猫研究員の社会観察記

自民党中央政治大学院研究員である"猫研究員。"こと高峰康修とともに、日本国の舵取りについて考えましょう!

両陛下に「最も感銘」―タイ紙が王族特集

2006-06-17 02:34:12 | 皇位継承問題・皇室
 先日天皇皇后両陛下が東南アジアを歴訪された。とりわけメインの行事はタイのプミポン国王の在位60年記念祝賀行事へのご出席だったのだが、タイでの歓迎ぶりや、その後の「出席した25カ国の王族、皇族のうち"最も感銘を受け、最も洗練されていた"のは天皇、皇后両陛下だった」との現地紙の報道は、皇室外交という言葉がまさに相応しいものだと、改めて実感させられた。皇室が国政上の権能としての「外交」をすることは憲法上できないことであるとされる。しかし、そういう制約を超えて日本国のイメージを高める潜在的な力は極めて高い。皇室が象徴として存在することの意義の一つがここにもある。大変誇らしいことだと感じられた。
 写真は、タイ国王在位60年の記念行事に出席され、プミポン国王(右)の出迎えを受ける天皇、皇后両陛下=12日、バンコク(代表撮影・共同)。



(参考記事)
[両陛下に「最も感銘」 タイ紙が王族特集]
 【バンコク16日共同】タイで発行部数最大のタイ・ラット紙は16日までに、読者などを対象にした調査を基に、同国のプミポン国王の在位60年記念祝賀行事に出席した25カ国の王族、皇族のうち「最も感銘を受け、最も洗練されていた」のは天皇、皇后両陛下だったと報じた。
 同紙は祝賀行事に出席した各国のロイヤルファミリーの特集の中で、両陛下はタイ王室と最も関係が深く「国民が最も(訪問を)待ち望んでいたロイヤルカップル」と紹介した。
 さらに、両陛下が13日にバンコク市内のチュラロンコン大を訪問した際、大勢の市民が待ち受けたことも「まったく驚きではない」とした。
(共同通信) - 6月16日10時59分更新


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
もっと見たかったけど (PJ)
2006-06-17 13:07:28
報道が少なかったような気がします。

どこかの王子様(?)が感激して泣いていらした(?)ようで、

『もう死んでもいい』なんて仰ってましたが、それを見てありがたく思う一方、あんなに感情を露にしてはいけないんじゃないかと心配になりました。

でも、天皇ご夫妻が海外の方々に大切にされているのを見るのは、とても嬉しくて、感謝しながら拝見してますw
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PJさんへ (猫研究員。=高峰康修)
2006-06-17 23:06:04
国家元首が歓迎されているのを見ると嬉しいものです。確かに、報道少ないですよね。あらぬ方向の過熱報道も困りますが、こういうことはもっと取り上げてほしいものです。

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たしかに美智子皇后は尊敬に値する (むじな)
2006-06-24 03:46:21
あなたには申し訳ないが、私は天皇制廃止論者だ。

ただし、美智子皇后だけに関していえば、その教養の深さから、尊敬に値すると思う。



レバノン出身で米国で活躍した詩人にハリール・ジブラーンというのがいるが、その詩は哲学的に深いものを含んでいるとして知る人ぞ知る名作だが、日本ではあまり知られていない。



ところが、その抜粋訳を旧華族につらなる学者、神谷美恵子氏が角川文庫からだしていて、そのあとがきに神谷氏がジブラーンの詩を読むようになったきっかけが当時の美智子妃から薦められてのことだった、と書いている。



これを読んだ瞬間、美智子皇后の教養、人間的奥行きの深さを知った。

彼女の育った正田家はさすがは単なる金持ちじゃなくて、教養溢れる、本当の意味でのノーブレスオブリージュをもった家庭だっただけのことはある。



また、こういう人が元首夫人なら、諸外国に出たり、諸外国の使節と会っても、まったく恥ずかしいところはないだろう。タイでも感銘を与えたのはむべなるかな。



ただ、問題はここまでの教養と品格を持った人は、現在の皇族では美智子皇后に限られるということであって、今の皇太子妃にしても次男の妃にしても(こっちは可愛い感じだけは好感が持てるが)、いずれにしても、美智子皇后レベルの教養と人間的深みは感じられない。



これはタイの王室とパラレルかもしれない。現在のプミポン国王はきわめて優秀で絶妙のセンスがあって、タイのバランサー、統合の象徴として最大限の力を示したこともあって、タイはあの地域で最も繁栄し、民主化し、安定した社会を築けている。

ところが後の世代となると懸念がないわけではない。次女のシリントン王女が継げは問題ないだろうが(これ以上書くとタイでは不敬罪になるので、やめとくけど)。



プミポン国王と対照的で、国王があまりにもアホだったために、むしろ混乱の元凶となったのが、カンボジアの前国王シアヌークだろう。タイとカンボジアのあまりの格差は、国王の出来不出来が最大の原因。カンボジア国民はかわいそうだ。

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むじなさんへ (猫研究員。=高峰康修)
2006-06-24 11:28:27
あなたが天皇制廃止論者なのは、ブログなどで拝見して知っておりますよ。まさか、この記事にコメントくださるとは予想もしていませんでした。

さて、皇后陛下を一番尊敬できるのは私も全く同感です。絵本の翻訳は有名ですが、「神谷氏がジブラーンの詩を読むようになったきっかけが当時の美智子妃から薦められてのことだった」というのは初めて知りました。

タイのプミポン国王は、先日の政治危機を乗り越えるのに大いに力になったと私には見えたのですが、日本のマスコミでは「国王頼みで民主主義が成熟していない」といった論調が目に付いて釈然としなかった記憶があります。
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天皇制は廃止して天皇は京都に戻るのが筋 (むじな)
2006-06-24 14:39:31
あと、美智子皇后は日本語手話もけっこうできるんだよね。



私の天皇制廃止論というのは、天皇家が東京なんかにいて、洋装をしているからいけないし、妙に政治的に利用されるんであって、冷泉家みたいに特別な歴史を持った一族という風にわりきって、京都に戻ってもらって、本来京都にいたときのように、衣冠束帯、十二単を着て、神儀を行い、和歌を詠んでいればいいと思うんだが?本来、そうだったんだし、京都の人もそれを望んでいるわけだし、そのほうが一家自身にとっても幸せではないか?



大体「皇室は日本の伝統」といいながら、普通に洋服着て、鉄筋コンクリートの洋館にいて、東京にいるなんてのは、どこが「伝統」なのか?

天皇を政治的に利用したい輩が口先だけ「伝統」を悪用しているだけのことだ。



もっと「伝統」についてちゃんと考えるべきだろう。

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天皇制は廃止して天皇は京都に戻るのが筋 (むじな)
2006-06-24 14:40:20
あと、美智子皇后は日本語手話もけっこうできるんだよね。



私の天皇制廃止論というのは、天皇家が東京なんかにいて、洋装をしているからいけないし、妙に政治的に利用されるんであって、冷泉家みたいに特別な歴史を持った一族という風にわりきって、京都に戻ってもらって、本来京都にいたときのように、衣冠束帯、十二単を着て、神儀を行い、和歌を詠んでいればいいと思うんだが?本来、そうだったんだし、京都の人もそれを望んでいるわけだし、そのほうが一家自身にとっても幸せではないか?



大体「皇室は日本の伝統」といいながら、普通に洋服着て、鉄筋コンクリートの洋館にいて、東京にいるなんてのは、どこが「伝統」なのか?

天皇を政治的に利用したい輩が口先だけ「伝統」を悪用しているだけのことだ。



もっと「伝統」についてちゃんと考えるべきだろう。

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国王の属人的な資質に左右されたネパールの例 (むじな)
2006-06-24 14:49:59
>タイのプミポン国王は、先日の政治危機を乗り越えるのに大いに力になったと私には見えたのですが、日本のマスコミでは「国王頼みで民主主義が成熟していない」といった論調が目に付いて釈然としなかった記憶があります。

>



そう。あれは「余計なお世話」だよなあ。

タイと日本では歴史的背景も風土も違うんだから、日本の象徴天皇を基準にして、タイのような国王の影響力行使を批判するなんてのは、アホもいいところ。



ただし、タイもプミポン現国王本人が優秀だからうまく機能しているのであって、そうでなければどうなるのかという不安は、タイ国民も強く持っている。そういう点では、「国王の属人的な資質」に依存するシステムは、将来に不安はある。



そこで思い出されるのがネパール。前のビレンドラ国王とその息子はかなりまともだったから、共産党も含めて穏健な立憲君主制を支持して安定していたが、前国王一家虐殺事件の後、今のギャネンドラ国王が権力を握ると、たちまちドキュンになって、どうしょうもなくなったからな。ギャネンドラの息子の皇太子はもっとドキュンだし。ネパールの王制は多分これで終わりだろう。しかし、せっかくビレンドラ時代は中国寄りではあったけども、まともだったのにね。
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なるほど! (猫研究員。=高峰康修)
2006-06-24 22:19:18
むじな氏の天皇論を拝聴できてよかったです。実は興味を持っていたので。

確かにお説のような伝統の捉え方も一理あるというか、むしろ私なんかよりも伝統に徹底してこだわっておられるようにも感じました。納得して同じ立場に立つかはともかくとして…。そういえば、戦後の皇室の運命について貞明皇后が「心配することはない。昔に戻るだけのことだ」と言ったそうで、どこか通じるものがあるような気もしないでもない。

タイやネパールの例を見れば、それぞれの国に固有の条件があることが如実に分かり、むじな氏がよく戒めとしておっしゃっている「なんでも自分の基準でものを見るのはダメだ」ということが、改めて実感されます。属人的要素が大きくても君主の調整機能に期待するのか、より制限された立憲君主制をとって君主を象徴の機能に限定するのか、それならばいっそのこと共和制にするのか、といった選択肢はまさにそれぞれの国の固有のことです。
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