のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

笑点、笑い、冒険、平和。

2016年05月23日 08時19分04秒 | Weblog
>“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海(http://ikiru.jp/?p=5282
#「笑点」6代目司会に春風亭昇太さん 桂歌丸さんの後任(朝日新聞デジタルより)

歌丸さんなりの思いがあったのだろうな。
圓楽さんを選んでおけば、まあ間違いはない。
「無難な大笑い」は取れるだろう。
しかし意外性はまったくない。
新しい司会者を発表しても誰も驚かない。
言った瞬間に皆が納得してしまう。
歌丸さんにとってそれは一番我慢のならないことだったのだろうと。

誰もがビックリ。
してやったり。
笑いのプロの世界において「冒険心がない」なんて評価は最低だし。
快哉だったのだろうな。

正直に言うとね。
私には笑点が嫌いな時期があった。
落語や伝統が嫌いというのじゃなくてね。
チャレンジ精神が薄れて、たとえば苦しくなると安易な「メンバーいじり」のネタに走ってそこそこの笑いを取る。
しかしそれは「ほんわかした」安定を求める笑いであって、かつての歌丸小圓遊の言い争いのような「もしかしたらこれはマジの罵りなんじゃないか?」と思わせるような棘や毒はない。
そんな笑点が嫌いというよりつまんない。
ガキの頃楽しみにしていた番組だけにね。

伝統文化を守るというのは保守一辺倒になるということではない。
落語の世界ならなおさらのこと。
そして私も少しは成長して。
革新であり続けることの難しさを知り。
一巡してまた笑点を少し面白いと思えるようになった。
皮肉なことに私にそう思わせたのは「新しい風」ではなく。
歌丸さん、圓楽さん、木久扇さん。
居座り続けたメンバーたちの揺らぐことのないキャラと向かう姿勢であった。

笑いは難しい。
人を癒やすものであり、同時に使い方を誤ると大きく人を傷つける。
さりとて傷つけるとか受けないとか、それをビビるとつまらなくなる。
少しは大人になった私が気付いたこと。
笑いは好き。
自分も笑いたい。
人の笑顔も見たい。
笑顔の溢れる環境で生きたい。
笑わそうとするからいけないんだ。
笑われればいい。
笑ってもらう。
馬鹿をやって笑われる、そして自分も笑う。
そこに幸せを見いだせるようになったんだ。

どうやって平和な世界にするか。
その議題での角突き合わせての笑顔になれる要素一切無しの醜い罵り合いや相手の人間人格否定。
なんかおかしくね?

平和にしたいならまず自分の心が平和でなくてはならない。
笑顔に溢れた世の中に憧れるならまず自分が心からの笑顔になることだよね。
笑いのための冒険心。
それを表そうとした歌丸さん。
格好良かったです。

【今日の写真】
今朝の夜明けの月。
綺麗でした。
うまく言えないけれど。
私もこんな存在になりたいなあ。(^○^)

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