Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

将門様

2014-06-10 19:12:39 | 日々のつぶやき

先日、電話でノワタリさんがこれまでも何度か国王神社に提灯を奉納していたが、平将門さんの生誕1111年という事で、また奉納されたと言われた。彼女の前世の一つが将門の3女の姫で如蔵尼である。ある時、生々しくノミで木像を一心の彫っているのを見られ、これは何かしらと思っていたら、ご自分の前世であったと言われた。

ご一緒に胴塚へ行った時に、さめざめと泣かれていたことを思い出す。

そういう事で、

「何か将門さんの事を詳しく書いた本はないでしょうかね。」と、おっしゃるので、アマゾンで検索したり、ネットで探したりしているうちにウィキペディアと「写真で追う平将門」http://www3.ocn.ne.jp/~thirao/にたどり着いた。

将門に縁のある場所が詳しく載せてあり、如蔵尼の墓まで出おり、最後に参考資料として多くの書物名が記載され、有難い事にアマゾンにリンクしていた。

国王神社はその姫が33回忌に建てられたものであり、80数歳まで生き延びられたと言う。

亡くなったと思っていた上の姫様の事もわかり、2女の五月姫は秩父平氏として関東一円の豪族として子孫が繁栄した。驚いた事になぜか鹿児島の東郷平八郎まで子孫だった。

それをお伝えすると、資料を基にご自分で回周られるそうである。

「でも、今ここにきて関東を周るなんて…。」と言われたが、私も国王神社には2度お供している。

2度目はすんなり行けたはずの胴塚にたどり着けず、冬の日暮れは速く行ったり来たりしたもののたどり着けず、あきらめて帰路に付いたが、その時一緒だったHの前世が将門が受け入れられない物があったと後でノワタリさんからお聞きした。Hそのものも真剣さが無く何かどうでもよいような雰囲気ではあったが。

それと数年前に行った成田山新勝寺でも同じような事があり、私たちは門前町の賑やかさと食べることと買い物に忙しく楽しんだがノワタリさんはそのお寺が受け入れられず、「私ここは合わない。」と言い切られた。

その謎が今回分かった。成田さんが将門の争いの時、時の朱雀天皇が調伏するために開かれたという事だった。私はお供していないが、鹿島神社でも同じような事があり、そこでは互いに全く相いれず、天候は荒れ、参拝しなかったと聞いた。将門地盤の茨城なのに何か似たような事があるのかもしれないと思った。

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