Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

老齢の親と暮す

2012-02-18 14:52:59 | 日々のつぶやき

1月の下旬、千葉に住んでいる千恵さんのお母さんが92歳で亡くなられたと友人のユキちゃんから連絡を貰った。

ユキちゃんも知った時は既に内輪での葬式は終わっており、後日お参りに行ったそうである。

チエさんと一緒に私達もお線香をあげに伺った。すでに千恵さんは帰られた後だったので、お姉さんとお茶を飲んで話しをして帰った。

お姉さんは6年間お母さんのお世話をして二人で暮らされたのだが、定年で帰られたご主人は自分の方の親の介護で別々に暮らされているみたいであった。

一緒に暮らし始めた頃、お母さんから葬式は内輪でひっそりとして欲しい事と、世話だけはちゃんとして欲しいと言われ、二人で色々と取り決めたと言われた。

一度も病院にも介護のヘルパーさんのお世話にもならず、お一人でお世話された。

「介護施設に入っていたら、母はここまで長く生きれなかっただろう。」と、ポツポツと話し始めた。

お母さんは昨年末足が立たなくなったので介護認定を貰ったそうであるが、ヘルパーさんが来られる前に枯れ木が朽ちるように静に亡くなられたそうである。

お母さんの体内時計は5時間ぐらいずれているうえに、食事も食べ終えるのに2時間掛かるので、施設であれば食べないで済まされてしまうだろうと言われた。

始めは家の中でも1000歩を目標に歩かれていたそうだが、畳の上で転倒されたのをきっかけにだんだん歩く歩数が減り、お手洗いも手を引いて連れて行ってたそうである。2年前からは自分で排便する力もなくなったのでお姉さんが指で出されていたと言う。

その話を聞いて私達はお母さんは幸福な人だと思った。ほとんど、施設にか病院預けられて最後を迎えられる人が多い中、自宅でずっと最後まで娘さんに看取られて亡くなられる方は多くない。

しかし、突然意識不明になられ、心肺停止になったが、救急車が来るまで気丈なお姉さんが人工呼吸と心臓マッサージをされて意識の無いまま、翌日妹達が来るまで生きられたと言う。

果たして私も其処まで出来るかしらと思うが、父がだんだん危なくなってきている。

先日デパートでケーキを5個買い、その晩父と私は2個づつ食べた。胃の弱い母が翌日食べようとすると、先に父が手を出した。

母は「これは私の分よ。昨日食べたでしょ。」と言うと、どうも父は覚えていないようであった。

また、久島海が意識不明で倒れたとでテロップが流れた時、どうもご贔屓だったらしく、久島海の事をひとしきり話したが、翌朝の新聞記事を見て「あれ?久島海が死んでいる。」と昨晩の事は覚えていないような言い方をした。ちょっと不安である。

母は用意している痴呆の進行を止める薬を飲ませた方がいいのではと言い出す始末である。

対照的なのは数年前に結婚された友人である。その前にちょっとした行き違い(自分達の事でなく、市政の事、ちょっと変)で今は付き合いが無いが、それまでずっとお母さんのお世話をされていたのが、結婚を機に施設に入れられその後半年ほどで亡くなられた。10年近くお世話をしてきたのに、ご近所の人からかわいそうにとの非難の言葉をその頃聞いた事があった。

50歳を越えての結婚であるから、二人だけの生活でお母さんと暮らせなくは無かったと思うが、人にはそれぞれの事情もあるだろう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする