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保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

武道の本質を思考する。ある夢からの気づき。

2013-01-17 10:57:59 | 空手・格闘技
昨日、夢をみた。

バスに乗っていると、ひとりの男が乗り込んで来てバスをジャックしたのだ。
男の手には斧が握りしめられていて、周りの乗客を恫喝している。

手に汗を握る緊張感が体に伝わる。

男は「自分の降りる停留所を言え!」といい、「そこで降ろしてやる」と話した。
すると「次に降ります」とひとりの女性が手をあげた。
停留所が近づくと「じゃ、降ろしてやるから来い」と前の出口へ促す。
恐る恐る前へ歩き出す女性。顎で出口へ進む様に促す男。

乗客の目はこの動きへ集中した。

バス停が近づいてきた。男が運転手へ「止めろ」と命令した。
バスは停留所に停車した。「行け!」と男が言うと、女性は急いで出口へ向かった。
その時である、男の手が振り落とされた。女性は出口の側に倒れ込んだ。

バスの中に悲鳴があがった。泣き声も聞こえてきた。男は「うるさい!」と一喝。
車内は一瞬に硬直状態となる。みんなが男と目を合わさない様にと下を向いている。

この状態を何とかせねば、と感じた私は、相手を押さえ込む技を頭の中で巡らせた。
「チャンスをみて、飛び出そう」と思っている私なのだが、体がなかなか動かない。
そんな時、「次に降りる奴は誰だ!」と男が叫ぶ。今度は誰も手を上げない。
次のバス停は近づいていた。焦る気持ち、なかなか動かない体・・・


その時、目が覚めた。夢だと気づき、ホッと気が抜け、安堵した。

テレビや映画の見過ぎだと、笑われそうな変な夢だったが、ここに武術の理があることに気づいた。

人の身体の動きがいかに‘心’に左右されるかということを。

相手が素手なら、ひとりの暴漢を押さえ込むことなど、武術で数多くの戦いを経験した者なら
なんら躊躇することなく行動に移すことは容易なことだろう。
しかし、相手が手斧という武器を持っているだけで、すぐに行動に移すことができず、
犠牲者を出してしまった。
また、その目の前で起こった事実が、さらに行動へ鎖をつけるが如く
動くことができないのだ。

道場でひとつの実験をしたことがある。

組手練習で、いつもの様に相手に正拳攻撃をしてもらう。
受け手はなんなく、その攻撃を受け交わす。
何度繰り返しても、受け手は攻撃をかわし捌く。

そこで、今度は先の尖った鉛筆を攻撃する人に持ってもらい、
同じようにまっすぐの攻撃をしてもらった。
ポイントは「本気で刺すつもりで」と攻撃してもらうこと。

すると、先程まで難なく受け返していた受け手の体を大きく、後ろに逃れ
上手く受けの動きをすることができないのだ。

「攻撃の軌道には変化がないのだから、先ほどの受けで大丈夫だから」と指示しても
受け手は何回しても、体が逃げ腰になり、上手く受けることができない。

これは何を意味するか。

人間の身体は、頭が命令しても、必ずそのように動くことができないということだ。
頭から指令を出しても、身体は、武器が体に与える恐怖を知っているので
逃げてしまい、対応できないのだ。

これでは命の危険が考えられる究極の状態下で、全く対応できないことを教えてくれる。

しかし、である。

武道は本来、命のやり取りの中で生まれた技のはずだ。
刃の中で負けることは即死に直結している究極の状態で生まれた身体文化だ。
次もなく、リベンジもない。リセットできない状況で、先人はいかに戦い、
そして生き残る技を残していったのか。

武道の極意に心技体という表現がある。

体に技を覚えさせ、その修行の過程の中で養った‘心’で使用する。

この極意を習得するために生まれ、先人が残したものが「型」であると考える。

型は、先人の命のやり取りの中から生み出され、死なないための究極の完成形だといえる。

それを繰り返し反復練習することで、ねばり強さ、息の深さを身に付け
自然体から平常心へという‘心’を涵養する。
型の反複という鍛錬は、量は質へと転嫁し、いかなる状況でも変わることなく、
対応できる戦う技術を習得させる。

型鍛錬は、無意識と意識の境を往復する。
通常は無意識に行っている動作に対し、型を導入することで動作を意識化するものだ。
この意識間の往復練習により、無意識に行う非効率な動きを意識化することで修正し
型を通じて合理的な動きを習得する。さらに練習を続けることで、その動きは
意識的に行わなくても、動けるようになる。

その心身の鍛錬が、刃の下もくぐり抜けられる技となる、

これこそが、武の先人が身につけていた本物の武道の真髄だと考えるのだ。

頭が命令を下していると意識している間は、型を体まで染み込ませる鍛錬が少なく、
技化までたどり着いていない証拠だ。だから動くことができないのだ。

心技体とは、いかなる状況でも平常心で動ける境地を目指すものであり、
武の本質が凝縮された表現なのだ。

日本人が生み出した身体文化である武道の深さを知ると、心がワクワクして楽しい。

この目標に向かって、より一層、精進を進めたい。

武道はなんて面白く素晴らしいものなんだろう。

斯道会空手の生徒たち、春休みの思い出・ラフティングを体験!

2011-04-06 09:45:34 | 空手・格闘技

嵐山には桜が咲き始め、華やかで美しい春がやってきました。


子どもたちも春休みの後半。


新天地に旅立つ者、新学年に進級する者、さまざまですが


そろそろ、新学期の準備に入る時期です。

そんな時期、私の主宰する斯道会空手道場の子どもたちに
春休みの想い出を作ってもらおうと昨日、「保津川ラフティング体験」
に参加しました。
参加したのは小学4年生から中学2年生までの20名。

この体験は保津川で「ラフティング事業」を行っているリバーアドベンチャークラブ
内のクイック・ザ・ネイチャが企画した「子ども無料体験ツアー」なのです。


朝9時、トロッコ列車亀岡駅前も保津川の畔・山本浜に集合。

みんな初めての保津川ラフティング。

不安ちょっぴり、楽しみいっぱい。

約2時間の保津川、川下り遊びの出発です。

保津川が流れる地元亀岡生まれの子どもがほとんどですが、
保津川で川遊びをする機会は意外にないもの。

この機会に保津川を好きになってもらい、自然と遊ぶ知恵を
身につけてほしいと思います。

2メートルの落差がある「小鮎の滝」や急流で急カーブする保津川一番の難所
「獅子が口」などの激流ポイントをラフトボートで下った子どもたち。


亀岡から保津峡までの約10㎞間、保津川の魅力を堪能したみたいで、

「むっちゃ楽しかった!」とあふれる笑顔で戻ってきました。

川に山、田んぼに畑という自然に恵まれたこの亀岡に育つ子どもたちには
これからどんどん、地元の自然とふれあい、亀岡を盛り上げてほしいと思います。

俳優・酒井敏也さんが道場に遊びに来て下さいました!

2011-02-02 11:09:33 | 空手・格闘技
先週、私達の空手道場・斯道会に俳優の酒井敏也さんが遊びにきて下さいました。

酒井さんの道場訪問はこれで2度目となるのですが、今回の訪問は東映京都の俳優
加藤寛治さんと一緒での登場。

実は二人は故郷が同じで、学校も同窓なのです。

二人の登場は、道場生に事前通達をせず、完全にサプライズとしました。


ちょうど練習が終了したその時、酒井さんの突然の登場に、子どもたちも
一瞬、状況が把握できないようでしたが、そこはさすが、子供です。
ひとりが駆け寄るとみんなが一斉に後へと続き、酒井さんの周りは
子どもたちで埋め尽くされてしまいました。


無邪気にサインや写真をお願いする子どもたちに対し、酒井さんは
笑顔で快く引き受けられ、子どもたち一人ひとりに声を掛けて下さり
やさしく対応して下さいました。
また「ガキの使いSPの収録は大変でしたか?」や
「今度はどんなテレビに出演しますか?」
など様々に質問攻めに丁寧に答えて下さってました。

子どもたちも「うれしい!宝モノにする!」とサインを大切にカバンに
入れる子や「学校で友達に自慢する!」とニコニコ顔の子もいて、
本当に子どもたちに大人気の酒井さん。

「子どもたちは大好きです!」と語る酒井さん。
その気持ちが子どもたちにも伝わるのですね~

最後は残っていた道場生と保護者の皆様と一緒に記念写真です。

テレビで活躍する酒井さんとの生のふれあいは子どもたちにとって
生涯忘れる事のできない思い出となったことでしょう。


酒井さんは「水戸黄門」の収録の為、京都へお越しなっていました。
明日3日(木)に放送されるNHK総合の「祝女に出演されます。
友近さんなどとの掛け合いがあるようですよ。是非ご覧下さい。

放送日:2月3日(木曜日) 午後10:55分(22:55)
    NHK総合テレビ

「京・くろかる隊」主催、留学生交流パーティーで空手演武を披露!

2010-10-30 23:49:52 | 空手・格闘技
今日30日、亀岡市保津町にある「保津文化センター」で
同市を拠点に異文化交流活動を進める「京・くろかる隊」主催の
留学生と市民の交流会「ウエルかめパーティー」が開催され
我々斯道会空手道場が日本武道の紹介として演武を披露してきました。

同パーティーには、京都学園大学で学ぶアメリカ、台湾、韓国、中国などからの
留学生20数名がゲストとして招かれ、亀岡市長をはじめ桂川・田中両府議会議員、
西口市議や亀岡市教育長もホスト役として参加して下さいました。

「京・くろかる隊」は保津川下りや嵯峨野観光鉄道など外国人観光客が
大勢訪れる亀岡市で、観光の案内や人的交流を市民レベルで取り組もうと
組織された市民団体です。
また、同市にある京都学園大(曽我部町)の留学生との交流会なども
定期的に計画しており、草の根的な他文化交流でお互いに学び合い
地域の活力を生み出そうと活動しています。

代表は私の弟・豊田覚司が務め、私も同会の立ち上げ時からのメンバーでありますが、
今回は留学生さんと交流パーティーということで、日本の伝統文化を紹介する演技者として
参加し、特技である「空手道」を道場生の子どもたち9名と一緒に披露してきました。

演武ではまず、日本人として基本「礼法」として正座から黙想、挨拶をご覧いただきました。
なんといっても日本武道の一番大切な精神である「礼節」を見てもらうことが大事です。

その後、突きや蹴り等の基本動作から沖縄伝来の古流型など4つを子どもたちと披露しました。
また、今回は日本に来て間なしの留学生さんもお越しなっていることから、特別サービスとして
古武術な中から「杖術」や「トンンファーvs杖」の対決も見ていただきました。
最後は空手演武のお約束「試し割り演武」へ。

子どもたちが突きや手刀、蹴りによる杉板割りを行った後、最後のトリは
私が手刀による建築資材用ブロック割りで絞めました。
ブロック割りに入る前、会場の留学生からは「ブロックは無理だろう・・・」との
声も聞こえてきましたが、割り終えると、会場からはどよめき、それこそ
割れんばかり拍手をいただきました。

私達、道場生は今回の演武にあたり
「子どもも大人もない、我々が演じる姿すべてが日本の武道・空手と認識されるのだから、
失敗は許されない。日本の武道・空手の名を汚さない様な演武をしよう!」と誓い合い
挑みました。道場生のみんなも子どもながら「日本を背負う」という使命感を持ち、
体感して貰えたものと思います。

国際交流、異文化交流には、まず自分たち日本人としてのアイデンティティが必要不可欠です。
それは武道でも、茶や華、太鼓や日舞といったその他の伝統文化・芸能でも構わないし
文学や哲学・思想でも構いません。日本人として世界の舞台に立つ‘根’となるものを
これから日本を背負って立つ若者には持ってほしいと思うのです。
生徒たちも、その一旦を今回の交流パーティーの演武で垣間見てくれたのなら、幸いです。

世界は高度情報化社会や近代科学技術の目覚しい発達で、益々、グローバル化は
加速されることでしょう。亀岡というのどかな田園都市にも、その波は押し寄せてきています。
私は空手という伝統武術とその精神を基盤に「世界というものへの視野と意識」を持った若者を
育てていきたと思っています。その意味でも今回のような市民レベルでの異文化交流活動の
意義は大きく、この活動の輪が、まさに草の根が地面広く張っていくことで、喚起され
市民の民度向上と優秀な人材育成に寄与するものと考えます。

私は空手家として、そして日本古来の舟運の船頭として異文化交流にも精力的に取り組みたいと思っています。

今後の「京・くろかる隊」の活動に注目して下さい。
また、「京・くろかる隊」へのご支援とご協力のほど、よろしくお願い致します。

*演武に集中していた為、写真を撮ることができませんでした。
 どなたか、演武風景の写真をお持ちの方がおられたら、ブログにアップしたいので
 譲っていただければ、大変うれしく思います。よろしくお願い致します。

「空手とは何か?」 一修行者の伝統武道空手への回帰からみる

2010-10-06 23:59:51 | 空手・格闘技
2000年の新世紀を向かえて以後、空前の格闘技ブームに沸いた日本。

K-1にはじまり「プライド」など総合格闘技などなど・・・

でも、その中心的役割を果たしたのは「空手」や「柔道」そして「柔術」
といった日本古来の武術だったといっても過言ではない。

いまや日本の武術は世界中に普及し、心身を練磨する「武道」として
多くの愛好者を有する文化的側面を形成し発展を遂げてきたが、
この格闘技ブームを背景に、興行化商品価値が高くなり、
技術的にも精神的にも一種、奇形化して里帰りしてきた感がある。

日本武道として忘れられた存在であった「柔術」はともかくとして、
「強さ」をあまりにも強調するあまり、今の空手界も商業主義と
勝負偏重の大会至上主義の肥大化が極端に進み、「空手」本来の
武道的価値を貶める結果になっているのではないかと危惧する。

沖縄という小さな島で生まれた空手は、日本文化として同じ武道の柔道や
茶・華道、歌舞伎などの伝統文化・芸能と共に、 世界中に普及が進み
人々にも認知される存在にまで成長してき訳だが、空手に至っては
世界150ヶ国、5000万人という愛好者人口を抱える 他の日本文化の追随を
許さない、日本が誇る「最大の文化」なのだ。

沖縄という独自の軽武装主義の風土のもとで歴史的変遷を遂げた空手は
他の日本武道以上に心身の鍛錬・修養・礼法を目的とする
しっかりした武術思想と伝統的技術体系を確立したものとして
発展してきたはずだ。

その貴重な文化遺産ともいえる空手が現代、プロ化や大会・勝負偏重に走るあまり、
安易な商業的主義に乗っかり空手本来の伝統的技術・文化的精神価値から
かけ離れる形で変化してきている。

武術である以上、強さは大切だが、ルールある競技性の中での相対的な強さのみに
絶対的価値があるのではなく、文化的価値も含め武道としての空手を追求する過程において、
自らの心身を磨く人間的‘強さ’の 涵養にこそ意義がある信じる。

そこで、生涯空手を修業する一実践者として、知性だけに偏るのではなく、
自らが体感した経験を元に「空手」とは何か?という
本質に迫るための考察を試みたいと思う。

考察のポイントとしては
①空手の源流から歴史的・文化的検証 
②歴史的変遷からみる技術的な変化 
③急速な普及により国際化したことでの功績と問題点 
④空手の武道性と現代的価値

この4つに絞った考察により、純粋な空手の伝統的武道文化を認識し
、修行者の人生的意義はもちろん、人類的価値にも問いかけ、
これからの空手修行のライフワークとしたいと思っている。

歩いてこそ‘道’。私の歩いてきた「空手の道」とは。

2010-09-28 23:53:47 | 空手・格闘技
私の火曜日と水曜日の夜は空手の稽古日。

これはもう11年間変わらない週間スケジュールです。

保津川遊船に転職して以来、夜の時間がプライベートタイムになったことで
私は再び空手を修業する機会を手に入れたのです。
しかも空手との再会は、子どもたちとの出会いを運んで来てくれました。

最初は大人中心で始めた道場でしたが、次第に子どもの入門者が増え出して
気が付けば子どもが主の道場へと移行していったという感じです。
今でこそ空手を習う子ども達は多くなりましたが、10年数年前はまだ、
大人が技を磨き、大会を目指すという雰囲気の道場が主流だった時代です。

子ども達を主に預かる道場になることは、当時所属していた空手組織内で統一している
運営や指導方法等とは異なってくることから、私は所属する空手組織を離れる決心をし、
独立して自分の道場を持つことになったです。

それは師との別れでもありました。
当時若干33歳。空手家としてはまだまだ未熟なことは自分自身が一番わかっていましたが、
自分の理想とする‘強さ’を、今度は子ども達と一緒に作っていきたいとの
思いが私に一大決心をさせたのです。

それまでの様に、自分自身だけの強さにこだわり、修業するのではなく、
今度は道場に通う生徒たちと共に、本当に大切な‘生きる強さ’を追い求めたい!
そして将来、この国を、そして世界を担っていく様な立派な人材を育てていこう!
という理想とロマンを掲げ、この道場に賭けてみたくなったのです。

私の空手の師はいつも私達門弟に
「いつかは私を追い抜いて行け!いつまでも私の下でぬくぬくと道を歩くのではない!」
「お前達が私の授けた技術と精神を正しく伝承し、その技と心をさらに進歩させることで
次世代の者に伝えていってほしい。それこそが私への恩返しで、親孝行なんだよ」
話されていました。

私は素晴らしい師匠にめぐり合うことができ、幸せ者だと思っています。

これぞ武道の世界でいう「守 破 離」の教えなのです。

師の教えを素直に学び、身に付け、さらに師の教えを越えて、自らがひとり立ちし、自立していく。

長い歴史のなかで、洗礼された武の世界において、伝統は未来永劫、受け継がれ生き残っていく。
これぞまさに‘道’なのです。

道は人が歩いてこそ道。続いてこそ‘道’。
先人が歩んだ道を後輩が歩き、さらにその先の未来へ向かって‘道’を新たにつなげていくことが
私の武道の道を歩む者の使命であると考えています。

私の歩いているこの‘道’を、今、たくさんの弟子たちが歩いてくれています。


いつか彼らも、私がつけた道を越えて行く日が来て、自分がつける道をつなげていってくれるでしょう。

そうして、いつの時代も伝統の実践者たちの歩みによって‘道’はつながり、
伝統と文化は未来へと受け継がれていきます。

そこに空手‘道’の素晴らしさがあり、私の人生の中で空手の道は光りを放つのです。

伝統と文化の伝承者として、これからの人生も空手と共にありたいと思っているのです。

武芸百般!アメリカからお越しの男性は・・・

2010-08-05 23:39:02 | 空手・格闘技
今、日本では今年度の2010年を目途に訪日外国人旅行者数1,000万人を目標に、
日本観光の魅力を海外に発信するとともに日本への魅力的な旅行プランを作成する事業
「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を官民一体で推進していますが、その成果なのか?
私たち保津川下りにも今年は、毎日海外からの旅行者が増加していると感じます。
梅雨が明けてからは、毎日、一艘に必ず海外のお客様をお乗せしています。

今日はアメリカから「連邦保安局」の捜査官の方々が私の舟にお乗りいただきました。


「アメリカ連邦保安局(United States Marshals Service)」
ニコラス・ケイジが主演した映画「コン・エアー」で犯罪を犯した服役囚を
刑務所から別の刑務所へ移送する飛行機で護送していた組織といえばおわかりになられた
方もおられるでしょう。
有名なFBIと同じく司法省に所属する連邦法執行官職で、設立は初代アメリカ大統領ワシントンが
1789年に建国当時の13州に一人ずつ配置し任命したアメリカで最も古い法執行機関だそうな。
主に逃亡者の追跡、囚人の輸送、裁判官・陪審員・証人などの警護が主な仕事とのこと。

一行は仕事ではなく、プライベートでの日本の旅であり、最初から素性を明かしてお乗りに
なった訳ではないのですが、ひとりの男性が着ていた「KRAV MAGA」と書かれた
Tシャツを見て、私が声を掛けたのが話の始まりでした。

「KRAV MAGA」(クラブマガ)とは
軍事的な衝突の絶えない、イスラエルで軍隊用格闘術として生み出された護身術です。
世界で最も多くの実戦の中で試され、つくり上げられた護身術としてシステム化され、
今ではイスラエル国防軍だけでなく、アメリカやヨーロッパの軍隊・警察にも採用されている
高度な格闘性を持つ優れた護身術です。
私も6年前の一時期、この格闘術を習得するため、東京まで毎週通っていたことがあるのです。
そんな縁で、乗船中もその男性とクラヴマガ談義をしているうちに「実は柔術も習っている」と彼が
打ち明けてくれ、話は益々、マニアックに盛り上がっていきました。
彼が通っているアメリカの柔術道場は、あの名門グレーシ一族の中で最もテクニシャンといわれた
「ヘンゾ・グレーシ」道場だそうです!

お互い格闘者同士で武道家同士、国や人種は違えども、すんなり打ち解けてくるから不思議ですね。

格闘技談義に花を咲かせているうちに舟は嵐山へ到着。

着船場に着くと「小さな国際交流」お約束の記念写真を一枚。

握手をして別れ際に、彼は自分のズボンのポケットから小さなコインの様なものを
取り出し、私にくれました。

戴いた瞬間は「『チップ』か、なにかかな?」と思ったのですが、よく見ると「ピンズ」。


そのピンズには「 United States Marshal」の文字がくっきりと刻まれていました。

「えっ、あなた方はアメリカ連邦保安局の方たちなの?」と問う私に、
彼は笑顔で「YES!」と答え「コレをアナタたちにプレゼントします」とピンズを
指し、私たち船頭3人全員に手渡してくれたのでした。

連邦保安官という危険と遭遇する機会が多い、職務だからクラヴマガやグレーシ柔術をされているのですね。
これは本物のツワモノさんです!

ちなみに彼は舟の櫂ひきを体験した時、殆ど私の指導なしですんなり櫂を引いたこともご報告しておきます。


今日もまた、ひとつ素敵な出会いに感謝!


全日本空手道選手権大会、片岡兄弟の挑戦。

2010-06-30 10:52:24 | 空手・格闘技
蒸し蒸し感に覆われ、時折、局地的な集中豪雨に見舞われる今年の梅雨。

困った事に、本業である保津川下りは河川増水の為、3日間も運休・・・

とはいえ運休の間ものんびりは出来ず、私はっちんは空手師範として大会出席と選手強化練習にと
相変わらず多忙なスケジュールをこなしていました。

27日は京都市横大路体育館で開催された「全日本空手道選手権大会」(内田塾主催)に
来賓として出席して参りました。

もちろん当道場からも「片岡 零君・颯君」の兄弟二選手が少年の部にエントリーして出場です。

約400名の選手が出場した大会、梅雨の気候の中、体育館は選手の熱気も加わり
蒸し風呂のような‘暑さ’・・・
この条件下では、技術以上にスタミナ配分を考慮した戦い方が大切になります。
もちろん、基礎的スタミナは最低限必要ですが、試合は緊張感や相手からの圧迫感など
で想像以上のスタミナを消耗するものですから。

彼ら二人がどこまで、よく相手の動きを見て冷静に戦えるか?がポイントだと思っていました。

試合直前、体育館の隅でストレッチをしながら体をほぐす片岡兄弟。

スタミナ配分の事、冷静な試合運びの事など、アドバイスしたいことは色々あるのですが、
ここまできたら、あまり細かいことは言わない方がいいことは、これまでの大会経験で学んだこと。
口であらためて言わなくても、日頃の彼らの練習の中で取り組んだこと、身体にしみこんでいるはず。
あとは本人たちを信じて応援するしかない。

試合は小学校4年生の颯君から始まりました。
今回が生涯はじめての大会出場となる颯君。
キレ味鋭い左右の回し蹴りを武器に最近、メキメキと腕を上げてている生徒です。

試合でも、序盤こそは緊張からか手数が少なく、心配しましたが、試合開始から
30秒を過ぎた頃から、本来の動きを取り戻し、右の上段回し蹴りをヒットさせ‘技あり’を奪取!
打撃の痛みからか?相手の選手が戦意を喪失し、見事、一回戦を突破してくれました。

そして兄の零君。
小学校6年生の彼は約2年ぶりの大会です。
試合の順番を待つ姿から緊張していることがありありと伝わってきます。
しかも対戦相手は頭ひとつ高い長身の選手、帯も格上のようです。
さて、試合ですが、お互い一歩も引かない技の攻防を続き、本選は引き分け。
すぐ行われた1分の延長戦。
この暑さでお互い相当スタミナを消耗しているようです。
ここまできたら、技を超えた精神力の勝負!ここからの辛さ、キツさは
体験した者でないとわからない世界ですが、ここまでの痛みの蓄積に加え、
止むことのない激しい攻防の中、一瞬も気を緩めることができないプレッシャ、
そして、鉛を引張っているような足の重たさの中「もう、ダメかも?これ以上無理かも?」
と一瞬でも思った方が負けるのです。
延長戦、彼はよく戦いました。しかし、気力の点で相手が少し上回っていたということでしょう。
残念ながら、一歩及ばず敗退ということになりました。

それぞれ、この大会で自分自身の課題に気がついたことと思います。
練習だけでは気が付かないことに気づくのも大会に出る重要な意義です。

様々なプレッシャーに打ち勝ち、大会にチャレンジした彼ら。
最後まで戦い抜いた彼らを私の誇りです。

最後に選手たちへ。

君たちが大会に向けて頑張ってこれたのは、君たちだけの
努力で出来たのでは決してないということです。
君たちが練習に打ち込める環境を用意してくださった
保護者(お父さん、お母さん、祖父母さん)の協力が
あるからという事実を決して忘れないで下さい。
今の自分があるのは当たり前のことではなく、周りの
人達の協力に‘感謝するの心’を忘れず、
これからも精進して下さい。

今日は本当にお疲れさまでした。

斯道会空手道場 師範 豊田  

         押忍!



武術から武道へ、先人から学ぶ究極の境地。

2010-04-28 09:46:45 | 空手・格闘技
私は16才の時、空手と出会い、27年間、止むことなく稽古を続けてきた

高校卒業後は、大学に進学せず、K会館の本部内弟子になるべく
入塾願書を取り寄せたが、両親との話し合いの末、
大学に進学して「空手」を続けるという選択を選んだ。

若き日はアメリカに渡り、海外空手家たちと激しく拳を交え、世界の力も知った。

前職の新聞記者家業の忙しさから、空手修業の時間が持てないことが
ストレスとなり、今の仕事に天職する動機の一つにもなった。

私の人生の傍にはいつも「空手」があった。

実戦さながらの直接打撃制の真剣勝負、グレージーな仲間たちに
囲まれて、血反吐を吐く様な、肉体の限界まで鍛えぬく厳しい稽古。

その中で空手の持つ恐怖を知る一方、強くなる楽しさも知った。

しかし、自分自身、武道という視点では、まだ何もわかっていない
と最近、感じることが多い。

実戦スタイルの空手といえども、ルールのある中での勝ち負けを
決める競技に変わりなく、相手との相対的な戦いに重きがある。

もちろん、戦うからには他者に勝たなくては意味がないし「勝敗にこだわる」
のだが、武道の世界はそれだけでは到達できない境地がある。

武道という世界をつくりあげてきた日本という国には、この境地に
到達した(本人たちはそうは思っていないが)武人たちを多く輩出した歴史を有する。

そのひとりに幕末の剣豪「山岡鉄舟」がいる。

鉄舟は当時、世に聞こえた剣の達人だったが、生涯ひとりの人間も
斬ったことがなかった。
その鉄舟がこの日本にとって最も大きな功績を残したのが
幕末の「江戸城無血開城」だった。

尊皇攘夷の盛り上がりで「倒幕」の気運が高まった激動の幕末。
武力で徳川幕府を倒すことを目的とした討幕軍が西郷隆盛を大将に
組織された。
幕府の存亡が危ぶまれた切迫した状況の中、鉄舟は単身で西郷のいる駿府・総督府に
乗り込み、西郷に直談判することで説得、合意を取り付け、結果、血を流さずに
江戸城を開城し、300年近くに及ぶ幕府の幕ひかせてた。

彼のはたらきで日本は、血で血を洗うような混乱を招かず、
江戸幕府から明治政府へと大きな時代変革を成し遂げ、
アジアで最初の近代国家の礎をきずくことになった。

西郷と面会する時、大勢の官軍警備隊の中を「朝敵・徳川慶喜が家来
山岡鉄太郎(鉄舟)まかり通る!」と大声で堂々と歩行していったという。
その胆力に西郷は感服したという。
そして、何より西郷との面会を果たす為、官軍の目が光っている江戸から駿府の
道中を、難なくすり抜け、単身で辿り着いたことは奇跡といってもいい。
そこには、剣により磨かれし胆力と人と太刀を交えることなく「戦わずして勝つ」
という「武の極意」に基ずく行動だった。そこのところを、西郷も察し「鉄舟は信用できる」と読んだのではないか。

鉄舟のこの迫力は剣術を武道にまで昇華させた姿であり
「戦わずして勝つ」という武の境地を体現したものだった。

武道は、命と命をかけた真剣勝負だ。負ければそれは即、死を意味する、
甘えや妥協の余地のない世界である。
だからこそ、戦うことが許されないという、深みのある世界なのだ。

「戦わずして勝つ」それこそが、武術を修業したものが目指す境地であり、
そこには、金や名誉、命すら超えていく究極の次元の高さがある。

相対的な戦いを超えた、自己との厳しい闘いの中でしか到達できない境地。

残念ながら、自分にはまだ、この境地の影すら見えてはこない。

だからこそ、今日も修業に励むのだ。

空手という武術を、武道の境地へ到達できるように。


☆写真はバングラデシュの祭りに飛び入りで「空手演武」をした時のもの。

素晴らしい空手演武でした!

2010-02-20 23:07:26 | 空手・格闘技
昨日のブログでもお知らせしましたが、今日、亀岡市東部文化センターまつりが
開催され、私主宰する空手道場・斯道会の生徒たちが演武を披露してくれました。

演武には幼児から中学生までの約40名の生徒が参加し、演武開始時間の10時50分
の約1時間前に集合、演武リハを少しやり出演時間を待ちました。

演武では、幼児から小学生低学年までが難度の高い「平安の型」に挑戦。
高学年女子と4年男子が型の分解説明から気合とキレのある「安三」の型を演じてくれました。
空手の「型」は長い歴史の中で先人たちが生み出し今に継承されている文化遺産ともいえます。
これからも正確に覚え、自己鍛錬に活かしてほしいと思います。

続いて小学生高学年による板割りの演武。
空手演武の‘華’に例えられるほどの演武です。
その分、成功する確率が低いのもこの演武の特長なのです。

「恐れへ」チャレンジする心と「必ず割る!」という覚悟が成功の秘訣。
技以上に精神力が求められます。
少しでも「割れないのでは?」「割れなかったどうしよう・・・」と邪心が
入ると失敗し最悪怪我する」危険もあるので、皆が緊張しているのがわかります。

手刀、正拳、肘、蹴りで次々に割っていく、演武者たちでしたが、
板を手に持ったものが三箇所に立ち、異なった技で連続して割っていく
難度の高い「3方割り」では失敗する子も・・・
でも、最後まで諦めず、割れるまで何度の挑み、割り終えました。

技以上に精神が大事なことを、身を持って感じられたことは貴重な体験になったことでしょう。

最後は中学生と6年生の護身術。
立ち技と寝技の2種類に分け、演じてもらいました。

さすがに高級者揃いです。
みんな器用に固め技までつなげ、アクションスターばりのかっこいい演武でした。

特に黒帯で今の道場リーダーでもある鵜川初段(中学1年)のキレある鋭い決め技演武には
会場からは大きな歓声が上がっていました。

武会終了後の反省会では、持てる力を出しきった達成感と緊張から開放された安堵感で、
出演者みんな、満面の笑顔を浮べていました。

日々の練習の成果を、大勢の観客の前で堂々と演じた我が道場生たちは素晴らしかったで
このような素晴らしい門下生を与えていただいたことを誇りに思います。

小さな演武者たちへ。
今日の演武会で体験した‘技’と‘心’を自らの自信として、これからの空手の稽古へ
また、日々の生活に活かしてほしいと願います。

会場にお越し下さった観客の皆様、また出演者の保護者の皆様、
そして発表の場を提供いただいた同文化センターの皆様
誠にありがとうございました。

当ブログにて御礼申し上げます。

斯道会空手 代表 豊田知八