『新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」にそってお話いたします。そのでんでん虫は,ある日突然,自分の背中の殻に,悲しみが一杯つまっていることに気付き,友達を訪ね,もう生きていけないのではないか,と自分の背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は,それはあなただけではない,私の背中の殻にも,悲しみは一杯つまっている,と答えます。小さなでんでん虫は,別の友達,又別の友達と訪ねて行き,同じことを話すのですが,どの友達からも返って来る答は同じでした。そして,でんでん虫はやっと,悲しみは誰でも持っているのだ,ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は,私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は,このでんでん虫が,もうなげくのをやめたところで終っています。』
これは 第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演
子供の本を通しての平和
--子供時代の読書の思い出-- と題して皇后美智子さまの講演よりの抜粋です。
文藝春秋 7月号に「皇后美智子さまの告白」の特別寄稿が載っておりました。
IBBY(国際児童図書評議会)世界大会会場(1998年ニューデリー)にて、ビデオによる皇后さまの『子供の本を通しての平和・ 子供時代の読書の思い出』の基調講演のことが最初に触れられております。
本当は 美智子さまがインドに行って この講演をするはずだったのが「インド核実験」が報じられたため 急にビデオ講演になさったのだそうです。
『世界名作選の中には,この「絶望」の他にも,ロシアのソログーブという作家の「身体検査」という悲しい物語が入っています。貧しい家の子供が,学校で盗みの疑いをかけられ,ポケットや靴下,服の中まで調べられている最中に,別の所から盗難品が出てきて疑いが晴れるという物語で,この日帰宅した子供から一部始終をきいた母親が,「何もいえないんだからね。大きくなったら,こんなことどころじゃない。この世にはいろんな事があるからね」と歎く言葉がつけ加えられています。
生きている限り,避けることの出来ない多くの悲しみに対し,ある時期から子供に備えさせなければいけない,という思いがあったのでしょうか。そしてお話の中のでんでん虫のように,悲しみは誰もが皆負っているのだということを,子供達に知ってほしいという思いがあったのでしょうか。』とも話されております。
美智子さまは
子どもの時の読書がどれほど私に恩恵を与えてくれたか、そして自分にとっての「根っこ」と「よろこびの翼」を与えてくれたか、とも述べられております。
この講演の最後は
『子供達が,自分の中に,しっかりとした根を持つために
子供達が,喜びと想像の強い翼を持つために
子供達が,痛みを伴う愛を知るために
そして,子供達が人生の複雑さに耐え,それぞれに与えられた人生を受け入れて生き, やがて一人一人,私共全てのふるさとであるこの地球で,平和の道具となっていくために。』と結ばれておりました。
ビデオを撮る当日はどんな服装がふさわしいかしら、と尋ねられたので
皇后さまにお似合いの明るいローズ色のお洋服はどうかしら・・・とアドバイス。
でも実際は あまり明るい色だと会場で長時間ビデオを見ている人が疲れてしまうといけないから、とグレイのスーツになさったとか。
この時のビデオは10年前にNHKで放送されました。
偶然にも 私の家でもビデオに撮ってありました。
昨夜 母から借りて観ました。
例のグレイのスーツも落ち着いて品があり美しかったし お顔も お声も お話の間の取り方も 窓辺の木の緑、風、全てに引き込まれるようなビデオ60分でした。
私は 皇族は雅子さまのことしか関心ありませんでしたが こんなに美しい皇后美智子さまなのか!と改めて皇族について知りたくなりました。
お話の中に 上のような「でんでんむしのかなしみ」の童話が出てくるのです。
私も幼い時 母から聞かされました。
自分だけが辛いのじゃない、誰もが背負っていくべき悲しみを受け入れて 乗り越えていくことが人生だと・・・
これは 第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演
子供の本を通しての平和
--子供時代の読書の思い出-- と題して皇后美智子さまの講演よりの抜粋です。
文藝春秋 7月号に「皇后美智子さまの告白」の特別寄稿が載っておりました。
IBBY(国際児童図書評議会)世界大会会場(1998年ニューデリー)にて、ビデオによる皇后さまの『子供の本を通しての平和・ 子供時代の読書の思い出』の基調講演のことが最初に触れられております。
本当は 美智子さまがインドに行って この講演をするはずだったのが「インド核実験」が報じられたため 急にビデオ講演になさったのだそうです。
『世界名作選の中には,この「絶望」の他にも,ロシアのソログーブという作家の「身体検査」という悲しい物語が入っています。貧しい家の子供が,学校で盗みの疑いをかけられ,ポケットや靴下,服の中まで調べられている最中に,別の所から盗難品が出てきて疑いが晴れるという物語で,この日帰宅した子供から一部始終をきいた母親が,「何もいえないんだからね。大きくなったら,こんなことどころじゃない。この世にはいろんな事があるからね」と歎く言葉がつけ加えられています。
生きている限り,避けることの出来ない多くの悲しみに対し,ある時期から子供に備えさせなければいけない,という思いがあったのでしょうか。そしてお話の中のでんでん虫のように,悲しみは誰もが皆負っているのだということを,子供達に知ってほしいという思いがあったのでしょうか。』とも話されております。
美智子さまは
子どもの時の読書がどれほど私に恩恵を与えてくれたか、そして自分にとっての「根っこ」と「よろこびの翼」を与えてくれたか、とも述べられております。
この講演の最後は
『子供達が,自分の中に,しっかりとした根を持つために
子供達が,喜びと想像の強い翼を持つために
子供達が,痛みを伴う愛を知るために
そして,子供達が人生の複雑さに耐え,それぞれに与えられた人生を受け入れて生き, やがて一人一人,私共全てのふるさとであるこの地球で,平和の道具となっていくために。』と結ばれておりました。
ビデオを撮る当日はどんな服装がふさわしいかしら、と尋ねられたので
皇后さまにお似合いの明るいローズ色のお洋服はどうかしら・・・とアドバイス。
でも実際は あまり明るい色だと会場で長時間ビデオを見ている人が疲れてしまうといけないから、とグレイのスーツになさったとか。
この時のビデオは10年前にNHKで放送されました。
偶然にも 私の家でもビデオに撮ってありました。
昨夜 母から借りて観ました。
例のグレイのスーツも落ち着いて品があり美しかったし お顔も お声も お話の間の取り方も 窓辺の木の緑、風、全てに引き込まれるようなビデオ60分でした。
私は 皇族は雅子さまのことしか関心ありませんでしたが こんなに美しい皇后美智子さまなのか!と改めて皇族について知りたくなりました。
お話の中に 上のような「でんでんむしのかなしみ」の童話が出てくるのです。
私も幼い時 母から聞かされました。
自分だけが辛いのじゃない、誰もが背負っていくべき悲しみを受け入れて 乗り越えていくことが人生だと・・・
振り返れば、後悔する事も多々あります。
さくらの季節さんのお母様、素敵な方ですね。
そういうお母様だと、さくらの季節さんのような素敵なおじょうさんに成長されるのでしょうね。
うちは娘がおりませんので、羨ましいです。
私が 文を書くときは 自分よがり。
相手が読んで分かるように書きなさい、とは
小さい時から言われていました。自分の感情だけが
先走りするのです。
再度 読み返してみましたら 案の定 何のことを言いたいのか自分すら分からない文でした。
やはり書いたら 時間をおいて 推敲すべきですね。
ですから 少し書き足しました。
pinkyさんからのコメントがなかったら 読み返すことも無かった
かもしれません。・・・有難うございました。