創作日記&作品集

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1964年のバレーボール 前編

2018-04-20 17:11:55 | 創作日記
久しぶりに小説を書きました。



1964年のバレーボール 池窪弘務作

前編

――オリンピックっていつまで続くのだろう……―― 
ふと、ため息が出た。2018年冬季オリンピック。テレビはオリンピックに占領され、どのチャンネルも同じシーンが繰り返されていた。テレビが唯一の友達の私は途方に暮れた。その上、妻が手首を骨折して入院。三人の娘は結婚して家を出ている。広過ぎる家での独居だった。
誰とも話さない日もあった。今日は誰と話しただろう?
一日をリピートしてみる。
朝のウオーキングの時、すれ違い際に二言三言、同じ団地の人と話した。彼の連れている超小型犬は私の顔を見ると必ず吠える。蹴飛ばしたい衝動に駆られながら笑顔を作り、
――寒いですねえ―― と私。
――ほんま寒いわ―― と犬の散歩の人。
スーパーのレジで店員との会話。いや、私は喋らなかった。八百四十九円の買い物に千一円出した。『えっ?』と店員は言った。そして、気を取り直して、『千一円戴きます』と言った。一円玉と十円玉が増えてしまった。
小銭入れは十円玉と一円玉とではち切れんばかりである。
勧誘電話。丁寧にお断りをした。逆ギレされて家に押しかけられそうになったことがある。
妻とのメールのやり取り。
回覧板を受け取った。
天井を見上げながら、――そのくらいか――と思った時、
「みんな、バレーボールせえへん」
突然言葉が天井から降りて来た。短い夢を見たのだろうか? 認知症が始まったのか……。時々夢と現実が混ざる。周りを見渡したが何も変わったものはない。テレビ画面は、うーん名前が出てこない。一分後、フィギュアスケートの金メダリスト羽生結弦君のインタビューだ。何回同じインタビューを観ただろう。チャンネルを変えてもどの局も同じだったことがある。北朝鮮のテレビみたいだ。北朝鮮の人は、冬季オリンピックを観ているのだろうか。食傷しているなんて贅沢かもしれない。
 *
私にとって、オリンピックと言えば東京オリンピックだ。私は十八才だった。高校三年生。舟木一夫の『高校三年生』も流行っていた。
暴力教師が跋扈(ばっこ)していた中学時代と違って、穏やかな高校時代だった。もう、五十年以上も経つのだ。年も取る筈だ。
七〇数年戦争もなく平和に暮らしてきたことに感謝しよう。
あの頃は、女子バレーの連日の快進撃に日本中が沸いていた。サウスポーの宮本選手のお尻が好きだと高校生らしからぬことを言う奴もいた。東洋の魔女と言われたメンバーはストイックな感じがした。今のオリンピック選手の華々しさとは随分差があるように思う。白黒テレビであったということもある。
市立H高校では講堂にテレビを置いてオリンピック放送を見せてくれた。先生方の優しい配慮だった。
そして、私には忘れられないもう一つのバレーボールがあった。
――みんなバレーボールせえへん」――
Uさんが突然言った。講堂でオリンピックのテレビを観る時間だった。ほとんどの学生が教室から出て行ったが、七、八人は残った。理由なき反抗。その中に私はいた。
Uさんは私の憧れだった。今でもきっちりとその姿を思い出すことが出来る。クラス一、二の秀才で小柄な美人だった。感情を表に出すタイプではなくいつも静かだった。独りでいることが多かった。だから、バレーボールの提案に私は驚いた。
輪になってトスを上げた。ふざけてスマッシュする奴もいた。笑い声が上がり、秋の空にバレーボールが次から次へと回された。
H高校は大阪市の中心にあり、箱庭のように狭い校庭だった。講堂の窓から手を振る奴もいた。Uさんは晴れやかに笑いながら手を振り返した。

Uさんは医大の受験に失敗した。私も大学受験に失敗した。私は彼女に模擬試験に誘う手紙を書いた。長い返事が来た。用事があって行けない。それ以外は雑談のような文章が、綺麗な字で続いていた。

明日の後編に続きます。


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