‘保津川を世界遺産へ~’
私達、保津川下りの船頭の夢「世界遺産登録」が
400年の節目の今年、具体化に向けて本格的な動きを
展開していく模様です。
この「保津川世界遺産登録」という動きは、今年発足された
「保津川開削400年実行委員会」の最終テーマとして
位置付けられられたことを受け取り組まれるもので、今後研究会等を
立ち上げ市民、行政が一丸となり、この壮大な構想の実現化を目指す予定。
この計画については昨日、京都新聞丹波版でも紹介されました。
今回、正式にマスコミ発表され、活字になったことは意味深く、
市民及び行政、関係諸団体への意識啓発及び具体的な実動を推進に
大きく弾みが付くことになるものと理解しております。
思い起こせば昨年のこの時期、保津川遊船内に「400年準備委員会」
が発足され、自分がそのメンバーとして参加させてもらった時からの
‘悲願’と密かに思いを持っていたのが「世界遺産登録」でした。
委員会発足後すぐに、保津川水運の歴史に造詣の深い
亀岡市文化資料館の黒川館長と会談を持ち、その席で
「保津川景観の世界遺産登録の可能性について」のご意見を
伺ったところ「その可能性はゼロではない」との
回答を頂き、この壮大な夢が自分の中で動き出したのです。
その後、国連ユニタールで活動する知人とも連絡を取り
その可能性についての意見や世界遺産についての
基礎知識、登録の具体的な方策についてのレクチャーなど
も受け「保津川を世界遺産へ!」と叫び続けていました。
でも、さすがにあまりにも大きな構想であるため「そんなの夢物語や~」
「はっちんは大きいこと言い過ぎ~」などと中々、現実感を
持ってはもらえません。
黒川館長や亀岡市の議員・職員の方からは「保津川の世界遺産を目指しましょう!」
と思いを同じくする方々と協力していろいろ方法を模索していましたが、
その具体的な道筋はまだ自分の視野に入ってはきませんでした。
そんな時、今年発足された「保津川開削400年実行委員会」において
この「世界遺産」の話が議題に上がったのです。
「保津川を世界遺産へ」という同じ思いをもった方々からの提案でした。
一部には「荒唐無稽」「現実的ではない」との意見も出ましたが、
「保津川峡谷の景観では登録は無理だが、筏を含め京都の産業を支えた
水運事業史としてなら京都の天竜寺など世界文化遺産との関係での
追加登録という方法がある」というユネスコ関係の学識者の見解が
紹介されたことで、出席した殆どの委員が賛成して下さったのです。
そして来年以降、登録へ向けての研究会を発足し、講座や
河川美化活動を通じてPR活動を実施し、本格的な具体的計画
練っていく運びとなりました。
最初は雲を掴む様な非現実的論といわれた「保津川世界遺産登録」
それに、今、これだけ多くの人が同じ思いを持って活動して頂き、
協力して実現に向け動き出した事実、これは本当に凄い事だと
改めて感じています。
今後の課題としては亀岡市だけではなく京都府、京都市との協力体制の
構築や保津川を含む桂川流域の地域との連携つくりが不可欠で重要で
あると考えます。
近く発足される研究会ではこの点を踏まえ、大きな視野での
事業展開を強く希望するものです。
世界遺産登録が実現するのか?またそれはいつになるか?
それは今の段階では判断できませんが、登録されるその日が来るまで
私達船頭はしっかり‘保津川下り’を守っていこうと思います。
そして、この保津川水運が未来永劫、世界の財産と言われる日が
来ることを信じて。
私達、保津川下りの船頭の夢「世界遺産登録」が
400年の節目の今年、具体化に向けて本格的な動きを
展開していく模様です。
この「保津川世界遺産登録」という動きは、今年発足された
「保津川開削400年実行委員会」の最終テーマとして
位置付けられられたことを受け取り組まれるもので、今後研究会等を
立ち上げ市民、行政が一丸となり、この壮大な構想の実現化を目指す予定。
この計画については昨日、京都新聞丹波版でも紹介されました。
今回、正式にマスコミ発表され、活字になったことは意味深く、
市民及び行政、関係諸団体への意識啓発及び具体的な実動を推進に
大きく弾みが付くことになるものと理解しております。
思い起こせば昨年のこの時期、保津川遊船内に「400年準備委員会」
が発足され、自分がそのメンバーとして参加させてもらった時からの
‘悲願’と密かに思いを持っていたのが「世界遺産登録」でした。
委員会発足後すぐに、保津川水運の歴史に造詣の深い
亀岡市文化資料館の黒川館長と会談を持ち、その席で
「保津川景観の世界遺産登録の可能性について」のご意見を
伺ったところ「その可能性はゼロではない」との
回答を頂き、この壮大な夢が自分の中で動き出したのです。
その後、国連ユニタールで活動する知人とも連絡を取り
その可能性についての意見や世界遺産についての
基礎知識、登録の具体的な方策についてのレクチャーなど
も受け「保津川を世界遺産へ!」と叫び続けていました。
でも、さすがにあまりにも大きな構想であるため「そんなの夢物語や~」
「はっちんは大きいこと言い過ぎ~」などと中々、現実感を
持ってはもらえません。
黒川館長や亀岡市の議員・職員の方からは「保津川の世界遺産を目指しましょう!」
と思いを同じくする方々と協力していろいろ方法を模索していましたが、
その具体的な道筋はまだ自分の視野に入ってはきませんでした。
そんな時、今年発足された「保津川開削400年実行委員会」において
この「世界遺産」の話が議題に上がったのです。
「保津川を世界遺産へ」という同じ思いをもった方々からの提案でした。
一部には「荒唐無稽」「現実的ではない」との意見も出ましたが、
「保津川峡谷の景観では登録は無理だが、筏を含め京都の産業を支えた
水運事業史としてなら京都の天竜寺など世界文化遺産との関係での
追加登録という方法がある」というユネスコ関係の学識者の見解が
紹介されたことで、出席した殆どの委員が賛成して下さったのです。
そして来年以降、登録へ向けての研究会を発足し、講座や
河川美化活動を通じてPR活動を実施し、本格的な具体的計画
練っていく運びとなりました。
最初は雲を掴む様な非現実的論といわれた「保津川世界遺産登録」
それに、今、これだけ多くの人が同じ思いを持って活動して頂き、
協力して実現に向け動き出した事実、これは本当に凄い事だと
改めて感じています。
今後の課題としては亀岡市だけではなく京都府、京都市との協力体制の
構築や保津川を含む桂川流域の地域との連携つくりが不可欠で重要で
あると考えます。
近く発足される研究会ではこの点を踏まえ、大きな視野での
事業展開を強く希望するものです。
世界遺産登録が実現するのか?またそれはいつになるか?
それは今の段階では判断できませんが、登録されるその日が来るまで
私達船頭はしっかり‘保津川下り’を守っていこうと思います。
そして、この保津川水運が未来永劫、世界の財産と言われる日が
来ることを信じて。