母が亡くなって、今年が新盆ということになるけれど。
お盆の用意をしないことにした。
今後、一周忌とか三回忌とか。
そういう法要も特別にはしないことにした。
姉と話し合って決めました。
いろんな考え方があります。
しきたりはしっかり守ったほうがいい。
それもわかります。
場所によっては、そういうことが生活の一部になっていて、欠かせない恒例行事になっている。
それはわかるのです。
そういう「儀式」を行うことって、少なくとも私が今住んでいる場所では、必須というわけではない。
やるとすればそれは、世間体とかそういうことになっちゃうのかなと。
私は熱心な仏教徒というわけではないし。
考えました。
形だけのものになってしまうのなら。
それは亡くなった母にとっては何なのかなと。
毎日。
おはよう。
いただきます。
行ってきます。
ただいま。
おやすみなさい。
お線香を上げて手を合わせる。
それが一番の供養なのではないかと。
仏壇一式を揃えたお店から案内の葉書が届いた。
新盆ですよ、安くしておきますよ。
そんな内容。
それにも抵抗があった。
供養がお金にすり替わる。
何だろこれって。
法要にお金がかかる。
それがいけないと言っているのじゃありません。
ケチっているのでもありません。
うまく言えないのですけれど。
しっくりこなかった。
それだけのことではあるのですけれど。
姉と話し合って。
姉も同じ気持ちであることがわかって。
気持ちが楽になった。
これからも母を大事にしよう。
母との思い出を大事にしよう。
いつも言っていること。
母は亡くなっても無くならない。
心の中からは決して消すことはできない。
お盆も一周忌法要もやらない。
やるとすれば家族で集まって少し豪勢な食事をして母を偲ぶ。
それが母が一番喜ぶこと。
私にはそう思えるのです。
お盆の用意をしないことにした。
今後、一周忌とか三回忌とか。
そういう法要も特別にはしないことにした。
姉と話し合って決めました。
いろんな考え方があります。
しきたりはしっかり守ったほうがいい。
それもわかります。
場所によっては、そういうことが生活の一部になっていて、欠かせない恒例行事になっている。
それはわかるのです。
そういう「儀式」を行うことって、少なくとも私が今住んでいる場所では、必須というわけではない。
やるとすればそれは、世間体とかそういうことになっちゃうのかなと。
私は熱心な仏教徒というわけではないし。
考えました。
形だけのものになってしまうのなら。
それは亡くなった母にとっては何なのかなと。
毎日。
おはよう。
いただきます。
行ってきます。
ただいま。
おやすみなさい。
お線香を上げて手を合わせる。
それが一番の供養なのではないかと。
仏壇一式を揃えたお店から案内の葉書が届いた。
新盆ですよ、安くしておきますよ。
そんな内容。
それにも抵抗があった。
供養がお金にすり替わる。
何だろこれって。
法要にお金がかかる。
それがいけないと言っているのじゃありません。
ケチっているのでもありません。
うまく言えないのですけれど。
しっくりこなかった。
それだけのことではあるのですけれど。
姉と話し合って。
姉も同じ気持ちであることがわかって。
気持ちが楽になった。
これからも母を大事にしよう。
母との思い出を大事にしよう。
いつも言っていること。
母は亡くなっても無くならない。
心の中からは決して消すことはできない。
お盆も一周忌法要もやらない。
やるとすれば家族で集まって少し豪勢な食事をして母を偲ぶ。
それが母が一番喜ぶこと。
私にはそう思えるのです。
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