百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

懐かしい日立市の映像 と 武満徹さんの素晴らしい歌の世界

2021-08-21 14:08:31 | 日記
 本日12時から再放送の、R3.8.15 オンエア NHK-BSP『 新・BS日本のうた SP 』、茨城県
日立市で催された吉田正さんの生誕100年記念コンサート。この中で、 オイラが社会人生活をスタートさせた S39年度と、給料いただきながら学生生活させてもらった S41年度の 計2ヶ年度を過ごした 日立市の現在の映像が流れ、オイラは それに めっちゃめちゃ 懐かしさと 嬉しさを覚えた有様でして、以下は、いつでもその感慨に浸れればとの思いで 留め置くものであります。

 神峰公園の遠望ですが、S41年5月連休前日の午後9時頃、この下から北へ向け、ひとつ上の友人と一緒に歩き旅を始めたところ 直ぐ様 ライトバンが拾ってくれ、岩手県一関市まで運んで下さったのでして、その日は同期入社で寮で同室 既に仙台近くにUターンされていた千田 (ちだ) さん宅に泊めていただいたのを、そして お祖母さんの言葉が一向に判らなかったのを想い出します。ところで、今 千田は どうしとるんじゃろうか。どうか達者でいてくれますように・・・

S40年の 2月上旬でしたでしょうか、朝10時ごろ、2段ベッドの上の段で目覚めましたらば、何や暑くてしょうがないものですから、無性に 泳ぎたくなりまして、海まで歩いてって入水したものの、痺れっちまい、早々に引き上げたのを思い出す日立の海です。そりゃ~冷たかったです。
                 多分 ↓ この下の白長の建屋がオイラのいた海岸工場?

オイラは専修学校(日専校)でなく、専門学校(日工専)卒業ですが、

吉田先生と同じ 日専校を卒業したはずの、ジェームス・ボンドによく似た顔をしてた 鈴木君、それから 高田君、今 どうしてられるのか。元気であられること、祈るばかりです。
 そして、番組には
 
我ら世代には 絶対的なヒロイン、吉永小百合さんも 重要な役回りで ご出演でござったです。
..
 なお当番組でオイラが取り置いた歌は、坂本冬美さんの『再会』のみ。悲しいですが 現時点、フランク永井さんや 松尾和子さんの歌を引き継げる歌い手さんは 見当たらない状況・・・そうなんですよねぇ、ついでに申しますと、桂銀淑さんの歌も 後継者不在で 寂しい限り。それと、石原詢子さんには ぜひとも 青江三奈さんの歌を受け継いでってほしいと思ってます。青江さんと雰囲気がとてもよく似通ってらっしゃいるので、特に。

 < 追 補 > R3.8.31 記
 以下は、2018.12.23付ブログ『 ユージン・スミスさんの叫びに胸を打たれました ~ NHK Eテレ『写真は小さな声である ユージン・スミスの水俣』より』からの転載です。海岸工場の現場写真、懐かしいものですから・・・

 最後に一つ、水俣病とは関係ないことですが、追記します。当番組で紹介されてたことですが、ユージンさんが『日立』という企業写真集を撮られてるということ。オイラが1年だけ在籍の 2,3年前のことですが、懐かしい職場(オイラは大電機)写真でした。
 

 さらに、2010.8.4 付ブログ『百休気まぐれ 8泊旅(12)【日立市】』も転載します。

 ここは、18~19歳に亘る1年間、人生なんて知る由もない新入社員時代と、20~21歳時 給料戴きながらの全寮制企業内工業専門学校(その昔 アメリカの雑誌「TIME」の表紙になったこともあります)時代の、都合 2年 を過ごした場所であります。
 海岸工場の周りを 車で2周しましたら、「ああ 工場のほうは ほとんど同じなんかなぁ」と確認したのでありますが、しょっちゅう行っておりました駅前の田所書店は、周りが変わり過ぎておりまして、車からは 分かりませんでした。
 次に 最初に入った寮の面影を偲ぼうと、兎平から坂道を上がったのでありますが、このほうも まったく見る影もなく変わってしまっておりまして、その昔 東洋一の音響設計だと、当時はその名を轟かせておりました、愚生が会社の音楽祭で、アカペラで「ダニーボーイ」を歌い「努力賞」をお情けで戴いた、栄えある創業者の名を冠された大劇場「小平会館」が、見る影もなく こじんまりと、鼠色に、地味に地面に伏せっているのが見えたっきりであります。
なお、がっかり度が過ぎまして、もうひとつの寮「茨専寮」には、時間のこともあったのですが、見に行く気になりませんでした。
 今 思いますに「志学寮」なんて、なんとも素敵な名を付けたものかと思われます。当時の会社の意気込みが よく伝わってくる名付けであります。東北出身の 寮の若くて可愛いマカナイさんに、陰ながら見守られながら、誰もが、同じ作業ジャンパーを着て、眼下に広がる雄大な太平洋や昇る朝日を拝しながら、毎日 元気に出勤していたものであります。
 次に向かいましたのは、旅行2日目に滞在しました郡山の市立図書館の電話帳で、入社時 お世話になった配属先の直ぐ上でありました先輩のお名前が、渡辺でなく渡部であったことに なかなか気付かず、ずいぶん手間取ったのでありましたが、何とか電話番号を特定でき、前夜 連絡が取れておりますお宅であります。昭和22年生まれの、旦那さんと同じ山形県出身の、芯から明るい きれいな奥さんの 温かいおもてなしを授かりながら、懐かしい先輩に、日立地区代表として、お会いいただいたのであります。愚生と同じように 56歳で早期退職されたとのことでありました。
 宮本という、素手での波乗りを教えてくれた、自転車で一緒に江ノ島まで行った同期のナイスガイに 特に会いたいと思っているのでありますが、下の名前の記憶を失ってしまっているため 電話番号帳では特定できず、また ひょっとして当地にきたら思い出すのではないかとの 甘すぎる一縷の期待も案の定 外れまして、あきらめざるを得ない状況にて、後ろ髪を引かれつつも、南に向かったのであります。
     
新入りのオイラの頭を押えている右側の人が 渡部先輩であります。何キロ先だったか忘れてしまいましたが、北に行ったところの海岸です。
     
     志学寮の きれいな ↑ マカナイさんたち。納涼大会かなんかです。
     
                    ↑ 当時の茨専寮です。
茨専寮から見た ↓ 日立茨城工業専門学校です。志学寮からも同じように太平洋が見えました。
     


 < 追 伸 > R5.6.13 記
 本日の NHK~BSP『プレミアム・シネマ』で、裕ちゃんの『嵐を呼ぶ男』が放映されまして、裕ちゃんの カリスマ性や スケールの大きさや 斬新さというものを 改めて認識しておりますが、中に たいへん嬉しい画面━━TVニュース場面━━がありましたので、ここに載せておきます。




  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


 R3.8.16 NHK-Eテレ『クラシック音楽館』にて、大友良英さんプレゼンツによる 武満徹さんが創られた歌の特集がありました。武満さんの歌は、今や オペラ歌手さんや 数ある合唱団さんたちによって多く演奏されている人気楽曲となっているのですが、没後25年という節目に企画・創作・制作された 今コンテンツは、今までのどの演奏よか各ミュージシャンさんたちの感性が際立つ、インパクトのある、非常に優れた作品群でございました。

特に衝撃に近い感銘を受けましたのは、ボーカル&ギター:七尾旅人さん ギター:大友良英さん(ピックは黒いボルトでした)による『死んだ男の残したものは』。中でも、間奏部分のアドリブ的演奏のアンサンブル。それにしてもスティール弦の響き・切なさは 堪えられません。

さらに特段 目を引きましたのが、『めぐり逢い』での トランペット奏者 類家心平(るいけしんぺい)さんの、風船の如く ぷわ~っと ↓ 膨れる頬っぺた。

それにしましても、音楽的な才能と技量の豊かな方って、何と大勢いらっしゃる時代になったものかと、つくづく思います。ただし演歌の歌い手さんは、昔のほうが断然 上手と思いますが・・
  
   ↑ 上記 歌と、日本人作曲家さんの創られた楽曲で統一してます。
    (『めぐり逢い』であるべきを、『めぐり愛』と書いてしまってます )
  
   ↑ 直近 制作のCD。『豊後水道』『京都から博多まで』の阿久悠さん詞に感心してます。
    歳を寄せた宮城まり子さんの『ガード下の靴磨き』は、芸術の域まで達してられます。
    若き 藤純子さんの『緋牡丹お竜』に 痺れています。
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澤田瞳子さんの力量評価が遅過ぎです !!! & 目を見張った NHK名曲アルバム『星めぐりの歌』アニメーション

2021-07-21 21:38:09 | 日記
 R3.7.15 産経新聞『人』欄 記事です。
    
オイラは、一冊読んだだけで判りました。この方の力量。瞳子さんの頭の中には、日本の歴史を彩った主な人たちが 恐らくは、皆さん生きたまんま棲み続けているのではないかと。で、それらの方たちの行動をなぞることで作品が出来上がっているのではないかと。

第165回直木賞にノミネートされてることを知ったオイラは、絶対に取ると思ってました。何故なら、審査員の作家さん方を、とっくに凌駕してらっしゃるから。怖いのは、その先生がたの 敵愾心・嫉妬心 だけだろうと思ってました。

何しろ奥行といいますか、重層性が違うのです。司馬さんがよく使われる手 ”余談ながら” の対象になる話題を多分、数限りなくお持ちではないだろうかと思うのです。披露されないにしても、行間から滲み出るモノがあるのです。オンナ司馬遼太郎さんと言って差し支えないのではないかと思っています。

特筆すべきは、学生時代ご研鑽の賜物でしょう 飛鳥・奈良時代の事柄についてのご見識。歴史小説世界においては、従来 手薄であった時代だけに、瞳子さんの作品は、かなりの部分 その空白を埋めて下さっています。オイラが興味を抱いている時代なだけに、嬉しさ一入であります。

直木賞受賞となれば、古本が枯渇するやもしれません。オイラは、実在の人物をモチーフにした彼女の作品を蒐集することとしました。で 集めた本は、既読分も含め以下でございまして、今後 読むのが楽しみなことであります。なお『若冲』は 好きな画家さんでないのでスルーしてます。

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 今回、砂原浩太朗さんの『高瀬庄左衛門御留書』という小説もノミネートされてました。この小説、R3.2.21 産経新聞に文芸評論家の縄田一男さんの、まぁ これほど褒めそやした、かつ これほど名文の書評って 未だかって無かっただろうほどのプレゼンテーションがされてましたから、オイラは 万障繰り合わせて というふうな感じで手に入れ、読了してまして・・・


たしかに当初は、清冽さが あまりにも際立ってるものですから、オイラのような薄汚れた人間ですと、なかなか文章に入り込みづらいといった側面がありまして、そのウオームアップに 2週間ほど要してます。そして満を持し再参入、 平坦な道を延々歩いて行ったら いつのまにやらラストの、それはそれは見事な描写の 斬り合い になっていた という印象が残っています。なお オイラがここに取り上げた理由は、この縄田さんの書評を留め置きしたいがために他なりません。 

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 R3.6.13 NHK-BSP『名曲アルバム+』で、素晴らしいアニメーションの『星めぐりの歌』が放送されました。惜しむらくは 3分という短かさ。ここは『種山が原』という名曲を織り込むなどし、ぜひとも 5分に仕上げていただきたかったなぁと思っています。
...
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【 聖徳太子様 ステイホーム 1400年遠忌 】 & 『音楽の友』誌さん掲載の「クラシック作曲家人気ランキング 2021.4」  

2021-06-26 20:17:39 | 日記

 ↑↓ 我が家の紫陽花の一部。↑ この大きい木は 5,6年振りに実をつけてくれた スモモ です。
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 『小学館イマージュ』さんの DMチラシの中にあった ↓ この写真を見るなり、オイラの中の ”ゼヒトモコレハノスイッチ” が入りました。えもいわれぬ "安らぎ" が 得られたからです。


西暦622年4月8日、48歳でご薨逝なされました聖徳太子様、年回忌法要は数えで行うシキタリでありますから、本年は ”1400年遠忌” という、たいへん大きな節目の年。本来なら、奈良国立博物館さん・法隆寺さんなどで開催される記念行事に行くつもりでした。何しろ太子様は、日本を日本たらしめて下さった 史上NO1の 偉大なる大恩人様なのですから。

R3.6.7 産経新聞にも 奈良県平群町『朝護孫子寺』さんの『聖徳太子像』が紹介されてました。


数年前のオイラなら、税・送料込み 253,000円のこの像をすぐさま注文したでしょうが、ネットショッッピングに長けた(依存症かも?)昨今は、ヤフオクさんやメルカリさんをチェック。で 後者に 45,000円で出品なさってらした、丹波篠山市にお住いの久井勝昭様から購入するに至りました。下は、当庵に居を移された 太子様像。


「縁は異なもの味なもの」とは、男女の間だけではないようです。久井勝昭さんから届いた荷物に、お礼および憲法改正を願う気持ちが認められたメモと、上掲 新聞記事が同梱されていました。氏の 国を想うお気持ちと お心尽くしに、これは 返礼しなくちゃ と思いました。

氏のコメントから、終活の匂いを感じたオイラは、我々シルバー世代と称されし者たちに残された時間というものは、今まで生きてきた どの時間よりも貴重な ”珠玉タイム” とでもいえる時間につき、そのQOLを高めるに資するモノは、増やしこそすれ 決して手放すべきではないといった趣旨の オイラの考えも 吐露させていただきました。下手なブログをやってます とも・・・

直ぐに返事を頂きました。何と 久井勝昭さんも『Ameba』さんでですが、『misumaru-7653』というタイトルのブログをやってられるのだと。さらに『篠山子ども未来塾』を主宰され、日本人として大切なものの伝承に努めてらっしゃるのだと。イイお方と知り合いになれました。ほんとうに ”縁” というものは不思議なものです。皆様方に ご覧いただけますと 幸甚に存じます。


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 メモ替わりの留め置きです。これは R3.6.17 放送の NHK-Eテレ『クラシックTV』で示された
『音楽の友』誌さん 4月号掲載、クラシック作曲家さんの 人気ランキングデータです。ちなみに オイラは、ドヴォルザークさん ラフマニノフさん チャイコフスキーさん ショパンさん ベートーベンさん ドビュッシーさん ブラームスさん の順番になるのでしょうか・・・   

       
       
       
    プッチーニさんが どうして ベスト20 にランクインしないのか、不思議に思います。


コメント (2)
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この『古き事の記』は まさに国民栄誉賞もの !!! ~ 久松文雄さん渾身の大作MANGA 青林堂さん発行『まんがで読む古事記 1~7 』

2021-06-05 09:55:42 | 日記

 R3.4.30付 産経新聞『モンティーニュとの対話』で、オイラより ふたつ年上で、10年以上の歳月を懸け『古事記』の完全漫画化を成し遂げた 2年2か月後の 4月16日、77歳で旅立たれた 久松文雄 さんのことを知りました。
.
新聞の4コマ漫画すら見ようとしないマンガ嫌いのオイラですが、これは読まずばなるまいとの思いで取り寄せたです。もちろん 適う限り中古本で ですが。なお当書籍は、平成4年『神道文化賞』を受賞されてられ、

       S 18. 4.10   名古屋市でお生まれ
       H 21. 8.10  『まんがで読む古事記①』初版発行
        22. 4.16            ②
        23. 4.22            ③
        24. 7.15            ④
        23. 4.22            ⑤
        26. 8.10            ⑥
        31. 2.09            ⑦     ここに完遂なる       
       R03. 4.16   東京都でご逝去 
このような時系列で上梓されてますから、氏のライフワークといえる 大作でありましょう。

オイラは『古事記』に関する こんな本を持っていますが、文芸春秋100周年記念出版の三浦祐之さん著『完全口語訳 古事記』は、ほとんど手付かず状態です。多分、多くの方も 同じではないでしょうか。 そして、オイラがそうであるように、
.
  
   
読んだとしても、二柱の神様の このような会話部分だけを 何とか・・・・というふうな・・

    伊邪那岐命                   伊邪那美命            
「汝が身は如何にか成れる」           「吾が身は、成り成りて成り合はざる処
                        一処在り」
「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り」
「故(かれ)、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、
汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を
生み成さむと以為(おも)ふ。生むこと奈何」    「然(しか)善けむ」
「然らば吾と汝と是の天の御柱を
行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ為む」  

......    
次の本も求めてますが、当該箇所を抜き出しているだけですから、実のところ不要でした。
.

完読しまして思うこと。スゴイ !!! です。完全漫画化というのが 特に !!!、特に !!! 。ですから 読んだ者の達成感・満足感が、ハンパじゃないのです。マンガにして下さったからこそ、上・中・下巻 総べて目を通せたのです。この功績たるや 前代未聞、どんなに称えても讃え過ぎることはありません。

さらに、言うなれば古事記には めっちゃエグイことが、実に生々しく書かれていたりするのですが、久松さんの描写は ちっとも嫌らしくなく、かつ 素直にして 品性がよく保たれているのです。

絵もスゴイです。特に風景。中でも大海原の描写の素晴らしいことといったら・・・オイラは、大袈裟でなく 北斎さん 魁夷さんより上手いのではないかと 思っています。

繰り返しますが、この本は もっともっと称えられて然るべきです。歴史に残る本。日本のスタンダードとも言える本です。漫画 大っ嫌い人間の このオイラが言うのですから、間違いないです。この本ほど、この ヒノモトの国の ”古き事のコト” を、広く識らしめてくれる本はないでしょう。

それと、読んでるときに思えました。稗田阿礼さんは、よくもまぁ これだけのことを覚えておられたものだと。さらに、日本人の心の中にある ”どんなものにも神様が宿っておられる” という感覚の根源は、まさしくココにあるのだ と。

日本の国土も自然も、、、凡ゆるモノの初めは 総て 神様ご自身なのでして、その神様が 多くに お増やしになられた ということですから、そこから神様の気配が察せられるのは 極めて自然なことであります。 


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 < 追 伸 > R3.6.9 記
 タイトルとは まったく関係ないですが、ノート替わりです。

門の下 自動車の上で 子育てしていたツバメが、本日 全羽 巣立ちました。実は 2日前に 1羽 巣から出ていたのですが、また巣の中に戻ってしまってました。どうやら 兄弟 4羽 揃うのを待ってたようです。写真は 2日前 (R3.6.7) の様子。今年は 今のところ 納屋には戻って来ず、全体的に見ましても 飛び交ってるツバメは、例年に較べ 相当 少ないように感じてます。


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田中一村さん以来の感動でした ~ 渡辺省亭さんの花鳥画

2021-05-31 12:26:43 | 日記
.......
 「オオー、すっげえ !!! 」、オイラは 目を奪われました。こんな感覚、田中一村さんの絵に 初めて接したとき以来?、否、オイラの美的感性に より 沿った絵なので、それ以上かも。

R3.5.16 NHK-Eテレ『日曜美術館「孤高の天才花鳥画家 渡辺省亭」』で紹介された、
セイテイ さんの絵を見たときの、心に 稲妻が走り シャキッとさせられた 感覚というもの。

ホントなら 直ぐに 東京まで 観に行くところですが、今は 図録を求めるほかナシ と観念。なお それが、東京新聞さんのサイトからでしか取り寄せられないことに気付くまで、何日か要したりしたですが・・・

その荷を解くとき、さらに感動が待ち受けておりました。何と何と、当展覧会のチラシを 同封して下さっていたのです。

オイラは めっちゃめちゃ嬉しかったです。行きたくとも行けない者の心情、よくぞ 酌んで下さいました。東京新聞さんと言えば 朝日・毎日さんと同様、 その政治的信条には 嫌悪感すら覚えるオイラですので、悪いイメージしか持ち合わせていなかったのですが、このお心配りは 本当に有難く、深く感謝申し上げたいと存じます。

渡辺省亭さんは 当時 日本を代表する画家さんで、パリ万博に出品されたこの絵は、マネさんの弟子 ジュゼッペ・デ・ニッティスさんが購入し、筆法研究のため 模写を試みるも、まったく歯が立たなかったのだと。現在は アメリカ・フリーア美術館さんの門外不出のお宝であるとの由。

また パリのサロンで、サラサラサラっと この絵を画き上げ、ドガさんに進呈。
..
ドガさんといえば、言わずと知れた『踊り子』で有名なお方。そのお人が、終生 手許に置いてらっしゃったんだと。何と愉快な オハナシじゃございやせんか。江戸っ子だってねぇ 省亭さん、さぞかし お喜びになってらしたことでしょう。

これほどのお方であるに拘わらず、渡辺省亭さんの展覧会は今回が初めてなんだと。この高度に発達した情報社会にあって 信じ難いことでありますが、理由は、①画壇との関わりを持たなかったこと ②弟子を取らなかったこと ③戦災でかなりの作品を失ったこと があるようです。

本展覧会は、岡崎市美術博物館さん:5月29日~ 7月11日、佐野美術館さん:7月17日~ 8月29日 と巡回されますので、何とか実物を拝見したいものですが、行けますかどうか・・・いずれにしましても、素晴らしい絵が 埋もれていたものであります。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 < 追 伸 > R3.5.31 記
 タイトルとは まったく関係ないですが、ノート替わりです。
 R3.3.14 産経新聞『100年の森 明治神宮物語』内の 養老孟司さんご発言の一部、、英作家 チェスタトンさんのコトバ「保守主義は死んだ人を含んだ民主主義だ」に続いてのコメントが素晴らしいので、ここに留め置きます。


 
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『New Cinema Paradise』の素晴らしさに今頃気付くなんて・・・

2021-05-25 18:14:39 | 日記

 美し過ぎるので、それを主体としたCDを 4枚も作っています。↓ は そのうちの 2枚。
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昨年 7月6日、91歳で亡くなられた エンニオ・モリコーネさんが作曲された、平成元年 (1989) 封切、伊・仏 合作映画『ニュー・シネマ・パラダイス』という映画の音楽。

有り難いことに、R3.4.29 NHK-BSP『プレミアムシネマ』で 何回目になりますか 放送された  32年も前の映画。

今まで散々絶賛されていたのに 今頃 その良さに気付くなんて、めっちゃめちゃ鈍いか、当該光年 離れた惑星に棲む 生命体のようでありますが、まぁ 気付いたのですから、ヨシとしましょう。で 好かったトコは です、

如何なる場面に於いても、、そう、全編 通じ 流れている音楽の何と美しいことか。史上NO1と言っても差し支えないですし、内容的にも、壮年に達した人間なら誰しも 多かれ少なかれ抱くであろう 郷愁を、甘酸っぱく 共有できるストーリーっちゅうトコでしょうか。

そして アルフレード役のフィリップ・ノワレさんの演技、および 年老いたお母さんが 30年振り帰郷の息子 サルヴァトーレに発した「電話すると いつも違う女性が出るんだけど、あなたを心から愛する声を聞いたことがないわ。声で判るのよ。誰かを愛して 家庭を持ってくれたら、お母さんは すごく嬉しいわ」という会話。おっとっと、忘れちゃいけません。エレナの美しいことといったら・・・ひょっとして、これが ボディーブローとなって 効いてるのかも? です。

オイラが編集したCDには、映画から3シーン (左CD②と右CD①は同じ内容で、大晦日のカウントダウンから エレナの「やだ、父よ」まで収録) 、
           また、ヴェネチアに於ける エンニオ・モリコーネさん指揮の分、

  『Twinkle』さんのギターアンサンブル も取り込んでいます。

               そして、他の オイラお気に入り楽曲も併せて・・・
皆様、見づらいでしょうが 中身をチェックいただけますでしょうか。本当にキレイな楽曲ばかりのはず。なお CDジャケットの記述が エンリオ・モリコーネとなってたり 脱字があったりの、恥ずかしいトコが あったりするのですが・・・

 < 追 伸 > R3.5.28 記
 取って置きの コンテンツが 置いてけ堀 に なってました。

R2.12.19 BS日テレ『読売シンフォニックライブ』 最終回 での
  ヴァイオリン:長原幸太  読響コンサートマスター
         瀧村依里    第2首席ヴァイオリン奏者
    ヴィオラ:鈴木康浩  ソロヴィオラ奏者
         柳瀬省太    同 上
     チェロ:遠藤真理  ソロチエロ奏者
         富岡敬太朗 読響首席チエロ奏者
  コントラバス:石川滋   ソロコントラバス奏者
さん各位による、内門卓也さん編曲の『ニュー・シネマ・パラダイス』。
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なので、もう一枚 CD 作りました。なお オイラは、瀧村依里さんのファンであります。
   

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 < 追 伸 > R3.6.9 記

 オイラは落選したのですが、津山での 村治佳織さん奏一さんご姉弟のコンサートが NHK 『クラシック倶楽部』で放送されましたので、さらに BS11『京都夜桜中継』だったと思うのですが、古澤巌さんが ストラディヴァリウスで演奏された分も織り込み、CDを作り直しました。
   
中でも、古澤さんのヴァイオリンの 哀切極まりない響きには ぞっこんでして、① ⑧ にリピート。NHK『名曲アルバム』がソースの ⑪ ⑫ は どちらも素晴らしく、特に 『テネシーワルツ』の中の 畠山美由紀さんの歌は、失神しそうになるほど Good です。
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チベット『死者の書』~ 中沢新一さん著『三万年の死の教え』& ジブリ学術ライブラリー『NHKスペシャル チベット死者の書』より

2021-05-02 16:01:20 | 日記
 「こんな事、言うてもええんか、違うんでねえんやろか」と思わんのやろか・・・中国の虚栄心 剥き出しの報道官さんたち。中露北親密連携・・・それにしても自分たちは、どう見ても 世界名うての悪徳国家連合そのものやなぁと思わんのやろか・・・当事国の皆さん方。

北の核開発やミサイル発射実験は自国防衛のための必死の生業、日本人は爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいのではと オイラは思っていますが、CHINAさんのやることなすことには憤慨に堪えません。今 日本車がえらい売れ行きを伸ばしているからと言うて、決して喜ぶべからず、感謝などもってのほか。ハニートラップに味を占めた、カートラップという中央政府の差し金による目眩まし戦術 に他ならないのではないでしょうか。

尖閣・台湾・香港・東シナ海・南シナ海・ウイグル・チベット・モンゴル等々、世界でも類を見ないほど多くの暴虐無尽な振舞いに、日本は確固たる態度を表すべきだと思います。現中国は、漢字や統治制度や仏教や論語を伝えてくれた 古き昔の中国とは遠く懸け離れた、品性のカケラもない 盗人猛々しい まったく別の国になっちまってると認識すべきであります。(ちなみに、R3.4.18『産経抄』によりますと、覇権 領土 理性 理念 共産主義 独裁 は、日本の創作漢字なのだと 。そしたら 今の 極悪国家、日本が道筋を拵えたような気がしてきたり・・・)

同時に仏教に於いては、今までは今までということで感謝申し上げ、今後は 中国サマサマといった精神的なクビキから脱すべく、中国は単なる中継地に過ぎないといった視点が必要かと思います。そもそも 仏教はインド北部 ヒマラヤ山麓で 生まれ・揉まれ・発展 熟成され 思惟的発展・思想的充実を見たのですから、その本拠地にまで踏み込んで 考える必要があるのではと。一言で申さば、”漢訳仏教からの脱却” を指向すべきではないか と思うのです。

そういう意味でオイラは チベット仏教に関心があり、中でも、すぐ近くに来た感のある ”死” について書かれてるという『チベット死者の書』に格段の興味があるものですから、中沢新一さん著『三万年の死の教え~チベット「死者の書」の世界』を購入し 目を通しましたら、この中の第二部は
...

『NHKスペシャル』の台本として最初に書かれたものであると知り、それを収めている『ジブリ学術ライブラリー』『NHKスペシャル チベット死者の書』 DVDも購入した次第。

以下は これらの中から、オイラが書き留めておきたく思った事柄の雑記であります。なお、本NHKスペシャルを 宮崎駿さんは大いに気に入られ、『もののけ姫』をお創りになってるとき、もう何回も何回も観られたそうです。

●『チベット 死者の書』は このようにして生まれた
 8世紀、パキスタン北部スワット地方(アフガニスタンとの国境近く)に在った ウッディーヤナ国の「乳の海」と呼ばれた湖で咲いた蓮の花の中から生まれた『パドマサンバヴァ(蓮から生まれた者の意)』は、後継ぎのいなかった国王に召され皇太子として成長、妃を娶り何不自由なく暮らしていたが、

深い真理の探究欲求が強烈に沸き起こり、策を弄し王宮を脱出。様々なグル(サンスクリット語で師匠の意)のもとで、仏教のあらゆる哲学思想を習得、密教に関しては第一人者と言われるまでに、そして諸国への旅を重ねることで さらに名声は拡大し、

チベット・チソンデツェン王の招きに応え、インドの高僧ボディサットヴァとともに 当地に仏教を本格的に根付かせる大事業に邁進。これには インドからたくさんの学者・成就者も加わり (ということは この時期 チベットには、仏教に関する最新・最高の知恵が集結していたと考えられる) 、今日残されているニンマ派 (チベット仏教の本流) の多くの密教聖典 (タントラ) が翻訳される。

結局 パドマサンバヴァは当地に 55年滞在。ここを去るに当たり、今まで精励し体得し積み上げてきた 深い教え (テルマ) 全てを、信頼できる弟子に記録させ、秘密の場所に埋め、再び これはという人の出ずるを待つこととしたのです。
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実は この中のひとつのテルマが『死者の書(バドル・トドゥル) 』なのですが、実際 他にも 何千という おびただしい数のテルマが チベット全土に埋められたということでした、
   山や湖や岩のなかに隠されたテルマ ⇒ サテル(大地のテルマ)
   ダルマダーツ(法界:修行の場?)に埋蔵されたテルマ ⇒ ゴンテル(霊感のテルマ)
と言われているように、隠された教えの中にこそ、本当の、グルの深淵なる教えの真髄が 述べられているのではという予測から、以後の チベット宗教者の仕事は、これを探し掘り出すことになっていったと。

 ところで 果てしなく高い 澄みきった青空、神々しき世界一高い純白の山々 、地球上で最も神秘的な光景を映し出す この地の為せる業でしょうか、、、チベットの地でも 途方もない古い時代から (石器時代からとも・・・このことより著者の中沢新一さんは タイトルに ”三万年の" という言葉を付けたと) 、多くの修行者が奥深い真理の探究に挑んできており、そこで 延々 積み上げられてきた 大宇宙の生成をも取り込んでいる 深淵高度な教え が 『ゾクチェン』という呼称のもと 構築・伝承されていまして

本には 原=ゾクチェン と書かれていて、”原” はフィールドでなく 原始の原、オオモトのモト とオイラは理解してまして、古来から日本人に深く沁み込んでいる神道のような位置付けのものではないだろうかと思っているのですが、その特徴は、死のリアリティを見つめ続けることの中から、すなわち 死との共同作業を通して 生命存在の真理に辿り着こうという『メメント・モリ(死を思え)』という基本理念が根底に存在していることであると。そして 仏教がチベットに伝わる以前から、このような考えが基となった ボン教 という宗教が 広く浸透していたとの由。

●『死者の書(バルド・トドゥル)』の発見
 8世紀 パドマサンバヴァさんが 自身の手で編纂した、、中沢新一さんが「3万年の・・・」と形容されるほど深淵な教えの集大成が、チベット全土に埋められてから 約 600年後、折しも インドから 完全に仏教が失われてゆく15世紀に、ある修行僧の手によって再び地上に姿を現わすこととなります。

発見者は『カルマ・リンバ』さんという密教修行僧。何と彼は 夢の中に現れた何人もの女性から、極めて具体的な 日付まで指定された指示を受けたのだと。で このとき掘り出したサテルは、ゾクチェンに組する チベット的な死の教え を説いている『太陽と月の結合』と題された聖典(タントラ)の一部だったようで、

氏は「これだけでは完全に著わしているとは言えない。必ず行間を埋める如き副読本的なテルマがあるはずだ」と直感し、それをも とある山から掘り出すのであります。これは ゾクチェン系統とは別の、やはり歴史ある『マハーヨーガ』と称する、マンダラを採り入れたいわばビジュアル的な思想体系に属しているものなんだと。

このように、謂わば ”天の巻・地の巻” とも言える聖典をゲットされた カルマ・リンパさんは、これらをひとつに編集したことで、晴れて『チベット死者の書(バルド・トドゥル)』が完成を見たのだと。
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● 世界中に広まる『死者の書(バルド・トドゥル)』、
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 米国 (ニュージャージー州) に生まれた エバンツ・ヴェンツは、東洋研究の中心地であったオクスフォード大で人類学を学んだ後 、少年時代から惹かれていた人間の持つ 神秘的霊知力で 直接 神との接触を試みる『神智学』に熱中、特に輪廻の思想に取り憑かれ、チベット文明圏でもある インドのダージリンに滞在時、当バザールで 多くのチベット古文書を買い込んだそうな。で、その中に『バドル・トドゥル』があったと。

直感的に彼は察したことでしょう、これはたいへんな重要文書であるというふうに。チベット語のできない彼は 早速、英語の達人であり ラマ僧であり 学者さんである当地のチベット少年学校の校長先生に翻訳を依頼、さらに この完成度を高めるため リシュケシュ および プーリの哲学の師の校閲を仰ぎ、

ついに 1927年に『チベット死者の書』、1935年には『チベットのヨーガと神秘の教え』という本が オックスフォード大学出版局から出版されたのでした。ただし 中沢新一さんは、訳者・校閲者とも修行経験が無いゆえか、チベット特有のゾクチェン思想の理解不足のためか 誤訳が少なからずあり、原書の行間に滲む機微な情報、チベットの極めて古くからの精神の地層のようなものも掴み切れていないと。
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このような不完全な訳書であっても 氏は、この書が衝撃を以ってヨーロッパ思想界に受け入れられたというパイオニア的業績を、高く評価されています。”死” は対決し 克服するものであり 共存なんて思いもせず、科学技術第一に発展し続ける西洋にあって、高名な心理学者 カール・グスタフ・ユングさんが「魂の秘密を解き明かす生涯の伴侶に出会った」とのコメントを前書きに寄せられていて、

また当該NHKスペシャルのご担当プロジューサー 河邑厚徳さんは、ユングさんの『チベット死者の書の心理学』の中に、「出版の年以来、何年もバルド・トドゥルは私の変わらぬ同伴者であった。私はこの本から多くの刺激や知識を与えられたばかりでなく、多くの根本的な洞察をも与えられた」と記されていると。で、「英訳されてなければ、恐らくはチベット社会からも特殊な死者儀礼としていつかは忘れられていったかもしれません」とも 仰ってられます。

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そして時代は、アメリカに舞台に 西洋で ”第2の発見” と言われる様相を呈します。ベトナム戦争反対運動・虚無指向・ヒッピー・瞑想・LSD・ 2人のハーバード大学心理学教授の学術的同調といった風潮も反映して。
   ティモシー・リアリー        ラム・ダス(リチャード・アルパート)
    1920 ~ 1996             1931 ~ 2019
  LSD体験と            HIV・末期がん患者向けを主体とした『ダイイング・
  『チベット死者の書』記述の    プロジェクト』を立ち上げる。死をタブー化したり、                      
  完全一致を表明          死の現実から目を背けたりせず、あるがまま受け入
                   れ、生と死の本来の意味を取り戻すのだと。参考に
                   したのが『チベット死者の書』であると。                            
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● 『死者の書(バルド・トドゥル)』に記されていること
 お待たせしました。では実際の内容につきまして、実は 今までも総てそうでしたが、頭書記載コンテンツを主たる情報源とした オイラ流の解釈をご披露させていただきます。

まず コトバの意味は 次のようであります。
バルド⇒中間とか途中という意⇒存在とは中間であり過程であり途上であるということを示唆
トドゥル⇒耳で聴くことにより解脱するという意⇒死後も聴覚は機能しているとの前提を有す
なお 以後は、バルド・トドゥルを BT と記すこととします。

日本では死後、亡骸が幽体となって彼岸と此岸の間で彷徨うと言われていて、この期間のことを"中有" あるいは "中陰" 、彼岸に渡る 49日目を "満中陰" と呼んでおり、法要を営んだりしているのですが、

チベット仏教では死後、物質である肉体は滅びても、死者の意識の流れは途絶えることがなく、バルドの世界に入って行くと考え、バルドを無事通過させるため、すなわち人間として生まれ変わるように、息を引き取る直前から 49日間 毎日、死者の意識に向かい BT を読み聞かせ続けるといいます。

こういった行為を生みだしているのは、
・ 死の瞬間こそが人生の最も大切な時である
・ 死は悲しみの時ではなく、大いなる解放の時なのだ
・ 死とは私たち人間にとって 救いを得るための最大のチャンスなのだ
・ 死後の バドルの体験で、未熟だった者も純粋な生命そのものに出会うことができるのだ
・ だから死は全てを奪うものでなく、汝自身に本当の豊かさを与えてくれるチャンスなのだ
といった、チベットに古くから伝わる「死を想え (メメント・モリ)」 という思想が根付いているからこそと。オイラは、日本人が、ここにもあそこにも どこにだって神様が宿っておられると思うのと同じように、チベットの人たちには 死 が在るのかなぁと思えています。

前述してます通り バルドとは中間とか途中という意味ですから、生きてあるときも もちろんバルドで、【存在世界のバルド(ランシンバルド)】と呼ばれてますが、これにはさらに深い意味があり(中沢さんが 本の中で述べてられてますが、オイラは ここに書けるほど理解できてません)、DVDでは、

生命の本質は心であり、その心の本体は 純粋な "光" であるとのこと。それが 各々の身体の中で活動している状態を ”この世” と言うのだが、が、当然のことに本来の純粋な姿を現していないので 途中 (バルド) なのだと。

バルドは 四つに分類されます。ダライ・ラマさんの属する ニンマ派ではという注釈が付きますが・・・・
   ① 存在世界のバルド(ランシン・バルド)・・・死亡日~ 3日目
   ② 死のバルド   (チカイ・バルド)・・・・ 4日目~21日目
   ③ 心の本姓のバルド(チュゥニー・バルド)・・22日目~28日目
   ④ 再生のバルド  (シバ・バルド)・・・・・29日目~49日目 
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②・・・ 死の瞬間、まばゆい光に包まれる。これは死者を解脱に導こうとする始まりの光だ。これに包まれるのだ。溶け込むのだ。そして護り本尊様 または 観音菩薩様 をイメージするのだ。死の瞬間こそ死者の心が 体という軛 (くびき) から放たれ、まったく自由に還って行こうとする 晴れがましい瞬間なのだ。そして この世に執着を持ってはいけないと諭すのだ。死者の耳は 機能しているし、意識は 体を離脱しているが、周りの世界を見ることもできる。

③・・・4日目、死体を小さく括り 護摩 (火葬) に付すが、体から離れている意識は、もっと明瞭に聞き分ける能力を持つようになっている。そして 生きてゆく活動を支えていた 二つの波動源・・・胸のあたりから穏やかな波動を送っていた 48の ”静寂尊” および、大脳あたりから激しい波動を送っていた 52の ”憤怒尊" ・・・から発せられる、様々な光や映像や音(オスクルと呼ぶ)と対面することになる。しかしこれらを怖がったり恐れたりしてはならない。死者の意識が投影されているのに過ぎないのだから と説く。

まず 紺青色の凄まじく眩い光、次いで もやっとした白い光が現れる。強い光は 大日如来様の叡智の光、弱弱しい光は天上世界を表す光なので、強い光にだけ集中するのだ。(何かで目にしたことですが、大日如来様は 英語で ”コズミック・ブッダ" と言うのだそうな。見事な訳に感心したです)
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      強い光・・・・出現する仏様     伴う弱い光・・・種子の種類
  最初に 紺青色の光で 大日如来様が出現   白い光は・・・・天上世界の光 
  次の日 青い光・・・・金剛薩埵様が出現   白い薄明り・・・地獄に生まれる種子
  三日目 黄色の光・・・宝生如来様      青い弱い光・・・人間に生まれる種子
  四日目 赤色の光・・・無量光如来様     黄色の弱い光・・餓鬼にうまれる種子
  五日目 緑色の光・・・不空成就如来様    赤い弱い光・・・阿修羅
このように順次 出現するが、伴っている弱弱しい光には、決して目をくれるでない。惹かれてしまうと、そこで生まれる種子がまかれてしまうことになると。なお 岩波仏教辞典によると、金剛薩埵 (ーーさっとば or さった) は 普賢菩薩様と同体異名であるとの由。(なお菩薩とは菩提薩埵の略称ですから、金剛薩埵は金薩 (きんさつ) となるのでしょうか?)
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死者の胸のあたりに宿していた静寂尊との対面を済ませた八日目になると、今度は 大脳に巣くっていた あな恐ろしい憤怒尊(ヘルカ神)が次々と、凄まじい轟と光を伴い 現れてくるのです。

チベットのお寺の壁には、これらに恐れ慄かないために 多くの憤怒の神々が描かれていると。そして、これらもまた 死者の心に生まれた幻影であり、大日如来様が姿を変えているに過ぎないのだから、その如来様にだけ意識を振り向け、あらゆる幻影に打ち勝つのだ。それに 人の胸にあった美しく優しい静寂尊だって、大脳に行けば恐ろしい憤怒尊に姿が変わってしまう。そう どちらも私たちの本質なのであるが、この真実を掴むのは本当に難しく、大概の人は ここで失神してしまうのだと。しかし これから醒めた死者の意識は、一皮剥けた存在になっているのだと。

④・・・死後28日経つと、死者の意識に 現実の物質世界を捉える感覚器官が整い、自分には以前の体のイメージが備わっているように思え(これを”幻影と意識の身体(ギュマ・イ・キ・スク)という)、自由に動けたり 何でも通り抜けたりできるようもなるのだが、反面 意識を動かす物理力のようなものであるカルマの凄まじい疾風に翻弄されることとなり、孤独の中 たいへんな苦しみに苛まれる。それで 何にでも縋りつきたいと思うだろうが、観音菩薩様に向かって 耐え忍び、悪い再生となるのを防がねばならない。
..
とうとう 再生の時が近づいてきた。地獄のヤマ法王(シンジェ)が出てき、生前の行いにより再生先を決めようとする。戻っていた身体のイメージは 徐々に薄らいでいき、前方に薄い微弱な いろいろな光が現れ始める。              
  白い薄明り:天上の神々 その種子を宿していたところ:頭
  赤色    阿修羅                 喉
  青色    人間                  心臓
  黄色    餓鬼                  臍
  緑色    動物                  会陰 (えいん)                                                        
そして、次に生まれる世界の特徴が、次第に現れてくる。
  動物の場合:洞窟や岩穴や粗末な小屋
  餓鬼   :荒涼とした風景
これらには触れないで、優れたものや清浄なものに意識を向け、観音様による救いを待つのだと。

実はこの本によると、この段階は今まで再三あったチャンスを逸した者のための最後の機会のようでして、オイラには、そのチャンスとは 解脱なのか再生なのか、および それが何処にあって、どう対処すればよかったのか 分からないのです。

さらに DVDでは「生命の本体は心であり、その正体は純粋な光である。死とは その心が肉体から解放されるとき。それをBTで導けば、人間に生まれ変わる」とあるのですが、そもそも人間に生まれ変わるのがベストなのか、天上世界へのメニューも用意されているので、そこへは行けないのだろうか、行ったらどうなるのだろう、輪廻から外れるのだろうか?

いくら 死者に BT を読み聞かせても、 地獄のヤマ法王(シンジェ)が 生前の行いにより 再生先を決めるのであれば、どうしようもないではないか?。それであるなら、ヤマ法王さんにこそ お願いしなければならないのではないか? という疑問が残っていまして、

更に更に ”ポア" ということも、よく解らないことです。ポアとはチベット仏教だけに伝わる、意識を肉体から解放し阿弥陀仏の御座される浄土へ 生まれ変わらせる瞑想で、死の直後に起こること、すなわち BTの教えを、生きているうちに経験することが目的であって、修行方法は、頭の上に阿弥陀如来様の姿を想い浮かべる⇒意識を腹→胸→頭へと引き上げると。で この訓練を積めば、バルドを無事 通過できるのだと。ということは、天上世界への再生を試みる瞑想であって、人間への再生を目指しているものではないということ?・・・

本情報源の 締め括りは、このようでありました。
 『チベット死者の書』は死者だけではなく、生きている者たち全員に対し書かれていた。この経典には、死を想い死を見つめることだけが真実の人生を作り出すという、生と死の秘密が込められている。死ぬことが悲しいことだけではないように、生まれることが、それだけでは楽しいことではない。生と死の向こうにある心の本質を知ることができたら、生には意味があったということ。

 汝、よく聞くがよい。死は誰にでも起こることである。この世界から外に行くのは、汝ひとりではないのだ。この世に執着を残してはならない。執着しても この世に留まることはできないのだから。

 誕生の時には あなたが泣き、全世界は喜びに沸く。死ぬ時には 全世界が泣き、あなたは喜びにあふれる。斯くの如く 生きることだ。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

本稿 閉じるにあたって、ぜひ これだけは記しておきたいと思う事柄があります。当該DVD収録の NHKスペシャル『死者の書』は、平成5年 (1993) 9月23,24日に放送されたもので、ロケは・・・1959年、中国の人民解放軍(人民虐待・殺戮軍とでも名前を変えたらどうかと思うのですが)のチベット侵攻があって、ラサ・ポタラ宮におられた ダライ・ラマ 14世さんは、ヒマラヤを超え インドに亡命、時のインド首相 ネールさんの計らいで、北部ラダック地方の都市 ダラムサラの一角に チベット亡命政府の設立を容認、現在に至っているのですが・・・まさに その地で行われているのみならず、ダライ・ラマ法王さんへの単独インタビューCDも付いている、めっちゃ優れものであります。

ところが、30年ほど後の NHKさんは、つい 2か月ほど前 R3.3.6 ですが、『中国秘境 謎の民「天空チベット タンカ絵師の郷 」』という、中国共産党のプロパガンダ映像としか思えない、とんでもない番組を作り放送しているのです。オイラのようなアホでも、ちょっと見ただけで、そういった類のモノであると判かります。 NHKさんの当該アーカイブを検索してみますと

四川省の北西、チベット高原東端にあるザムタンは、50人以上の絵師が修行する不思議な谷。仏教芸術やチベット医学などチベット文化の精髄は、寺院・門外不出のものだった。貧窮を極めるザムタン…チベット仏教・幻の宗派の転生活仏が、失われかけた秘伝の文化を郷の若者たちに継承させ、“豊かさ”をつかむための糧にしようと伝承所を開いた…。転生活仏と若い絵師たちの5年にわたる青春群像を高原の四季の映像とともに描く ・・・とあります。

思い返すだけで おぞましいですが、数場面だけ証拠画像を撮っております。

リンポチェとは、生き仏で かつ 位の高い僧侶さんのこと。異端とされ チベット本土から追放された少数教団チョナン派の 法王でありリンポチェの この方からは、高徳など、いや低徳すら感じられず、大いに違和感を覚えます。壁に貼っているポスターと深い因縁あり?

写真に残してないですが、最もオカシイと思えたのは、若く美しい ヒロイン的位置づけの女性が、今風の綺麗な服を装ったまんま、長いサラサラ髪をなびかせながら、ゴム手袋をはめた手で 家畜のウンチを丸め、壁にペタっと投げ付ける場面。こんな光景、有りっこナシ !!!

NHKさん、斯くも劣化しちまったですか。チベット・ウイグル・モンゴルなどの本当の姿を暴こうなんて気概を無くしちまい、世界中から爪弾きされている 中国共産党をヨイショするドキュメンタリーを作るなんて、日本の公共放送のやることですか?

「受信料 返せ~、慰謝料だって払え~」 と叫びたい気分。救いは、この番組を視聴された方が 多くはいらっしゃらなかったことかと。一度でも見れば 誰だって抗議の声を上げるでしょう。それにしても 中国共産党シンパサイダーさんの NHK侵食って、かなり深刻なレベルかも・・・

 < 追 伸 > R3.5.24 記
 あろうことか、中国共産党プロパガンダ作品のように思える番組が、先週の土曜日 再放送されました。かくなる上は、撮り損ねていた場面を撮影し、ここに曝けたいと思います。

 まずは、家畜のウンチを乾かし燃料とすべく、壁に投げつける場面。こんな余所行きの格好して、 こんなこと やるわきゃナイでしょうガ !!! と 糾弾したいです。
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      舞台となった ザムタン という場所は こんなトコです。
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下は、エンドロールが示す 制作スタッフ情報です。敵もサルモノ、さすがに この内容じゃ NHK表示は出せない と踏んだのでしょうか。巧みにカムフラージュしてる (?) かのようです。
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  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 < 追 伸 > R3.5.3 記
 R3.4.3 NHK-BSP『偉人たちの大臨終スペシャル~人生のしまい方』のなかで、臨死体験について たいへん興味深い説明がありましたので、そのあらましを記します。

 臨死体験は、時代・人種・宗教・年代 に関係なく
   ・ 魂が体を抜け出し遊離する
   ・ 非常に明るい光を見る
   ・ 死んだ家族や仲間と会う
   ・ 神様のような大いなる存在と遭遇する
といった事例に集約されるのだそうです。臨死体験の世界的権威 アメリカ ケンタッキー大学教授で脳外科医の ケビン・ネルソンさんによりますと、臨死体験は 脳の働きによるものだからなのだと。

死に臨むと 奥深くにある脳幹で、アセチルコリンという物質が大量に分泌され、

          覚醒状態と睡眠状態の切り替えが うまくゆかなくなり、

目は覚めてても夢を見る 夢うつつ状態になって、このとき脳内で 様々な錯覚が起きるそうな。

              視覚野で強い光を感じるという錯覚は、

               非常に明るい光を見るという 臨死体験となり、

                      大脳辺縁系の錯覚は

               死んだ家族や、仲間と会うという 臨死体験が起こるのだと。

                 魂が体から抜け出す幽体離脱だって

              脳の錯覚から生まれるのだと。
                         

視覚と自分の体の位置感覚を統合している部位である側頭頭頂接合部が うまく働かず

視覚と自分が立っていると感じる位置が ずれてしまうので,、離脱してるように感じるのだと。

と、いうことでしたが、オイラは思います。ずぅっと目を閉じたまま横たわっている 死直前の人が 幽体離脱体験した場合、感覚のずれであるとしたなら、その場の光景を俯瞰して見ることなど、不可能ではないかと。なにしろ 目をつむったまんまなのですから、感覚のズレだけでは説明がつかないと思えるのですが・・・

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天野 忠さん、バンザーイ !!!! 

2021-04-03 20:17:43 | 日記
 相当 昔から産経新聞紙上に連載『坪内稔典(としのり)(俳号:ねんてん)』さんの『モーロクシリーズ』で、『天野忠』さんという詩人さんを知って以来、 徐々に徐々に嵌っていき、ついに ほとんどの単行本を手にするに至りました。 
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     ご存知、春告鳥:ウグイス 。( R3.3.18 NHK-E『美の壺』『うぐいす』より )
.

何故ここに "うぐいす” の写真があるのか、それは 忠さんが 亡くなられた後 発行、つまり 最後の詩集が『うぐいすの練習』という本で、オイラは 欲しくて欲しくて堪らず、主たる古本販売WEBサイトのチェックを日に数回、それを 数か月続けた結果、奇跡的に手に入れたという 特別 強い思い入れの本に 肖 (あやか) ってのこと。

まず、天野忠さんの何がそんなに惹きつけたのか申しますと、捻典先生が紹介して下さった次のような詩が、可笑しくって可笑しくって堪らなかったからであります。

        【長い夜の牧歌】より

    秋                  考えごと

  色がこんなに黒いのに         ねながら
  日傘をさすのは気がひけるねえー    人生について考えていたら
  鏡を見てばあさんが          額に 蠅がとまった。
  ひとりごとを呟いている。       長いこと休んで
  ひる寝のうす眼をあけたら       それから パッと
  日傘をさして             元気よく飛び立った。
  表へ出て行った。           どうやら考えがまとまったらしい。
  しずかだー
                     俺はまだだ。
  蝉は
  みな死んだ。

昔むかし何かで「詩は文章芸術の頂点である」旨 識らされたことがありまして、「そうか、詩っちゅうのは イチバン頭のええ人の手掛けるジャンルなんや」「どおりで、何を言うとんか サッパリ 解からんのじゃ」と思いまして、以来、一流の詩人さんの詩は ワカランのが当たり前 と思い続けて来てたのです。

ところが その岩盤概念が ひっくり返るどころか、クスクスクスクス笑えるという まさに異次元世界にまで、すっ飛んでったのです。日本を代表する詩人さんの詩を読んで笑えるなんて、なんちゅう贅沢なことやろう・・・チュウさんが好きになった所以です。

で 『好機好齢者』のご指定を承ったりしますと、「もう 老後なんじゃよ。老後の楽しみを楽しむことぉ、今こそやり抜くべきなんや。すぐに始めんと、時間が無うなってしまうど~」と思った次第。で 取り掛かったひとつが、忠さん作品を味わい尽くすということなのです。まずは 作品の全容を、河野仁昭さん著『天野忠さんの歩み』から、拾ってみました。

  * 印は入手済 
         < 散文集 >         < 詩集 >
H18 (2006).10  【天野忠随筆選】*
H10 (1998).02                【うぐいすの練習】*
H08 (1996).10  【草のそよぎ】*
H06 (1994).10  【耳たぶに吹く風】*

H05 (1993).10.28 ・・・ ご逝去 享年 84 ・・・・・・・・

H05 (1993).02  【春の帽子】*
H01 (1989).02                【万年】*
S64 (1989).01                【動物園の珍しい動物】*
S63 (1988).07  【木漏れ日拾い】*   
S63 (1988).03  【我が感傷的アンソロジイ】
S62 (1987).06                【長い夜の牧歌】*
S61 (1986).07                【天野忠詩集】文庫版*
S61 (1986).06                【続天野忠詩集】*
S58 (1983).09                【夫婦の肖像】*
S58 (1983).o6                【古い動物】* 
S57 (1982).08                【掌の上の灰】*
S56 (1981).06                【私有地】*    
S55 (1980).08  【そよかぜの中】*
S54 (1979).05                【讃め歌抄】*
S51 (1976).04                【その他大勢の通行人】*
S49 (1974).10                【天野忠詩集】*
S48 (1973).07  【余韻の中】*
S47 (1972).06                【酸素そのほか】*
S46 (1971).09                【人嫌いの唄抄】*
S45 (1970).12                【孝子傳抄】*
S44 (1969).10                【昨日の眺め】*
S43 (1968).06  【我が感傷的アンソロジイ】
S41 (1966).09                【動物園の珍しい動物】*
S41 (1966).09                【花の詩集】
S38 (1963).12                【しずかな人 しずかな動物】*
S36 (1861).10                【クラスト氏のいんきな唄】
S33 (1958).09                【単純な生涯】*
S29 (1954).06                【重たい手】*
S27 (1952).09                【電車】*
S25 (1950).04                【小牧歌】*
S22 (1947).07  【京都襍記】*
S09 (1934).11                【肉身譜】*
S07 (1932).05                【石と豹の傍にて】*
M42 (1909).06.18・・・ご誕生 (京都市中京区)・・・・・・・

      < 詩 集( 全 集 ) の 内 訳 > 
【天野忠詩集】
   『石と豹の傍にて』『肉身譜』『小牧歌』『電車』『重たい手』『単純な生涯』
   『動物園の珍しい動物』『しずかな人 しずかな動物』『昨日の眺め』
   『孝子傳抄』『人嫌いの唄抄』『酸素そのほか』『音楽を聞く老人のための小夜曲』 
【続天野忠詩集】
   『その他大勢の通行人』『讃め歌抄』『私有地』『掌の上の灰』『古い動物』
   『続掌の上の灰』『世界・演戯そのほか』
  

オイラが集めた単行本です。順不同です。
.
          『うぐいすの練習』と、綴じ込まれていた 夫婦写真( 忠さん 75歳 )
......................
【京都襍記】は、忠さんが編集のみ こなした 随筆集です(氏の文章は見当たりません)。

作品を いくつか転載させていただきます。

【その他大勢の通行人】より            【万年】より

   廊下                     蛇の話
                            
夜更けに                    長い長い蛇であった                
おばあさんが                  あんまり長いので
便所に立つ。                  蛇はうんざりしていた。
さっきからもぞもぞしていたが 
おじいさんも蒲団から出てくる。         寿命がきて
せまい廊下で                  蛇の頭が死んでから
ふたりは行きちがう。              だいぶんたって

一時間もしないうちに              しっぽはそれを知った。
床の中でもぞもぞして              うなずくように
おじいさんはやっと腹をきめる。         軽く二三度
さっきからおばあさんももぞもぞしていたが    しっぽは大地を叩いた。 
やっと腹をきめて                それから
のろのろと起きてくる。             ゆっくり
せまい廊下でふたりは行ちがう。         
                        死んでいった。
だまっている。
         

 【夫婦の肖像】より          【うぐいすの練習】より

  桃の花                 風習     

ある日ポロリと歯が抜けて       むかし
御飯の中におちた。          さる城主の殿様が
御飯の中からつまみ出し        病床で
てのひらに転がしながら        
 「長いことつれ添うてもろうて    「死ハ天下ノ風習ナリ
  ご苦労さん・・・」         予ハソレニ従ウ」 と云って
と頭を下げたら            おだやかに冥福したそうだが。
フフフ・・・と            
横で 古女房が笑った。        天下の風習とは
眼尻いっぱい黒い皺をよせて。     うまく悟ったものだ。
                   そのテでいくかな、儂も。
桃の花が咲いた
その朝。               一平民だが。


 【うぐいすの練習】より           【掌の上の灰】より

  消化してから                習性

人間には誰でも自分の喰扶持というものが   生まれつき私は 
神様から授かっていて            ものごとを深く考えることがない。
一生かかってその分量だけは         ものごとを深く考える習慣が
食べ終わってから死ぬものらしい。      出来上がらないうちに
うちのおじいさんは             ものごとを深く考えない習慣が
むかしからずいぶん小食だったのに      出来てしまった。
このごろは私の二倍も食べるようになった。
                      そのためなのか
どうやら                  私はたいへん長生きをしている。
自分の喰扶持の残りを            たいへん長生きをしていることについても
急いで消化しているらしい・・・。      深く考えることはない。
                      つまり私はこの世のすべてをあるがままに
おばあさんは大層気がかりだ。        赤ん坊のように受け容れてきた。
「そんなに急がないで」           恍惚として
それなのにおじいさんは           ときどき 水洟と
皺だらけの顔をして             よだれをたらす。
「お代わり」と茶碗を突き出すのだ。


           【掌の上の灰】より

   文字                   秘伝 

文字は大事にせねばならない。        風邪をひいて  
文字こそ私たちの命をあらわすものだから。  あたりをはばかるほどに
書かれた文字の上をまたいではならない。   咳がとまらない
たとえ印刷された文字の上でも        そんなときは
踏んづけて通ることは乱暴至極である。    干柿とキンカンとを煎じるがよい。
むかしの人は                ドロリとしたその濃い汁を服めば
ビックリする程文字を大事にした。      たちまち咳がとまること請け合い・・・
泉鏡花という明治の文豪は          そう教えてくれたのは
指で空中に書いた文字でさえ         元ノビ、即ち忍び込み専門のコソ泥である。
きれいに消す真似をして清めた。       咳をして捕えられることをおそれて
十分に消したかどうか            日頃から研鑽に努めた
もう一度空中をたしかめたという。      その賜である由。

お判りか。


 【夫婦の肖像】より          【うぐいすの練習】より

  伴侶                 朗報

せめて十坪ほどの庭と         夜中に二回も三回も 
廊下のある我が家に住みたい。     トイレに立つ人に
云い云いして             よく効く薬、新発売 !!
四十年・・・・           
ふっくらしたばあさんになって     「二回も三回も」と「新発売」には
入れ歯をはずして           赤インクで二重丸で囲ってある。
気楽そうに寝ている。         散歩の帰りに儂はそれを見た。
ときどき
                   角っこの薬局の表に
いびきをかいている。         ペタリと新しい大きな貼り紙。
                   
小さな借家の             市場の往き帰りに
古い畳の上で。            うちのばあさんも見たに違いないのだ。
                   でも
                   まだ黙っている。  
       
                   儂も。


今後 団塊世代の方が、どんどん最終コーナー入りなさいますから、その分、忠さんファンも増えてくるものと。当稿が そういった方々の お役に立つとすれば、これほど嬉しいことはありません。ただ 詩集の場合、発行部数は極めて少なく、大規模 公共図書館さんですら蔵書ナシは有りふれたコト。とすれば 古本獲得は ますます難しく、、、厳しい競争、、止むこと、ナシです。


 < 追 伸 > R3.9.19 記
 これは 産経新聞週1連載、坪内稔典 (としのり) 先生の、R3.9.12『モーロク 満開』ですが、
久方ぶりに 天野忠さんが取り上げられてまして大喜びしたのですが、ひょいと気懸りなことが、
.
                  下段 ←|→ 上段      
既ブログ『天野 忠さん、バンザーイ !!!!』に 誤りがあるのではないか と気付いたのです。案の定、「蝉は/みな死んだ。」が抜けていました。

で、思ったのです。この記事って ひょっとして、オイラに 間違いを気付かせるために書いて下さったのではないかと。ネンテン先生、ご指摘いただきまして 本当にありがとうございます。

 < 追 伸 > R4.4.11 記
 新月舎さん発行 荒賀憲雄さん著『路地の奥の小さな宇宙ー天野忠の世界』という本を、ヤフオクで入手しました。その中に『続・掌の上の灰』に出ている『浴後』という詩の一部が、取り上げられていました。可笑しくて可笑しくてたまらないので、記します。実際は あと何行かあるのですが、これだけの方が 断然 面白いです。

    裸で
    向き合って
    私は
    あーあ、と云った。

    あなたも
    私を見て
    あーあ、と云った。

     ・
     ・
     ・
          
 さらに この本によりますと、『米』という作品ほど 一世を風靡したものはなく、好きな詩を一篇となれば必ず朗読されたものだと。ただ、ご本人はこの詩の高い世評には、疑問と軽い不満を持っておられたようで、これが代表作と思われるのは、困るんやけどなァと呟かれていた と 書かれていました。で、オイラはそのつもりで読んだことがなかったもので、ここに取り出しておくことを思い付きました。 

   米

   この
   雨に濡れた鉄道線路に
   散らばった米を拾ってくれたまえ
   これはバクダンといわれて
   汽車の窓から駅近くになって放り出された米袋だ
   その米袋からこぼれ出た米だ
   そのレ-ルの上に レールの傍に
   雨に打たれ 散らばった米を拾ってくれたまえ
   そして汽車の外へ 荒々しく
   曳かれていったかつぎやの女を連れてきてくれたまえ
   どうして夫が戦争に引き出され 殺され
   どうして貯えもなく残された子供らを育て
   どうして命をつないできたかを たずねてくれたまえ
   そしてその子供らは
   こんな白い米を腹一杯喰ったことがあったかどうかをたずねてくれ
    たまえ
   自分に恥じないしずかな言葉でたずねてくれたまえ
   雨と泥の中でじっとひかっている
   このむざんに散らばったものは
   愚直で貧乏な日本の百姓の辛抱がこしらえた米だ
   この美しい米を拾ってくれたまえ
   何も云わず
   一粒ずつ拾ってくれたまえ

             天野忠詩集(全集)『単純な生涯』より

オイラに 異論があるとすれば、” 愚直で貧乏な日本の百姓の・・・” の行(くだり)。理由は、お百姓さんを美化し過ぎということ。彼等だって人間、金持ちで ズル賢い人から 貧しいけれど 菩薩様のような方まで さまざま。それに こういう言い方、何や、都会の知識人さんの 驕りのように感じられたり・・・。やっぱり オイラは、市井の 何気ない生活の中での、惚 (とぼ) けたふうな 可笑しみのある語り口の方が、断然 好きであります。 


 < 追 伸 > R4.11.26 記
 2022.9.26 付『第1楽章終了時 20秒もの拍手・・・本場ドイツでの出来事 & 『産経抄』「しずかな夫婦」について & 産経新聞記事 2編』という本稿ブログに、天野忠さんに関する記事を載せてますので、転載しておきます。

 R4.9.21の『産経抄』に、35~50歳まで、仕事をするに当たっての先生であった 城山三郎さん(もちろん 氏の作品、主に経済小説でして、ほとんど読んでいます)および 現時点 一番好きな詩人さんの 天野忠さんという、オイラの人生に大いに関わって下さってるお二人が出てられましたので、「ここはひとつコメントせずばなるまいて」と、キータッチするものであります。
.
城山さんが天野忠さんの『静かな夫婦』という詩について触れている書籍と、当該エッセー。

天野忠さんの『しずかな夫婦』という詩が掲載されている詩集『夫婦の肖像』、
   および ↓ 当該詩。
.

で、上掲コラムの補足ですが、城山さんはタクシー運転手さんに、このように言いなすってられます。「広く世間に名を知られた人ではないが、質素な生活をし、よい詩を数多く残した詩人であり、そうした人にふさわしい住まいと分かって、安心した」と。

それにしましても、大好きな城山三郎さんが天野忠さんのファンであられたことは、ほんにもって、こころ躍る 嬉しいことにございます。ちなみに 城山さんが京都駅からタクシーに乗り訪ねられた先は、京都市左京区下鴨北園町93番地であります。

  
    
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日本最初の首都『ヤマト纒向』映像に興奮 !!! ~ R3.3.27 NHK ETV特集『誕生 ヤマト王権~いま前方後円墳が語り出す』より

2021-03-31 20:00:33 | 日記


 当市広報誌によりますと、岡山県を中心とする 東西:170*南北:45*深さ:20km のエリアは、少なくとも 3400万年前から続いている日本一安定した巨大な岩盤なんだと。

古代の人たちは、それを本能的に識っていたのではないでしょうか。当市 西部 ”備前国分寺跡” 近辺には、全国で 4番目に大きい『両宮山(りょうぐうざん)古墳』のほか、和田茶臼山古墳 森山古墳 廻り山古墳 朱千駄古墳 岩田14号墳という 6つの古墳があります。

この両宮山古墳の外堀 (正式には外壕(がいごう)) は 田んぼの下に埋まって見えないのですが、内堀 (正式には内壕(ないごう))に溜めている水が 常に墳丘を侵し続けていることから、H29年度から整備保存事業に取り掛かっています。

もとより工事のできる時期は 水を落とせる冬場に限られてますから、R3.1.23 に その見学 & 説明会があったのですが、その折 内壕の中を 1 / 3 周くらい歩 いてまして、酷く抉(えぐ)られている墳丘裾を目の当たりにしており、また この古墳の大きさは、この脚に 重重 刻み込まれています。

 さて 地元の話はこのくらいに、本題に入ります。R3.3.27、NHKーE ETV特集『誕生 ヤマト王権~いま前方後円墳が語り出す~』を見、オイラは興奮しました。そうです、オイラ好みの めっちゃ別嬪さんと出くわしたが如くに・・・

それは この 日本最初の首都『ヤマト纒向(まきむく)』とも言える CG画像・・・・元 奈良県立 橿原考古学研究所 調査研究部長、現 纒向学研究センター長 寺澤 薫さんが想定なすってらっしゃるイメージ映像を見たからであります。
.
                  纏向宮 ↑  ↓ 箸墓(はしはか)古墳
.
                    ↓ 古墳の頂上に向け ズームイン
.
たいへん素晴らしい映像、古代の人々の息遣いが聞こえてくるようであります。最新の分析によると 西暦240~260年の間で、争った痕跡は何ひとつ見つかってなく、全国各地からの土器が多く埋まっていたことから、武力に拠らないで統一された、日本最初の首都と言えるものではないかと。箸墓古墳と全く相似形の古墳が、現時点 全国に 22基発見されていることからしても。

例えば首記『両宮山古墳』から南東に直線距離で約6km地点にある『浦間茶臼山古墳』の場合

航空レーザ測量写真が顕している通り、ピッタリ 1 / 2 スケールで一致することから、傘下となった豪族には こうした特権を与えたのではないかと。


で 代替わりする毎、少しづつ変わってゆき、200年後 大きさが 2倍になって登場したのが

ギザのピラミッド (金色) よりも 秦の始皇帝陵 (右隣の緑色) よりも大きい世界遺産『大仙古墳 (仁徳天皇陵) 』だと。そして最終的には、約 4700基 もの古墳が作られるに至ったのだと。


当番組MCは、池田伸子 アナウンサーと 松木武彦 国立歴史民俗博物館 教授さん。お二人とも、とても良かった !!! 。特に 着物で ビシッと決めておられた 池田さん、凛とされていながらも、笑顔も仕草も めっちゃ チャーミングでございました。次回ご登板が楽しみです。
.
ここまで書いて思えたこと・・・ひょっとして興奮したのは、池田伸子さんに だったかも・・・
自分でも 迷うこと 頻 (しき)り 。それっくらい 可愛かったァ~ 、ハイ~ 。

 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 桜が満開です。令和 3年の 花影(かえい)と言いますか 樹影と言いますかを 記録しときます。
 

 さらに 【備 忘 録】3つ 追記 です。
● R3.3.19 産経新聞『明治神宮物語』の中に、”保守主義” についての記述がありました。

英作家の チェスタトンさん言「保守主義とは死んだ人を含んだ民主主義だ」と。好いですねぇ。

● その前日の 産経新聞『朝の詩』も very-good !!! 。めっちゃ 爽やかで 素敵でした。


● 更に 7年以上前の『産経抄』で恐縮ですが、ここに綴じ込んでおきたく存じます。 
   

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愛媛県砥部市『板村真民記念館』さんへ行ってきました          ~ R3.3.17 のこと

2021-03-21 10:08:34 | 日記
 四国・松山市の南隣り、砥部焼で、更には 高市敦広さんとおっしゃる飼育員さんの手により、世界で初めて人工哺育で育てられた ホッキョクグマ・ピースのいる 動物園 が在ることで有名な 砥部市の、一度は行ってみたいと思っていた『板村真民記念館』さんへ行ってきました。



皆さま 一度は お目にされたことが お有りかと、『念ずれば花ひらく』という 詞章。
板村真民さんは、言わずと知れた この詩を お作りになられた 有名なお方。
.

朝一の特急『しおかぜ』で 松山へ。駅前に これと言ったバスターミナルが見当たらないものですから、駅舎内にある観光案内所に行き、「マスク 外してくれないですか」とお願いしたいくらいの めっちゃ美人のお方に、

「砥部に行くには、少し離れた『松山市駅』から出る 本数の多い『伊予バス』と、この駅前から出ますが 本数の少ない『JRバス』とがあり、これがその行き帰りの時刻表です。JRバスでしたら、あと15分で到着しますよ」と、懇切丁寧に教えていただき

JRバス乗り場で待つことにしたのですが、そこで ふと思い付きました。「あの二人の美人さんの写真を撮っておこう」と。で、撮らせてもらえることとなって、ポーズも取っていただいてるのに、カメラの電池が 2個ある予備も含め 全て容量不足。吾ながら 何ちゅう不細工なことを・・・彼女たちに 深くお詫び申し上げますとともに、ここに掲載できないコトを 心底 嘆いてます。

JRバスに乗り 行き先を告げますと、運転手さんから、砥部までは片道 620円ですが、往復乗車券は 700円 という旨 告げられ、その乗車券を購入しました。出発し、しばらく経って思えてきたことは、伊予バスさんに較べ 便数がめっちゃ少ないから、こういうサービスメニューを用意されてるのかなぁ ということでした。

JRバスさんの停留所は ポツンポツンと粗いため、下車してから 1.5km ほどは 歩かないとダメでした。この程度のことなら 苦にならないどころか 大歓迎のオイラですから ともかくも、そうでないお方にとりましては 伊予バスさんのほうがイイかも です。

何でもそうなのですが、”綺麗・綺麗じゃない” とか ”上手・下手” といった観点ではなく、如何に 心が籠っているかどうかが肝心でして、そうでなくば 決して観る者の心が動くことはありません。肉筆を見れば それが良く判るのです。

それに オイラは、聖人君子然とした 一見 高尚な文言や美辞麗句ではなくて、何気なく発した感の 飾り気のない ひょうひょうとした自然体の言葉の書かれた書が好みです。

行ってイチバン嬉しかったことは、本特別展だけではなく、今まで催された総ての展覧会のチラシとポスターが、無料で戴けたことです。以下、それらや 購入した『筆の詩 墨の花』という詩墨集から、とりわけオイラの好きな作品を、数点 ピックアップさせていただきます。

 ..
......

 H28年春には、オイラが師と仰ぎ、『真理は現実のただ中にあり』『修身教授録』は 総ての出版物の中で NO1 であろうと確信する、その本の著者『森信三』さんとの特別展が開かれていたことを知りました。これを見逃していたなんて、何という勿体ないことをしたものであります。



 なお 帰路でありますが、砥部発 12:58 分という願ってもない頃合いの JRバスがありましたから、自宅着 18時過ぎというように、実に順調に旅をこなすことができています。彼女たちのくれた時刻表のお陰かと。そして、館内で お世話して下さった 若く美しい娘さんたちも、記念館さんも 展示物も 総て 素晴らしく、でえれえええ 一日を 過ごさせてもろうたと思っています。

(これは 行く前から分かっていたことですが、『早坂暁』さんが 帰られたら 必ず寄ってらしたという 松山市内の『ことり』という うどん屋さんには、水曜が定休日のため行けなかったという 積み残しがあるにはあるのですが・・・・)
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成るか、当県出身者 初ノーベル賞 ~ 世界初、凄い数式を考え出された 木村建次郎さん

2021-03-05 17:06:27 | 日記

 R3.2.7 NHK『サイエンスZERO』『命を救う驚異の数学』を見「こりゃ ノーベル賞、行くでぇ」と唸りました。神戸大学 数理・データサイエンスセンター 木村建次郎教授 がその方。

まずご紹介するのは、氏が発見された数式を基に設計・開発された、乳がん部位を3次元画像と
して捉えることのできる乳がん検査装置。
...
X線では 識別不可。ターゲットの性質によって探査波の波長を選別。乳がんの場合は周辺組織より多く水分を含むので、マイクロ波を照射することで このように捉えることができるのだと。なお、本画像を従来技術で得るには、500時間以上、スパコン・シュミレーションを重ねる必要がありますと。

で 世界で初めて 乳がんを、このような 精緻な画像として捉えられたのは、ある物理現象が
解き明かせる数式を 考え出したことにあると。その現象とは

発生させた波が ある物体に当たり、どのような波形が反ってくるのかは計算で解けるが

しかし 反ってきた波形から、その物体の形と位置を特定することは、今まで 世界中の誰も
成し得ていない『波動散乱の逆問題』と命名される、すこぶる難題なのだそうな。ところが

何と何と、この解明に寄与する数式を、スゲェことに、木村先生が 10年以上 研究を重ね、
導き出されたのだそうな。

まさに ノーベル賞に値する快挙 !!! かと。この方程式を基に、乳がん検査装置の他にも

このように いろいろあって、その用途は ますます拡がりを見せているのだと。

     これは、不純物が混じると 爆発や火災を起こす リチウムイオン電池の検査事例

     生体検査 および 構造物の非破壊検査に、ブレークスルーを起こす 画期的壮挙 !!!

驚異の数学で命を救う 岡山出身 天才発明家、我らが木村建次郎さん ここに在りっ !!!!!!!!!

ただ、心配ごとがあります。実際に、こんなスゴイ成果が得られる基本原理である、木村先生の発見された方程式(オイラには、この数式は自然界に埋もれてて、それが先生によって発掘されたような気がしてならないです)について、数多 いらっしゃるはずの 数学者さんたちは、いったいどのように評価なすっておられるのかということ。少なくとも、正しいとか間違っているとか表明があって然るべきでは と思ってます。『日本数学会』さんの ご見解、承りたいです。

 

 < 追 伸 > R6.5.28 記

 R6.5.25(再放送です)テレビ東京系『ブレイクスルー』という番組で、木村建次郎 神戸大学教授 および 氏の発明された 世界初の物体内透視技術 が 紹介されました。

...

世界初となる物体内透視技術は、未解決の難題であった『波動散乱の逆問題』の解となる

方程式を、氏が 導き出されたことにあり、その成果物として、

乳がん位置および その3次元画像を患者さんの負荷少なく的確に表示できる装置や、リチウムイオン電池内の不純物検査装置、さらに

..

このような、凶器だけを発見する 世界初の 検査装置などなど 開発され、今や

ノーベル賞候補とまで言われておりますが、さらに高みを目指すべく 研究に励んでらっしゃる氏の原点は、数学者である ご尊父の影響が大きいと・・・・

.

 

 

コメント (2)
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遠く去りゆく TV 歌番組。今 我が心に適う音楽は 断然 クラシック

2021-03-04 20:04:52 | 日記
 昭和の歌い手さんたちの 声の好さ・歌の上手さ・味わい深さ の 凄かったことばかりが、ことのほか 感じられるようになって久しく、良質の歌を聴きたいという希いの最後の砦であった合唱番組も姿を晦(くら)ましちまった昨今、その寂しさを紛らしてくれてるのは、否 余りある楽しみを与えて下さってるのは、主にNHKさんで放送されているクラシック音楽番組の数々。


さしづめ 今の季節なら、R3.2.23 NHK-BSP『クラシック倶楽部』で放送された バイオリン:小林美樹さん ピアノ:板野伊都子さんで奏でられた ベートーベンさん作曲『バイオリンソナタ第5番 "春" 』。この録音 CDを 早朝 流しながら、ピチピチ 美しい彼女たちを想像しつつ、抹茶を喫 (すす)り、新聞を読むなんて 楽しみ、そうザラにないのでは・・・と思ったり

心を浄めたいと思ったら、R3.2.15 NHK-BSP『プレミアムシアター』で放送されたこの楽曲。

  指揮:テオドール・クルレンツィス 合唱:ムジカエテルナ合唱団 
                   演奏:ムジカエテルナ・ビザンティナ
  曲目 ヒルデガルト・フォン・ビンゲン 作曲:おお 永遠の力よ 作曲者名不詳:ヴァイメ
     アレクセイ・レティンスキー 作曲:聞きたまえ 天の女王よ 作曲者名不詳:テリレム
     作曲者名不詳:天使祝詞、主よ あわれみたまえ、英国の王よ

キリスト教徒でなくっても、意味は分からなくっても、ノープロブレム。自分が 感じるままでいいのです。何せ『上を向いて歩こう』が『スキヤキソング』になって、何ら問題なく 世界中に広まるのですから。オペラだってそう。独りでいるとき オペラを聴くと、内容が何も解らなくたって、最高レベルに 心地好く楽しいもの。独りではないと感じるのが 好いのかも です。

さらに R3.2.28 NHK-BSP『プレミアムシアター』で、『ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ジルヴェスター・コンサート 2020 』では(ジルヴェスターとはドイツ語で大晦日の意)

指揮:キリル・ペテレンコさん ギター:パブロ・サインス・ビジュガスさんという 超豪華
メンバーさんによる ロドリーゴさん作曲の『アランフェス交響曲』が演奏されたり

おまけに、オイラが若い頃 数えきれないくらい弾いた『禁じられた遊び』に ストリングスを加えた、ヘイゼルさん編曲の楽曲もあって、聞き飽きて お蔵入りしていた楽曲が、ものの見事に蘇(よみがえ)ったのを目の当たりにできたり と、クラシック音楽には 本当に楽しませていただいてるところです。

ギター演奏自体、オイラは ラファエル・アギーレさんのほうが、好いのではと思っていますが、イケメン振りの個人評価への寄与度というもの、この世の中、相当の加点のあるは 否めない事実ではないかと、オイラの長年の経験上、断言できます。何せ、オトコもオナゴも、何事に対しても、キレイなもんには からっきし弱いですから、残念ながら、致し方ないことかと。そういった面では、オイラは今まで めっちゃ損をしてるなぁと、思いたくないのに思えてきます。

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滅茶苦茶 可笑しく 素晴らしい展覧会でした ~ 高松市美術館さんで この21日まで開催中『野口哲哉 展』

2021-03-03 20:27:22 | 日記

 これは瀬戸大橋線の オイラが沿線内で一番 好きな風景、鷲羽山トンネルを出て直ぐ左手の
情景ですが、R3.2.28 NHK『日曜美術館 アートシーン』で紹介された 標記ダシモノに惹かれ、家 および その近辺だけに 閉じ籠もってても何だから との想いも手伝い、本日 行ってきたのであります。そのダシモノは、このように ↓ 電車内の中吊り広告でも掲示されてました。


高松駅から 順調に歩けたとすれば 20分ほど。但し オイラは行き過ぎたりして・・・でしたが。
             やっと着いた ↓ 高松市美術館さんの入り口

   2F 当該会場入口手前に置かれている ↓  ディスプレーボード です


今までオイラが見た展覧会でイチバン感動したのは、東京で開催された草間彌生さんの展覧会ですが、正直 そのときに近い、「オ-、すっげぇなぁ~」という感情に圧倒される感動が、人間の裏の裏まで見透かされることにより誘因される、クスクス・ニヤニヤの 頬っぺたの ほころび を道連れて、やってきました。以下、作品のいくつか ご紹介します。

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  撮影可 作品の一部 ↑   ↓ は購入した図録から、オイラの最高のお気に入りの 2作品


     顔の表情が、何とも言えず 素晴らしいので、それぞれ アップいたします

 アップしても、写真では、実物の 2,30%くらいの素晴らしさしか表現できてない感じです
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何で 斯くも可笑しいのか、直ぐに分りました。まるで、自分そのものだから なのです。心から笑えます。可笑しさを伴った 極めて上質な 感動・・・好いですねぇ、本当に素晴らしいです。まったく新しい世界です。皆様、これほどの展覧会 そうは無いと思います。この際、実物をご覧なさって、極上の可笑しさを ご体験 なされましたら・・・と思っています。

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楽しかった !!! 2つの音楽アイテム & 『わび』/『さび』に 真っ向 取り組んで下さった 門井慶喜さん『銀閣の人』は、Wonderful !!!

2021-02-26 22:48:58 | 日記
 『BSテレ東』さんの年末恒例『東急ジルベスターコンサート』、先の大晦日も 大いに魅せて下さいました。『東京バレエ団』さんのプリマ 上野水香さん。

今回は、江尻竜典さん指揮『東京フィルハーモニー交響楽団』さん演奏、タンゴ界の超ビッグネーム アストル・ピアソラさん作曲『リベルタンゴ』という名曲に乗って、メキシコご出身の同団員 ブラウリオ・アルバレスさんんと、それは見事な踊りを ご披露 下さいました。
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これはラストを飾った ストラヴィンスキーさん作曲、組曲『火の鳥』より [子守唄] & [終曲]
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 さらに、R3.2.1 NHK-BSP『プレミアムシアター』では、モーツァルトさん作曲の『ピアノ協奏曲 第13番』が、オクサーナ・リーニフさん指揮 ミューヘン・フィルハーモニー管弦楽団、アルス・紗良・オットさんピアノ で演奏されてまして、もう見てるだけでも楽しかったです。
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 ご存知『銀閣寺』さん。正式名は『東山慈照寺(とうざんじしょうじ)』。本写真は 当該ホームページから。記事は 産経新聞 R3.1.7 掲載『本郷和人の日本史ナナメ読み』の一部。        


さらに H30.12.31 BS朝日『日本人とお茶の物語~おもてなしの誕生』から、6画面。
......

そして R2.11.7 付 産経新聞に載った 門井慶喜さん『銀閣の人』紹介記事 と 当該書籍。
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 お膳立てが整いましたので、以下 駄文を書き連ねるとします。述べたきは 門井慶喜さんの著わされた『銀閣の人』に対する賛辞です。氏が 足利義政さんの口を通し アウトプットなさった『わび』&『さび』の、概念および当該境地に関わる内容・その解り易さは、今日までの これに関する あらゆる文化的成果物の中でも、おそらくは 出色・秀逸 なる出来栄えの作品ではないだろうかと思うのです。

 室町幕府の歴代将軍を、ウィキペディアさんの情報を基に再編集しますと
01代 足利尊氏      1338 暦応元年
02代 足利義詮(よしあき) 1358 延文 3年
03代 足利義満      1368 応安元年 1358~1408 義政の祖父
04代 足利義持      1394 応永元年 1394~1423 義満側室の子
05代 足利義量(よしかず) 1423 応永30年 1407~1425 義持の嫡男
06代 足利義教(よしのり) 1429 正長 2年 1394~1441 義持の実弟、1441 嘉吉の乱で惨殺
07代 足利義勝      1442 嘉吉 2年 1434~1443 義教の嫡男
08代 足利義政      1449 文安 6年 1436~1490 義勝の実弟、1467 応仁の乱 勃発 
09代 足利義尚(よしひさ) 1473 文明 5年 1465~1489 義政/富子の子  1477 同乱 収束
       省 略
13代 足利義輝      1546 天文15年
14代 足利義栄(よしひで) 1568 永禄11年
15代 足利義昭      1568 永禄11年
                    と なるのでありますが、

たとい時代の流れが今より相当ゆるやかなものであったにせよ、人文知・経験知・社会のファンダメンタルの、今とは較べようもなく未熟な中世 於いての 1 世紀以上隔てた組織の不安定さというものは、想像以上のものであっただろうと思えるのですが、そのうえ

5歳のとき『嘉吉(かきつ)の乱』(この段の描写は素晴らしかったです)で絶恐怖と対面、その 強いPTSDを引きずっていたであろうものの、13 で 継いだ将軍職、31 で端を発し 41歳になるまで続いた『応仁の乱』・・・

御祖父さん(義満公)の遺した 北山の鹿苑寺(金閣寺)と、その当時は文字通りの華やかさであっただろう『花の御所』での 絢爛豪華なる日常を思いやれば、第8代将軍 義政さんの心の中は 如何ばかりのものであったか・・・

多分 作者の門井さんがお書きのように、
・政事の力が失せてしまっている。然らば 文事によって、政事に立ち向かえないだろうか
・権力は後世に残らない。古代中国を見ても明らかである。名を残しているのは 統治者でなく、一介の浪人である孔子さんであるように
・歴史の長い時間の中では、勝つのは 政事でなく文事なのである
・唯一無二の文化を創れば、政事で負けても 文事で勝てる。文事で名を残せる

と、義政さんが思っても当然ではないだろうかと。さらに 義政さんの文化に対する造詣は

・『御飾記(おかざりき) 』『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき) 』という日本で
 最初の美術評論書の実質的な著者であり、これを広めることに 心 砕いている
というふうに、当代トップの 美的感覚の持ち主であっただろうし、その至上の価値を 今日的なまでに体感していた 類い稀な御仁ではなかったろうか と。

慶喜さんが文事と名付けたものの評価、オイラもまったく同じように思ってましたから、大いに溜飲を下げた次第です。いくら技術的に優れた発明をしたとしても、直ぐに陳腐化し価値を失ってゆくのに対し、文化・芸術は反対でして、時間とともに 存在価値を高めてゆくのですから。

それと義政さんがそのような思いを抱くようになった一つの要因として、慶喜さんの本では一切 触れておられませんが、後小松天皇さんのご落胤であり、当時 稀に見る 自由な生き方をなすってらした 一休宗純さんの存在も大きかったのではないかと思います。相性は決して合うとは思えませんので、直接 会ってられないにせよ、村田珠光さんを通すなどして、かなり 影響を受けておられたのではないかと。
    一休宗純さん 1394年 (42歳)  1481年
    足利義政さん     1436年  (45歳)  1490年

で、義政さんは考えました。文化の政事からの独立を果たさねばならない。そして政事に打ち克つ文事を成さねば、話にもならない。そのためには 深い思索が何より求められる。他人から解放された 精神の自由が保たれる空間が必須となるであろうし、人からの自由が あらゆる自由の中で最も貴重な 至高な価値であらなければならない と。

すなわち 人は一人であらねばならない。孤独 こそが 基本となる。そのこと、孤独であること 不足であることに、むしろ積極的な意味を見出すよう図らねばならない。孤独に由来する美意識の確立である。不足の美 もののあわれの美の擁立である。狭さを広さとする 飾り気無さを飾りとする、そんな見地を涵養するのだ。

このようなパラダイムシフトは、孤独に向き合うための もろもろの設(しつら)えを、”侘びしい” という ”悲しい” とか ”負” のイメージの伴う言葉で対処するのではなく、むしろ 肯定的に向き合うばかりか、このほうが望ましいんだよ とする 積極的な趣の ”詫ぶ” という言葉に置き換え、対峙するということになりはしないだろうか。さすれば 必然的に、そこに ひそんでいる 新たな ”美” が 発掘されることになりはすまいか。

すなわち、"侘びしい" ではなく、それを "侘ぶ美" というような 積極的観念まで 養生し、今まで存在しえなかった 新たな ”美” の概念を創造するのだ。"侘ぶ美" 転じて ”侘美”、これが ”わび” という概念の誕生した経緯(いきさつ)ではないだろうか。(但し 直上の段落と 本段落の内容は、実際に本には記述されてませんで、この本を読み、その意を汲んで取り結んだ オイラの所感でありますことを、申し添えておきます)

で、このように心を決めた 義政さんは、その "文事" を為す御殿建設場所を 東山山麓の 焼けたまま放置されていた浄土寺跡地 と定め、御台所 兼 大蔵省 (スポンサー) である日野富子さんの ご機嫌を取り結びながら、
   庭 師:善阿弥さん(親子2代にわたる)
   連歌師:宗祇さん
   茶 人:村田珠光さん
   大 工:三吉さん
   調 達:木幡興七郎さん
というメンバーからなる ”チーム義政” なるものを立ち上げ、応仁の乱の混乱をかき分け、焼き討ちにもめげず 将軍職を継がせた息子 義尚 ( 作者は義政さんに「長年 できなかったし、そのあたりでは ほとんどやってないのに、顔の似てない子ができた。父は 後土御門天皇さんであろう」 と言わせている ) の酒乱にもめげず、 東山殿の建設に邁進するのです。

造るにあたって設定した 基本コンセプトは
・大部屋 全面板張り 屏風で間仕切り という寝殿造りではなく   
・小分けした建物群とする(これは経費を節約するためでもある)
・祖父の作った金閣寺は、金箔を外壁に貼った 舎利殿であるのに対し
・東山殿のそれは、観音堂とし、壁は艶を消した黒塗り檜板
・屋根は 椹 (さわら:檜に似た より耐水性のある木) 板を竹釘止めする 杮 (こけら) 葺き
・作者は これを、実際には 退廃的なまでに手の込んだ 第一級の工芸品である と
・ただし銀閣寺が完成を見たのは、義政公が亡くなられた 3か月後であったと

・東山殿の中で 義政さんが 取分け 力を注いだのが 国宝『東求 (とうぐ) 堂』という
・祖先の位牌を安置する 持仏堂 という位置づけの
・入母屋造り 杮葺き、7m四方の実用性に重きを置いた、思索的・精神論的会所としての
・7,8 畳ほどの板間の仏間 6畳 4畳 4畳半 の 4部屋 を有する建物

・中でも殊更 思いの丈を込めた 渾身作は、唯一 名前を付けた 部屋『同仁斎(どうじんさい)』
・ここへの思い入れは ハンパじゃなく、まさしく義政さんの真骨頂、彼の美意識の精髄
・”良質の質朴”、”良質の簡素”が もたらしてくれる ”わび” という美意識を体感する場として
・心の内実を解放し、新たな息吹を取り込む場として
・略式であり正式、褻 ( け:アンフォーマルの意 ) であり晴れ ( フォーマルの意 ) 、私であり公、奇道比例であり常道常礼、日常であり非日常を演出する場として
・その役割を担うのが、初めてこの世に登場した 四畳半、東山殿の真打とも云える『同仁斎』
・何者かから逃げるために作った部屋ではなく、何者かに立ち向かうために造った部屋
・正式で格式の高い様式の板間とせず、日本で初めて 四畳半全面 畳敷きとした 
・初めて誂えた ”押し板床 (床の間) " は、幽玄さや 奥床しさを象徴(これはオイラの創作です。お床が奥に広がっている様 (さま) に見立てて "奥床しい" という言葉ができたのではないかと思うのです)
・これも初めての演出である、モノを飾る ”違い棚” は モノのインプットを、
・同じく 固定化した文机 ( ふづくえ ) = 付書院 ( つけ・・ ) は、アウトプットを演出するアイテムとして
・四畳半の半畳が、さらなる高みの境地へ 無限の世界へ 誘ってくれる仕掛けとなる
・『わび』は、こういった状態であるのを示す言葉であると。そして

・本状態に身を置き、世を思い 文化芸術を思い 文(ふみ)を書き 優れた文物と慈しむという 時を積むことで、さらに先にある、今まで誰も踏み入れたことのない 究境 (くっきょう) なる領域に到達できたという そういう気に包まれたとき、その趣を “さび” と言うのであると
・付け加えれば、“さび ” とは 時間が加わった概念 時間の函数 であるということ。鉄の ”錆び" がそうであり、枯れて色がまだらになったのを "錆竹"  謡(うたい)上手が出す しわがれた声を "錆声" と言うふうに
・時の移ろいで 一層 複雑な 一層 微妙な 趣を帯びる、それを ”さび” というのであると

さらに門井さんは、このように言っておられます
・以後 全国の大名は、こぞって 同仁斎と同じような部屋を作った
・武家も町人も 富貴なお百姓さんも作り、そこを密儀の場として活用した
・その口実が「茶を喫す」であった
・利休さんが作った 小間の茶室は、茶のための茶 であったが
・俗世の例 ( ため ) しは、もっぱら 義政さんが先鞭をつけた 四畳半の間であった
・これは四畳半が、文化の秩序を担ったということに他ならないだろうか
・言い換えれば、義政さんの文事が、政事の上に立ったと言うことではないのか
・さらに 535年を経た現代に於いてすら、日本家屋の主役という立ち位置は 揺らいでいない

オイラは『待月百休庵』という 己の精神を解放する、100% オイラ・オリジナルである空間 ( 居間 ) を拵えています。作ろうと決めてから 1年くらいは検討に費やし、4面 全ての デザイン画を認(したた)め、大工さんに委ねました。

基本方針は ①できる限り再利用を図ること、②休息場 書斎 遊び場 ゲストハウス 応接場 茶室 というように多目的に使えること でした。躙り口を付けるなど茶室の色彩を濃くしたりすれば、結局 ほとんど使わない部屋となってしまうと考えたからです。

それで 縁側付き 四畳半の畳間で、お床 書斎 吊戸棚 直角で構成する違い棚 曲がった竹の中柱 押し入れ 額縁入れ 流し 水屋 冷蔵庫 トイレを設置した部屋を造りました。造るに当たって、オイラも 古壁を落としたり 床材を磨いたり 竹の中柱を探し出し養生したり、中でも極め付きは 以後 2年ほどは 足指裏の痛みに苦しめられた、吐き出し窓下に設置する踏み石と 入口前の敷き石の 移設作業。

「よう やったなぁ、今なら とてもでけんで」と つくづく思える 肉体労働をこなし 完成させています。ですから、できるなら 義政さんに 見に来ていただきたいと思っているのです。きっと 義政さんは こう言って下さるでしょう。「おまはん、ええのん つくらはれましたなぁ、たいそう ええんとちがいますやろか なぁ~」と。

56歳で早期退職した後、こういった経験をしているものですから、義政さんの気持ちが、とてもよく理解できるのです。それにしても 門井慶喜さん、よくぞ書いて下さいました。お陰で 極めて漠然としか捉えてなかった『わび・さび』の概念が、よ~く掴めました。

剛除 (さんじょ) 韜晦 (とうかい) 追儺 (ついな) とか、滅多に目にすることのない言葉と出会うこともできましたし、金人とは至高究竟 (くきょう) な人のことで、金堂とは 金人を祀る所ところ、金色とは まったく関係ないことも知りました。門井さんは、えれえ 難しいコトバを、よ~お 識っとられます。

以上で『銀閣の人』という本についての記述を終えますが、ここに書き連ねております文面は、門井さんの書かれた文章と、オイラの我流解釈とを ごちゃまぜにしたものでありますこと、申し上げておきたく存じます。この本は、とても良い本です。皆様方にも ぜひ お読みいただければ と思っています。

なお 余談になりますが、これは ひとつの オイラと義政さんを結ぶ縁とでも言えるのですが、オイラは 数百メートほど先の『小川山常念寺自性院(おがわさんじょうねんじじしょういん)』という天台宗のお寺さんの、区の寺総代を担っておりまして、このお寺には、何故か 義政さんの奥さん 日野富子さんのお墓と伝わる、古びた らしきお墓があるのです。で 毎年 4月最後の日曜日に年間最大行事として『日野富子供養祭』を催しています。

実のところ 富子さんは 、一度も京都を離れたことがないようです。でも、義政さんの戒名の『慈照院・・・』から『自性院』、一時 義政さんご夫婦が住まわれた『小川殿(こかわどの)』から『小川山 (当初は ”こかわさん” だったのではと) 』と命名されているなど、念が入ってます。善意に解釈すれば、富子さんの遺品の何か 祀られてるのかも? です。下段に転載してますが、NHK『歴史秘話ヒストリア』で取り上げられたことだってあります。

これは、R3.2.21 NHK-BSP『英雄たちの選択△まさかの応仁の乱! もうどうにも止まらない 11年戦争』の再放送(初回 H29/7 )で示された『小川』の地名の書かれた京都市内の案内版
    どうも『小川殿』は、細川勝元さんの邸宅『細川殿』と同じとこ のようです。

 < R1.9.30 投稿ブログより転載 >
 R1.9.18 NHK-G『歴史秘話ヒストリア』『私はなぜ悪女になったのか 最新研究 日野富子』という放送の中で、当百休庵とは直線距離で約530メートルしか離れてなく、オイラも寺総代の役割を担っているお寺さんが、未だに信じられないことでありますが、何と番組のトリで登場という快挙を果たし、見事な全国デビューを飾ったのでありまして、まずはこのこと、記録しておきたく存じます。

現在 全国的に定着している 日野富子さんのお墓は

京都の華開院(けかいいん)さんというお寺の隅っこに

このように ↑ 室町将軍家御台所のお墓とは思えない質素な佇まいで建っているのですが

しかし しかし 当番組のエンディングでは

わが地域の、それも当庵隣りの地区に建つ

オラんチも檀家の、オラが わが地区の寺総代を担ってる

小川山常念寺自性院というお寺の敷地内に建っている

室町幕府第8代将軍 足利義政公供養塔と

義政公御台所 日野富子さんのお墓が紹介されたのでありまして


”森野美咲”さん ”しぶこちゃん” ”前田穂南さん”に続く 快挙 & 壮挙、嬉しいこと、この上なしであります。


 < 雑 記 > R3.2.27 記

当ブログが 2月21日、2,992,185 goo全ブログ中 89位と、再び 2桁順位を記録してますので、当該データを残しておきます。

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詩人 天野 忠さん & エジプトの『死者の書』 & R3.1.1付 産経新聞 1面掲載『年の初めに』は素晴らしかったです

2021-01-31 16:44:31 | 日記
 産経新聞に 週一連載されている『坪内捻典』さんのエッセーで知った『天野忠』さんの詩、
オイラは これほど面白いと感じた詩に出くわした覚えがないものですから、いっぺんに好きになってしまい、当ブログでは今まで、このような 2編を綴っているのですが、
       ・
       ・
       ・
● 2011/11/02付 100q甚く感じ入り候記(1)【坪内稔典さん【モーロクのススメ】より】
 齢を取りますと、どしどしと 切り込む 角ばったものよりか、オブラートに包まれたように温かく、ふくやかで、行間からは いろんなコトが、人生の機微や面白味といったものが浮かびいで、しかも悠然と やり過ごしている といった感のする文章が、オイラには そういうモノが まずは書けないだけに、「いいなぁ」と 深く感じ入るのでありまして、そこで【イタクカンジイリソウロウ】「痛く感じ入り早漏」ではありません という「新タイトル」を 立ち上げ、今回 その(1) を お贈りしようか と 思う次第にございます。

まず採り上げますは、愛媛県ご出身の、オイラより ひとつ年長の俳人【坪内稔典】さんが、産経新聞に書かれております 毎金連載コラムで ご披露なすって下さった、オイラがイタク感心した詩についてであります。
   
この中で紹介されております【天野忠】さんという 今から 18年ほど前に亡くなられております詩人の3編の作品が、特に 二つ目・三つ目の詩が 実に素晴らしいと思われましたので、自分で キータッチし、ぜひ当ブログへ書き留めておきたい と思った次第にございます。上の新聞記事で読み取れるかと思うのですが、その詩は 以下の通りです。どうぞ ご鑑賞下さい。何とも いい詩であります。


    秋                  考えごと

  色がこんなに黒いのに         ねながら
  日傘をさすのは気がひけるねえー    人生について考えていたら
  鏡を見てばあさんが          額に 蠅がとまった。
  ひとりごとを呟いている。       長いこと休んで
  ひる寝のうす眼をあけたら       それから パッと
  日傘をさして             元気よく飛び立った。
  表へ出て行った。           どうやら考えがまとまったらしい。
                     俺はまだだ。


でオイラも作ったとです。なおこれはフィクションではなく、度々に実際あった話です、ハイッ。
             
    蛙
           
  まだまだ暑い夏
  田んぼのヒビ割れ目がけ
  ションベンしたら
  どっからか二三匹
  幼いカエルが寄ってきた。
  雨じゃねぇよ、ショッペェよ 
  と、オイラはゆうたんとー。

  秋たけなわに
  田んぼのヒビ割れ目指し
  ションベンしたら
  ヒビの中から二三匹
  ちっこいカエルが顔出した。
  もう寝とったん、ゴメンなぁ
  と、オイラは謝ったんとー。

          
  年がら年中
  おりおりの景色に溶けて
  タチションベン。
  田舎ぐらしの醍醐味や。
  ちっとも飛びやしないから
  跳ねっ返りに気をつけんと
  と、オイラを挟むんとー。  オイラ:ここではチンチンを指します 挟む:はさむ

  蛙のションベンなあに
  田にしたもんだとー
  タイシタモンダとー
  蛙のションベン

  オイラのションベンなあに
  チョロチョロチョロだとー
  チョロイモンダとー 
  オイラのションベン

  < 追 伸 >
上の詩の蛙は もっとも一般的な、オイラたちが昔から【クソガエル】と呼んでいる【ツチガエル】でありますが、オイラは、鳥で言えば スズメと同じように、この日本の自然に他のダレよりもピッタシ溶け込んでいるこのカエルが、カエルの中では一番好きで、一番カワイイと感じているのであります。

  < 追 伸 > R3.1.31 記
なお 最近は、ほとんど ”立ちしょんべん” してません・・・名誉奪回のための追記です。


● 2014/02/14 付  【 詩人【天野 忠】さん 】100q 残件消込録(3)
   

 以前も、この回 ↑ も、実は今日の『ネンテン』さんも、【天野 忠】さんの詩を 取り扱っておられます。分かりやすい上、実に面白く 味のある詩なもんで、何時からか「忠さんの本を キチンと買って、チャンと読まなくっちゃ」と、まあ こんな東京コトバではないですが オキャーマコトバで思いまして、下の、著者のサインが入っているという、送料込み4,168円もする ユーズド詩集を取り寄せ、読んだのであります。
   



天野忠さんは、この本が発行されて 7年後、84歳で お亡くなりになられています。ということはです、この本が発行されて以降の作品は 収録されていないということ。道理で 夫婦間の機微を扱った詩が さほど入ってなく、下の『手紙』という詩なんかは、今までネンテンさんが紹介して下さった詩と較べますと、夫婦間の毒が まだ充分 昇華、いや ここんとこは 消化 という字のほうが妥当かも、されていないふうに 感ぜられます。
  

平成22年【彩図社】さん発行の下の本【日本の名詩 100】にも、忠さんの詩が 3篇 収録されております。なお余談ながら、生家が老生宅と数百メートルしか離れていない【永瀬清子】さんという 郷土出身の数少ない いや 唯一の名士の方の詩が入ってないのです。なしてやろ 彩図社文芸部さん、名詩100α で再編纂、何とか なりませんやろか。
   
       ・
       ・
       ・
いささか騒ぎ過ぎでは と思ってますが、コロナに翻弄されまくっている昨今 於、日本を代表する詩人さんの詩に触れて ホッコリできるなんて楽しみやら喜びがあるとすれば、これ以上のシアワセは この世では 望めないのではないだろうかと思い、急遽、 ”忠さん”(このように呼ぶこと、お許し下さい)の本を集めることを思い立った次第ですが、 市場には 僅かしか出てなく、収集できたのは これらの書籍だけであります。

..........
               【  】は 一冊の本を示します
【長い夜の牧歌】【讃め歌抄】【その他大勢の通行人】【万年】【掌の上の灰】【私有地】
                                  ・・・以上 単行本
 (上掲 2編目ブログにある『うぐいすの練習』という詩集は、どこにも見当たらずでした)

【天野忠詩集】『石と豹の傍にて』『肉身譜』『小牧歌』『電車』『重たい手』『単純な生涯』
       『動物園の珍しい動物』『しずかな人 しずかな動物』『昨日の眺め』
       『孝子傳抄』『人嫌いの唄抄』『酸素そのほか』
       『音楽を聞く老人のための小夜曲』 
【続天野忠詩集】『その他大勢の通行人』『讃め歌抄』『私有地』『掌の上の灰』『古い動物』
        『続掌の上の灰』『世界・演戯そのほか』       ・・・以上 全集

【草のそよぎ】【天野忠随筆選】【春の帽子】          ・・・以上 随筆集

実物を見て、初めて【〇〇詩集】の 中身が判明。従って【長い夜の牧歌】【万年】以外の単行本は、ダブってしまいました。でも 単行本は 余白を充分 取ってレイアウトされてますから、味わいは 単行本ならではのものがあります。そう云えば、「 ”余白” とは ”要白” のことです」と、どなたか  テレビで仰ってられました。

ええですねぇ、忠さんの詩。ワイは 俳句なら山頭火さん、短歌なら山崎方代さん( ”かたよ" ではなく "ほうだい" です)、詩なら この方・忠さんが、一等 肌に合うなぁって感じです。な~がいブログ、お目遠し下さった御礼に、2編の詩を、横書きになりますが 転記させていただくとします。

【その他大勢の通行人】から            【万年】から

   廊下                     蛇の話
                            
夜更けに                    長い長い蛇であった                
おばあさんが                  あんまり長いので
便所に立つ。                  蛇はうんざりしていた。
さっきからもぞもぞしていたが 
おじいさんも蒲団から出てくる。         寿命がきて
せまい廊下で                  蛇の頭が死んでから
ふたりは行きちがう。              だいぶんたって

一時間もしないうちに              しっぽはそれを知った。
床の中でもぞもぞして              うなずくように
おじいさんはやっと腹をきめる。         軽く二三度
さっきからおばあさんももぞもぞしていたが    しっぽは大地を叩いた。 
やっと腹をきめて                それから
のろのろと起きてくる。             ゆっくり
せまい廊下でふたりは行ちがう。         死んでいった。

だまっている。

どうですか 皆さま、ええでしょう。ご同好の士となられ、忠さん詩集ご購入をと 思い立たれましたならば、ぜひとも上記内訳を ご参照なすって下さい。ただし 本当に 僅かしか 市場に出回ってません。ご参考までに オイラの探すサイトは、『amazon』『ヤフオク』『メルカリ』『日本の古本屋』さん各位です。

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 R3.1.12 BS日テレ『ぶらぶら美術・博物館』『江戸東京博物館 古代エジプト展』で 
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本来の『死者の書』についての解説が、近藤二郎 早稲田大学教授さんから為されてましたので、ここに概略を記しておきます。

『死者の書』とは、パピルスに、死者が この後 どういう道を辿るのか記した ”副葬品” 、
すなわち 死者それぞれ 違うものなのだと。

頭文字が ”タ” なら女性、”パ” なら男性を表しているとのこと。ちなみに、

”ピルス” とは ”ファラオ” のことなので、”パピルス” とは、ファラオが独占していたと。

で 誰しも ”マアト女神” さんと、取り出された己の心臓とが 天秤に掛けられるのだと。

現世で悪いことをしてなければ釣り合い、”オシリス神” さんのもとで、再生 すなわち

死後の楽園である ”イアルの野”(=エジプト)に行けるのだと。つまり エジプト於いて 同じものに戻れるが、 釣り合わなくば、頭は鰐 鬣と上半身が獅子 下半身は河馬の姿した ”幻獣アメミット” に食べられてしまって、永久に死者になれず 消滅してしまうのだと。

なお上記は、既ブログ 折口信夫さんの『死者の書』に 付記すべく、纏めたものです。

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 R3.1.1 付 産経新聞 1面掲載、乾正人論説委員長さんの『年のはじめに』というコラムは、本当に素晴らしかった !!! 。これだけで、ひと月分 読んだくらいの気分になれました。恐らくは 今年 NO1 のコラムではないかと思っています。


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