なのにオイラは京都へゆくの?

大阪の中年男が、京都の山に登った際の赤裸々(?)な公式日記帳やねん。
のはずが……京都・自己満足ブログとなりにけれ。

オイラ的「真田丸」紀行・岡山→茶臼山→安居神社を歩く

2016-12-26 11:38:30 | 真田丸

 大坂夏の陣で、冬の陣では徳川方の陣やった茶臼山と岡山を再利用して第二、第三の「真田丸」にした真田信繁。

 12月16日に放送されたNHKの「歴史秘話ヒストリア」では、茶臼山と岡山の間に巨大な堀があったことが紹介されてました。






 現代の大阪にはCGのような深い空堀はないんだすが、その痕跡はあるようなので実際に探してみよう。
 いざ出陣!

 12月25日(日)

 ▼ 13:03 JR桃谷駅から岡山(御勝山古墳)をめざしてスタート。

 ▼ 13:15 駐車場の片隅に木村権右衛門邸跡の木村重成お手植え神木。案内板の類いはありまへん。

 ▼ 13:18 徳川秀忠の休息所だった場所に建つツツミ医院。看板はありますけど、開業してはらへん感じだす。写真には写ってまへんが、玄関に祇園祭のちまき(大船鉾)を飾ってはりました。よろしおすえ~。

 ▼ 13:23 最初の目的地、岡山(御勝山古墳)に到着。

 5世紀前半に造られた前方後円墳やったそうなんだすが、徳川秀忠が本陣を置いた際に破壊され、現在は後円墳が残るのみ。柵の中には入れまへん。
 大阪国際女子マラソンで選手が走る勝山通が古墳を分断し、前方墳は公園になってます。

 空堀があったコースを歩いたものの、それらしき高低差は見つけられませんだしたが、天王寺区の北河堀町辺りまで来て、ようやく高低差を見つけましたがな。


 ▼ 14:11 第二の目的地、茶臼山に到着。

 冬の陣では徳川家康の本陣だしたが、現在では真田方がこの地を掌握。赤いノボリと、真田信繁の歴史がわかる案内板がぎょうさん建ってました。


 ▼ 木立の向こうに通天閣が見えまっせ。

 ▼ 14:35 第三の目的地、安居神社へ到着。真田信繁終焉の地だす。

 ▼ 初めて来たんだすが、こじんまりとした境内だす。

 ▼ かんしずめの井。この水を飲めば疳の虫が治まったそうなんですが、今は枯れてるそうだす。

 ▼ 拝殿に奉納されている真田の品々。


 ▼ 薩摩に落ち延びたっていう説もあるしなあ……。

 【おまけ】

 ▼ 大阪にも清水寺があるんだすよ。安居神社から近いんで久しぶりに行ってみました。

 ▼ 音羽の滝のように筧(かけい)から水が流れ落ちてるんだすが、ここは行場。不動明王の前で水行だす。

 ▼ 清水の舞台もあるんだす。下から見上げた風景。

 ▼ ここから見える夕陽はきれいんだす。

 ▼ 15:06 地下鉄・四天王寺前夕陽ヶ丘駅に到着。オイラ的「真田丸」紀行終了。ヾ(≧▽≦)ノ

 ▼ 本日の歩行距離=7.1km。(↓クリックしよし)

 もひとつ【おまけ】

 ▼ こんなこともあろうかと、某月某日、天王寺区役所にて真田丸のジオラマを撮影してましてん。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (minchou)
2016-12-29 21:32:07
こんばんは。

真田丸の空堀探索、私も見ましたけど、その方法にどうも理解しがたいところが多くて結局はよく分からないまま空振に終わりましたな。

そもそも何で最初東西方向に掘ったのですかね?

最後駐車場の入口まで掘って、あとは推測で終わってますけど、何故ここでは電探を使わなかったのですかね?

航空写真を元にかなり正確に位置を決定出来てたはずなのに、何故10m以上もずれるんでしょうね?

掘にかけてあった土橋の上を掘ってた可能性はないんですかね?

大阪文化財保護課の人はなんかあまりやる気なさそうでしたね。・・・

ということで訳が分からずじまいで、個人的にも正確な位置が大変気になりますので来週一月初めに京都に行った帰りにまた大阪へ寄って、自分の目で確かめて来ようと思ってます。

ん? どうやって探索するのって?
この堀では1万5千人余りが戦死してるんですよね。そして和睦で掘が埋められた時に死者がここに投げ込まれた可能性がある!んではないかということからの例の心霊探索ですよ! ハハ
霊感については母に少々鍛えてもらったので、何か感ずることがあるかもしれません。(微笑)

何か寺尾玲子氏みたいになってきましたけど、(そういえばこの人最近どうしてるんですかね)結果はまたのお楽しみにということで、じゃまた。
(ほとんど冗談ですが現地行きはホントです。w)
返信する

コメントを投稿