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中国語学習者、聡子のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

屋根で見分ける神社建築 (その2)

2013年10月08日 | 旅行ガイド


  前回は、日本の神社建築固有の特徴を持った屋根として、春日造、流造、神明造、大社造を紹介しましたが、これらの屋根の構造が、切妻屋根の比較的単純なものであったのに対し、これからご紹介するのは、建物が複数になったり、屋根が寄棟造りになったりしていきます。




  [八幡造 (宇佐八幡宮本殿)]





  [石清水八幡宮(八幡造の本殿は手前の二階建て楼門の後方の建物)]



  (石清水八幡宮、正面楼門、及び回廊)

□ 八幡造(はちまんづくり)神社建築 九州・大分県の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮を代表とする神社建築様式。切妻屋根、平入り(屋根の棟方向が正面)で、前後の二つの建物で構成される。前殿の屋根は「流造」(ながれづくり)と同様、庇(ひさし)の位置まで延びている。屋根は桧皮葺き。前殿と後殿の間に部屋が設けられている。前殿には椅子が、後殿には帳台が置かれている。帳台とは、帳(とばり)を架け渡した一種の寝台である。神様は、昼間は前殿におられ、夜になると後殿に移動して休まれると言われている。




  [権現造 (久能山東照宮本殿全景)]



 (久能山東照宮本殿)



  [権現造 (北野天満宮拝殿)]

 


  [権現造 (北野天満宮正殿)]

□ 権現造(ごんげんづくり)神社建築 「八幡造」を基に、発展した神社建築様式である。寄棟造り、平入りで、前後に二つの建物があり、その真ん中を貫いて寄棟造り、妻入り(妻面を正面とする)の建物が建っている。屋根は桧皮葺きのもの、瓦葺きのもの等がある。後殿が正殿で、前殿は拝殿である。静岡県久能山東照宮を起源とする。ここで祭られているのは江戸幕府を開いた徳川家康であり、家康の忌み名が「東照大権現」であることから、「権現造」と呼ばれる。

  京都北野天満宮本殿も権現造の建物である。権現造は構造上、棟の数が多いので、このような建築様式は「八棟造」とも呼ばれる。「棟」とは、屋根の上の水平となった部分で、「八棟」とは、棟がたくさんあるという意味である。実際には、正確に数えると、棟は全部で7つであるが、ぱっと見た印象では、屋根の斜面が大変たくさんあるように感じられる。





  [祇園造 (八坂神社本殿)]



□ 祇園造(ぎおんづくり)神社建築 京都の八坂神社でのみ使われている建築様式である。後方の正殿と前方の拝殿の二つの建物から成るが、屋根は二つの建物を跨いで一つの大きな寄棟造りの屋根で覆われており、平入り(棟の方向が正面)である。正面には更に庇(ひさし)が取り付けられている。側面にもやや小ぶりな庇が取り付けられている。屋根は桧皮葺きである。

  この他、これらの建築様式の変形版もありますので、訪問された神社の屋根をじっくり観察してみてください。
今回は以上です。

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屋根で見分ける神社建築

2013年10月04日 | 旅行ガイド

  神社は、建物の中に仏教寺院のように仏像がある訳ではなく、特に本殿は神聖な場所であるため、通常は中に入ることができず、外から眺めることしかできません。しかし神社の建物は、独特の姿をしており、いくつかの形状に区分できます。特に屋根の形に特徴があります。今度、神社に行かれる機会があったら、是非その屋根を鑑賞してください。

  今回は、屋根の形状に注目して、主要な神社建築の特徴を見ていきたいと思います。



  [春日造(枚岡神社)]



  (春日大社本殿)

[和訳]
□ 春日造(かすがづくり)の神社建築 奈良春日大社本殿を代表とする建築形式。切妻(きりづま)屋根、妻入り(妻面が正面に来る)。妻面の下に庇(ひさし)が付いており、庇と大屋根は一体となっている。屋根は上から下へ曲線を描いている。庇の傾斜はあまり急でなく、優雅な曲線を描いている。屋根は萱(かや)や桧皮(ひわだ)で葺かれている。床は風通しを考慮し、比較的高い位置に置かれている。母屋の柱は円柱が用いられ、庇を支える柱は角柱である。

  奈良の春日大社本殿は一間社の建物が四つ横に並んでいる。というのも、春日大社は四人の神様を祭っているためで、それぞれの建物に違った神様をお祭りしている。




  [流造(下鴨神社本殿)]


[和訳]
□ 流造(ながれづくり)神社建築 日本全国、最も広く分布している建築形式である。切妻屋根、平入り(屋根の棟の方向が正面)で、妻面が側面にある。屋根は上から下へ曲線を描いている。向かって正面の屋根は庇の位置まで延びていて、屋根と庇が一体になっている。したがって、屋根は一方が長く、一方が短く、不均衡になっている。屋根は萱葺き、桧皮葺き、銅板葺きのものなど、各種ある。

  京都の上賀茂神社本殿、下鴨神社本殿は、「流造」の代表作である。



  [神明造(伊勢神宮内宮)]




  (大相撲土俵上の吊り屋根~両国国技館)

[和訳]
□ 神明造(しんめいづくり)神社建築 伊勢神宮を代表とする建築形式。日本最古の神社建築形式のひとつである。古代の高床式の穀物倉庫の建築が発展し、後に宝物の保管庫となったものである。柱は地面に穴を掘り、直接穴に埋め込まれており、礎石は使われていない。切妻屋根、妻入りで、母屋の柱は円柱である。鰹木(かつおぎ)も円柱であるが、その他の木材は角材を用いている。屋根は上から下に直線に伸びていて、曲線は描かない。屋根は木の板か銅版で葺かれている。屋根を支える破風(はふ)は、つなぎ目で固定されるだけでなく、上方に延びていて、千木(ちぎ)となっている。

  大相撲の土俵上方には吊り天井があるが、その屋根の形状は、「神明造」である。





  [千木と鰹木]


[和訳]
□ 千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ) 千木(ちぎ)とは、屋根の棟の両端で二本の角材を上に向けて交叉させた神社本殿の装飾である。木材の先端が、地面に垂直方向に向いているものと、地面と平行のものと二種類ある。垂直のものは男性神を祭っており、平行のものは女性神を祭っていると言われている。

  鰹木(かつおぎ)は、屋根の棟と直角の方向に平行に並べられた数本の円柱の木材で、神社本殿の装飾である。その外観が、干したカツオに似ているので、鰹木と呼ばれる。その本数には奇数と偶数の別があり、奇数は陽数、偶数は陰数であるので、奇数のものは男性神を祭り、偶数のものは女性神を祭っていると言われる。



[和訳]
□ 式年遷宮祭 伊勢神宮では、二十年に一度、本殿が立て替えられ、神様が新しい本殿に引っ越される。これを「式年遷宮祭」という。この儀式には、主に二つの目的がある。一つは、本殿の建物の柱は、礎石を用いず、直接地面に穴を掘って埋め込むので、長い年月建物を維持することができず、定期的に立て替えてやることが必要であること。もう一つの理由は、後世に宮大工の技能を伝えるため、彼らに定期的に技能を発揮する仕事の機会を与えるためである。 




  [大社造(出雲大社)]


[和訳]
□ 大社造(たいしゃづくり)神社建築 出雲大社を代表とする建築形式。「神明造」同様、日本最古の神社建築形式のひとつである。古代の宮殿建築を真似たものと言われる。柱は神明造と同様、元々は礎石を使わず、直接地面に埋め込まれた。切妻屋根、妻入りで、屋根は上から下へ曲線を描いている。屋根の傾斜はかなり急である。これは、冬の降雪時、雪が屋根に積もらぬよう、屋根を保護するためである。屋根は萱で葺かれている。屋根は千木、鰹木で装飾されている。庇を深くして、建物への出入りに便利なようにしてある。入口は正面の右側に偏した位置にある。床は相当に高く、出入りのため梯子が付けられている。


  今回は、神社建築の中でも、古代を起源とするものを集めました。神社建築では、これ以外に、近世以降に生まれた建築様式にも、特徴があります。次回に、それらを説明したいと思います。

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阿吽の呼吸と東大寺南大門金剛力士像

2013年09月24日 | 旅行ガイド

  今回は、東大寺南大門の国宝、金剛力士像を取り上げたいと思います。その前に、先ず「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉の意味を考えます。





[訳] サンスクリットで、口を開いて最初に発せられる音のことを「阿」。口を閉じて最後に発せられる音のことを「吽」という。ここから、「阿吽」は宇宙の始まりと終わりを意味するようになった。後に、「阿」は真実の追求、求道の心、「吽」は智慧、涅槃を表すようになった。また、一対のものを表すようになった。例えば、社寺の本殿の前に置かれる狛犬、仏法の守護神である金剛力士像、仁王像がそうである。更に、「阿吽」は転じて二人の人が息を合わせ共同で活動する意味となった。日本語に、「阿吽の呼吸」という言い方がある。例えば、相撲の取り組みで、二人の力士が立ち会いで息を合わせた後、立ち上がって取り組みが始まる。この、二人が息を合わせるのが「阿吽の呼吸」である。

  「阿吽」の意味が分かったところで、東大寺南大門の金剛力士像を見てみましょう。





  ↑ 吽形像



  ↑ 阿形像

[訳] この二体の木像は金剛力士像で、仁王像とも呼ばれ、東大寺を守護する武将像である。この二体は高さ8メートル、ヒノキ作りで、木製の多くの部品がはめ込まれて出来ている。
  大仏殿の方に向かって右側が「吽形像」で、口を閉ざしている。目じりをつり上げ、右腕を上に挙げ、左手に「金剛杵」を持っている。これは敵を追い払う武器である。
  向かって左側が「阿形像」で、口を開いている。右腰の前で金剛杵を立てて構え、左腕を曲げ、手の平を広げ、左足を一歩踏み出している。
  鎌倉時代の1203年、焼失した東大寺を再建する中、当時最も有名であった四名の仏師が主体となって造営した。7月24日から10月3日まで、わずか69日間でかくも巨大な仏像を完成させた。これらの仏師は、名前の中に「慶」の字が付くので、「慶派」と呼ばれる。最も有名なのは運慶、表現技法が最も優れているのは快慶である。
  この二体は芸術的にも傑出した効果を生み出しており、国宝に指定されている。

  では、仏像の中で、金剛力士とは、どういう仏様なのでしょうか。



[訳] 金剛力士は元々、金剛杵を執って釈迦の身辺に在って仏法を守護する役目で、一体だけのものは「執金剛像」と呼ばれる。インドで二体に分かれるようになり、二体で構成されるものは「仁王」とも呼ばれる。当初は甲冑を身に付けていたが、後に中国で裸体に変わった。口を開けた「阿形像」と、口を閉ざした「吽形像」の二体で構成される。

  この金剛力士像が納まる、東大寺南大門についても説明をしましょう。基壇からの高さが25メートルもある、堂々とした山門で、鎌倉時代に中国・宋朝から伝わった大仏様建築の数少ない実物であり、国宝に指定されています。





[訳] 天平時代の8世紀に創建された南大門は、平安時代に台風に遭い倒壊してしまった。鎌倉時代の12世紀末から13世紀初頭にかけ、重源により再建された。その際、大仏殿といっしょに再建されたが、残念ながら大仏殿はその後焼失してしまった。
  1199年に上棟され、1203年に内部に安置された仏像と共に竣工した。屋根は二重の入母屋造り、正面は五間、三枚扉の二重門である。の構造である。下層の屋根には天井が張られていない。円形の柱が18本使われ、柱の長さは21メートル、建物の高さは基壇から25.46メートルあり、日本最大の山門である。

  次に、南大門の構造の特徴を説明します。

 


  ↑ 挿肘木
  


  ↑ 柱と貫

[訳] 屋根の構造は比較的シンプルで、屋根は単層で、たる木の傾きが屋根の傾斜に等しい。天井は張られていない。屋根には瓦が敷かれている。貫を通して柱と柱の間の力を支えている。柱には肘木が挿し込まれて屋根を支えている。挿肘木は上に積み重ねられるので、左右方向に拡げる必要がない。



[訳] こうした建築様式は「大仏様」、或いは「天竺様」と呼ばれ、鎌倉時代の13世紀初頭、東大寺大仏殿を再建するため、重源が中国宋代の中国南方から導入した建築様式である。この建築様式採用の理由は、世界最大規模の大仏殿を再建するため、しかし財政面と資源の制約で、奈良時代のような巨大な木材を準備できず、一方、当時の日本の主流の社寺建築様式である「和様」では、大仏殿の規模の建築構造では必要な強度を確保できないため、宋代の中国南方の建築技術を採用したものである。東大寺では、「大仏様」で大仏殿と南大門を建設したが、当時の大仏殿は焼失し、既に存在しない。現在私たちは南大門から「大仏様」の建築技術を見ることができる。

この南大門の後ろに控える大仏殿と大仏については、別の機会にご紹介します。

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