Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

間違い電話

2010-12-01 21:25:32 | 日々のつぶやき

先週の週末の夜、2日続けて電話の音がツルルと一度鳴って切れた。電話しようかどうしようかとためらった様な音。後かかるかなと思ったが無かった。

最近は携帯が多いので間違い電話は少なくなったが、年末近くなると深夜の電話が多い。私のうちの電話は間違い電話は可笑しなものばかりである。

20年くらい前、11時過ぎの寝入りばなに電話が鳴る。心地よく寝始めたばかりなのにと思いながら、しぶしぶ取ると、「○○ですか?」とスナックの名前を言う。スナックの名前であればまだ良い。余りにもよく間違えられたので何処にあるか調べて、一度覗いてみようかしらと思っていたら、友達から余り良いうわさを聞かなかったので止めた。その後、経営者が替わったらしくスナックの名前も変わった。

名前も言わずいきなり「○○さんを出して」と暗い女性の声、「いません!」と言って切ると、同じ女性の声で又かかる。そのスナックでない事を言って切った。それでも再々夜中に間違い電話があるので、夜中の電話は低く暗い声で「こちら、市立病院霊安室とか墓場ですぅ」と言って切る事にした。

御巣鷹山の飛行機事故のあった8月の10日の深夜、電話の音いつものごとく「市立病院霊安室です」と言って切ろうとすると、電話の向こうから隣町の消防署から祖父が救急車で病院に運ばれたとの知らせで慌てて両親は隣町まで走った。

祖父の家は2キロほど先にあり、その夜飲み会に出て9時前に店を出たが、どういう訳か自宅前を通り過ぎ、長いトンネルを抜け隣町の郊外の坂道で転んで血だらけで倒れた所を通行人からの通報で運ばれたらしかった。しかも祖父は浴衣に下駄履きで自転車を漕いでいた。姿を想像するだけでも凄い、祖父はもうその頃85歳を過ぎていた。

事故と事件の両方で調べられたが転倒事故だった。隣町の病院では不便なので近くの病院に移ったが、急な事で部屋が無く、手首にチンケナ桃の刺青のあるやくざの横のベッドしかなかった。祖父は我慢できず、半日で退院し帰ってきた。

その日1日中飛行機事故の報道をしており、「あれはどうした」と何度も頭を打っている祖父は聞いてきたが、いくら説明しても同じ事ばかりずっと聞いていた。そのうちか怪我もよくなり、一人暮らしを心配していた両親だったが、そのまま祖父は家で暮らした。

私が中学生の頃、水商売の店と間違え夜中の3時頃「これから、いくからな~」とガヤガヤとうるさい店で酔っ払いからの電話がったりした。「うちはバーとちがいます~」と怒って切った。翌朝、母に言う「なんで『どうぞ待ってるわ』」と言わなかったの」と軽くいなされた。しかし、中学生の私にはその余裕はなかった。

それからもスナックの名前は変ったが最近は不景気のせいかスナックの名前を言ってくることは無くなった。

ある晩8時頃、年配の男性から私がでると、「ハルコか?」「いいえ」「アキコか?」「いいえ」「ミチコか?…」とありったけの家族らしき女性の5,6人の名前を並べた後、「お前、誰や?」と言う。「あんたこそ誰?何処に掛けてるの?」それはたぶん自宅に掛けたつもりだったのだろう。途中で気付いてもいいはずなんだけど…

また、外国人のたどたどしい日本語で「○○サン、イマスカ?」との電話、当然「いません」と断ると「オシゴトクダサイ」いったい何処に掛けてるの??? 商売替えしようか知らん。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ふられ続けた日 出雲大社の... | トップ | 2006年12月出雲の旅 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々のつぶやき」カテゴリの最新記事