ファイナンシャルプランナーのニュースチェック

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来年1月からスタートのNISA 複数の金融機関では開設できないことは御存じですか?

2013-09-01 11:52:07 | Weblog
 来年1月から上場株式や株式投信等の譲渡益・配当や分配金にかかる税率が10%から本則の20%に戻ることから、少額投資非課税制度(NISA)への関心が高まっていますが、複数の金融機関に口座を開設できないことを知らずに金融機関から税務署が申請を受け付ける段階で混乱が生じるケースが相次いでいるそうです。

 では、なぜこのような混乱が生じているのかと言えば、実はこの10%の軽減税率で済むNISA口座を獲得できればメイン口座の獲得にもつながるとばかり、金融機関がしのぎを削り、一部の金融機関ではキャッシュバックキャンペーン(*)まで行っていることから、ついつい目先の利益に目を奪われてしまうからのようです。
*一例を挙げれば、野村証券なら平成25年9月30日までにNISA口座を開設→税務署の審査→口座開設手続き完了 すれば現金2000円をプレゼント。更に家族や友人を紹介して、その紹介した方がキャンペーン期間中に新規に口座を開設した上、キャンペーン対象商品を50万円以上お買付したら、紹介者と紹介頂いた方に3000円をプレゼントするというキャンペーンを行っています。

 ただ、このNISAという制度。上場株式や株式投資信託等の配当金や売買益等は非課税となる一方で、これらの売買損失はないものとされることから、特定口座や一般口座で保有する他の上場株式等の配当金や売買益等との損益通算ができなければ、損失の繰越控除(3年間)もできません。

 ということは、当然購入商品単体で利益を出している時に売却しなければ意味がないわけで、売却する時に一々開設した支店まで出向いて複雑な書類を書かなければならないような金融機関だと、売却そのものが大変になるわけで…。

 私などは野村証券の口座は住所変更前の県外の支店に置いたまま(当然遠方の支店から口座残高が送付されてきます)のため、私に限っては少なくともここは候補から外すことになりますが、(将来法改正がされる可能性は否定できませんが)現時点ではNISA口座を開設後、4年間は他の金融機関に変更することが出来ないという制約もあるだけに、金融機関選びは慎重に行いたいものだと思います。

大病院、紹介状ない初診「1万円」 患者分散へ

2013-09-01 08:03:23 | Weblog
大病院、紹介状ない初診「1万円」 患者分散へ 2013年8月30日 日経(会員記事)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2902L_Z20C13A8MM8000/
 厚生労働省は紹介状を持たずに大病院に来る人に、定額負担を求める方針を固めた。金額は1万円を軸に検討し、2016年度をメドに始める。軽い病気でも大病院に行く患者が多いため大病院が救急医療など本来の役割を十分に果たせない問題に対応する。まず患者が地元の「かかりつけ医」を訪ね、そこで大病院が必要か判断するよう誘導し、医療を効率的にする。過剰診療を避け、医療費の節減につなげる狙いもある。
 金額は2万円や3万円にする案もあるが、1万円が有力。厚労省は15年の通常国会に健康保険法の改正案を提出する。
 現在も入院用ベッド数が200床以上の大病院に紹介状を持たずに来た患者には、病院が患者から特別料金を徴収できる制度がある。200床以上の病院は全国に約2600あり、その半分弱、約1200の病院が特別料金を課している。特別料金は平均1998円で、最高は8400円。
 それでも、大学病院の初診患者の56%は紹介状なしで、大病院を選択している。風邪など軽症患者の診療に医師や看護師が忙殺され、救急や重篤な患者の診療体制が手薄になりがちだ。患者が大病院に集中するのを是正するため、1万円以上の定額負担を求める。
 現在も診療所で紹介状を作ってもらってから大病院を訪ねると、通常の初診料(3割負担の人は810円、1割負担の人は270円)で大病院の診察を受けられる。
 日本は保険証があればどの医療機関も受診できるため、念のためといった理由で初診で大病院を訪ねる患者が多い。その弊害が大きくなったため、政府の社会保障制度改革国民会議は「必要な時に必要な医療にアクセスする」という方向に転換すべきだと提言した。
 高齢化で膨らむ社会保障費のなかでも医療費は25年までの増加分の半分を占め、その効率化は喫緊の課題だ。高度な医療を担う大病院が、救急医療やかかりつけ医から紹介される重篤な患者の診療に専念すれば、質の高い医療をより少ない費用で実現できる。
 日本の1人当たりの平均受診回数は年13.2回で経済協力開発機構(OECD)平均の2倍。「どの医師がよいかわからない」と複数の病院を受診し、何度も同じ検査や投薬を受ける患者も多い。そこで大病院への患者集中を抑えるのと併せ、まず患者がかかりつけ医を訪ね、次に必要な診療を助言してもらう仕組みを作る。無用なはしご受診を避け、医療費を抑える狙いだ。
 かかりつけ医を見つけやすいよう、幅広い診療能力を持つ医師の養成も進める。様々な症状をみて、大病院に紹介する「総合診療医」を専門医として新たに位置づける。18年度にも現場で働けるようにする。

病院の機能分化促す 大病院の初診1万円  2013年8月30日 日経(会員記事)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGC2901T_Z20C13A8EE8000/
 厚生労働省が軽症の患者に対し大病院での診療にハードルを設けるのは、診療所との機能の分化を進めるためだ。高度医療をする大病院と地域住民の日ごろの健康管理を担う「かかりつけ医」を患者が使い分けるよう促し、検査や投薬の重複を減らす。そのためには大病院での初診時の負担を重くするだけでなく、「かかりつけ医」の役割を果たせるよう地域の診療所の質を高める必要がある。
 日本のかかりつけ医は定義があいまいだ。日本医師会は診療科に関係なく、地域の住民の健康診断や医療行為まで担う存在ととらえる。だが、1人の患者に対し、様々な診療科の開業医が何人でもかかりつけ医になれる。専門がばらばらで医者の質も一定でない課題もある。
 一方、欧州では診療所のかかりつけ医を家庭医と呼ぶ。英国では家庭医の受診を義務化し、必要なときだけ専門医のいる大病院を紹介してもらう。家庭医は住民数に応じて定額で報酬が支払われる仕組みが一部導入され、治療行為に応じて支払われる日本と違い、無駄な検査や投薬を抑えるインセンティブを組み込んでいる。
 社会保障制度改革国民会議は医療提供体制の改革策として「かかりつけ医の普及は必須」とした。ただ、肝心の定義は明らかにしなかった。欧米のかかりつけ医の仕組みに警戒感を示している日本医師会に配慮したためだ。
 だが、日本でもかかりつけ医を普及させるには、患者が診療所のなかから信頼できる「かかりつけ医」を選べるようにする必要がある。2018年度にも様々な症状を診断し、専門医に紹介する「総合診療医」が誕生する。診療所の医者にも資格取得を促すなどの質の向上策は検討していくべき課題だ。日本総合研究所の西沢和彦上席主任研究員は「家庭医についてもタブー視せずに議論すべきだ」と指摘する。

来年度の診療報酬改定、在宅医療を推進 厚労省 2013年8月10日 日経
 厚生労働省は2014年度の診療報酬改定で、在宅医療を推進する。病院は早い段階から患者のリハビリに取り組むなどして入院日数を減らし、自宅に移れるように促す。かかりつけ医を中心とした地域の医療体制づくりも後押しする。
 9日の社会保障審議会(厚生労働相の諮問機関)で基本方針の中間整理案を示し、大筋で了承を得た。基本方針は年末にとりまとめ、来年の診療報酬改定に反映する。
 かかりつけ医を中心に、病院や歯科、薬局などが連携するのが新たな医療体制だ。専門性が高い大病院には、かかりつけ医から紹介されるしくみも必要となる。
 病院から在宅への推進も打ち出した。病状にあった適切な医療を提供できれば、医療費を減らしやすくなる。いまは本来、緊急性の高い患者を受け入れる病院に、入院患者があふれている。この解決策として、診療報酬だけでなく消費増税分を財源にした補助金の活用も盛り込んだ。



 先週末に突如降ってわいたこの話題にネット掲示板などでは「地元の年寄り医者のやっている診療所では誤診が不安」「急に体調を崩して心配だから駆け込むのに、適当な薬を出されて様子見されるのは嫌だから大病院まで行くのに…」といった不安の声が上がっていたのですが、そもそも大病院の定義(大学病院だけに絞るのか、地域の医療を守る救急指定病院まで含めるのか)がわかりませんし、産婦人科や小児科の場合、前者は産婦人科はやっていてもお産はやっていない(通常のお産は受け付けても高齢等のリスクのある出産は受けたがらない)ケース。後者の小児科も体調の悪さを的確に表現できずに手遅れになるリスクを考慮したら、診療科を問わずに一律に適用するのはいささか無理があるでしょうし、とりわけ近くに腕の良い医者のいない郡部では感情的な反発を招くことになるでしょうね…。
 大方、慢性的な体の不調に悩まされるリピーターのお年寄りを想定して「初診に1万円を別途請求すれば寄り付かなくなるだろう」といった発想なのでしょうが、差額ベッド同様、一定の徴収基準を決めなければ、本当に必要としている人が診療を受けられない国民皆保険制度そのものを揺るがすことにもなりかねないだけに、いくらなんでもこの1万円のボーダーラインは高過ぎるのではないかという懸念をどうしても感じてしまいます。