に言外の意味を与えることができ、あたかも舞台にまだ余韻が残っていて、たいへん味わい深い感じがします。芝居の立ち回りで、終始、与えられた試練がはっきりせず、役者が素晴らしい見栄を切らないと、武松や穆桂英の気概や風格を見ることができません。見栄を切る時、役者はポーズを決めたら動きません。この静止が舞台に一種の余韻を与え、聴衆により深く英雄のイメージを見せるのです。私の考えでは、話劇の台詞でも、ある段階で人を驚かす文句を提出することができれば、見栄を切るのと同じ効果を出すことができ、聴衆に深い感慨を持たせ、舞台以外のものを想像させることができます。私はこれを“空霊”(変化に富んで、とらえがたいこと)と呼んでいますが、どうでしょう、適当でしょうか。


【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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