創作日記&作品集

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人生の一番よい時

2017-10-13 10:20:11 | エッセイ

年老いて「あの時が人生の一番よい時だった」と思うことがある。
しかし、その最中はそんなことを1ミリも思わない。もっといい日が来ると思っている。
誰でもそうだと思う。
だが、ほとんどの場合、そんな日は二度と来ることはない。
唐突だが母のカレーのことを話そう。
実家が喫茶店をすることになり、母がカレーを作った。
ジャガイモごろごろのカレーではなく、本格的なカレーである。
作り方は母の秘中の秘であった。
リンゴを擦りこむらしい。時々入れ忘れたので味が微妙に違ったという。
とにかく客に大好評で母は鼻高々だった。
喫茶店を開いたいきさつや、母が何故カレーを作ることになったのか詳しいことを僕は知らなかった。
その頃は、四国で悪戦苦闘していた。
実社会の荒波にもまれていた。
学生時代の青臭い理屈は吹き飛ばされ、まさしく、「お母ちゃんと」海に向かって叫びたいような日々だった。
そうして11月に挫折。家に帰った。することもなく日々を過ごしていると、三島由紀夫が死んだ。
4月の研修で車窓から市ヶ谷を眺めたことがある。あそこで自決した。
ある日、テーブルの前に腰かけてぼんやりしていると、目の前ににカレーの皿が置かれた。
「食べ」
母はそう言って、ちょっと後ろを向いて目頭を押さえた。
弟が盛んに言っていた母一流の「演技」だ。
僕が意気消沈ていたのは確かだった。でも、就職に失敗したからではなかった。
どうしてもこっちを向いてくれないガールフレンドに落ちこんでいたのである。
母のカレーは美味しかった。
「おいしいやん。あほみたいに」
あほな息子は言った。
「せやろ、ものすごい評判なんやで。近くの会社の人がみんなカレー、カレーやねん」
嘘泣きの母は嬉しそうに笑った。
新しい事業(喫茶店)に自分の作ったカレーが好評なのがとても嬉しく、自慢だったのだろう。
母55才。僕24才。
今から思うと、 
母と僕の「人生の一番よい時だった」のかもしれない。


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