のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

母には教えられるのですが

2014年10月16日 17時20分03秒 | Weblog
昨日はいろいろあったんですがね。
母の墓参りとかお客様とか他にもいろいろ。
逆にいろいろありすぎて書くことが絞れない。

だったらってことで。
書かずに全部自分の墓場まで持っていくことにしました。
知りたい?
教えなーい!(笑)

失敗、学び、実行。

2014年10月15日 03時23分07秒 | Weblog
昨日。
失敗した。

昨日。
学んだ。

本を読んだ。
すらすらと頭に入ってきた。
決意した。
できると信じた。

単なる前向き思考じゃないよ。
無理なことは無理。
そういうこともある。
それはわかる。

たとえば。
明日冥王星に行きたい。
無理な目標設定だよね。

自分のできる範囲で。
適切な目標を設定する。
きちんと計画して。
やるべきことを実行して。

ダメだったら。
反省しよう。
修正しよう。
やりなおそう。
やっぱりやるべきことを実行しよう。

昨日。
失敗して。
学んで。
決意した。

また偉そうなことを言っている?
そう思われてもいい。
心の声に従って。
原則と良心に従って。
自分が正しいと信じることをやる。
その生き方が間違いだとは思わない。

台風列島縦断中。怒りを静めたまえ。

2014年10月14日 02時17分45秒 | Weblog
台風接近中。
外。
先ほどまで凄い雨風でした。
今は少し収まっています。
そんなことを書いているうち、また強くなってきました。

今、伊集院光さんのラジオ「JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力 - TBS RADIO 954 kHz」を聴きながら書いている。
非常時である。
台風ニュースも織り込みながら。
いつも通りの、はじけたトークを心がけながらも。
いつもより抑えたトークをしているように思える。
そういうのもラジオの好きなところ。

被害の報道があります。
誤解を怖れずに言います。
建物への被害だったらまだいい。
たいせつな命。
傷つきませんように。
失われませんように。
切に祈ります。

冴えた父去り寂しい気持ち

2014年10月13日 14時43分57秒 | Weblog
冴え冴えの父は去った模様です。
数日前は、認知症じゃなくなったみたい、と思わせるくらいの冴え冴えぶりでした。

たとえばデイサービス。
先週は「折り目の付いたズボンを穿く」とか「革靴は?」と言って、実際その格好で出掛けていました。
おしゃれに気を遣うというのはいいことだものね。
だから嬉しい変化ではあったのですが。

今日は、寝間着のズボンのまま。
さすがに
「着替えなくていいの?」
と尋ねたところ
「面倒臭い」
とのことで。
無理に着替えさせるわけにもいかず、寝間着のズボンにサンダル姿でデイサービスに出掛けていきました。

正直ね。
冴えた父には困った部分も多かったのです。
冴えすぎて私のいい加減な部分が見えてきたのでしょうね。
四六時中私に張り付いて詰問してくる。
そんな日々が続くと。
それはキツいことであったわけですが。

今となってはそれも懐かしいかな。
ボケボケの父に戻って。
複雑な気持ちです。

認知症には波がある。
それは聞いていたことだったけれど。
自分の身に降りかかってみて。
ああこういうことなんだなと。

これからも波はあるのだろう。
そして全体のカーブとしては、少しずつ、確実に、悪い方向に向かっていく。
それが認知症が進むということなのだろう。

「どちらさまですか?」
私が父にそう聞かれる日も来るかもしれない。
母も認知症だったが、そこまで進む前に「身体の病」で逝った。
おじいちゃんに「若いのが今そこに入っていった」と言われて悲しい思いをしたことがある。
つまりはあれだけ優しかったおじいちゃんの記憶から私が消えたのだ。
普段住んでいない青森での出来事。
それは人ごとではないが、どこか遠い世界の出来事であった。
父がそうなると話は全く違ってくるよね。
生活圏内、リアルな話だもの。
私は未知のゾーンに進んでいることになる。

そうなって父はどうなるのか。
そのとき私の気持ちはどうなるのか。
今はまだわからないけれど。
心の準備は必要だ。
いろんなことを考えつつ。
介護ライフは進んでいく。

追想の集い。同じ思いの共有。

2014年10月12日 03時39分37秒 | Weblog
昨日。
去年、母の看取りのときにお世話になった、在宅クリ二ック主催の「追想の集い」に参加してきました。
私と同じように愛する人を失った家族。
主に在宅ケアで看取った方たち。
経緯は同じではない。
ケースによってそれぞれ違うのでしょう。
でも、同じ思いを共有したという連帯感。
温かい時間が流れました。

このクリニックにはほんとうにお世話になりました。
先生、スタッフの方々。
あなた方がいらっしゃらなければ、在宅での看取りなんてとても不可能だったでしょう。
在宅で、往診で、先生が来てくださる。
何かあったら駆けつけてくださる。
その安心感があった。
これは大きかった。

この先生が独特の「世界」を持った方で。
身体だけでなく「心」も診てくれる。
どんなに癒やされ、助かったことか。
こういう病院、先生と巡り会えて。
私たちは幸せでした。

私は笑顔でした。
笑顔を保つことができました。
いろんな人のサポートのおかげで。
冷たい人間なのかなとも思うけれど。
母が亡くなっても悲しくはないのです。

母も太陽になった。
いつでも私たちを照らし見守ってくれる。
その安心感。
今でも母は傍にいる。
私の生きる限り私の中から母の存在は消えることはない。
母は私の中で生きているのです。

そう思えるのも。
在宅で穏やかな最期を迎えられたから。
身体に一本のチューブも繋ぐことなく。
自然に最期を迎えることができたから。
母が亡くなったことは幸せなことではないけれど。
自宅で家族に見守られ痛みもなく穏やかに逝けたことは、幸せな最期であるとは言えると思う。

私の力だけではどうにもできなかったこと。
この場を借りて、様々なサポートを頂いた方々に。
改めて感謝いたします。

Amazon.co.jp: 小澤竹俊の緩和ケア読本―苦しむ人と向き合うすべての人へ: 小澤 竹俊: 本

最後にこのクリニックの先生の著書へのリンクを張らせて頂きました。
興味のある方。
是非お読みください。

♪病院ハシゴ~~

2014年10月11日 03時39分05秒 | Weblog
昨日は父の病院のハシゴでした。
糖尿病外来。
泌尿器科。
脳神経外科。

糖尿病と前立腺肥大は元々抱えている病。
昨日のメインは脳神経外科でした。
先日の頭痛。
父の年齢だから見過ごすことはできないと。
当日CTスキャンをして貰いました。
異常なし。
そして念のためということで昨日のMRI検査となりました。

正直なところMRI検査とはどういうものなのか。
わかっていませんでした。
私なりに調べた。
磁気を使った検査。
よって被曝はない。
ここら辺は誤解している人が多い気がする。

結果。
頭痛を引き起こすようなものは発見されませんでした。
ただし。
小さな動脈瘤があるとのこと。
くも膜下出血のリスクを説明されました。
この大きさなら気に病むレベルではない。
ただし、破裂の危険とは常に隣り合わせということ。
経過観察で半年に一度の定期検査を、ということになりました。

はっきりとしたことがわかってよかったです。
てなわけで、こっちはよかったのですがね。
糖尿のほうがまたヤバいことになっていました。
HbA1c(ヘモグロビンA1c)
再び10超え。
少し詳しい方ならわかると思うのですが。
これは相当ヤバい数値なのですよ。

全部ひっくるめて今の父。
いつ何が起きてもおかしくない状態ということ。
覚悟はしておかなければならない。
問題は認知症だけではないのだ。

今抱えているすべての病と縁を切ることは不可能。
上手に付き合っていかないと。
父が快適に過ごせる生活をサポートする。
それが今の私にできる唯一無二のこと。
落ち込んでなんかいられない。
しゃんとせい!自分!
言い聞かせるのでありました。

復活?!冴え冴えの父

2014年10月10日 05時31分12秒 | Weblog
ここ数日あったこと。
自分としてはけっこう大変なことだったのですが。
ようやく収束の方向に向かってきた感があります。

父、冴え冴えブーム。
始まりは月曜日の夜くらいからだったかな。
でも火曜日の夜明け前は、トイレに行ったのを忘れて何回も行くとか。
そういう部分も持ち合わせていたのですが。
火曜日、つまり3日前の朝6時頃からそれは始まった。

朝ご飯で起こしても起きないことがあるような人。
最近は食事、トイレ、風呂、デイサービスの送り迎え。
その他の時間はほぼ横になっている。
そういう生活が続いていたのに。
6時にはもう起きていたのです。

起きているだけじゃない。
頭が冴えまくっていたのです。
あれ?突然、認知症じゃなくなった?
そう思えるくらい。

それだけなら目出度いことかもしれないけれど。
方向性がねえ。
攻撃的な父に変貌していた。
喋るのももちろんだけれど。
言葉で私を攻め、責めてくる。
私に張り付いて、クエスチョンの嵐、いちいち突っかかってくる。
夜も遅くまでその調子。
「ゴメンね、もう寝るから」
と言ってようやく逃れた。
でもその後も物音がしてしばらく起きていた模様。

正直に言うと困った。
この状態が続いたら。
こっちが疲弊してしまうかもしれない。

別の心配もあった。
たまに聞く話。
縁起でもないことなんだけれどね。
燃え尽きる前に炎がボワーッと大きくなる。
もしかしたらそういうことなのかなって。

昨日、デイサービスから戻ると。
冴え冴えは収束していました。
「ご飯の準備できたよ」
と言うと
「もう朝か」
ってな具合。

この先どうなるかはわからない。
今朝これから起きてくる父がどうなっているか。
認知症バリバリの父に戻っているか。
冴え冴えの父か。
どちらにしろ臨機応変に対応するしかないよね。

認知症にも波がある。
それもよく聞く話。
脳神経外科で脳の海馬の萎縮うんぬんを言われたばかり。
脳機能としては確実に衰えているはずなのだ。

認知症の父の介護。
すべてに立ち向かうのは無理なのだろう。
こっちが潰れてしまっては仕方がないから。
あるところでは手を抜きつつ。
肝心なところはちゃんと締めて。
続けていきます。
誰から強制されたわけでもない。
自分で選んだ道なのだから。
いつも笑顔と感謝を忘れずに。

皆既月食とエロ教師

2014年10月09日 15時21分15秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#皆既月食:赤銅色の月、スカイツリーと競演(毎日jpより)

皆既月食。
見られませんでした。
ってか、見られたかもしれないけれど見ませんでした。
さっさと寝てしまって。
ちょっと疲れが溜まる事態になっていたので。

皆既月食といえば中学校時代を思い出す。
部活で科学部に所属していました。
今だといろいろ制約があって難しいのだろうけれど。
当時はそういう点はおおらかで。
学校に泊まり込んでの徹夜の天体観測なんていうのをやりました。

想像はつくと思いますが。
仲の良い中学生が集まって、公認の徹夜会となれば。
観測なんて二の次になっちゃうわけで。
悪いことはしませんでしたがね。
ガキたちの「楽しい時間」を過ごしたのを懐かしく思い出す。

この科学部の顧問の先生がね。
私の中学入学と同時に新卒で入ってきた新米の若い先生で。
教師なのに「エロい」と子どもたちから噂されていたような人。
あ、もちろん男性です。
元素記号の覚え方と称して。
「『ランタン(La)、タンタル(Ta)、ヨウ素(I)』、『裸体(らたい)』と覚えよう」
そんなことを多感な中学生に教え込む。
愉快な先生でした。

完全に不真面目な先生かといえばそうではなくて。
卒業のとき、卒業する科学部員全員に「英英辞典」を贈ってくれた。
英和辞典よりも絶対勉強になるよって。
嬉しかったなあ。
大人として認めて貰えたようで。
それが使えるような英語の学力には至らず。
使うこともなく今に至っていますが。
今も本棚に鎮座ましましています。
大切な宝物です。

皆既月食といえばそんなことを思い出す。
あ、結局今回は見なかったんですけどね。(苦笑)

トイレ往復、何回ですかあ~~

2014年10月07日 02時42分33秒 | Weblog
起きた。
今朝も早朝とは呼べないほどの早さの時間に。

起きてすること。
まず決して忘れちゃいけない。
母に挨拶。
仏壇にお線香、手を合わせる。
「おはよう、今日もよろしくお願いします」
と。

トイレ。
洗顔。
体重測定。
着替え。
トイレ掃除。
スムージーを飲む。
これが毎朝のルーチンワーク。

今朝、スムージーの準備をしていると。
父が起きてきた。
トイレに行く。
台所の私の所に来る。
「おやすみ」
私は
「おはよう」
と言いたいのを堪えて
「おやすみ」
と返す。

父、またトイレへ。
また台所の私の所に。
「じゃあ、おやすみ」
そしてまたトイレへ。
しばらくそれを繰り返す。

私に
「おやすみ」
と言ったときに、トイレに行ったという情報が脳内リセットされてしまうのだろう。
エンドレスになりそうだったので。
「トイレ行ったばかりじゃなかったっけ?」
と笑顔で問いかける。
「そうか」
やっと寝室に向かう。

認知症の進行。
こういうことなのだ。
いつかは私も通る道。
笑って付き合っていこう。
父が生きている幸せ。
その幸せを噛みしめつつ。

もうひとりの姉の誕生日

2014年10月06日 03時47分35秒 | Weblog
私には姉がふたりいる。
同じ母から生まれた姉がひとり。
そしてもうひとり。
従姉妹なのであるが。
自分にとっては姉という感覚なのである。
幼い頃、一緒に育った。
その経験は大きかった。

今日。
そのもうひとりの姉の誕生日。
ありがとう。
心からのおめでとう。
たいせつな人。
感謝。
祝福。

#台風18号:過去10年で勢力最大級 東海から関東横断か(毎日jpより)

大型で強い台風18号が接近しています。
首都圏を直撃する可能性が高いようです。
「関東付近を通過した過去10年の台風の中でも最大級の勢力」
を維持するという予報も出ています。
すでに死者行方不明者のニュースもあります。
これ以上、大きな被害が出ませんように。
誤解を怖れずに言うなら、建物への被害ならまだいい。
たいせつな命、失われませんように。

嬉しいメール、叔母の笑顔。

2014年10月05日 16時31分41秒 | Weblog
嬉しいニュースがありました。
嬉しいメールです。
従姉妹からのメール。

青森の叔母。(亡くなった母の妹です)
くも膜下出血で倒れ、緊急手術。
私が見舞いに行ったときも反応の薄い状態でしたが。

娘の「おはよー」の声かけに、小さなかすれた声ながらも「おはよう」と応えたとのこと。
そして、笑顔も戻ってきたとのこと。

いやー、嬉しいねえ。
なんたってさ。
母の次に母に近い人だから。
幼い頃、同じ屋根の下で暮らした仲だから。
当然記憶にはないが、赤ちゃんの頃、この人が世話をしないとトイレでウ○チをしようとしなかった時期があったそうである。

母は三人姉妹の長女。
この叔母が二番目。
さらにその下にも叔母がいる。
それぞれ、四歳、四歳の歳の差。

この奇跡をずっと続けて欲しい。
言葉を交わせるようになったらなと強く願う。
叔母様。
母を越えてくださいよ。
皆がそれを望んでいる。

明るい人。
笑顔の似合う人。
前向きな人。
周囲に気を遣う人。

生きてください。
笑顔になってください。
今度お見舞いに行ったら。
お話をしましょうね。
私はそれを信じます。

自分が愛おしい

2014年10月04日 06時44分51秒 | Weblog
今も、ずっと。
自分が愛おしい。
正直な気持ちです。

ナルシストと思われると困るのですが。
それとはちょっと違うかな。

生きている。
生きられている。
その感謝。
だから今。
生きている。
生きられている。
その自分の命が愛おしい。

私が呆れるほどの前向きでいられるのは、ここから来ているのだろう。
自分を肯定する。
いい部分も。
そして悪い部分も。
ひっくるめて自分を肯定する。
自己中心的な考え方でもない。
やってみて。
振り返る、考える。
改めるべきところは改める。
そしてその改める自分も肯定する。

自分を肯定するから。
自分を肯定できるから。
すなわち自分が愛おしくなる。
当然の帰結だよね。

これからもこの生き方は変わらない、変えない。
自分を愛する。
どんなことがあっても。
どんな困難があっても。
自分くらいは自分のことを信じてやろうと。
この先、世間から酷い評価を受けることがあるかもしれない。
それでも。
そんな自分でも。
自分のことを信じてやる。
そう、自分が愛おしいまま。

人生、平坦な道のりではない。
飛ばせる下り坂がある。
進むのが困難なくらいの登り坂、荒れ地もあるだろう。
どんな困難があったって。
自分を信じてやる。
自分を愛しんでやる。
その生き方で不幸せにはならない。
それも信じられる、信じてあげるのである。

レッツノートRZ4、欲しいよお~~、でもねえ・・・

2014年10月03日 03時43分06秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#「世界最軽量」745gのPC…パナソニック(YOMIURI ONLINEより)

新型iPhoneには手を出さないということでは、微動だにしなかった私の心ですが。
これには大いに心が動きます。

いいのだけれどなあ。
欲しいのだけれどなあ。
使いこなす自信、あるのだけれどなあ。

でもなあ。
衝動買いできる値段ではないしなあ。
っていうか無理でしょ。
今のおサイフ状況では。

もし買うのなら。
長く使いたいから。
スペックには妥協したくない。
パソコンってそのほうが結果出費的にもオトクになる買い物でもあるし。
買うときの出費をケチって。
結局は買い換えのサイクルが凄く早くなって。
安物買いの銭失いになる人を見てきた。

インターネットは使わない。
いわゆるスタンドアローン。
Excelと年賀状作成ソフトが使えればいい。
そういう人は低スペックでもいいと思うし、実際それを望む人に低スペックパソコンを勧めたこともある。
けれどそういう人は少数派だ。

私みたいな使い方をする人。
低スペックはいろいろな意味でストレスになる。
だから私はいつもパソコンを選ぶとき。
スペックで妥協はしない。
それで買ってから後悔をしたことは一度もない。

と。
いろいろ書いてはみたけれど。
つまりは。
買わない、買えない。
レッツノートRZ4
よだれたらたら、為す術無し。
なのでありました。

この歌わかるかな?♪ビュワーン ビュワーン 走る青いひかりの 超特急~~

2014年10月02日 16時14分29秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#戦後70年:Since1945 第1回 新幹線と交通 「日本を変えた夢の超特急」 - 毎日新聞(毎日jpより)

♪時速~にひゃ~くごじゅ~キロ~~

あ、この歌を普通に知っている時点で、歳がばれる。(苦笑)
新幹線開業50年。
私、50歳。
そう、生まれたのは同じ昭和39年。
新幹線と私は同い年なのです。

開業当時の営業最高速度は時速210km。
今、最新鋭の新幹線の営業最高速度は時速320km。
50年前ということを考えれば凄い技術だったのだな。

いくつの時か、正確な年齢は忘れた。
新幹線に初めて乗った。
父が「新幹線に乗せるためだけ」に、東京から新横浜を乗せてくれた。
嬉しかったなあ。

小学校に上がる前。
私の趣味は「新幹線を見ること」であった。
それも、走る新幹線をだ。
相鉄線の西谷駅。
新幹線がホーム上を交差している。
西谷駅の改札を出た場所は絶好の見学スポットであった。

当時。
新幹線の運行ダイヤは今ほど密ではなかった。
せっかちが常の子どもとしては
「待って待ってやっと来る」
それくらいの感覚であった。

その頃、同居していた叔母。
貴重な休日を削って私を西谷駅まで連れて行ってくれた。
本当に感謝だ。

その叔母。
先日、くも膜下出血で倒れた。
とてもたいせつな人。
秋田旅行に先駆けて青森に見舞いに寄るのは自然な決断であった。

昨日。
東海道新幹線開業50周年。
私と新幹線。
同じ年生まれという以上の強い結びつき。
新幹線には普通の人とは違う思い入れがあるのであった。