保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

秋の紅葉シーズンを前に、川を補修作業

2018-11-15 07:31:08 | 船頭
日に日に減水する保津川の水位。

秋の紅葉シーズンを前にこの状況は厳しい・・・

これ以上、水位が減水すると通常の乗船定員を減らして運航しなくてはなりません。

今年の夏、度重なる台風で洪水状態が続いた保津川。

洪水が運んできた巨大な流石、大量の土砂。これらが舟が通行する航路上に流れ込んでいたのです。

荒らされた河床を舟が安全に通行できる元の状態に復旧する為に、懸命の作業が続けら、
何とか通常水位での航路確保に漕ぎつけたのです。

が、台風通過後、まったく降らなくなった雨で、今度は川の水位が極端に減水してしまったのです。
そうなると、通常水位なら通行可能だった川底も浅くなり、石などが突き出し、通行に支障が出だします。

安全運航を確保するため、冷たい木枯らしが吹く中、川へ飛び込んで水路の補修作業に掛かりました。

夏と異なり、この時期の川作は寒中修行です。
でも秋の紅葉シーズンを安全に楽しんで貰うためには必要なこと。

1200年間、この川で継承されてきた人の手作業による川の修復工事。
水の中からあ上がると、体の震えが止まりません・・・

これは川文化などという生易しいものではない。
今を生きる為の‘川根性’に裏打ちされた決死の行動です。

僅か1ヶ月前、何週間も減らない増水の川を毎日眺めていたのに、今は日々減水する川を毎朝眺めている・・・

夏から続く試練の日々は、紅葉の秋も続いています。

新年のご挨拶。

2018-01-10 12:50:45 | 船頭
明けましておめでとうございます。

旧年中は保津川下りに厚いご愛顧をいただき誠にありがとうございます。

今年は保津川下り創業412年目の年にあたります。

京都では明治維新150周年の記念の年でもあり、
近世から近代へ移り変わる日本の中で、京都が近代都市へ発展した時の
息吹きを感じる一年になりそうです。

保津川下りも明治に入り、荷舟から観光船へと姿を変えていきました。
しかも、英国王室に観光の船としての価値を見出されたことにより!

時代が大きく移り変わろうとする時、保津川下りも変革の機を迎えたのです。
今年も楽しみになってきました。
感性に訴える船旅を今年も提供してまいりますので、
変わらぬご愛顧のほどをよろしくお願い申し上げます。

平成三十年 元旦

保津川下り、運航再開へ、早朝「試船」出航。

2013-10-28 06:42:02 | 船頭
今日は早朝より、川の現状を点検する「試船」が出航した。

先週、日本列島を襲った台風27号の影響で、保津川は河川水位が増水し、
一時、渓谷内で約4mという高さまで増水した。
通常、これだけの水位上昇が起こる場合は、河床に変化に見られることが多く
運航再開前には、安全面からも河川状況の点検は不可欠なのだ。

今朝、出航した試船には河川状況を点検する委員の他に、船頭10数名が乗船し
通常運航の重量下でも、安全性を確保できているか、という実践的なチェックも行う。

河川増水のあとは、これだけ慎重な点検、チェックをしてもやりすぎということはない。
完璧な安全点検を施し、その上で「支障がない」と判断されるまではけして運航再開はしない。

9月にやってきた台風18号の被害の傷も癒えないうちに、襲ってきた27号。

保津川下りは河川航路はもとより社屋冠水や長期の運休など、過去にないほどの
ダメージを食らったわけだが、紅葉彩る秋のトップシーズンを前に、
過去を振り返っている余裕などない。

今はただ、立ち上がり、前を向いて進んでいくしかない。

再び、保津峡に歓声をこだまする時まで。

師匠をたずねて。保津・船頭の里へ。

2013-06-15 07:43:07 | 船頭
407年続く保津川下りには、その伝統を受け継ぎ、守ってきた船頭たちが住む村「保津の里」があります。
昨日は所要で保津の里を訪れる機会があったので、久しぶりに私に保津川下り舟の操船技術を教えて下った「師匠」の家を訪ねてまいりました。

師匠はおん歳82。お父さんもおじいさんも保津川の船頭だったという、根っからの船頭一家で育たれた方です。

さすが、長年、保津川で心身を鍛え上げた方です、顔艶もよく、まだまだご健勝のこと。
今も田や畑に精を出されているようです。

久しぶりに顔を見せた私に「お前、今、舟の専務になったんやってな~えらくなったな~」と笑顔で出迎えて下さいました。

新人船頭で入った時は、技術、精神とも厳しく指導され、怖くて顔をまともに見れない日もあったほどの方でしたが、
今では温厚ないいおじいさんって感じで、褒めて下さいました。

保津川下りの舟は、407年前に瀬戸内水軍の旗頭・来住一族のよりすぐりの船頭が保津川にやって来て
開発した操船技術を今に伝えているもので、いわゆる免許・資格といわれるものは存在しません。
エンジン等の動力は櫂漕ぎと竿で流す、世界に一つしかない川舟の技術です。
その中で「一人前」と評価する免許皆伝は、指導し連れて行く師匠が下す事になります。
師匠は長年のキャリヤと熟練の技術を備えた者が責任をもって一人の新人を指導し、一人前に導かねばならのいです。
その為、新人の2~3年間は毎日、師匠に付いて川を下り、技術を指導されるシステムで
400年以上、この川下り技術を継承してきたのです。


師匠に一人前にしてもらった私は、師匠が定年退職されるまでの約10年、舟に連れっていって貰いました。
また、ご一緒にテレビ朝日の「人生の楽園」に出演したり、お宅で櫂ひもの編み方を教わったりと、
本当に多くの思い出があります。
久しぶりの再会は、昔話や今の遊船の話をするなど、心和む時間を過ごさせていただきました。

別れ際に「遊船を頼むぞ!」と師匠が仰いました。その目は現役当時の鋭い「保津川の船頭」の目でした。
今でも、保津川下りを愛されているのだと強く感じました。

私は保津出身の船頭ではありませんが、この里に訪れると、修行時代のなんとも懐かしい匂いを感じます。

私にとって「保津・船頭の里」は、保津川400年の歴史と伝統に心からつながることができる大切な場所なのです。

2013年の幕開け。新年あけましておめでとうございます。

2013-01-06 17:05:14 | 船頭
新年あけましておめでとうございます。

旧年中は「保津川下りの船頭」ブログをご覧ください誠にありがとうございました。

2004年から始まったこのブログも、今年でなんと、9年目を迎えることになります。

振り返って見るとその間、保津川下りにも、また私個人にも、予想だにしない様々な出来事が起こり、
幾多の忘れ難い歴史を刻んできました。一年として何事もない年、変化のない年はないと気づきます。

今年2013年の幕が開きました。果たして今年は、どんなドラマが描かれていくのか?

その姿の少しでも、このブログにしっかり「記録」していけたら素晴らしいと思っている次第です。

今年も、よろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。


豊田 知八

新年あけましておめでとうございます。

2012-01-01 00:25:03 | 船頭
「保津川下りの船頭さんブログ」をご覧の皆様。

新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、我がブログならびに保津川下りに一方ならぬ
ご厚誼を賜り、誠にありがとうございました。

今年も「ブログ」を通じて、自分自身の歩いてきた足跡と存在の記録を記しながら
自分らしく‘京都の香り‘をご覧下さる皆様にお届けできればうれしく思います。

皆様には「保津川下り」と「保津川下りの船頭さんブログ」に
変わらぬお付き合いの程、何卒宜しく御願い致します。

本年も皆様方の一層のご指導並びにご鞭撻を賜りながら、
「今、生きている」喜びと人生のロマンを胸に、熱く生き、歩んでいきたいと思います。

何卒、ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

      
      平成二十四年  元旦  船頭 はっちんこと豊田知八
 

今年もお世話になりました。よいお年をお迎え下さい。

2011-12-31 23:28:34 | 船頭
はっちんのブログをご覧の皆様へ。

今年も我が「保津川下りの船頭さん」ブログをご愛読いただきありがとうございました。

今年は内外ともに多事多難の「試練の年」といえる厳しい一年でしたが、
なんとか無事に23年度を終えることができることを‘神様’に感謝するとともに、
いつも温かい心でお付き合い下さっている、多くの方々のご声援、ご支援の賜物
と厚く感謝申し上げます。

このブログを始めて7年が終わろうとしております。

これまで「ブログ」によって、多くの人達と素敵な出会いの機会を、
いただき、自分の人生が開けていくような貴重な経験と‘財産’を
貰うことができたと確信しております。

長く続けている内に、mixiやtwitter、Facebookといった新しいツールが
生まれ、保津川下りについてもそれらのツールで紹介される機会が
増えて、もはや個人レベルでブログを続けることの意味を見いだせない
時期もありましたが、暗中模索した中で「書く」ということに関して、
自分の原点がこのブログにあると気がつきました。

そして自分が400年以上続く「保津川の船頭としてこの時代に存在していた」という記録
と「自分史」としてこれからも書き続けていくことに決めました。

時代はめまぐるしく、猛烈なスピードで進んでいます。

そんな時代の荒波を臨機応変にそして、変えてはならないこと、伝統を
しっかり継承していき、そのことを記録にとどめて行きたいと思います。

来年も皆様の変わらぬご指導とご鞭撻を賜りながら、
より一層の努力研鑚に努め、素晴らしい川下りを提供して参りたいと思います。

またなにより、支えて下さるお客様に‘感謝の心’を忘れずに
‘ロマン’ある人生を熱く生きていこうと思います。

来年も変わらずお付き合いのほど宜しく御願い申し上げます。

年末年始も寒い日が続くとの事ですが、
皆様、くれぐれもお体をご自愛くださり、
よい、お年をお迎え下さい。

  保津川下り 船頭  はっちんこと豊田知八

保津川から見る、沈みゆく夕日に合掌

2011-12-18 22:09:09 | 船頭
保津川下り乗船場上流の旧保津橋河川敷から見た夕日の風景です。

西の空に沈みゆく夕日に遅れまいと、急いでシャッターを切りました。

亀岡駅前の田園風景を夕日の影が覆っていく姿を眺めていると
自然と手を合わさずにはいれませんでした。

冬という寒い季節だからこそ、ありがたさが沁み太陽の恵み。

「今日も一日、温かい光と熱をありがとうございました。」
と感謝の祈りを込めて合掌。。。

自然の恩恵は、私たち人間世界にいつも満ち満ちていることを
気づかせてくれる夕日の風景。

この恩恵を当たり前だと思い、特別感謝することなく、
自らの欲望ばかりに目を奪われ、右往左往している身を反省し、
見つめ直すことができる時間でした。

船頭の格好をした男が夕日に向かって合掌している姿を道行く人が見たら、
さぞかし不思議な光景に映るでのでしょうね(笑)

保津川のほとりには、こんな静かな時間が流れています。

これが漱石の尻に刺激を与えた保津川下りの舟だ!

2011-12-14 16:13:03 | 船頭
今週から始まった冬の保津川下り「お座敷暖房船」

奥嵯峨・嵐山で開催されている「京都嵐山花灯路」の影響と天候にも恵まれ、
冬の保津川下りも順調な滑り出しをしてものと喜んでおります。

冬舟は前回も書きましたように、船内に柔らかい絨毯を敷き詰め、これまでの
椅子腰掛け式ではなく直接、舟床に座っていただくスタイルです。

1907年(明治40)、かの文豪・夏目漱石は保津川下りへ乗船し、
その体験を職業作家として執筆した第一作『虞美人草』で紹介しています。
その当時の舟は、今の椅子腰掛け式ではなく、すべての舟が舟床へゴザを
敷いて座ってもらう形、つまり現在の冬舟と同様のスタイルだったのです。

漱石はその時の感触を
「傾(かた)むいて矢のごとく下る船は、どどどと刻(きざ)み足に、船底に据えた尻に響く。」
(虞美人草から)と描写しています。

川の形状が生む、流れの浮き沈みや荒瀬での落差の振動と衝撃が、漱石の「尻を響かせた」です。

保津川下りの乗船体験に感動した漱石は、小説の中に多くのスペースを割いて
「保津川下り」のことを書いています。
その中には保津峡の自然風景はもちろん、舟の操船方法や船頭の姿も紹介しています。

「真っ先なるは、二間の竹竿(たけざお)、続(つ)づく二人は右側に櫂(、そかい)、左に立つは同じく竿である。
 ぎいぎいと櫂(かい)が鳴る。粗削(あらけず)りに平(たいら)げたる樫(かし)の頸筋(くびすじ)を、
太い藤蔓(ふじづる)に捲(ま)いて、余る一尺に丸味を持たせたのは、両の手にむんずと握る便りである。
握る手の節(ふし)の隆(たか)きは、真黒きは、松の小枝に青筋を立てて、うんと掻(か)く力の脈を
通わせたように見える。藤蔓に頸根(くびね)を抑えられた櫂が、掻(か)くごとに撓(しわ)りでもする事か、
強(こわ)き項(うなじ)を真直(ますぐ)に立てたまま、藤蔓と擦(す)れ、舷と擦れる。
櫂は一掻ごとにぎいぎいと鳴る。」(虞美人草から)
これほど見事に保津川下りの操船風景を描写した文を私は知りません。さすが漱石ですね!

船頭についても「船頭は至極(しごく)冷淡である。」(虞美人草から)
という短い文で、見事に当時の船頭の雰囲気を描写をしています。

冬シーズンに運航している保津川下りの冬舟では、漱石が受けた衝撃と同じ感覚を
味わえることができ、古き日本の文学にも触れられる旅を味わえます。

この冬ならではのお座敷暖房船は、春~秋までのオープン船(通常船)とは
また一味違う保津川下りの魅力を発見していただけることでしょう。

是非、この冬シーズン(12月~3月10日まで)に体験してみてください。

お待ちしております。

韓国のお客さまとのパワーあふれる‘ふれあい’船

2011-11-23 09:22:04 | 船頭
昨日はふたたび韓国から30名の団体のお客様がお越し下さいました。

なぜか?韓国からお越しのお客様をご案内する機会が多い私ですが、
この日も韓国独特のテンション、いわゆるコリアンパワーが炸裂します。

舟が出航してしばらくすると、一番前に座っていた男性が
「歌をうたいま~す!」と突然、立ち上がりました。

船頭が「歌うなら‘カラオケ’がありますよ~」といつも舟に溜まった水を
かき出す「水桶」を差しだすと「お~おっ、カラオケ!」とその桶を持ち
歌いだします!男性が歌いだすと皆さん、手拍子をして盛り上げます。
このあたりは日本も韓国も変わりませんね。

歌い終わられると今度は舟の操船に挑戦!
わけのわからない叫び声で櫂を漕ぎます。
櫂をひと引きするごとにテンションは段々あがります。

最後はみんなで「オ~オ~オ~」と独特の音頭をとられます。

私は当然、ジェスチャーを交えた独特の船頭‘ネタ’で
対抗し盛り上げます。舟はまたまた大盛り上がりの最高潮へ!

楽しい日本・京都の船旅です!

少し、落ちついたところで、ある男性が「それは?」と指を差し話掛けてきました。
実は、今、私は船頭衣であるハンテンに空手で使っていた黒帯を締めて
操船しているのですが、帯に刺繍で‘米国極真空手道連盟’と縫ってあるのが
目に留まったのでしょう。「おおっ‘キョクシン’!」と叫ばれました。
「KARATE、キョクシン?」

韓国では極真空手は有名で創始者の「大山倍達」は超有名人なのです。

男性は韓国の国技・テコンドーをされているとのこと。
しばらくマニアックな武道ネタで盛り上がりました。
言語は片言の日本語と韓国語で~

舟を操船しながら他国の人々と交流ができるのが、こんお仕事の
もうひとつの楽しみですが、昨日も本当に‘小さな’ものですが、
いい国際交流ができたと思います。

我々は観光という仕事を通じて、人と人が顔を見合わせながらの
国際交流でお互いの理解を深め、日本に対する好印象を持ってお帰り
いただくことが、役目だと感じる経験でした。

さて、今日はどこの国の方がお見えになるか?

今から楽しみです!