中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

沈宏非の食べ物エッセイ

2010年05月23日 | 中国グルメ(美食)
  沈宏非は1962年上海生まれ、広州、北京、香港等でマスコミ関係の仕事に従事し、現在は広州で執筆活動を行われているそうである。食べ物に関するエッセイを書かせると、味のある文章を書かれる。注目してよい作家ではないかと思う。今回は、沈宏非の《写食主義》2000年9月 四川文藝出版社から、一文を紹介したいと思う。

                    赴美味的約会
                 美味とのデートに急いで赴く

 暮春の午後、風穏やかで陽は麗しく(中国語で“風和日麗”feng1he2ri4li4。成語の“風和日暖”(風穏やかで日うらら)をもじったもの)、私は上海・滙海路の蘇州式湯麺を専門に供する“滄浪亭”の二階で、“刀魚汁麺”(太刀魚の出汁のタンメン)の味に心酔していた。この麺は、澄んだスープで汁は少なめ、上には何も具が乗っていないが、味は豊かでおいしく、この味は一生忘れることができない。私はもちろん一生も待つことはできず、翌日もまたやって来た。空気の中に魚の香はまだ残っていたが、メニューには麺はあれど魚はあらず、シーズンが終わったので、今日からは売らないそうだ。私はここでようやく了解した。春は終わった、春は終わった、たった一晩の違いで、太刀魚の季節は春とともに去って行った。

  “謂君口腹終于極,春光過眼応同惜。門外江船行且帰,君不見,昨夜南風吹紫雪” (君はもう腹一杯だと言うが、春の日は瞬く間に過ぎて行き、惜しむ間もない。家の外は川船が行き来しているが、君は見なかったか。昨晩、南風が吹き、残雪を吹き飛ばしてしまった)
 “滄浪亭”の従業員は、もちろん曹寅の詩で私が魚の旬を過ごし、がっかりしているのを慰めてはくれない。滙海中路の“滄浪亭”と、蘇州城南三元坊のあの滄浪亭(蘇州の現存最古と言われる庭園)は、何れも国営である。したがって、太刀魚が春とともに去った知らせを、一人の従業員(国営であるので、“服務員”である)は“不売了”(売らないよ)と訳して冷たく私に投げかけた。しかし、この冷たい一言が、頭ごなしの一喝(中国語で“当頭棒喝”dang1tou2bang4he4)となり、私に季節の大切さを思い起こさせ、深く感動させた。

  私たちは毎日、全世界“四季青超時空食品企業”醸造の孟婆湯を飲み、“不時不食”(季節に合わないものは食べない)等の古訓はきれいさっぱり忘れている。
・孟婆湯:全ての煩悩、全ての愛憎を忘れることのできる飲み物で、人が死んであの世に行く時、“孟婆”がこれをささげ持ち、“奈何橋”の前で待っていると言われる。人は前世でどんなに苦労や悩みがあっても、これを一椀飲むと、全てを忘れ、前世と決別することができる。

 古人は飲食の季節性を最も尊び、《呂氏春秋》には、毎月何は食べられるが何は食べられないか、何を食べるべきで何を食べてはいけないか、何ができて何ができないか、はっきりと規定し、国を治める道で、実は食べ物のメニューを書くことができるのである。

 日本人は季節の移り変わりにより敏感である。
松尾芭蕉の俳句を詠むと:“木のもとに汁も鱠(なます)も桜かな”というのがある。
更に、石川啄木の和歌に:
    しんとして幅広き街の
    秋の夜の
    玉蜀黍(とうもろこし)の焼くるにほいよ。
というのがある。
 グローバル化の蹄鉄の下、日本は依然頑強にこの伝統を維持している。日本料理の殿堂の作、“懐石料理”は最も季節に合った材料を食べ物の主題にし、食器も季節により移り変わる。春は黄緑色を配し、夏は水色に透明な材質を使い、秋は楓や稲穂の黄色、赤、黒、金は冬季の温かい色調である。煮物に冬季のメニューが多く見られる由縁は、その原因は鍋で暖を取るということではなく、暖炉の火や鍋の沸騰する音で、冬の静寂を浮き立たせるためである。

 万物の成長は、各自の時節に従い、各々天命に安んじる。季節の飲食を尊重するのは、もちろん季節のためにするのではなく、主にはおいしさのためである。市場がスーパーマーケットに引っ越すにつれ、温室技術、鮮度保持技術、養殖技術、遺伝子技術の普及につれ、食品を売る人も買う人も知らず知らずに季節を忘れた。“反季節”は自然の規律に違反するだけでなく、季節に付帯する飲食の美学をも傷つけた。私たちは厳冬の十二月にも西瓜を食べることができ、炎天の夏にエアコンを利かせて“四季火鍋”を大いに食べることができる。《紅楼夢》の中では蟹、菊、梅、鹿が一時に集まるのは笑い話だが、スーパーマーケットの“四季大閘蟹”(“大閘蟹”は上海蟹のこと)では、張岱の言うところの「稲と高粱がどちらも熟す」という秋の実りの味わいを、私たちはもう二度と味わうことができない。

 “滄浪亭”と言えば、陳従周教授が以前蘇州の某園林を批評し、管理部門が勝手に后門を入口に変えたため、元々の歩くと景色が変わり、次第に佳境に入るという巧妙な構造が、このためにねじ曲げられ、でたらめになってしまったと言った。
 季節の飲食を乱すことは、このような園林と同じである。しかし、私たちは園林の入口を変え、あの川の流れの様子を変えてしまったが、同時にこの川の流れのいくつかの魚類とは、このために会いに行く時間が変わることはなかった。例えば、太刀魚、鰣魚とは、毎年相変わらず“爛煮春風三月初”(春風爛煮する三月初め)の日に美味とのデートを果たすのである。デートの良いところは、会うことができるだけでなく、会いに行く前後の喜びである。片方はここから遠く“万水千山”(wan4shui3qian1shan1 道が遠く険しいこと)のかなたにおり、元々あなたと秋の日の某日、手をつないで北京の香山で紅葉を見た友達と、夏の盛りのある昼下がり、思いがけずあまり適当でない場面(例えば空港のトイレ)で偶然出会う。興のさめることここに極まる、いきなり頭をぶつけて死んだ方がましである。

 何れもそれを食べたことにより罪をつくってしまったのである。人類の食色は、何れも貪欲を以て本性とし、多少は良いデートもあるが、このように台無しになってしまうと、銭鐘書先生が《囲城》の中で言ったように、男女の出会いは病みつきになり、「最初のうちは、デートで会うと、会った前後の数日はそのおかげで、楽しい日々になる。しかし次第に毎日会えないことが恨めしくなる。またその後は、四六時中会えないのが恨めしくなる。」