保津川下りの船頭さん

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桂川1200年の歴史探訪 ~丹波と都をつないだ「水の道」物語(1)

2017-11-10 16:09:11 | シリーズ・京都を歩く
桂川・・・京都市左京区広河原北部の佐々里峠を源流とし、大小の支流を集めながら、
丹波高原と北山山地の山峡や盆地を大きく蛇行しながら流れ下る。
途中、京北町、日吉町、園部町を経て八木町から亀岡市に入り、保津峡の険しい峡谷を
縫うように流れ、嵐山へと注ぐ。

終着点は宇治川、木津川と合流する京都随一の総延長110㎞を有する一級河川だ。
上流では上桂川、保津川、大堰川、桂川と名前を変える川で、
流域間に根差した馴染みのある川名で使い分けられている。

桂川が日本の歴史に登場するのは5世紀中頃で、日本に渡来した秦氏が湿潤な地域の土地改良のため桂川に大堰を造った
葛野大堰で、河川の水量を調整することにより、大規模な開拓と耕地への灌漑が可能にした。
これが現在も渡月橋上流にある「一の井堰」付近とみられており、古代日本人にとっては、秦氏の水利技術は驚異的なものだった。

秦氏は日本書紀には応神天皇14年(283)に弓月君が朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化したこととなっているが、
実際には、もう少し後の時代の5世紀中頃に日本に渡り、山城国葛野の太秦あたりに定住したと考えられている。

この秦氏の土木技術が、のちに「平安京」という壮大な新都プロジェクトの根底を支えることになるのだ。