ひょーけつの霊パ考察+@

ゴーストタイプ統一。時々その他趣味の話だとか

【読み切り】鬼の涙

2013-02-03 | 小説
朝日が山の縁から顔を覗かせ遍くこの世を照らし輝く。
まず空を白く染め、木、花、土・・・そしてそれらに混じる動物たちに光を射す。
花は目一杯に蕾を開き太陽を浴び、鹿は首を擡げ天を仰ぐ。
黒から群青、橙、水色と移ろう空はただただ綺麗と溜息が出るばかりである。
空を駆ける叢雲もそれに従い顔色や姿を忙しく変え、視界に映るいずれの雲も一つとして同じ姿をしていない。
大自然の芸術というものにはいつも驚かされる。素直に凄いと一言、それ以上は言葉も出ない。
嗚呼、本当に素晴らしい世界だ。
そしてどこまでも美しく、希望に満ち溢れている。朝日とは生きとし生ける物全てをそういう気分にさせる。
こんな偉大な世界。それに有難みを感じることができる人間として生まれたことは大した偶然にして幸福だと思う。
その確率は一体どれほどのものだろうか。正に雲を掴むような途方も無い話だ。
――だから、この不運は仕方が無いんだろう。
そう。きっと生まれたときに全ての運を使ってしまったに違いない。人間として生まれるという事はそれほどの幸運だ。
大木に凭れ掛かり、自らの身体を見た。
健康的な茶褐色の肌。四肢は山暮らしで太く発達し、逞しい。
この特徴だけを見るならば野山を駆ける者とも取れる――ただ一点、腕が4本あるという点を除けば。
奇形児。この者はそういうものであった。
今から大よそ20年近く前に山中の小さな人里に生まれ、だが異形・・・挙句は鬼の子として忌み嫌われ捨てられた。
本来ならば生きる力のない乳児のはずであったが、全国には各所そういう捨て子の集う場というものがあると聞く。
この男もその一つに拾われ、こうして成人を迎えるに至るまで育った。
もしも生まれる時に尽きたはずの運が微細にも残っていたとすれば、拾われたことにより今度こそ底を突いたに違いないだろう。
或いは、たった今使い果たし、故にこんな悲劇に晒されているのかもしれない。
この男の腕の一方は正に真っ二つ。丸太の如く切断されていて、切り口からは血を垂らしている。
鬼退治。この男を傷つけた者は血走った眼でそう咆えた。
長の話に聞いたことがある。男のような奇形児はその不安定な遺伝子のまま種を残し、繁殖するが故に異形を生み続けると。
結果、麓の人里に住まう人の姿と異なり、それは恐怖を育み敵意を生ます。そしてそれらはいずれ刃を向けて襲うのだと。
考えれば当然なのかもしれない。男もまた、妖怪などの恐ろしい相手は御免だった――まさか自分がその妖怪扱いされているとは思わなかったが。
痛みを堪え、喘ぎ声を殺し地に伏せて辺りを見渡す。
鳥が歌う森の中には人っ子一人いない――昨日までは仲間が顔を覗かせていたはずなのに。それに代わり遠くから喧騒が聞こえてくる。
未明の惨劇を思い出す。
洞窟で寝ているとそこに荒々しい足踏みで武装した者共が乗り込んで来、刀を振るって男の仲間を斬ったこと。
最初の被害者は男が一緒に夢を語り合った友だった。その者の血で岩壁が赤に染まり、男達はまず驚き、震えた。
松明を受けて煌めく白刃の下、次々と仲間たちが殺されていく地獄絵図の中で、腕を伸ばした――愛おしい少女へ。そして、その腕ごと彼女は冷たい鋼に裂かれ逝った。
少女が照れながらも男に渡した杜若の花飾りだけは、彼女と相反して日常を送る。
痛みよりも喪失感による怒号。目の前で尻すぼみになる断末魔。皆が皆、悲鳴を上げていた。
正に阿鼻叫喚。男はどちらが鬼なのかが分からなくなっていた。
不意を突き、虐殺し、一分の容赦もしない。当然、男から見れば侍達は悪鬼羅刹そのものだ。それがぞろぞろと周りを取り囲んでいる。
絶望。生きながらにして死んだも同然の死地である。だが、男は当時、不思議とその心は熱かった。
もしかすると世界に恋をしていたのかもしれない。果てない生への執着が男を奮い立たせた。
そこから先、どのようにして逃げ延びたかは覚えていない。ただ、もし再度演じて見せろと言われれば恐らく刃の餌食になるだろう。
そうするとまだ運は残っているのだろうか。

「・・・ふぅ」

辺りに敵はいないと判断し、息をつく。
数時間程山の中を逃げ続けたからだろうか、それとも眠り半ばでの逃亡だったからだろうか、いずれにしても眠気が酷い。
ここで眠気に身を委ねてしまえばきっと目を覚ます頃には楽に慣れているに違いない。
それもいいか?否、俺はまだ生きたいのだ。
弱い思考を持つ自らを叱咤する。何故自ら死を選べるだろうか。これほどの世界を目の前にして。加えていつかこの恨みを晴らしたいとも思った。だから、死ねない。
目に決意を浮かべ木陰から立ち、駆けた。目指すは鬼の総本山――大江山。
もはや本物の鬼が出てきたとしても人より遥かに信用できる・・・そう思い。




大江山は想像していた以上に遠い。
ざわめくススキの中を行きながらそう思った。男は元居た山から出た試しが無かったのだ。
人目を避けるために山に籠っていたのだから無理もないだろう。道中何度も道に迷っている。
空には半月が浮かび、淡く闇夜に灯っていた。
命辛々山を逃げ出しもう半月近くになるのだろうか。随分と歩いた、走りもした、人にも遭った。男の身体は既に満身創痍と言って違わない程に傷ついていた。
だが、男はこうして生き延びている。

「案外、まだ運があるのかもしれん」

自らの境遇を知って尚自らの運を信じる。楽観か、それとも愚者か。だが、今はそのどちらにしても支えになれば問題は無い。
遠くには大江山が見えている。この事実に何度絶望から救われただろうか。
――夜の内に進め。
ススキを掻き分け道に躍り出た――その時だった。
目に映る人影。闇に霞んで詳細は窺えないが、腰に差された刀がそれは侍だと物語っている。
男が気付いたように侍もまた男の存在に気付いた。柄に手を伸ばし声が発される。

「何奴だ?」

勇ましいという言葉を体現している様な覇気のある声。
それは一度の問いの後、男を見て動揺へと変わった。

「――こいつ、妖怪か!」

鯉口を切る音。月光を跳ね返し剣閃が覗く。
男も只事では無かった。

「待て、侍よ」
「言葉を介すか、化け物」
「俺は化け物などではない。人間だ」
「己を見て嘘を吐け。その奇形を以って我が騙されると思うたか?」

言葉に詰まる。確かに、この腕がある限り男は人には成れない。
歯噛みした。人はどうしてこうも心が狭いのか。ただ、自らと姿が違うと言うだけでどうしてここまで追い詰めるのか。
男の悔しげな顔を侍は如何なる意味だと受け取ったのだろう。成敗、と一言の下に刀を振り下ろす。

「死なん!」

刃が男に侵入する寸のところで身体を捻りそれを躱した。
男を殺すべく首筋を狙った刀身は浅く肩口を裂くに止まる。透かさず血が溢れるが、止血どころか逆にそれを手に溜め侍に見せつけた。

「見よ、俺には血が流れている!貴様らと同じ人間の血がな!」

血。動物全てに流れる命の証と言っても良いだろう。
もしかすると本物の妖怪にも流れているのかもしれないが、男の知ったことではない。
男の気迫に押されてか、侍は一瞬言い詰まった。しかし反論する。

「我らと同じだと?汚らわしい化け物風情が人を騙るな!」

そう叫び、上段に構える。

「貴様は何故俺を殺す?」

男は有りっ丈の感情を込めて侍に問いを投げた。
もはや男の命など侍の気紛れ一つでどうとでもなるだろう。ならば諭す他の手は無い。

「手前が悪だからだ。鬼は人を攫い、喰らい、殺す。それがどうして悪でないと言える?」
「悪だと?笑わせる。そんなもの個体の悪行でしかない。ならば人間はどうなる?罪を負った人の数は数え切れないだろう。貴様らは悪か?」
「違うな。罪人は皆妖怪に憑かれておるのだ。我ら人間は常に正義である」
「見た目で判断する卑しさ、闇討ちをし、女子供も皆殺しにする行為が、それが貴様らの正義か!?」
「それは――」
「俺はこの見た目の仕業で親に捨てられ、仲間も殺され、全てを失った。残ったのはこの身一つだが、それすらも奪おうと言うのか!?」

侍は目を忙しく動かし、言葉を失っている。
男は内心で安堵した。山で皆を殺した侍共はまさしく野蛮。話の通用する相手では無かったが、この侍はどうやら違うらしい。
あの時山で言えなかった言葉をこの侍に向けて吐き出した。

「貴様には心が無いのか?俺には貴様らこそが鬼に見える!」

風が凪ぎ、ススキ共が黙り、更には虫までもがその言葉に息を飲んだかのように思えた。
不気味なほどの無音。今ならばいっそ月の囁きすら聞こえてくる気がする。
男の懐から何かが落ちた。見れば、それは愛しき少女から送られた杜若の――もはや枯れて萎れてしまった――花飾りだった。
思えば、水も何も与えずに半月という時間共に過ごしてきたのだ。枯れない方がおかしいというものだろう。
風など吹いてもいないというのに髪飾りは不思議と彼方へと散っていく。
――ありがとう。
感謝の念を送りつつも、一転、侍の目を睨み返す。

「手前の言う正義とやら、その身が異形でなければ聞いてやりたい――いや、是非説いて欲しいところだ。生憎とそれは叶わんがな」

侍は穏やかな声音でそう言い、刀を鞘へ納めた。男の策が通じたという事だろう。
いつしか、男の頬には涙が伝っていた。嬉し涙などではない。もしも洞窟でも同様に侍共が武器を収めていれば、という悔しさだ。
それは叶いもしない理想であり、もう戻れない過去であるが、人は過去を悔やむ生き物らしい。男は涙が止まらなかった。

「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

慟哭、咆哮。渇いた喉は割れ、血が喉を潤す。頬を流れる涙は痛々しいまでの悲しみを感じさせる。
2本の腕で地を殴り、異形の腕で地を掻く。無力の証。逃げ続けることしかできない自らの弱さに、男は初めて堪え難い後悔を覚えた。
これまでは生き延びることに必死だったが、初めて和解を成した侍を前に激情の枷が外れてしまったのかもしれない。或いは今まで仲間を悼まなかったのかと自らを笑いもした。過去を振り返ると、後悔だけしか見つからない。

「ならば・・・」

――未来に託すまで。
男は長に聞いた言葉を思い出し、過去を振り返ることを忘れた。所詮人は未来へと歩くことしかできないのだ。どうして過去にいつまでも浸っていられるだろうか。
決意に満ちた表情で立ち上がった。その時だった。

「どうした。今の叫びは何だ?」

腰に刀を下げる者が侍へと近付き問いかける。そして侍の目線を辿り、男へ気付く。
男は心の中で既視感を覚えた。違う点はただ一つ・・・来訪者の目。それは侍と違って血走ったものだった――洞窟で見た者共と同じく。
来訪者は侍へと叫んだ。

「貴様、そこの鬼を斬れ!」

侍の目は動揺に揺れた。同時、男は自嘲する。
自らの生死は再びこの侍に決定権があるのだ。つくづく力の無さに嫌気が差した。
もしも大江山に巣食うとされる伝説の鬼ならば、こんな状況を一息でひっくり返せるのだろう。そもそも、洞窟の悲劇すら生まれなかったかもしれない。
未来には、或いは来世は強くなろう。そう心の中で目標を一つ定めた。
侍は刀を鞘から抜き、構えるもそこで手が止まっている。訝しげな表情をして来訪者が訪ねた。

「どうした。何故斬らない?」
「拙者には、この男が人に見えます。故に、斬ることは即ち人斬りの罪を負うことになるのではないでしょうか」
「戯言だな。さては貴様魅入られたか?鬼の言葉に耳を傾けたのか?それならば我は貴様を斬らねばならんな」

苦しそうな表情をし、玉の様な汗を流しながら侍が俯く。
暫し目を動かし、幾度か男の顔を見た後に顔を上げ、男へと近付く。その眼は覚悟を宿している。
――そうか、駄目だったか。
逃げるか?無理だ。足は既に限界を迎えている。そろそろ休むつもりだったのだが、どうにもそれは叶いそうにない。
男は遂に生きることを諦めた。不思議と、心は穏やかだ。逝けば向こうで皆に会える。この泥を啜る毎日ともお別れだ。

「すまぬ、異形。我はどうやら権力というものに正義を売ったらしい」

例えどんな善を以って叫ぼうとも、それは捻じ曲がった“善”に押し潰される。
目の前の侍もまた、男と同様の被害者だった。そういう意味では似た者同士だろうか。
男は自虐気味な笑みを浮かべて、果ては自身の人格すら否定する気持ちで言った。

「最後だけは鬼らしく逝ってやろう。貴様の手柄も立つだろうしな」
「・・・その方が罪の意識が薄らぐかもしれない。助かる」

侍と数語交わし、化ける。
正しく鬼の形相で侍を睨みつけ吼えた。

「許さぬ、例え死してもなお貴様共を殺してやる!」
「御免」

刃が男の首を捉え――

「呪ってやるぞ・・・絶対に」

――刎ねた。
最期の言葉はとても自然と零れたものだった。きっと、男は人を本気で憎んでいたのだろう。
地を転がる頭は夜空を見上げ、浮かぶ半月を眺めている。男は満月が好きだった。結局それを見られずに死んだのは皮肉だろうか。表情はどこか惜しそうにしている。
恋しき世界に別れを告げ、男は死んだ。嘆きか、絶望か、いずれの感情か、その頬には涙が流れていた。




侍は血を浴びて、酷くその心は沈んでいた。
雨が降っているわけでもないのに雨が見える。射す月明りは雲に遮られたかのように曖昧で、まるでその身が雨中にあると思う程だ。仰いだ夜空に座す星は光を失った。
この刀は誰の為に?侍は問う。権力に跪き罪もない者を殺す為の自分なのか、と。
無力に打ち拉がれていた侍の背に声が掛かる。

「ご苦労。良くぞ鬼の首を取った。戻れば殿から御恩が下るだろう。しかし・・・」

来訪者は男の亡骸に近付き、唾を吐き言った。

「鬼というのは酷く醜いな。汚らわしい・・・。行くぞ」

汚物を見る目で首を蹴った。それは赤い尾を引きながらススキ林の中を転がる。
侍はその光景を見てもただ拳に爪を食い込ませる事しかできなかった。いっそ、眼前のこの者を斬れればどれほど気持ちが晴れるだろうか。しかしそれは叶わない。この身が人である限り、歪んだ“正義”に従わないといけないのだ。

「なあ、異形よ。手前が望んだこの人の身、決していい身分ではないぞ」

自らが殺した者への手向けの言葉としてそう言った。
来訪者は怪訝な顔をして侍を呼ぶ。目を瞑り心の中で再び弔ってから答えた。

「ああ、参られようぞ」




場所は京都、神が住むとされる霊山――大江山。
1世紀半ばにも跨りここに居座る鬼の総大将『酒呑童子』の退治を使命に兵達は大江山に入った。
時間は闇討ちに最適とされる新月の夜。情報による鬼の数の2倍もの大軍が討伐に投入された。
多勢の筆頭には源氏が立ち、その手には名工の最高傑作とも言われる太刀が握られている。軍隊は全員達人級の精鋭揃いで、まさに万全だ。一分の隙もない。
そんな猛者共の一人が、今、一体の鬼の首を取ろうとしていた。
投げられた斧を躱し伸ばされた腕を斬り落とす。吠えながら繰り出された突進を柔で流し、投げ、踏みつけて押さえる。
必死の形相で鬼は叫ぶ。

「正々堂々とは天地も離れた外道めが。鬼に堕ちた者共が!」
「そうだな。我らは鬼かもしれん」

血飛沫が舞い、鬼が沈黙する。
侍は疑問に思う。『酒呑童子』は大江山に陣取る他何をしたと言うのだろうか?聞き及んだ覚えが無い。ならば、何故彼らを斬らないといけないのかと。
大江山にいる鬼も結局、かつてその手で斬った者同様の異形の人間であった。
――この異形達も、また我らに平和を壊された被害者なのだろうな。
ただその身体が普通でないというだけで、こうして一方的な殺戮を強いられるのだ。不遇を極めているだろう。
また、あの男の様に絶望を彷徨う者を生んでしまうのだ、自らの手で。
目に映るだけでもまだ十数の鬼がいる。それへと走り、刃を振るい、首を落としていく。
刀を一度振る度に赤が闇に咲き、一つの不幸を呼ぶ。それを何度も、何十回も、何百回も繰り返す。
遂に大将が『酒呑童子』を討ち、残る鬼も皆殺しにした。戦は快勝で幕を下ろす。敵を全て討ち、味方の損害は微々たるもの。喜ぶべきはずだというのに、侍の目には涙が溢れていた。
捻じ曲げられた“正義”を代行する己の醜態を、あの男は彼岸から嗤っているだろう。或いは怒っているのか。
あの日から変わらず、侍は無力なままだった。それが情けなくて、他人の不幸を招く事しかできない自分に反吐が出る。
この悪行を尽くすこの身を、鬼と呼ばずして何と呼べるだろうか。
そんな絶望から流す、鬼の涙。