保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

東映京都撮影所に‘斯道会空手’参上!

2009-01-31 23:23:43 | 空手・格闘技
私が主宰する空手道場・斯道会の子供たちと今日、
太秦の「東映京都撮影所」へ見学に行ってきました。

今回の撮影所訪問は、今、私たちの道場で構想を
練っている「空手剣術劇」の参考にするため、
プロの指導方法と練習内容を勉強するのが狙いです。

斯道会空手では月に2回「棒術」のクラスを設けて
いますが、空剣劇の主となる子供たちはその「棒術」
のクラスの生徒たちです。

現代の空手は競技が中心なので「素手・素足」のみ
で戦う武術と思われがちですが、ルーツである
沖縄唐手では棒やヌンチャク、トンファーなどの
「武器術」も盛んに稽古され今に伝承されています。
私自身も以前所属していた道場で「武器術」のクラス
に出席し稽古した経験がありますが、子供たちが
「武器術」を学ぶにおいては、安全性と楽しさが重要な
テーマとなります。
そこで、みんなで物語を作成し、覚えた「棒の型」
を剣劇という形で表現する試みを進めているところです。

まずは同じ年頃の子供達がプロの演技者になるために
学んでいる「東映俳優養成所」の稽古を見学しました。

稽古の30分前になると生徒さんたちが、続々と稽古場
にやってきます。まず驚かされたのは「挨拶・返事」など
の礼儀が徹底して行き届いているところです。
もう子役として活躍している生徒さんもおられるので、
厳しい芸能界の中でしっかりした社会常識が磨かれいる
のがよくわかります。

稽古前はふざけあっていた生徒さんが、講師の先生が
お見えになられた瞬間、水を打ったように静まり
稽古場は張り詰めた空気に一変します。

釣られてうちの生徒たちにも緊張感が走ります。

稽古は子供達といっても妥協は許されてません。

「セリフが聞こえない、もっと大きな声で!」
「自分の役でなくても、台本は覚えてこい、
急に監督さんに『この役やってみる?』と振られた
時に『ハイ!』とすぐに答えられる子だけが
役をもらえるのだ!」
とプロの考え方、見方を知らし、心構えを実例を
通じて理解できるように教えられています。

また動作に鈍い子には「先先に気を回して演技する習慣を
付けるように」と周囲の空気を読み、考えながら演技する
ことの大切さも植えつけていくのです。

このような稽古を通じ、わずかしかない‘役’を手に入れる
ことの難しさ、演技には常に心身を練り鍛えることの
必要性を徹底して理解していくのでしょう。

‘さすがは日本映画の伝統を守る東映の養成所’
芸能界にあって「もっとも厳しく怖い所」と東京の
有名俳優たちを振るえ上がらせる伝統はここにも
受け継がれてるのを感じました。

私の生徒たちにとって初めて観る演技の稽古、
最初はめを白黒させて眺めていましたが、
次第に真剣になる眼差しに「空剣劇」制作の
手ごたえを強く感じた次第です。

そしてなにより、子供達を真剣にさす教え方は
私の空手指導にとても参考になり、得るものが
多くあったと見学だった思います。


その後、撮影所内を見学。
実際のセットやスタジオ、撮影に使われる
道具類を見て回りました。

子供達にとっては見るもの、触れるもの全てが珍しい
モノばかりで、みんな興奮しながらの見学でした。

今回の撮影所見学で得たことが生徒たちにとって、
これからの空手稽古の励みとなり、未来への希望
につながっていくことを願っています。


今回、お世話取り下さった東映俳優養成所の佐藤課長
にはこの場を借りお礼申し上げます。

嵐電に乗って・・・

2009-01-30 12:56:05 | シリーズ・京都を歩く
嵐山から京都の市街地を「嵐電」と呼ばれる
チンチン電車が走っています。

京都唯一の路面電車でもある「嵐電」は京福電鉄(株)
という私鉄鉄道会社が走らす電車ですが、京都の西部
市街地から嵐山へ行ける鉄道として京都市民の間では
古くから「嵐電」と呼び親しまれています。

この「嵐電」歴史は古く、嵐山電車軌道として
1910年(明治43年)に開通し、来年2010年には
100周年を迎える伝統ある鉄道なのです。
今の京福電気鉄道になったのは1942年(昭和17年)から
ですが「嵐電(らんでん)」という名称はそのまま残り、
2007年(平成19年)から正式名称となりました。

路線はたったの「二つ」。
四条大宮~嵐山間7.2キロを結ぶ「嵐山本線」と
帷子ノ辻(嵐山本線の中継駅)~北野白梅町間
3.8キロを結ぶ「北野線」だけです。

駅の数は全部で20駅で各駅間の所要時間は
約2~3分と短いものの、日中は10分おきに
走っているとても便利で生活密着型の電車なのです。

車両は基本的に1両ワンマン制で(朝のラッシュ時や
行楽時に2両)ターミナル駅以外は全て無人駅。
入口と出口が分けてあり、運賃は降りる時に運転手に
払うというシステム。
運賃は均一でわずか200円という安さ!

まさに庶民の足でもある、小さく素朴な電車「嵐電」ですが、
侮ることなかれ、その沿線には嵐山の「天竜寺」をはじめ
「御室仁和寺」や「龍安寺」「金閣寺」という世界文化遺産
が並び、また「車折神社」に「太秦広隆寺」「妙心寺」に
「等持院」などの豪華な有名観光スポットが多数点在する
京都最強の私鉄電車でもあるのです。


そしてこれら観光スポットが回れる一日乗り放題チケット
がなんと500円!とう安さ。さらに沿線の神社仏閣などの
ご優待クーポンという特典まで受けることができるという
から凄いです。

京都の洛北と洛西の観光で回るならおそらく、
一番安価で効率的な乗り物といえるでしょう。

車内には買い物帰りの主婦や学校帰り学生と、
観光客の人が違和感なく触れ合い、レトロな
ムードが漂って、どこか懐かしさを感じます。

北野線の終着駅「北野白梅町駅」がある衣笠で
生まれ育った私にとっても「嵐電」には多くの
思い出があり、今でも乗ると当時の自分や町の
風景が、鮮やかに脳裏によみがえり温かい気持ち
にさせてくれる・・・そんな電車です。

観光都市京都の歴史と庶民の営みの歴史を乗せて
いつまでも変わることなく走り続けている
素朴で温かい電車・・・それが「嵐電」なのです。

23日に支部恒例行事「愛宕講」が執り行われました。

2009-01-26 16:05:50 | 船頭
今月23日、私はっちんが所属する保津川遊船第三支部
恒例の行事である「愛宕講」が執り行われました。

愛宕講とは火伏せの神様の「迦具突智神(かぐっちのかみ)」
に、家内安全、無行息災、五穀豊穣を祈った集落信仰者
の集まりとして始まったものです。
保津川の船頭が「愛宕講」を開くようになったのは
船下りが始まった江戸初期頃からだそうです。

多くの船頭達が住む保津村の宗教行事「愛宕講」
を船頭だけで開いていたのが始まりで、保津の支部という
歴史を持つ第3支部の伝統行事として継承しています。

20年以前までは、前夜から若い船頭衆が餅を突き、
役員が朝から山頂の「愛宕神社」まで登ってご祈祷を
受け下山した後、参加者全員に餅を振る舞い、直会を
開くという、かなり大きな行事だったのです。

平成5年から山裾の「千歳・愛宕神社」に支部員全員で
参拝するかたちに変更し今に残っています。

今年、第三支部・支部長は私はっちん。

「愛宕講」の一日は、まず今年度の役員全員で
保津川下浜におられる「水神様」へ参拝に
行くのが昔から3支部の慣わしです。

「水神様」は、保津の川舟港だった下浜を見下ろせる
山道(登り道)沿いに鎮座されている保津川の守り神さま。
昔から保津の船頭は、舟仕事の行き帰りに必ずこの「水神様」
の小さな祠に手を合わして、安全航行を祈ったと云われています。
3支部では毎年、役員が代表して榊と清酒を祀り、
今年一年の安全祈願をすることになっているのです。

その後、愛宕山山裾の亀岡千歳にある亀岡「愛宕神社」
に向かい、支部参拝の準備にかかります。

午前11時になると3支部所属の船頭たちが
続々と集まってきます。


今年からなぜか?支部長が代表して拝殿に上がり、
神主さんの御祈祷を賜ることになりました。

祝詞を挙げられている間は‘拝’をしなくてはいけません。
その後、お払いをお受けし、玉串奉納へ。
すべて、神様と差し向いでの神事。少し緊張のはっちんです。

約15分ほどの神事をなんとか滞りなく済ますことができ
支部長の初仕事も無事に終えることができました。

愛宕の神様、今年一年、安全運航でよろしくお願いします。


「千歳・愛宕神社」の歴史は継体天皇元年が創祀した
507年といわれ、その後京都市の鷹峯へ分霊された後、
光仁天皇の頃(780年頃)愛宕山頂の社殿を造営して
分社を鷹峯から遷したものが現在の嵯峨嵐山の山頂の
愛宕神社ともいわれ、この神社を「元愛宕」という
説もあります。

現在の神殿は鎌倉時代に建立されたもので、
一間社流造りの神殿は国の重要文化財に
指定されています。


境内には幹周り5mもある巨大な千年杉がそびえ、地元亀岡では
ムササビが生息する‘天狗の社’とも呼ばれています。

明日のドラマ「京舞妓殺人事件」に加藤寛治さんが出演します。

2009-01-25 20:51:03 | 素晴らしき仲間たち~
明日26日(月)TBS系列で放映されるドラマ
狩矢警部シリーズ5『京舞妓殺人事件』に友人で
押忍!男組の加藤寛治さんがやくざの幹部役で
出演されます。

同ドラマはサスペンスの女王の名を欲しいままにした
故・山村美沙さんの人気シリーズで、今回は
山村美紗十三回忌特別企画として、狩矢警部役に2時間
ドラマの帝王船越英一郎さんが扮し、別のストーリで
2週連続で放送されます。

ところで加藤寛治さんといえば「やくざ役」と
いわれるほどのはまり役(?)といわれていますが、
今回はどのような‘悪役’ぶりを見せてくれるのか、
とても楽しみです。

「やくざの加藤」はドスの効いた声に乱暴で高圧的な態度
怖い表情など、どれも特長をよくとらえていて、本職の方と
間違えるほどの演技力です。

加藤さんはこれまでに数々の東映任侠映画に出演されて
おられますが、中でも「ドンを殺った男」(松方弘樹主演)
や「極妻シリーズ赤い絆」では真に迫る演技は必見です。
DVDでレンタル店に並んでいると思いますので、
よかったらご覧ください。

写真は共演者の津田寛治さんです。
同じ名前が縁で仲良くされているそうです。

明日の放送が楽しみですね。

☆山村美沙十三回忌特別企画
狩谷警部シリーズ「京舞妓殺人事件」
TBS系列 1月26日(月) 21:00~22:50
出演
  船越英一郎 山村紅葉 前田亜季 雛形あきこ
  黄川田将也 石田太郎 渋谷天外 浅野和之
  津田寛治 三浦浩一 加藤寛治

 

「曳き船」二日目、木造船の乗客になったはっちん。

2009-01-24 19:12:46 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
木造船「曳き船再現プロジェクト」2日目は、前日に
係留しておいた「鵜飼ヶ浜」よりスタートです。

私たち関係者は午前8時にJR亀岡駅に集合し、
嵯峨野線で「鵜飼ヶ浜」へ向います。
川の上に架かる鉄橋を丸ごと駅に使用している
「保津峡駅」の直下の地点が「鵜飼ヶ浜」です。

平安時代の前期に清和天皇(56代)がこの地で
「鵜飼の宴」を催したと伝わる場所です。

木造船の操船と曳き上げ作業を、多くの現役船頭に
経験してもらう目的から初日とメンバーを変えて
出発です。

この日の工程はトロッコ保津峡駅へ架かる「保津の吊り橋」下
で「渡し」と落合赤門での曳き上げ、綱の跡などの
再現を行う予定です。

この日も曳き上げメンバーに漏れた私はっちん。
実は完成してから木造船に一度も乗ってないのです。

「これではあまりにもかわいそう~」だと主催者側が
気を遣って下さり「お客さん役」で初乗船させて下さいました。


真新しいスギの香りが漂う船はまさに「天然の箱舟」
「ギィ~ギィ~」と鳴る櫂を引く音が、棚形で継ぎ足し
作られた両舷側材に反響し、心地よく‘こだま’します。

私たち客は木製の椅子に腰掛けながら、目まぐるしく
変わる川の流れに身をまかせ‘遊び’ます。

激しくうねりをあげ迫ってくる瀬に吸い込まれる木造船。
天然自然の浮力をもつ「箱舟」は、急流と‘調和’しながら
ふわふわと跳ね上がり乗る人を楽しませてくれます。

曳き上げと操船は叶いませんでしたが、乗船客として
木造船を体験できたことは、これからの川下り観光への
貴重なヒントを与えてくれる体験だったと確信した次第です。

この後、ドラマや映画のロケ地として有名な清滝川との
合流地「落合」での曳き上げ風景の再現。
ここでは、曳き船の回りしろ(車でいう内輪幅)がないため
船の舳先にあらかじめ開けてある「目穴」に細いスギで作った
「ハナ棒」を差込み、舳先を押しながら曳き上げるという
保津川独特の曳き上げ技術を再現しました。

その後、順々に下流へ下り「トロッコ列車鉄橋下流の渡し」
や「綱の跡」への綱掛けの様子、「地獄橋」での曳き上げ
を再現、船は無事に嵐山へ到着しすべての工程を
終了しました。


この「曳き船プロジェクト」が企画されて以来、
実現までには、木造船の構造や今の川の形状、
実践する船頭の技術など幾多の難しい課題が
ありましたが「保津川に木造曳き船を再現したい!」
という主催者方の‘熱い’思い、そしてこの熱情に
突き動かされた多くの人たちの思いが一つになり
成功へとつながっていきました。

このプロジェクトにご参加及びはご協力下さった
全ての方々に心より敬意を表したいと思います。


保津川「曳き船」再現プロジェクトに参加してきました。

2009-01-22 23:22:13 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
60年ぶりとなる木造船による「曳き船再現プロジェクト」が
21、22日の二日間、京都の保津峡で行われました。

私はっちんも15名の船頭たちと一緒に、この記念すべき
再現プロジェクトに参加してきました。

午前8時30分、深い霧があたりを覆う寒い朝の中、
出発点の保津川下り乗船場には関係者・スタッフが
集合、まだ「木の香り」漂うできたての木造船を、
スタッフ・関係者乗船用のFRP船2艘が囲み、
曳き船の再現現場となる保津峡を目指します。


木造船には曳き上げを担当する船頭5名が乗り込みます。
私はスタッフ側の船に同乗し出発です。


濃い霧に覆われた渓谷を流れ下る木造船。
船頭が引く櫂の音をこだませながら木造船がこつ然と姿を現す様は、
まるで60年の昔からタイムスリップして来たのでは?
という錯覚に陥るほど幻想的です。

船は最初の現場となる「烏帽子岩」下流で航路からはずれ、
瀬の外れに巻く渦を使いきれいにUターン、船の舳先を
上流方向は向け、スタンバイ状態へ。
流れの強い瀬の下で船を回す技術も、保津川船頭ならでは
の高等テクニック!

さあ、60年ぶりとなる曳き船再現のスタートです!

綱を曳くのは、一番長い綱を曳き先頭を走る先綱、そのすぐ後ろ
に2本目の綱を曳く中綱が続き、短めの綱を操り最後方から
曳き具合の微調整をする後綱の3人で引っ張り、1人が船に残り、
竿で川底の岩をかわしながら、上流へと船を曳き上げるのです。

この4人の息と力が合わないと激しい保津川で
船を上げることはできないのです。

最初の現場となる「烏帽子岩」。
ここには保津川最大の「綱はじき」が施されていた所。
「綱はじき」とは、船を曳き上げる際に川側で綱が
引っ張れない大きな岩がある場合や曳綱の角度がきつく、
岩の後ろを曳き手が通らなければならない状況の所
に設置した竹の工作物のこと。


3人の曳き人が船を降り、それぞれの綱を持ち「綱はじき」
を使い「烏帽子岩を越していく作業が開始です。
「おっ、うまく竹をつたって綱が上がっていくぞ~」
と思った瞬間、「ぐっぐ」綱が岩くぼみに引っかかり失敗…

どうやら、綱を曳き走る場所が間違っていたみたいです。
当時は川岸ではなく、もっと山側の高い道を通っていた
ことが、曳き上げ経験者の上田清さん(89)の指摘で
判明し再度挑戦です。
上田さんは冷たい風が吹く寒い日にもかかわらず、
終日、参加して下さいました。心強い先輩の思いに
ただただ感謝するばかりです。

曳き人は体を前傾にして力の限り引っ張ります。
岩がごろごろして足場は悪かったものの見事成功です!
60年ぶりに曳き船が成功した瞬間です。
しかも曳き船最大の見せ場といわれる「綱はじき」での
成功は関係者・スタッフにこのプロジェクトの成功を
確信した瞬間でもありました。

当時の綱道には一つ一つ「そこを通らなければならない」
理由があるのですね。やはり可能な限り当時を「忠実」に
再現することの大切さを痛感させられました。

関西地域の皆さんが翌日の各紙朝刊でご覧になられた記事の
写真はこの「烏帽子岩の綱はじき」で撮られたものです。

その後、当時の「綱道」が今でもくっきり残る「清水」
の曳き上げや、川の左岸側から右岸側へ移る際に
船頭全員が船に乗り込み移動した「小高瀬の渡し」など
の再現風景の撮影を行いながら船は一日目の予定を
安全にすべて終了。

一日目の係留場所となるJR保津峡駅下の「鵜飼の浜」で
下船し、JR嵯峨野線で出発点の亀岡まで戻りました。

明日、60年ぶりに保津川の曳船が再現されます。

2009-01-20 14:22:24 | 船頭
明日21日、22日の2日間、保津川で約60年ぶりに
綱による木造船の「曳船」再現プロジェクトが行われます。

今月の10日に進水式が行われた木造船を、私たち現役船頭
の手で渓谷を流した後、3本の綱で曳き上るという作業の再現です。

今ではトラック回送される保津川下りの船ですが、、
角倉了以翁が保津川を開削し船を流した1606年から
1948年までの342年間は、嵐山から乗船場のある
亀岡までの約16km間を、下った船頭が3本の綱で
曳き帰る「曳船」作業によって戻していました。

主催する「保津川の世界遺産登録をめざす会」では、
保津川最後の船大工青山匠次さんの指導の下、復元
製作された「木造船」を、渓谷に流し、現在のFRP船
との操船技術の違いと川形状の変化を検証するとともに
60年前まで行われていた船の曳き上げ技術の再現体験
を通して、消え行く伝統技術の継承を図るのがねらい。

木造船が流れていた当時の保津川とは、川底の形状が
大きく異なることが容易に想像できることから、
木造船の破損防止の対策として、3日前から船底には
樹脂が塗られました。

今、この世に一艘しかない保津川の木造船を
壊すわけにはいきません。念には念を入れます。


さあ、曳船イベントの準備は整いました!

後は明日の本番を待つばかりです。

もちろん、私はっちんも参加します!

少し、天候が心配ですが、保津川に‘熱い’思いを
寄せる人たちの念力で、イベントが成功することを
祈るばかりです。


☆「保津川木造船・曳船再現プロジェクト」

場所:保津峡~嵐山
   21日 保津川下り乗船場出発
   22日 JR保津峡駅下

時間:21日 午前9時から3時まで。
   22日    同上

雨天中止  

問い合わせ「保津川の世界遺産登録をめざす会」
      0771-25-5054
      (亀岡市役所社会教育課、鵜飼さんまで)

保津川ごみマップが朝日新聞・朝刊に紹介されました。

2009-01-19 17:31:32 | プロジェクト・保津川
今日(19日付け)の朝日新聞朝刊(関西版)で
「NPOプロジェクト保津川」が整備を進めて
いる「保津川ごみマップ」の記事が紹介されました。

朝刊社会面の反面を占めるオールカラー版での
紹介という大きな扱いは、保津川環境保全に
参加する者としてうれしい限りです。

保津川ごみマップは、川に捨てられている不法投棄
や漂着ごみをGPS付き携帯電話でカメラ撮影し
送信することで、ネットの地図(マップ)にごみの
量や種類、位置情報がリアルタイムで把握できる
システムのことです。

自然の要害といわれる保津川や支流などの広範囲に
わたるごみ清掃を効率的に実施するには、まず、
ごみの場所や種類、量などの情報を把握することが
重要になります。
詳しくはこちらをご覧下さい。
このマップ事業が注目をされることで、地味な
ごみ清掃活動に少しでも人々の関心が集まれば
こんなにうれしいことはないです。

プロジェクト保津川では、春頃の本格運用を目指して
開発作業を進めています。

地元はもちろんのこと、多くの皆様のご協力を
よろしくお願い申し上げます。


‘プロジェクトⅩ’~冬に保津川下りをしてもらうには?

2009-01-18 12:52:15 | 船頭
今朝、保津川下りには100名を超す予約が
入り、乗船場は久しぶりにシーズン中の様な
活気がもどりました。

私も先週の連休以来となる5日ぶりの操船です。

冬の保津川下りは2ヶ月前の混雑ぶりが嘘のように
‘静か’になり、訪れる観光客もまばらで
ひっそりとしています。

その分、我々船頭の出船回数も極端に減ります。

毎日、出勤していても「待機」することが
主な仕事で、出船できるのは3日に1度あれば
いい方です。

まったく予想がつかず、当てにならない船頭業に
見切りをつけて、多くの船頭が冬の間、他の職場に
散らばっていきます。
一冬、まったく顔を会わさない船頭も多くいて
まことにさびしい限りです。

冬の京都を訪れる観光客は多いと聞いていますが
保津川を訪れる人は少ないようです。
嵯峨野からやってくる「トロッコ列車」も冬の間は
運休していることも影響は大きいと思いますが
やはり、寒い冬に「川遊び」というイメージは沸かない
ものなのかもしれません。

仕事をしている私からみれば、確かにシーズンに比べ
花など山の植物は少ないものの、船底に限りなく近い
座敷船は保津川本来の迫力ある流れを体感するには
最高の条件を備えていますし、越冬するためやって
来た珍しい水鳥たちを見ることができ楽しみもあります。

そしてなにより、船内はストーブの暖房付で外気を
シャットアウトするホロに囲われポカポカの暖かさ。
空いていれば、貸切船の様なスペースが確保できる
という贅沢さなどなど・・・

探してみると案外、楽しい川下りが楽しめると
私は思っているのですが・・・

「冬の寒い時期に川下りなんてする人はいない・・」
とあきらめて思考を停止してしまう前に、
どの様にすれば「冬にも来て頂ける川下り」に
することができるのか?
知恵をしぼりアイデアを出していきたいものです。

‘プロジェクトⅩ’のように。

震災の‘あの日’に思う・・・生きること。

2009-01-17 23:24:37 | 船頭の目・・・雑感・雑記
また‘この日’がやってきました。。

14年前の今日、多くの尊い命を奪った「阪神淡路大震災」。

毎年、この日が来るたびに当時のことが
思い出され私の心を強く締め付けます。

14年前の‘あの日’前日、私は‘あの場所’にいました。
震災最大の被害があった神戸市長田区に。

成人式の振り替え休日を利用し、長田区にあった
親類の家に一泊で遊びにいっていたのです。

前夜は皆で近所の居酒屋に繰り出しワイワイ一杯
やりながら楽しい会話に花が咲きました。
その後起こる悲劇など頭の片隅にも想像できず、
楽しいひととき。
柱が剥き出しになった町家造りの店内は確か満員。

一杯飲んだ後の九州ラーメン屋さんの味も忘れられない。

近所の銭湯へも行き、一日の疲れを癒しました。
年季のある絵が描かれる壁タイル、ライオンの給水口、
レバー式のシャワーなど昔懐かしい情緒ある湯に
身も心も温まったことを思い出す。

ごく当たり前の日常、楽しく幸せな時間・・・
その約30時間後にやって来る悲劇など
想像すら出来ませんでした。

約18時間後には崩壊することになる「JR新長田駅」
から電車に乗り京都へ帰った私はその悲劇から逃れた。

その数時間後、テレビの画面に映し出されたのは
確かに数十時間前に自分がいた神戸市長田区でした。

崩れた駅、黒い炎をあげ燃え上がるアーケード商店街、
そして倒壊する住宅地、目を覆いたくなる様な映像。

そこには昨日いった居酒屋やラーメン屋、銭湯があり、
なにより親戚の家がある。

泊まらせてもらった親戚の家は、地震から数十秒で
2階部分が崩れ倒壊したそうです。

遊びにいくのが一日遅ければ・・・
いや地震が一日早く起これば・・・

私は間違いなく今この世にいないだろ・・・、

楽しく語らい飲んだ町家風の居酒屋も美味しかった
九州ラーメン屋も、そして昔情緒いっぱいの銭湯も、
この世から永遠に消えてなくなったことを、あとから
知りました。

当たり前に来ると思っていた「明日」が実はとても
不確実であること‘生きている’ということのは
けして当たり前の事ではないと初めて実感したあの日。

いのちの大切さと生きていること素晴らしさよ。

人生の価値観を大きく変えた‘あの日’のことを、
私はけして忘れることはでしょう。

震災前に見た、あの長田の風景とともに・・
しあわせはこべるように