創作日記&作品集

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「枕草子」考 四 言葉の少なさ

2015-10-31 07:35:03 | 枕草子
枕草子解読上・中・下からダウンロードしてお読み下さい。
―枕草子を現代語訳しながらいろいろ考えたことです―
「枕草子」を読んでいると、語彙の少なさに気づきます。「をかし」の連発はその顕著な例でしょう。平安人は現代人ほど沢山の言葉を持っていなかったのではと思います。それでも、十分に伝わったのでしょうが……。その善し悪しは別にして、やはり千年の時を感じます。「古典」の敷居を高くしている原因の一つだと思います。
例えば、二十二段 すさまじきもの
すさまし―スサム(荒む)手のつけられない。平安宮の女性達にとっては「気持にそぐわない、興ざめなこととして、冷視するより方法がなかったろう」―強い不快の気持や、しらじらした気分を表している。―
 殆どの校注は「興ざめ」としています。私もそう習いました。「興ざめ」が今の人に通じるかどうか。校注の校注が要りそうです。桃尻語訳は「うんざりする」。的確だと思います。ただ桃尻語訳も四半世紀経ち、桃尻娘も四十才半ばか。桃尻語の注釈が要りそうです。
 また、「昼ほゆる犬」と「家のうちなる男君」の「すさまじきもの」を同一に興ざめすると口語訳していいものかどうか。古典基礎語辞典の例文でも、「昼ほゆる犬」は「興ざめする」。「家のうちなる男君」は「しらけた感じがする」。と、語釈が分かれています。
 結局何が言いたいのかって。「すさまじ」をそのままにして、清少納言があげている事柄から分かればいいのではと言いたいのです。
 対策は、言葉のニュアンスを知ることかもしれません。その為に私にとって「古典基礎語辞典・大野晋著」は必携です。少し高いけど(高価でもあり高度でもあり)……。
 この段は現代人にも十分伝わってきます。「昼ほゆる犬」は「犬は夜吠えるものなのに」などの注釈なしでもダイレクトに伝わってきます。それも多様に。型にはめることなしに。それって読書の楽しみではないですか。誤読も読書の楽しみです。
「すさまじ」をそのままにして、清少納言があげている事柄から分かればいいのではと言いたいのです。


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