保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

京の霊峰・比叡山を歩く。その壱 山麓の里・八瀬

2011-05-28 11:04:56 | シリーズ・京都を歩く

三方を山に囲まれるまち・京都。
数々の名山が連なる京都の山の中でも、歴史と知名度で他を圧倒するのが比叡山です。
名実ともに風雅漂う京都を象徴する山といえるでしょう。
京の東に緩やかに連なる峰・東山三十六峰の頂点に君臨し、
他の山を従える堂々とした気品に満ちています。
山頂には、日本仏教の布教拡大に多大な影響を与えた延暦寺が建立されているのは
あまりにも有名で、大勢の参拝者や観光客で賑わっています。

若葉がまぶしい季節、京の都つくりに大きな影響を持ち続けた比叡山に登り、
延暦寺参拝の旅を紹介したいと思います。少し長編になる予定ですが、
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

第一回目となる今回は比叡山の登山口のひとつ山麓の里・八瀬。

現在、比叡山へは京都方面と滋賀県方面の二つのルートがあり、山裾からケーブルカーや車で登ることができます。
今回は京都方面・洛北の里・八瀬からケーブル&ロープウェー登ることにしました。
比叡山山麓の集落・八瀬は福井県小浜と京都を結ぶR367古道若狭街道(鯖街道でも有名)沿いに点在し、
眼下に清流・高野川が流れる静かな里です。

古来、里人達は天皇さんの乗り物である鳳輦(ほうれん)を担ぐ
、駕興丁(かごちょう)という役目を与えられていた皇室ゆかりの地です。
八瀬という地名の由来は里を流れる高野川がこの辺りで流れの早い瀬を
多くつくる所であるためという説が有力ですが、弘文天皇(672年)の壬申の乱の際に、
大海人皇子が背中に矢を受け、この地に窯(かま)風呂を作り、傷を癒したことから
「矢瀬」にかけて「癒背」と呼び、転じて「八瀬」と呼ばれるようになったという伝承もあります。

里人達は「八瀬童子」と呼ばれ、比叡山諸寺の雑役を生業としていたが、
1336年の足利尊氏の西上の際に、比叡山に難を逃れて逃げる後醍醐天皇を、
弓矢をとって守ったことで、皇室の深い繋がりが生まれ、以来、平生寝るときも、
常に枕下にわらじと提灯を置き、都に急変があれば、
すぐに禁裏に馳せ参じる準備をしていたと伝えられています。

結髪もせず、長い髪を垂らした風貌で、草履をはいた
子供のような姿であったため童子と呼ばれました。
平成元年の昭和天皇の葬送の際、その棺を運ぶ皇宮警察官が
八瀬童子の古式装束を纏い従事していたのをご覧になられた方も多いと思います。

かま風呂とは、伝承をとって中世、お公家さんがこの地に風呂を作ったといわれ、
むしろの上でじわじわ体を温める日本古式型のサウナで、新陳代謝を促進し、
肌感もよく美容と健康に効果があるといわれています。

釜風呂の詳しい情報は、現在も八瀬かま風呂を現存され

営業されている「ふるさと」さんのHPを参照下さい。
http://www.kamaburo.co.jp/
比叡山へは、R367から西塔橋という大正12年施工のアーチ型の橋を渡り、
ケーブル八瀬比叡山口駅からケーブルカーで向かいました。


次回へつづく。


運休を活かし、千年の都・京都を歩く。

2011-05-25 16:41:05 | シリーズ・京都を歩く
五月晴れと呼ぶにふさわしい爽やかな天気が続いておりますが、
保津川下りは、な、なんと「川止め」つまり「運休」の日々が続いております。

2日前、夜中に降った大雨のおかげで川の水位は一晩で安全規定水量を
大幅に超えたため、舟を出すことができません・・・


こんないい天気に、しかも修学旅行や法然聖人800年・親鸞聖人750年の大遠忌法要
開の影響で、日本国内中から大勢の方々が京都へお越し下さっており、予約も
いただいていたというに、こうも川止めがつづくとは・・・トホホ・・・です。

河という自然は人間の思惑通りにはいかないものですね。いまさらながら感じています。

川止めという運休の間、我々船頭も出社に及ばず、まったくのフリー、完全なるオフです。

こんないい天気が続いているのに、家の中でくすぶっているわけにはいきません。

書を持って街に出かけよう!とばかり、この雨がくれた臨時休暇を利用して、
これまで行きたいと思っていた‘京都の各名所・旧跡’をいろいろ歩いてきました。

次回からここ数日で訪れた‘初夏の京都、緑美しい京都’の
いろんな名所を紹介していきたいと思います。

京都は自分の足で歩いてこそ、その魅力の奥行、懐の深さがわかるというもの。

ガイドブックや書籍でもさまざまに紹介されている場所でも、自分の足で歩き
実際に訪れてみると、1000年の古都が織りなした歴史と人々がつくりだした文化
の息づきを感じることができます。

めぐる歴史の移り変わりを変わらぬ姿で見続けてきた山々、理想や野心を燃やし
歴史上の人物が闊歩した土地、信仰、文化、学問を思考し続けた碩学・偉人たち
など、どの場所にも歴史のドラマが息づき、リアル感をもって迫ってきます。

時間を気にせず、ゆっくり歩きながら京都の奥深さを五感で感じながら
向き合ってみるのも悪くないです。

我が生まれ故郷であり、育ちの地でありますが、まだまだ京都の魅力を
知らないなと感じます。

自らの足で京都を歩き、そこで感じたことをこのブログに書き込むことで、
少しづつでも「本当の京都の姿」に近づいていきたいと思っています。

嵐山と古代豪族・秦氏、そして京都。

2011-05-22 10:18:19 | シリーズ・京都を歩く
嵐山の語る時「秦氏」のことを話さないのは「もぐり」である、と
いわれる古代にこの地を治めていた「秦氏」

渡月橋の上流に堰止めをつくり、今の嵐山の原風景をつくった一族です。

秦氏は応神天皇(おうじん)の時代に、朝鮮の百済から秦皇帝の末裔と称して
渡来してきた一族で、功満王一族とか、百済127県の民を率いて渡来した
弓月君(ゆみづきのきみ)一族の末裔ともいわれています。

彼らは現在の右京~西京区、伏見区深草にかけて居住し、大陸から伝承したきた
養蚕や機械、醺酒、治水技術に優れ、豊かな経済力を背景に平安京遷都を
桓武天皇に提案した一族ともいわれ、嵐山の原風景にとどまらず、今の京都自体が
形成される基礎をつくった、京都の歴史にかかすことができない重要な役割を
果たした一族といえるでしょう。

嵐山の堰は、下流地域一帯の農地を発展させるための灌漑用水を川の水で
確保するため設置したもので、当時では画期的な最先端土木技術だったのです。



信仰文化の面でも大きな影響を与えており、山林開発の神を松尾山に祀り(松尾大社)、
農耕守護の神を稲荷に祀るなど、賀茂氏とならんで山城北部の開発につとめたり、
飛鳥時代には聖徳太子に仕えて仏法を興隆し、京都に広隆寺を建立した秦河勝は
一族の末裔だといわれています。

しかしながら、豊富な財力にものをいわせ、平安遷都を成し遂げた秦氏ですが、
平安時代以降はなぜかその勢力は衰退し、歴史の表舞台に登場することは
なく、勢力を誇った証として‘太秦’という地名が残っているだけです。

日本発展の先端技術を有し、国つくりに多大な影響を及ぼした秦氏。
また、南部仏教勢力との確執に苦しむ朝廷に、奈良から京都への遷都
を提案し、現実に長岡京から平安京造営に寄与したキーマン的一族・秦氏は
なぜ、自らが作り出したといっても過言ではない平安時代に入ると
その勢力を衰退させるに至ったのか?

ここに歴史のロマンを感じずにはいられません。

保津川に雷大王の襲来が!悪天候最悪4点セットを引っさげて。

2011-05-17 23:58:32 | 船頭
今日は朝から青空が広がるすっきりとした快晴のお天気です。

涼やかな谷風がそよぐ、まさに初夏の気持ちよさを堪能できる
最高の川下り日和だったはずが・・・

正午にまだ10分ほど足らないくらいの時刻のこと。

まぶしい日差しを照らせていた太陽が急に姿を消し、辺りはにわかに
薄暗くなり、空を振動させ、震わせるような轟音が!

亀岡の美しい山並みが灰色のカーテンに覆われて薄くなり、やがて姿を消しました。

そう、雷さまのお出ましのお時間です!
雄叫びを上げ、激しい風を起こしながら、保津川下りの乗船場へ襲来されました。

舞い上がる砂埃、巻き上がる枯葉やゴミ。そしてしばらくすると大粒の水滴が頬を
伝ったと感じた瞬間、稲光と同時に激しい雨が降り出したのです。

乗船場には定期便の出航時間を向かえスタンバっていたが、この急激な天候悪化のため
出航を一時見合わし、やり過ごすことに。

雷大王が通り過ぎた後は、何事もなかったかのように、再び爽やかな青空が。

「行っちゃったね~」と安堵し、舟も順調に出航していきます。

そして、午後1時、私たちの舟が今日二度目の出航として嵐山を目指します。

乗客は茨城県からお越し下さった中学生の皆さん。

約三分の一ほど下った頃から、またしても空模様に変化が表れだしました。

空を覆う濃い灰色の雲は見る見る広がり、頭上でまたあの雄叫びが!

なんと今度は舟の操船中に雷さまの襲来を受けるとは!

稲光と雄叫び、強風と豪雨の、悪天候最強の4点セットを引き連れて・・・

舞い上がる舟のテント屋根、横殴りの雨が学生の皆さんに襲い掛かります。
舟を風下へ押し返そうとする力に抵抗し、舟を正しい水途・流れへ
正確に乗せながらの操船です。舵を持つ手にも力が入ります。

前方が見えないほどの雨と耳をつんざくような轟音!
学生さんたち、さぞかし怖がっているのでは?と
乗船席を見ると、みんな「それいけ!」「イエィー」と歓声を上げているではないですか!

日頃経験したことのないようなありのままの‘自然’とのふれあいに、
みなさんのテンションを上がりっぱなしでした。

舟の中に不思議な一体感がつくられていきます。

「みんなで、この難関を乗り切ろう!」という気持ちが伝わってきます。

さあ、最後の急流・難所の大瀬。「バシャン!」
落差のある瀬では船が大きく右へ傾きます。

「おぉ!」握りこぶしを突き上げ大歓声と大きな拍手が。

舟が緩やかな嵐山へ着く頃には、雷大王はどこかへ去り、また
辺りにまぶしい太陽が照りだし、青空が広がっていました。

学生さんたち。生涯忘れることのできない体験をされて様です。

これぞ、自然だから味わうことができる‘ほんまもん’の迫力と爽やかさですね。
本当に楽しんでもらえてよかったです。

ちなみに私たちは頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れになっていたことは
言うまでもないことです・・・







嵐山の初夏を優雅に彩る三船祭

2011-05-15 18:44:29 | 京都情報
快晴となった今日15日の日曜日、京都嵐山・大堰川(保津川)一帯では
平安時代の舟遊びを再現した‘まつり’「三船祭」が行なわれました。

三船祭は平安時代(898)宇多法皇が嵐山大堰川に竜頭の船を浮かべて
詩歌管弦を興じたことに由来する舟の祭で、毎年5月の第3日曜日に
「祭神」である車折神社の神事として催されています。

川畔で午後1時から祭事を奉し、渡月橋上流の大堰川に竜頭、鵜首など
美しい飾りを施した華やかで優雅な舟が浮かび、その舟上で平安時代の
衣装に扮した人達が詩歌、管絃、舞楽など平安時代の遊びに興じます。

まるで平安絵巻から飛び出した様な優雅さは京都ならではのもの。
毎年、嵐山の川畔には、約10万人の拝観者が訪れるといいます。

今年は、先週の豪雨のため河川が増水していたため、恒例の‘扇流し’
は行なわれず、また舟を流す範囲も縮小されたようですが、鵜首船から
聞こえてくる雅楽の音色と奉納舞は見物客の目前で演じられ、視線を
釘付けにしていました。

三船祭の由来に、昔からたびたびの大洪水で毎年のように大きな被害が出る
大堰川をその都度、復旧工事に当たっていたのが、車折神社ゆかりの
清原頼業(よりなり)の子孫一族であった事から、神社境内に水の神様を
祭り「治水祈願」をした史実にもとずき昭和3年(1928)から始められました。


‘扇流し’のはじまりは、足利将軍が天龍寺へ参詣の際、お供の童子が誤って扇を
川に落した時、その扇の流れる様に「なんという優美さよ!」とを感じ、
魅了され話が広まり、天龍寺参詣の度に、お供の人々が競って扇を
川に流したという故事に由来しているそうです。

「花の御所」にも象徴される優美な室町文化時代らしい美意識ですね。


今日、3度、保津川を下ってきた私は三船祭にBingo!

嵐山の初夏を彩る優雅な舟遊びを視近距離から見物することができました。

厳しい自然界からの洗礼!川の氾濫、警戒水位へ!

2011-05-12 01:34:03 | 船頭
発達した低気圧と前線の影響で昨日の夜から激しい雨に見舞われた
京都の保津川では、12日午前1時現在で河川の水量が、乗船場のある
亀岡市保津町で3m40㎝、渓谷内の保津峡では、な、なんと5m35㎝という近年稀にみる大増水となっており、
今後の雨の降り具合により河川氾濫へ予断を許さない事態となっております。

保津川下りの舟は普段から河川岸の人工湾に係留しているのですが、
今日の午後、川から引き揚げ、安全な河川敷に緊急避難させました。

夜から雷を伴い激しく振った豪雨により、一気に河川水位が上昇し
一時間で約2mという異常な増水状態を起こし、今も増え続けています。

舟の緊急避難を日が明るい内に済ませておいたことは、いまさらながら
正しく適切な判断であったと思います。
これが見通しが悪くなる夜に引き揚げ作業を行うと
作業の危険度は増し、肉体的はことはもちろん精神的にも
かなりのリスクを背負うことなります。

とりあえず、舟の避難は済んだものの、この水位状態では
舟の運航の目途は当分立たず、しばらくの運休は覚悟しなくては
なりません。

GW期間中は天候にも恵まれ、例年以上の営業成績を上げ、今週からは
全国から中学生の修学旅行生の予約も二ケタで入っており、また
英国王室からの手紙や中谷美紀さんのスピーチなど、保津川下りに
とってはかつてない‘追い風’が吹いていた時期だけに、今回の運休は
とても残念でなりません。

これだけの増水です。

川の水位が減少しても、川底や流石などで川の状態は
かなり荒れていることも想像されます。
川のダメージが少ないことを祈らずにはいられません。

自然の猛威は本当に恐ろしいものです。

東北の震災ほどではないですが、我々自然の中で仕事をする者には
自然の猛威にいつも畏怖の念を抱かずにはおれません。

そして「自然に合わせて生きる難しさ」を感じずにはいられません。

自然・・・それは生きるための恵みを与えくれ、美しい風景美を見せてくれる
母なる存在である一方、厳しい叱咤を与える父なる存在でもある。

でも、人は自然の中でしか生きることができない存在なのです。


氾濫する川の水は、この春の保津川下りが蓄えたモノと
「活気」までも一緒に押し流していくようです。・・・

しかし、水は必ず引きます。

また一から仕切り直しです!

この繰り返しが永遠に続くことが、自然とともに生きるということなのですから。

英国ウイリアム王子からの返事に沸く、亀岡市と保津の児童たち!

2011-05-08 16:35:06 | 船頭
英国のウイリアム王子とキャサリン妃のご成婚を祝い、保津川下りの地元亀岡市
保津小学校の児童が「新婚旅行に保津川下りへお越しお越し下さい」と送った手紙
に、王子直々の返事が帰ったきてことで、亀岡市や差出人である中学生たち(当時小学6年)
に取材が殺到、地元はえらい盛り上がりをみせております。
詳しくは京都新聞5月5日付けの朝刊をご覧いただきたいですが、
この記事が出て以来、関東、関西を問わず様々なマスコミが注目、
世紀の祝賀ムードを日本から盛り上げていこうと、この亀岡まで
お越しくださっています。
先日も関西テレビ。ニュース・アンカーにこの話題が放送され、保津川下りのHPで
歴史ブログを担当している「さいたに屋」こと「豊田覚司(弟)」がその‘ゆかり’に
ついて解説するなど、保津川下りにもロイヤルウエディングの余波がやってきております。
今日もキー局の番組からの取材が入るなど、まだまだ収まる気配はありません。
地元の子どもたちが‘世界’の大きな出来事’と「つながっている」という
ことを意識できることは、社会への興味や関心を喚起し、感性と視野を広げる
ことにもなり、大変よい体験となったことでしょう。
我々保津川遊船も社をあげて協力し、このスケールの大きな夢を実現でき
れば素晴らしいことだと思っております。
皆様のご声援とご支援の程、よろしくお願い致します。
☆英国王室とは5年前の「保津川開削400周年」の時、同じく
 地元保津小の子どもたちが「エリザベス女王」へ招待ビデオレター
 を送ったことがあり、その時も女王直々にお返事を頂いた経緯があります。

保津川下り、GW奮闘記。

2011-05-06 11:37:12 | 船頭
GW三連休の最終日が終わりました。

今年は先月の29日から約一週間という長いお休みになった方も
多かったのではないかと思いますが、おかげ様で保津川下りも
連日、にぎわいをみせ盛況となりました。

お越しいただいた方、またおススメをいただいた方、
本当にありがとうございます。感謝申し上げます。

このGW期間中、保津川下りのダイジェストをお送りいたします。

このGWでもっとも忙しい日となる「なかび」の4日。



「嵐の前の静けさ」
早朝よりこれから出航する船の準備をします。

波よけとなるビニールを乾し、椅子を並べておきます。
Uターンしてきたら、すぐに飛び乗れるように。

朝から船頭を亀岡駅から河原へ送る専用バスが故障!


時間待ちが出る乗船場に1秒でも早く戻らねばならないのに、
バスが故障しては一大事です!

至急、小型バス会社へ緊急依頼し、なんとか事なきを得ましたが、冷や汗ものトラブルです。



川の水量は常水の上、嵐山までの時間は1時間20分ほど。
平均所要時間1時間45分を25分も早く着き、迫力とスリルの
ある川下りが楽しめる好条件での運航です。

天候にも恵まれ、新緑がまぶしく輝く最高の川下り日和です!

気持ちがいい、爽快感に包まれます。

136艘の船が1日で流れて行きました。

午前中から渡月橋や周辺道路は大混雑。。。

船頭も高回転のピストン帰りで最高4回目の出航となりました。



船は嵐山からトラックで返しますが、船の流船数が多い上、道路の渋滞に
巻き込まれて、なかなか返れない様子。

船上げ場となる一の堰には帰る順番を待つ船が係留されていました。

全部捌けたのは午後7時を回ったとか。

トラックの運転手さん、ご苦労さまでした。



午後6時30分、4回目の操船を終え、亀岡の乗船場へ戻ると今日一日の出船記録が
待合い室入口のドアに掛けてありました。

朝7時から午後6時過ぎまで。

本当にフル稼働でした。

心地のよい疲労感です。

天候にも恵まれ、水量も申し分のない条件でGWが過ごせてことを
とても幸運と感じます。

さて、あとは週末のみ。

頑張っていきます!


GWの保津川下り、癒しのくつろぎを求めて。

2011-05-04 22:10:44 | 保津川下り案内
今日は保津川下りがGW中でもっとも混雑する日といわれる「なかび」です。

予想したとおり、今日は136艘の船が出航いたしました。

なんと、最終船は4時30分に出航です。

春は日が長いとはいえ、この時間までお待ちになってでも
「乗ってやろう!」と来て下ったお客様には、まさに感謝の
一言に尽きます。ありがとうございました。

130艘以上の船がGW中に流れたのは、2年ぶりのこと。

私も4回の操船となり、新緑の嵐山を日に4度、見させてもらいました。


さあ、明日は5日、こどもの日です。


京都・嵐山からJR嵯峨野線でたった1駅。

保津川峡谷・・・そこは緑に包まれた別世界です。

木々のこずえから緑の新芽が吹き出し、色鮮やかにして、
やわらかく、そして温かい、まさに燃え出でる‘いのち’の
いぶきと躍動感に包まれています。

瑞々しい新緑と渓谷を渡る爽やかな風に、ほっと癒される

‘くつろぎと贅沢な時間’。

明日もお客様の笑顔と歓声をのせて保津川下りの船は流れていきます。

是非、このGWは保津川下りでお楽しみ下さい。

お待ちしております。


☆明日も保津川下りは「予約なし」でご乗船いただけます。
 直接、亀岡の条船場にお越し下さい。
 また、嵯峨野観光鉄道でトロッコ列車&保津川下りのチケットも販売しています。
 お求め下さい。

 最終船は午後4時頃の予定。







新刊京都本・「いまどき京都職人カタログ」に紹介されました。

2011-05-02 22:13:30 | 保津川下り案内
1000年以上の歴史を有する京都にはさまざまな伝統を持つ
「仕事」が数多く存在します。

そんな京都の歴史と伝統、独自性を生かした仕事に携わる‘職人’を
紹介するニュータイプの京都ガイドブック「いまどき京都職人カタログ」が
このたび武田ランダムハウスジャパンから出版され、私が保津川下りの船頭
を代表し京都の‘職人’として紹介されました。

この本は「京都に住んで京都で働こう!」という副題でもわかるように
これから仕事に就こうとする若い人に、都会的ビジネス系の仕事ばかりではなく
長きに渡り、代々引き継がれ守られてきた伝統産業や地場産業に焦点を当て
その仕事で生み育てられる‘職人’という生き方を紹介しています。

従来の固定概念を離れ、少し角度変えた視点からの仕事を意識できる
京都ならでは、京都でしか作れない就職情報誌的な要素を含んでいます。

職種は舞妓さんや時代劇の殺陣師さん、能面師さん仏像彫刻師など
古くて新しい京都の仕事40職種から職人さんを紹介されています。

その中に保津川下りの船頭という仕事が選ばれたこと、また僭越ながら
私が紹介されたことは光栄の至りであります。

私自身、まったく畑違いのフィールドからの転身であり、転職当初は
400年以上の伝統と独特の職場スタイルを持つ「保津川下りの船頭」
という仕事に馴染むまで、相当悩み、苦しみました。つらい毎日でした。

師匠の厳しいが適格な指導の下、多くの同僚・友人の励ましや家族の支え
があり、なんとかここまで船頭という仕事を続けることができています。

今ではこの船頭という仕事を「天職」だと思えるようにもなり、
400年の伝統を引き継ぐ者としての「誇り」も持つことができました。

この船頭という仕事にめぐり合うことができて、私は本当に幸せ者だと感じています。

この本に紹介されている職人と呼ばれる皆様もきっと同じ気持ちで
お仕事をされているものと感じます。

今の時代、仕事に誇りを感じ、生きがいを見出していくことは
本当に難しくなってきたといわれています。


少し、目線を変えて「こんな世界もあるのだ」「こんな生き方もあるんだ」という
ことを知ってもらい、これからの仕事探しに役立てていただければ幸いに思います。


「いまどき京都職人カタログ」は「京都の不思議」など数々の
京都本を著作されているライターの黒田正子さんの最新著書で
全国の各書店またはネット通販Amazonでも購入できます。
定価は1600円です。

よければ、ぜひ、購入していただければ大変うれしいです。

よろしくお願い致します。

☆「いまどき京都職人カタログ」~京都に住んで京都で働こう~
  黒田正子著 武田ランダムハウスジャパン発行
  定価:1600円