goo blog サービス終了のお知らせ 

Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

ツバメの子

2012-05-13 22:52:14 | 日々のつぶやき

今朝、ノワタリさんに遠隔で手伝っていただき3階の神様の御鏡の御魂入れをした。

昨晩、母の心臓の具合が良くないのでエネルギーを入れたが、丹田に手を置くとピリピリしたので何か憑けているのではと思いそれもノワタリさんにご相談した。

「悪いものではないが、日に焼けた老婆の指の長い手が見える。」と言われた。

そのような人は身内にいないが、なぜかその時父方の祖母の叔母さんの顔が浮かんだ。その事を伝えると、「寒気が走ったから、そうですね。その方お名前は?ご供養しましょう。」と、仰られた。「ご家族から忘れられてるのかしら?きれいな人ね。」とも言われた。

しかし、私には下の名前は分からない。土手かぼちゃのような顔の祖母と違い上品な人で子供の頃、祖母の田舎へ行く度、祖母の実家ではないのに泊まったりしてその家のお孫さん達と一緒によく遊び、わけ隔てなくかわいがって頂いた優しいおばあちゃんだった。

父も子供の頃、夏休みになると其処へよく行き、少し年上の息子さんに勉強を教えてもらったと懐かしそうに言う。

母も血縁ではないが、大変優しくしていただき祖母の親族の中で一番好きだった人だという。

また、名前を教えてもらったのでノワタリさんに連絡を取ると、訪問者が来られていたので午後になった。

その間、隣町の道の駅まで行き買い物をした。昨日叔母に沢山切花をもらったが、あまりにも綺麗なのでそこで芍薬を買った。

まさかそれを、ご仏前に供えるとは思っていなかった。

昼過ぎ部屋に戻ると、ベランダに1羽の産毛のまだついている子ツバメが足を上げた仰向けの状態で落ちていた。「わぁ!」と叫び声をあげてしまった。

ヒヨに襲われたのか、それとも落っこちたのかは分からないが、よく見ると大きく息をしていた。

まず、助からないだろうと思ったが、コンクリートの上ではかわいそうなのでマットの上に乗せた。

片付け物をした後、たぶん死んでいるだろうから海に流さなければと思いティッシュで掴むと「ピィピィ」とか細い声がした。

左手に乗せ右手で覆いエネルギーを1時間くらい流すと、足の裏から痛みが数回出て行った。それでもずっと、足裏が重い。

そうするうちに子ツバメは仰向けでなく普通に座った。外傷はないが、3メートル近く落ちたので相当なダメージを受けているはずだ。手のひらに乗っているツバメの頭を指でナデナデしていると、少しづつ鳴く。ベランダでは他の兄弟達が親が来る度賑やかに鳴いているのに不憫である。

そのままずっと抱えている訳にもいかず、電気のマットの上に箱を置きその中に綿を敷き詰めティッシュ置いて暖めた。

その間私は、今晩ご供養する準備とツバメの餌を買いに出た。命のある間はどうにか面倒見ようと思う。

帰宅すると、母が「ヒヨがベランダにやって来ていたのでハンガーを投げると当ったのよ。」と、得意そうに言った。もしかすると落とした子ツバメを探していたのかも?

虫の幼虫と鶯の餌の粉を買って耳かきに載せくちばし近くに持っていったが食べてくれないので綿棒に水を含ませくちばし付近を触った。

まだ、早急なのか?そうするうちにおしっこが出た。

そして供養の準備に取り掛かった。甘酒とミルクコーヒーがノワタリさんに浮かんだのでそれらとりんごをむき、イチゴと羊羹やお饅頭を用意しご飯とお水、お茶を供えた。

そのおばあさんはとても不幸な人で、一人息子は戦死、後身内から養子をもらい嫁をとったが、私が小学生の頃その養子さんも病死され、その後お嫁さんに余り大切にはされなかったらしい。

子供の頃、其処の私より1つ上の女の子はそのおばあちゃんが、足が冷たいだろうと言って懐に足を入れて暖めたのを見たのを覚えている。私の祖母など、そんな事してはくれなかったので驚いた。

子ツバメは何時までも明るい所においていくわけにいかないので、マットに電源を入れたまま隣の部屋にもって行き、夜7時からご供養した。

母も父もやって来てお線香を上げ拝んだ。今晩はみんなでそのおばあちゃんを思い出し、その話をしたのでそれも供養になるだろう。

ノワタリさんは「大変喜ばれてますよ。する前から気配はしていたんだけど、お顔は見せてくれなかったけど、若い頃の着物の姿でふくよかな人ですね。」と言われた。

今晩はそのままにして沢山食べていただき明朝、お供えと一緒に名前を書いた短冊をお炊き上げして海に流しに行こうと思う。

そんな事もあり、1日中バタバタした。

 


冷たい風

2012-05-13 01:13:15 | 日々のつぶやき

暗くなって外へ出ると、ほんのりとミカンの花の甘い匂いが漂っている。この2日程、風はとても冷たく大風である。 また、仕舞っていた毛布を出した。もう5月半ば近いというのに何か変!

ツバメの子もようやく頭が見え出し5羽育っているのが見えた。毎朝警戒警報が出るのでヒヨに襲われないようベランダに走り出て、10分ほど見張りをする事もある。

今朝など、ヒヨは横着に隣家の屋根までやってきた。すかさず用意していた長い棒で叩こうとしたが、残念若干短く届かなかったが、それでも追っ払う事は出来た。

親鳥は2羽のはずなのだが、3~4羽が周囲を飛び回って注意を払っている。じっと見守っていると、親が餌を運んできたのでその場を離れた。無事にみんな巣立ってくれれば良いがと思う。

先日の連休にKの店に友達と食事をしたが、済んだ頃Sが白装束で大きなほら貝を持参してやってきてみんなに石鎚山頂神社のお守りをくれた。隣のテーブルも同級生の家族で、みんな知り合いばかりである。

もう閉店時間も近く、客も疎らになったのでKがげっそり痩せて疲れ果てた様子でテーブルに来た。

開店間もない事もあり客も多く、スタッフは初心者ばかりなので大変である。そんな話をしているとSがほら貝を少し吹いた。良い音色であるが室内で聞くには大きすぎる。

場の浄化にはなったが、遅い時間なのでkが慌てて止めた。

後日、ユキちゃんが「ほら貝っていい音色ね。」

「うん、あそこの開店前に吹いてもらえば、浄化になって良いんだけどね。」

それと、山頂に移った神社の元の場所は何処だろうという話しになった。二人の意見は一致し、彼女達が通った保育所だろうという事になった。その保育所は集落の奥の方にあり前は石段が続いていた。

しかし、子供が減ってしまい20年以上前に統合になり、他の場所へ移ったので其処がどうなっているかは知らない。集会所くらいであれば良いが、個人の住宅になっていたら大変である。たぶん、過疎になりつつあるからその心配は無いだろう。

愛媛と高知の県境にある霊山である篠山に上る事をSに誘われて ユキちゃんと日時を決めたが、肝心のSが本格的に神主の修行が忙しくなり、これも雲行きが怪しい。

先日も眠る日と眠れない日が交互に来ると書いたが、眠い日は体が融けそうな感じで起きていることが出来ない。反対は白んでくる頃トロトロとする。

そんな眠れなかった日、仕事で高知まで出かけた。当然ほとんど寝ていなかった。

最後に伺ったお得意さんは、其処に移った途端地場産業が振るわなくなった事もあり、売り上げは以前に比べずっと減少し、病気や他のトラブルに巻き込まれたりしてもそれまで順風満帆で来られているので助言しても神棚も御札も置かれていない。住まいが別なのでまだ救われている。

地場が良くないのは分かっていたが、ご主人が20分ほどお留守だったのでしばらく待った事もあり、何時もより余計にその店にいた。

足の裏がとてもヒリヒリと痛く以前よりも強く感じていた。マズイなと思いつつ帰路についた。30分くらい走った所で、ピィーと笛の音、すぐオマワリが出て来てねずみ取りに引っかかった事に気づいた。

ボーとしていてスピード計を見ていなかった。19キロオーバーだった。

まぁ、居眠り運転をしなくて良かったかと思うことにしたが余計な出費である。私にはその町は鬼門なのか、場所は違うが5年前にも引っかかった。

その晩ノワタリさんに教えて頂き。足の塩で清めた。次回からは車にお清めグッズを入れて外で靴底を清め自衛するしかない。

明朝は、神棚と御札がやっと揃ったので御鏡に御魂入れをノワタリさんに遠隔で手伝っていただき、3階に設置する。これで私の家の神仏はすべて収まる事になる。

ここまで長い時間が掛かったものだと思う。

 


これから

2012-05-09 03:11:38 | 日々のつぶやき

瑞牆山への旅は7月の連休頃に予定したが、調べるとノワタリさんに予定がありその次期は没になった。ノワタリさん曰く「動くな!」と言うことか。

昨日の朝、それが分かり妹に連絡して飛行機のチケットの手配をストップしてもらった。

ノワタリさんとの旅は上からのメッセージであれば即実行でスムーズに運ぶ、その場合直接メッセージが降りたり、誰かがそのヒントのような言葉を言ったり、何か雑誌とか読み物からその場所の暗示が来たりする。しかし、世の中も異常気象と天災も多く、2年前の宮崎の口蹄疫病の清め以来、パッタリと少なくなった。

中学生の頃、歴史の授業で平安時代の末法思想を習った時御札を買えば救われると言うのを読んだ時笑ったが、笑っておれない状況になりつつ。

昨年の地震といい、貞観の大地震以来というがそれは平安時代である。

今回の瑞牆山は中丸薫さんの数年前に書かれた本のミズキ山と言うのがノワタリさんに引っかかり調べていると、富士山から60キロと言う事でその山ではないだろうかという事を書いてあるのを目にした。そこから瑞牆とは神社の周囲の垣根の事だと言うことと、信仰の山であり修験者の修行や空海の事も記されてあった。

一旦は諦めたが必要であれば行かねばならない。今はその時期ではないのだろう。

玉置は先日ノワタリさんの所で集まった時みんなが行きたいと言った事から決まったがこれも進まない。

そもそもこのブログは旅の事を主に書くことを目的としていたので、旅がなければ それは書き尽くした。

2003年から始まった旅を2009年に書き始めたので、その頃の写真はノワタリさんが使い捨てカメラで撮られた物だったので取り込みと記憶をたどりながら下調べをしなおして書いたのでとても手間が掛かった。

それでもノワタリさんの人生の記録にもなり喜ばれた。この旅を一緒にするまで彼女は他の方々と10年されていた。

サブタイトルに「私の世界が変わっていきました。」と書いたが、やっと目覚め自分の足でスタートラインに立ったくらいの所だと思うが…

占い師のHよると私は後半生ノワタリさんと同じように旅を続けるらしいがまだ先のことである。

旅の事を書かなければ、普通の日記と変わらなってしまうが、自分の前世や係わっていた人達の事などまだまだ知りたいことも沢山ある。

それともSの言うように四国の霊峰やエネルギーの強い場所を巡るのであろうか?

完全に独り立ちしてこの道を進むまで書くべきかと迷っているこの頃である。


3.00A.M.の一番鶏

2012-05-04 09:24:38 | 日々のつぶやき

先月からすごく眠い日と全く眠れない日が交互にある。

眠い日は夕食後、ものすごい睡魔に襲われお風呂の読書タイムも進まず、ソフトカバーの本は表紙がぼたぼたになってしまった。その上バスタブの中で寝てしまい気づけば1時間近く寝た日もある。

しかし、それでもグッスリ朝までそのままであればよいのが、深夜の12時前後に目覚め朝方まで眠れないという事もある。

眠い時間をどうにかやり過ごし、さて寝ようとしたら全く眠れないという日もありそんな日は開き直ってラジオの深夜便を聞くがそういう日に限って余り興味の無い音楽で、絶対聞きたいと思う日は寝てしまっている事が多い。

開き直ってっと言っても翌日に差し支えそうな日は眠気が起こるようにと思いまたお風呂に入りなおし、体を温め、赤ちゃんと同じで手の先がジンワリして温かく、頭もぼやけてくるのを待ちすぐさま寝床に入るが、時には午前3時近くになることも多い。そんなで私は日に3度、朝晩と真夜中に風呂に入る事も珍しくない。しかし、1、2時間でも爆睡である。

お風呂の中でボーっとしていると、一番鶏の鳴き声が聞こえてくる。それは、コケコッコーではなく、どちらかと言えば英語のクックドゥールドゥに近く、女性の喉の奥から搾り出すような大きな声、言葉が出ない人が何か要求したい時に出す声と言う方が一番近い。コッコ、コッコと鳴くのはメスである事が分かった。

これから来るであろう食料不足に対応してか?近所の屋上菜園と烏骨鶏を数羽飼っている。家人に尋ねると、「メスだと思って買ったのがメスは1羽だけであったのと余り質が良くないのでまた買い換えた。」と言って首に右手を空手チョップのように真一文字に当てた。「え!」と言うと、以前のは全部絞めて食べたそうである。

「雉もいるって聞いたけど、ケーン、ケーンという鳴き声は聞こえないわね。」と言うと、雉は鶏の鳴き声に押されて鳴かなくなり、これも全部食べたそうである。飼っていたものをそう簡単に出来る神経ってどうなってんだろうと思うが。

私は全く鳥の鳴き声は気にならないが、その隣の奥さんは3年前にご主人を亡くされてから、自律神経のバランスを壊されて治療中である。1年くらいは引きこもったままで、未だに痛々しさを感じる。其処まで仲良く頼りにされていたなんてすごいと思うが…。

お気の毒に「朝、4時なったら鳴くわ。鳴くわと思ったら気になって眠れない。」と言われる。その2件を挟んで両隣は3階なのでその鳴き声が両方の建物の壁に反射していっそう響く。

しかしながら、女性の一人暮らし何かとご近所のお世話になるからといわれ、文句も言えないらしい。

しかし、実際は4時でなく3時前から鳴く。気になる人は大変だろうと思う。

出来るだけ、頑張って10時頃まで起きてと思うがままなら無い。眠れなくとも5時には目覚めてしまう。2,3日睡眠不足の日が続いた後、8時頃から寝てしまうそんな日々である。

ノワタリさんとの旅を始めた頃、咳が数日続いたりした。それは体内にあるマイナスを吐いていると教えられた。そしてグアムの帰りは電車の中で五臓六腑を一旦掴みあげシャッフルする感覚に襲われ、脂汗が出て立っている事が出来なくなった。私だけでなく、その後一時一緒に旅をしたFさんも初めてお伊勢さんの旅の帰路の乗り物の中で咳が出始め、数日間続いた。

時折熱が出たり、何らかの体調の変化を繰り返して来た事を思い出した。これもそのような変化の一種かもと思う。そう長くは続かないだろう。

先日、ノワタリさんが「もう拾う事も無いだろうし、憑いても自然に出て行くから心配ないわよ。」と言われ、この2ヶ月そういう事が無くなった。

粗塩とセイジの葉を懐紙にくるみ身に付ける必要もやっとなくなったが、ご神前で祝詞をあげていると左足の裏に強い痛みが走る。以前は其処まで強い痛みでなく、むずむずしたりキューンとこむらがえりしたような痛みがあるくらいであった。祝詞やご真言、お経に反応してマイナスが出て行っているのだろうと思う。

写真を整理していると、1枚の写真が目に付いた。30才の頃友人宅で妹と4人集まり、其処が呉服屋であったので揃って着物姿で写真を撮ったのを改めて見るとなんと私の顔は寂しそうで投げやりな表情をしている。同じ写真を見ても今までそのような思いをしたことは無かった。

ノワタリさんに初めてお会いした時は年齢は上がってもこんな顔をしていたんだと気づいた。


当てにならぬもの

2012-05-03 20:42:31 | 日々のつぶやき

ノワタリさんが来られる前後の週は1日置きに直線距離にすれば大した事はないが150キロから200キロのリアス式の海岸沿いの山の中腹の細い道を走り、残務整理と引継ぎをした怒涛のように忙しかった4月も終わり、はや5月である。

植物は正直な物で季節に応じた清涼感のあるすっきりしたの色の花を咲かせる。ハナミズキの街路樹、あちこちの庭先にはテッセンの白や薄紫の大輪の花が目に付き、山つつじの赤と藤の花と新緑の緑と針葉樹の濃い緑でで山は色分けされている。

(すみません。私はテッセンがクレマチスの一種だと言うことを知りませんでした。)

上記の写真は、一番好きなカラーの花、まだ家のは咲いてい無いが、近くの道の駅のは出ていた。

今年は気温の上げ下げが大きく、体調を壊しそうである。残りの4連休を妹の所へ行こうかとも思ったが、友人たちに逢ったり、のんびり体を休めたりした方が良いと思い取りやめた。

ノワタリさんを送っていった帰り道二人とも車の運転が苦にならず何処でも走って行き、今回も大して睡眠も取らず、私と妹は互いにタフである事を自慢しあったが、連休となると気の緩みもでてどっと疲れが出た。

彼女の家族は前半九重連山へキャンプに出かけたが私は衣類の入れ替えと洗濯、羽毛布団やコタツ布団をコインランドリーに持って行ったりして1日は済み、何時ものことながら、庭木の剪定と草引き…しなければならない事は山のようにある。

そして家に居座っているので仲の良い友人たちが不意にやって来ておしゃべりとオープンしたばかりのKの店へ行ったりした。どちらの家にいるか分からないので携帯に出ない時は、4つ辻の真ん中で大きな声で私の名を「ネコちゃ~ん」で呼んでやってくる。そんな事もありkの店にはまだ半月だが3度も行くようになった。

今日はとても寒く、石油ストーブの残り油を空焚きかねて火をつけ、暖を取っている。未だに茶の間のコタツを仕舞っていないのも珍しい。

それと玉置神社へ行くかもしれないのでそれもあり、片付け仕事も残っている。

ノワタリさんの所に前半の連休が始まる前に占い師のHが疲れ果てたお爺さんのような顔をしてやって来たと言う。

エネルギーを流すと最後に着物を着たおきつねさんが2匹現れた。それは鎌倉の丸山稲荷のお稲荷さんだと言う。Hはそうしていただいた事ですっかり体調が良くなり、翌朝早くお二人で山の上の丸山稲荷へ出かけられた。

元々は丸山稲荷さんは現在の鶴岡八幡宮の場所に在ったが、造営の時に現在の所へ遷されたと言われた。お清めしてご挨拶されると先の着物を着たおきつねさんが現れたと言われた。全部済んだ後で若い神主さんがやって来られたと言う。その日、Hの先祖の墓もノワタリさんが一緒に行かれて清められた。

しかし、Hは玉置神社については全く一言も言わなかったそうである。

そこで、彼らは車で来る予定なので良いが、私は何がしかのチケットの予約を入れないといけないので、Hに連絡を取った。

「玉置~ぃ、まだだよ。先にあの山だよ。」

「瑞牆山はまだよ。まだ雪があると思うし、2200m余りあるから6月以降だと思うわ。」

「え!そんなに高いの?途中まで車で行けるんでしょ。」

「うん、そっちからだったら日帰りできるみたい。」

「じゃ、その後だよ。玉置は、二見が浦があんなになったのは平安時代にもあったそうだよ。伊勢の方は地震が心配だよ。」と言って行く気はなさそうである。

Hは時々、自分が言ってたはずなのに、自分ひとりで行ってしまう事があるので、ノワタリさんにその事を言うと、

「今回はそれは無いわ。先のお稲荷さんやお墓のこともあって自分ひとりではそれができない事を認識したから、でも今月の内に行かないと…、先送りするほど行けないと思うわ。」と言われた。

さて、どうなる事やら当てにしてよいものか?