『明治風物誌』(柴田宵曲著、ちくま学芸文庫)を読む。
著者は明治30年生まれで逝去されたのが昭和41年。目次を眺めると、明治ならではの項目と、現在でもなんら違和感のない項目とがある。前者としては、「ミラー公判」、「西洋菓子」、「人力車」、「ペストと鼠塚」、「煙管」、「デヤボロ」、「連帯旗」、「西郷星」、「頌徳表」、「凌雲閣」、「上野の戦争」、「単騎旅行」、「天長節」、「超然派」などが並ぶ。後者としては「野球」、「万年筆」、「いちご」、「電車」、「運動会」などなど。中には現在でも通用するが、表記が現在とは異なっていたり、現在では日常では漢字表記はしないものとして、「扇風器」、「瓦斯」、「石鹸」、「蝋燭」、「煉瓦」、「撞球」といったものがある。
この手の本を読む時は、今ではなくなってしまったものについて知り、こんなものがあったのかという驚きを覚える、今でも日常接するが、明治時代にはこんな感覚で捉えられていたのかという感慨を覚えることが楽しい。いちいちとりあげているときりがないのであるが、例えば
万年筆は普通に皆マンネンヒツと云つてゐるが、古風な人はマンネンフデと云うやうである。現に「思ひ出す事など」のルビもマンネンフデになつてゐる。沼波瓊音(ぬなみけいおん)などといふ人は「泉筆」と称し、「泉筆に水を通すや夏に入る」「泉筆の墨の出悪くなりにけり厭な人来る兆なるらむ」といふ句や歌を作つてゐる。たぶん作者の造語ではあるまいと思ふが、一般にはあまり行はれなかつた。句や歌の場合、最初の五文字に置くには、「万年筆」は調子が悪いから、ここは泉筆とするのが当然であらう。
というのを読むと万年筆を見る目が俄然違ってくるのである。万年筆の書き味というのは好きだが、「まんねんふで」だと思うとまた書き味も違って感じるし、「泉筆」で手紙を書くと思うとなんだか詩人になった気分がする。こうした読み方なり異名は、古臭いという印象よりもむしろ新鮮な印象を呼び起こすように思えるがどうだろう。
「携帯電話」がいずれ「携帯情報端末」という名称(あるいはもっと斬新な名前)になり、「携帯電話」なんて古臭いというようになってもさらに時を経れば「携帯電話」が新鮮な印象を呼び起こすような時が来るかも知れない。
この項には、漱石がはじめて万年筆を手にしたのが彼がイギリスに留学する際であったこと、手にしながらも船中で「器械体操の真似をして壊してしまったため」、留学先では万年筆でなくペンを使っていたというエピソードも紹介されている。全集では「機械体操」と書かれているが、果たしてどのような真似をしたのだろうか。この箇所についての註は見当たらない。先日漱石とエキササイザーのことを読んだが、漱石は留学前に機械体操のようなことをしていたのだろうか。